第35話2つの決意
「所長っ!!」
我ながら実に淑女らしからぬ騒々しさで、コーデリアは所長室に駆け込んだ。
塵の即売会みたいな有り様の床で何処だかの地図が舞い、蹴飛ばした空き缶が机に跳ね返ってクルクルと回る。
こんな時でさえなければ、コーデリアは直ぐ様所長に掃除と整理整頓がもたらす健康的・能率的利点を進言したのだが、生憎今はそれどころじゃあない。
「どうしましょう、どうすれば良いのでしょう?!」
「落ち着きたまえリトルグレイ。
応じる所長の声は、憎たらしいくらいにいつも通りだ。
高いような低いような、性別も感情も伝わりにくい声。これ程大仰で記憶に残る話し方なのに、毎回「あれ、こんな声だったかな?」と首を捻りたくなるような、覚えにくい声のままだ。
霧と話しているようなイメージだ。朧気で、ぼやけていて、目を逸らしたらもう思い出せなくなるような声。
姿が見えない事も影響しているのだろう。一瞥したことも無い人の声なんか、正確には覚えていられないものだ。
所長は曖昧な声で、ため息を吐いた。
「良いかねリトルグレイ。前にも言ったが、君には君の良さというものがある。何でもかんでも君の先輩を真似てしまうのは、あらゆる紅茶にミルクを入れるのと同じ暴挙なのだ。そも、少なくとも探偵としては、君はイヴ・スレイマンから見倣うべき点など何一つとして無いのだぞ?」
「そんなことは………」
「あるとも。………どうも誤解しているがね、探偵というものは怪傑でなく解決を目指さなくてはならない。あれのように武力での解決でなく、当事者が納得できる終わり方だ。事実終わっていなくとも、真実でなくとも構わない。納得こそが、探偵が目指す極地だよ」
流れるような暴論だ。
コーデリアは昔、ココアを散々に扱き下ろされた時を思い出した。あの時も同じように、所長は淀み無く悪口を並べ立てたものである。
常に変わらない所長の態度に影響されて、コーデリアは僅かなりとも冷静さ――所長の言うコーデリアらしさ――を取り戻した。
ふうっと一呼吸挟んで、書類の山を睨み付ける。
「………イヴ先輩が巡視隊に捕まりました」
「巡視隊に。ほう、
「えぇ。但し、貴族の家で、ですが」コーデリアは跳ねる心臓を抑えながら続ける。「しかも、そこの家族と使用人を皆殺しにした罪もです」
仮に貴族でなくとも、これだけの人数を殺害していれば、間違いなく死刑だ。相手が貴族である以上、情状酌量も司法取引も有り得ないだろう。
「どこでその情報を? 民間に話が出回っているのかね?」
「い、いえ。巡視隊に知り合いが居まして、聞いたんです」
「ダニアンかね?」
思いの外鋭い声に、コーデリアは目を丸くした。それから、残念そうに首を振る。
「いいえ、ダニアンさんとは連絡が付きませんでした」
「そうか、良かった」
「え?」
「こちらの話さ、リトルグレイ。誰もが見た通りの人間ではないと言うことだ、君も気を付けたまえよ。しかしだとすると、ふむ、君の調査能力には尚驚くべきだな。まさか、私でもあるまいし」
コーデリアは、再び目を丸くした。
「それって………ダニアンさんが、イヴ先輩を捕まえたってことですか?!」
「………ふむ、口が滑ったな。雄弁は銀、沈黙は金と心掛けている私だが、これは大きな失敗だ」
「だとすると、所長は金よりも銀がお好きなのですか?」
「ダニアン・クレイが、イヴ・スレイマンを捕らえたのは確かだ。当初からの計画だったのかはさておき、大きな路線変更とは言えないだろうな」
もう隠すまでも無いと思ったのか、所長はあっさりと秘密を明かした。
コーデリアの調査など、軽く凌駕している。事態には最早、何の秘密も無いくらいだ。
「じゃあ、どうするんですか?!」コーデリアはバン、と机に手を叩きつけた。「このままじゃあ、イヴ先輩が………」
「それは私も考えている、イヴ・スレイマンがどうするつもりかはね。しかしそれとこれとは話が別だぞリトルグレイ」
「別、ですか?」
「イヴ・スレイマンが何をするにしろ、リトルグレイ、君が何かをする理由にも妨げにもならんということだ」
どういう意味か、口を開きかけたコーデリアはふと、叩きつけた掌に妙な感触があることに気が付いた。
ゴツゴツとした、金属の手触り。
「それは、イヴ・スレイマンが勝手に置いていった。持っていけば罠にかかるから、世界一安全な場所に置いたのだろうが、同時に、私に捧げられた訳でもない。誰かが持ち出しても、私には痛くも痒くもないというわけだ、誰かが持ち出しても」
そっと、掌を持ち上げる。
鈍く輝く、金属の塊がそこにある。昨日、イヴ先輩が箱から取り出した、ダニアンさん――ダニアンが『自衛手段として』贈ってきた見知らぬ道具。
それは小さなコーデリアの手でも容易く持ち上げられた。
金属特有の冷たさが、掌に返ってきて、コーデリアは息を呑む。
「リトルグレイ。イヴ・スレイマンは無実になることは無いが………助けたいなら、私は止めない」
面白そうに、楽しそうに愉しそうに、所長の声はコーデリアの耳を震わせる。
「止めない、止めるわけがないとも。はは、それなら、どう転んでも楽しそうじゃあないか」
悪魔のように笑う所長に答えず、コーデリアはじっと、手の中の冷たさを見詰めていた。
