第34話残された者
相変わらず、その部屋は暗い。いや、もしかしたらそこには部屋なんて無くて、ただ闇が広がっているだけなのかもしれない。
闇があって、そこに私は居るだけなのかもしれない。
この、吊るされた葬列と共に。
「………何処へ行くつもりだったの?」
あぁ、そうか。
蠢き助けを乞う焦げた死者に目を奪われて、彼女を忘れていた。
漆黒のドレスに身を包む、青白い肌の幼すぎる女帝。
闇を纏い、闇を統べる彼女が、滑るように私の前へと歩み出てくる。
「貴女の仕事は残っている。順番待ちがこんなに居るわ、可哀想だとは思わない?」
吊るされた彼らは、未だ死にきれていない。燃え尽きた瞳で見下ろしながら、燃え尽きた舌を震わせて、私の名前を叫んでいる。
助けて、助けて、助けて、イヴ。
「ねぇ、イヴ、優しいイヴ。ここがこんな有り様で、何処かへ出ていけると本当に思ったの? そんなことを、貴女自身が許すわけないじゃあない」
少女の表情はまるで変わらないが、私は、彼女が嗤っていると感じた。
私の愚かさを、惨めさを、馬鹿にするように笑っている。………嗤っている。
仕方がない。その言葉は、私の心に軽やかに入ってきた。その笑いは、私の心にあっさりと入ってきたのだ。
だって、それは事実。
私は、私を許せない。私の仕事を捨ててはいけないのだ。
「解っているようね、それは結構だわ。そう、その通り。だから、私が現れたのよ」
そう言って、少女は首を傾げる。
その全身が、音も無く燃え上がった。
「………………」
目を覚まし、イヴはやれやれと苦笑した。
先ず、視界が闇に包まれている。
夢の中のあの部屋のようだが、それよりは遥かに淡い闇だ。恐らく、両目に包帯か何かが巻き付けられているのだろう。
身体が動かない。
両腕は手錠で吊るされ、万歳の姿勢で固定されている。ではと足を動かせば、じゃらりと響く金属音。どうやら足にも金属の感触が有り、多分、何処かに鎖で繋がれているのだろう。
肌には、布の感触が有った。服は着たままらしい。所持品は取られただろうが、それなりに紳士的な対応だ。
「………目が覚めたか。余計な真似はするな、その鎖は異能を封じる力がある」
思ったよりも間近で、声。
目が見えないだけでヒトはこんなにも無防備になるのか。イヴは苦笑しながら、乾いた唇を舐めた。
「悪いんだけど、少し眩しいから、カーテンを閉めてくれる?」
軽い苦笑の気配。足音は動き、きぃっと椅子を引く音が続いた。
気配の主が、少し離れたところで椅子に座ったのを感じ取り、イヴは口を開いた。
「目が覚めるとは思わなかったわ。寝ている間に殺すかと思ったのに」
「それこそ遊びがないだろう。それにな、イヴ、ここはもう帝国じゃあない。犯人を問答無用に処刑は出来ない」
「処刑?」イヴは笑い声を上げた。「暗殺の間違いでしょう?」
「いいや。処刑だよ、イヴ。その権限を持つ者が行えば、それは処刑なのだ」
権限と来た。
イヴは、くすくすという嫌味な笑いが零れるのを抑えられなかった。他人の間違いがこれ程面白いとは、イヴは知らなかったのだ。
そうだ、間違っている。
誰にもそんな権限は無いのだ、誰かを殺しても良い権限なんて。
たとえ、王都巡視隊隊長ダニアンであったとしても。
「ふうん、それで、そのために何が必要なのかしら? ………例えば、ダニアン、疑惑の不思議な武装の所持とかかしらね。貴方が贈ってきた、小型の銃みたいな?」
声の主、ダニアンは1拍空けて、大きくため息を吐いた。実にわざとらしい、下手くそな仕草だった。
さして障害にはならないと気付いている。それでも疑問の声を上げたのは、彼なりの流儀だろうか。
「………何故、持ってこなかった?」
「持っていれば、問答無用だったのにね、あらあら残念」
ダニアンからの
短剣程の大きさではあったが、あれは、間違いなく【銃】だ。
リボルバーとか、所長は言っていたか。
自衛手段として持ち歩け、との指示が付いていた時点でイヴは、ダニアンの策略に気が付いた。
