第37話処刑前夜

「どうして、駄目なんですか!」

「………」


 閉ざされた鉄格子の前で、コーデリアは甲高い声を上げていた。

 早朝である。

 日が昇や否や、コーデリアはここ、巡視隊の本部に駆け付けたのだ。その目的はもちろん、イヴ・スレイマンとの面会である。


 何をするにも、とにかく話を聞いてからだ。

 所長に無責任に焚き付けられたコーデリアは、一晩じっくり考えた末にそう結論付けた。

 ………コートのポケットには、所長から銃が入っている。話を聞いて、場合によってはそのまま脱走まで覚悟しているのだった。


 しかしそんな目論見は――所長その道のプロに言わせれば目論見なんて上等な代物ではないが――脆くも崩れ去っていた。


「あのねぇ………イヴ・スレイマンは政治的にも極めて重要な事件の犯人だ。下手に外部の者に会わせるわけにはいかないんだよ」


 仕事で何度か顔を合わせて、情報提供を行う場合さえある顔見知りの巡視官は、辺りの目を気にするように声をひそめた。

 今朝の門番が彼だったのは幸運だった。コーデリアも顔を寄せると、小声で訊ねる。


「どういうことです、私は外部じゃあない筈ですよ。私も先輩も、同じ探偵事務所に所属しているのはご存知でしょう?」

「まあ、会ったことは無いけど………もちろん知ってるよ。だけど、そういう命令なんだよ。それに、イヴ・スレイマン本人が自分には同僚など居ないとそう言ってるんだ」

「庇ってるのですね………」


 下手に関係者としてコーデリアたちの名前を挙げたら、彼女まで処刑の対象にもなりかねない。それを察したイヴが、探偵事務所を庇うつもりで嘘を吐いたのだろう。

 しかし、とコーデリアは首を傾げた。


「………ダニアンさんはご存知の筈ですが………」

「ん、隊長がどうかしたの?」

「あ、いえ」


 ダニアンとイヴとの繋がりは、ごく内密なものだ。依頼も報酬の支払いも、全て偽名で行われている。

 そうは言っても、本人同士は解っている筈だが………。


 わざわざ黙っている理由が、イヴにはともかくダニアンには有るだろうか?