ただじっと、人殺しの冷たさを。
「………本当に、それだけがお前の理由なのだな、イヴ。過去の痛みを、今の人間に与えて回ることだけが」
「それを便利と認めたのが、貴方よダニアン?」
「否定はしない。そして、ならば冥土の土産もくれてやろうか。どうせ、三日もすれば処刑だ」
ダニアンは、古い椅子で足を組みながら、全身を戒められたイヴを見詰めて鼻を鳴らした。
こいつがここでどう動こうとも、自分に害を与えることは出来ない。ならば、少しくらい話してやっても良いだろう。
暗い独房は、イヴ以外にはダニアンしかいない。見張りも遠ざけてあるし、秘密が漏れることはない。
他に誰にも話せない、己の栄光に満ちた過去を、聞かせてやろう。
「勿論、居たよ。イヴ、お前を捕らえたのは、これで二度目だ」
イヴがひゅっと息を呑む。
懐かしい、とダニアンは苦笑した。あの時も同じように、イヴは息を呑んだものだ。
「もう、五年以上だな。どうだ、もう罪を告白出来るか?」
「………やはり、お前か………!」
ガチャリと金属音。
イヴが身体を動かしかけて、鎖がそれを拒否した音だ。
「お前とは、どうもこうなる運命だな。お前は囚われ、俺は責める」
「………最初から、私がそうだと知ってたの?」
「いいや?」思ったより早く大人しくなったイヴに眉を寄せつつ、ダニアンは答える。「偶然だよ。炎使いとしてのお前の噂を聞き付け、犠牲者が帝国軍に関係がある連中と調べが付いたときに、まさかと思って会ってみたらそうだった」
そこでふと、ダニアンはイヴの疑問に気が付いた。彼女が一番何を気にしているのか、気が付いたのだ。
「あぁ、そういうことかイヴ。安心しろ、お前に依頼した相手は、全て帝国軍に関係がある連中だよ。騙して一般人を殺させたりはしていない。………但し」
「貴方とは敵対していた帝国軍関係者、でしょう? どうせそんなことだろうと思ったわ」
「そう。俺の帝国を復活させるのに、彼等は邪魔だった。今はまだ、力を蓄えるべきなのにな。革命の時はいずれ来る、そしてだからこそ、お前が気付かなければ逃がしても良いと思ってはいたんだ。………また頼むかもしれなかったからな」
「嘘ばっかりね、貴方は。ラジアル家を潰した時点でもう、御破算にするって決めてた筈よ?」
束の間、ダニアンの喉からは本気の笑いが零れた。
立場があった。
発言どころか視線の1つで上がったり下がったりする、波間に漂う板切れのような立場が、ダニアンには絶対に必要だった。
他人の目や耳に気を使い、計画や策略のために笑い怒る、自分を使った人形劇に明け暮れていた。
こんな風にただ笑ったのは、いつ以来だろうか。特に、こうして考えを見抜かれて笑ったのなんか、多分生まれて初めてじゃあないだろうか。
何せ、ダニアンはクロだ。探られて痛い腹しかないし、もしも過去帝国軍の秘密部隊に居て、こうして策略を巡らせていると知られたら、首が飛ぶのはダニアン自身の方なのだ。
ダニアンは嘘吐きだ。生存のためには、必要不可欠だったのだ。
その仮面も、彼女には通じないらしい。
悪くない感覚だった。
思えばイヴを使い続けた理由は、きっとそこにあったのだろう。
居心地が良かった――まるで、友人みたいに。
出会い方が違ったら、そうなれただろうか。考えて直ぐに首を振る。
イヴがこうなったのは、ダニアン達がそうしたせいだ。順番が逆だったなら、或いは運命が僅かでも違ったら、二人はけして出会わなかった。
「5年前に死ねば良かった、イヴ。お前がそうなっていれば、俺はこの偽りの王国で、お前の墓に花でも供えてやったろうに」
「もう死んだのよ、あの時きっと。そしてそれ以来、私は死から逃げ続けてきた」
「もう逃げ切れない。俺がお前に、引導を渡してやろう」
ダニアンは立ち上がる。
イヴ・スレイマンはニヤニヤと笑ったまま、包帯で閉ざされた瞳で虚空を眺めている。
「一応言っておくが、無駄な事はするなよ。お前が何か言ったなら、あの事務所や生き延びた子供まで死ぬことになる」
「下らない蛇足だわ、底が知れるわね。心配しなくても、そんな陳腐な終わりにはさせないわ。………貴方は必ず、悪魔の炎で焼かれる事になる」
「楽しみにしておこう、イヴ・スレイマン。………では、また三日後にな」
妙な気分のまま、ドアを出る。
それが名残惜しさだと気付けるまでには、ダニアンの人生は遊びが足りてはいなかった。
「隊長、すみません」
「どうした?」
「あの、これを………」
牢獄の廊下を歩きながら、ダニアンは差し出された書類に目を通した。
そして、低く毒づいた。
「海向こうの魔女どもめ、やけに耳が早い」
「どうしましょう、拒否しますか?」
「………いや、かの魔術大国【キルシュガンド】を刺激するのは不味い」
そこには海を挟んだ強国の、最も権威ある署名と共にある名前が記されていた。
彼の者の身分をこれ以上無く保証する契約書。それを携えた者の願いを思い起こして、ダニアンはかなり激しく舌打ちして、その書類を部下に渡した。
「通してやれ、願い通り………麗しの天使様の末期の祈りを許可すると、その男、ヴェルネ・カーペンターに伝えろ」
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