銃は、今のところ王国としては用途不明の代物、帝国残党の所有物でしかない筈だ。完全な形ではイヴは残していないし、ラジアル家にあったものは爆発した筈。
となると、銃を持っている、ということは即ち帝国残党の証となるのだ。逮捕した貴族殺しの容疑者が持っていれば、正に問答無用だ。
「そこで気付かれたか。全く、察しが良い。しかし………なら、こうなることも予想は付いただろう?」
「さあ? 案外紳士的に、カフェモカでもてなしてくれるかもとは思ったけれど?」
「何故来た」イヴの戯れ言を無視して、ダニアンは切り込んだ。「俺の事に気付いたなら、とっとと逃げれば良かった筈だろう」
今度こそ、イヴは大声で笑った。
ああ全く、馬鹿な男だ。イヴ・スレイマンが罠に飛び込むのなら、理由は1つしかないだろうに。
「聞きたいことがあったのよ、それを知らないと、私は生きていても仕方がない」
「俺の素性か? それが、命よりも大切か」
「大切ね。私は、そのために生きてきた――いいえ、死ぬことを拒否してきたの」
生きてきたとは、言い切れない。
少なくとも所長なら、遊びの無い人生なんて無駄だと言い放つだろう。そして、イヴ自身としても、ちゃんと生きてきたとは言えなかった。
今なら解る。イヴ・スレイマンは、復讐に甘えていた。惨めたらしく、必死ですがり付いていた。
それが何だかおかしくて、イヴは笑いながら口を開いた。
「貴方は、ダニアン、彼処に居たの?」
「………ふむ」
ぎしぎしと、椅子の軋む音が響く。
背もたれに身体を預け、大きく伸びをしたような音だった。
確信はない。
机の上に山と積まれた書類が、確認することを拒んでいる。天井まで達する書類は、たとえ空を飛べたとしても乗り越えることは出来ないだろう。
だから、その向こうで誰がどんな顔をしているのか、知りようが無い。
「やれやれ全く、彼奴め何をするつもりだ。あんなところに連れ込まれて、何を狙っているのだか」
ある時は悪魔と呼ばれ、そして今は所長と呼ばれるそいつは、ぼやきながら嘆息した。向こうからも見通せない筈の山、しかし、見えているとでも言うように。
あの程度の布の戒めで、貸し与えた視力を遮ることなど出来ないとでも言うように。
「封印の鎖? はん、その程度、我が炎を遮るものかよ。………だからか? 牙も抜かれて爪も丸められて、為す術無しと油断させたいのか? それは少々悪手だと思うのだが………ふむ。………やはり、心を覗かないとやきもきするな」
やろうと思えばやれると暗に言いながら、所長は鼻を鳴らした。
心くらいは読める。だが、読まない。そんなことは、詰まらない。
未来は未知であるから良い。
それに対する諸人の計画も、知らない方が面白い。
「とはいえ、これ程絶望的だと気になるな。………いや、気を揉む事も無いのだが」
何しろ、悪魔だ。
悠久の時を生きてきたし、永劫の時を生きるだろう。数多の世界を渡り歩き、数え切れぬ程の願いを叶えてきた。
一人にこれ程長い間憑いていたのは、確かに珍しいが。
それでも、大した事じゃあない。もう100年もしてから振り返れば、イヴの顔さえぼやけて忘れてしまうだろう。その程度のことだ。
「この程度は、旅の思い出ですらない。私は単なる異邦人、行き交う旅人。済んだらまた、旅立つだけだ」
まあ、しかし。
「………面白かった事は、認めるがね。他人への説教がこんなに面白いとは思わなかったよ。………ん?」
ドン、という音。事務所のドアが思いきり開かれた音だ。
何だ、とは思うが、誰か、とは思わない。
思うことは1つだけだ。
「………そら見ろイヴ・スレイマン。お前のせいだぞ我が従僕。あの可愛らしかったリトルグレイが、こんなにも粗暴になってしまったではないか」
ため息が書類の山を僅か揺らした。
それをヒヤリともせずに眺めながら、所長はゆったりと、コーデリアがドアを開くのを待った。
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