 少し考えて、コーデリアは質問を重ねる。


「ダニアンさんは、イヴ先輩を捕らえたことは知ってるんですか?」

「そりゃあ勿論」若い巡視官は誇らしげに笑った。「なんたって、!」

「………そうですか」


 となると、やはりおかしい。

 事実を知る者が二人揃って知らん振りをしている。その目的がはっきりしているのが一人、良く解らないのが一人。


「隊長さんは、今どちらに?」

「いや、それは………ちょっとね」

」驚く巡視官に微笑む。「近頃御執心とか。少し相談を受けましてね、あの人どんな人かしらと聞かれましたよ? さて、? 頼れる人、それとも良い人だけれどね、と?」

「………狡いぞそれは」

「そうですか解りました」

「待って! ………隊長は今日も明日もだよ、詳しくは知らないんだ」


 そうですか、とコーデリアは頷いた。特別任務、詰まり恐らくは………。

 思い付く可能性は、二つだ。最高の可能性と、そして最悪の可能性と。

 少し、調べる必要がある。


「た、頼むよ、ヒルダさんには………」

「えぇ、良く言っておきますよ」


 コーデリアは微笑みながら踵を返した。

 ヒルダさんには、勿論伝えますとも――『秘密を守れない方です』とね。










「………」


 去っていくコーデリアの後ろ姿を、適度な木蔭からヴェルネはじっと見詰めていた。

 それから、安堵の息を吐く。


 やはり予想通り、彼女はここに来た。巡視隊の本部は、ある程度のレベルの機密情報な筈なのだが。

 流石の情報収集能力だ。いっそ恐ろしくさえある。


「………イヴ、貴女の予想通りですが、しかし………


 ヴェルネの瞳は、コートのポケットの不自然な膨らみを見抜いていた。

 彼女の上司は、なかなか手厚い保護を行っているらしい。イヴには手足を、そして彼女の後輩にはを。


 コーデリアにそれを使わせないこと、それがイヴのだった。


「おじさま?」


 知らず知らずため息を吐いていたヴェルネに、手を繋いでいたリンダが首を傾げた。


「あぁ、いえ、大丈夫ですよリンダ。少々――人使いの粗い友人だと思っただけです」

「おじさまに友人がいるのですか?」

「………なかなか将来有望ですね貴女は………」


 辛辣な言葉に苦笑しつつ、ヴェルネは歩き出す。


「行きましょうかリンダ。ここにはもう、用は無さそうです」

「………」

「リンダ?」


 手を引いたが、リンダは根が生えたようにその場から動かなかった。その青い瞳は、巡視隊の本部へと注がれている。

 目付きに陰鬱な影を感じとり、ヴェルネは苦笑した。


「そうでしたね、貴女もあちらに興味があるのでしたか」

「そいつが、犯人なのでしょう………? 私の家族を、殺して回った奴なのですよね?」

「その通りですね、確かに」


 巡視隊のを仇と言うのなら、リンダ以上に復讐心を燃やす者は居ないのだ。少女の大切な人は、既に皆殺されている。

 コーデリアはあくまでも、護りたいだ。対して、リンダは


 復讐は、戦いとはならない。戦って勝ち取りたいものが、何一つ無いからだ。


 そこまで理解して、リンダの心情も慮り、ヴェルネはそれでも、繋いだ手を引っ張った。


「………行きますよ、リンダ。君にはまだ、復讐は早すぎる」

「………はい」


 否定も肯定もしないヴェルネに、リンダは大人しく頷いた。

 その瞳から暗い情念の炎が消えないことにため息を吐く。まったく、新旧共に、人使いの粗い友人だ。











「………イヴ・スレイマンの様子は?」

「はい、問題ありません」


 部下の報告に、ダニアンは書類から顔を上げる。

 その瞳を見詰めながら、首を傾げた。


「例のヴェルネとかいう男は、どんな話を?」

。問題ありません」

「………そうか」


 まあ、見張りの目の前では何もできなかったろうが。ダニアンは頷くと、から視線を書類に戻した。


「処刑は明日だ、賊が現れるとすれば今晩だからな、警戒しろ」

「はい、問題ありません」

「………寝不足か? 目が真っ赤だぞ、気を張りすぎるな」


 ダニアンの言葉に、部下は表情を変えること無く――どころか瞬きも、息をすることもなく、態度で頷いた。


「はい。問題ありません」











「………処刑は明日か、ふん、さてさてどうなるかな?」


 書類の山の向こうで、ただ一人の部外者、所長はニヤニヤと笑っていた。

 誰に見られることもなく、誰に見せるつもりもないその笑みで、極秘情報を掴む。


など、私の専門ではないが、はは、なかなかどうして上手いものだろう」


 ヴェルネは知っている。奴のは所長さえ可愛く思える程の超越者だ、容易くその場に導くだろう。

 とすれば、そこにはリンダが現れる。今回の騒動で最も復讐心を燃やす、幼い宿主候補。


 リトルグレイも恐らく気付く。彼女の才能は、下手をすれば所長たちの域にさえ達する。ヒトの枠にはけして当てはまるまい。

 とすれば、彼女も現れるということだ。護るために銃を取った彼女。護るために、殺すことを選ぶだろうか。


「ふふ、全員集合オールスターか、悪くない。登場人物が多いほど、劇は楽しく愉しくなるものだからな」


 そして、あぁそして。


はけして、遅れないからな。なあ、イヴ・スレイマン?」


 復讐に生きて、復讐だけを望み、遂に最高の仇に出会った我が傀儡よ。

 その命を敵の爪先に晒すことで、逆に己が爪を届く位置にまで誘い出した、見事な狩人よ。


「時は来た、お前の手番だぞイヴ・スレイマン。私を失望させてくれるなよ?」


 くつくつと、所長は笑う。

 世界の誰よりも深く事態を知りながら、世界の誰よりも無責任に。

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