第32話夜になるまで

「………ん………?」

「あぁ、眼が覚めましたかリンダ」

「せんせぇ」


 軽い振動で、リンダは眼を覚ました。

 途端に掛けられる穏やかな声、そして、目の前の細い背中。


 ヴェルネの背におぶわれている事に気がついて、リンダは思わず頬を染める。


「先生、あの、歩けます」

「そうですか? では、下ろしますよ、良いですか?」


 そっと石畳の地面に降り立って、リンダはホッと息を漏らした。

 寝起きではあるが地面は揺れず、ブーツはしっかり大地を踏み締められた。

 一人で立てた――そうでなければ、ならないのだ。


 リンダの記憶には、母の最後の言葉が刻まれている。両親の、最後の姿も。

 それまでの幸せな日々を呑み込んで塗り潰す、鮮赤の惨状。そして、黒い炎。


 見てはいないけれど、ぼんやりとした意識の中で先生の声は聞こえていた――おじいちゃんも、死んだのだ。

 強く生きなければならない。一人で立てなければならないのだ。独りで。一人きりで。


「リンダ。起きたのなら、貴女に告げなければならないことがあります」

「先生?」


 リンダを下ろしたヴェルネは、そのままの位置で立ち止まると、珍しく厳しい表情で彼女を見下ろしていた。

 どこかに行く途中だったのだろうと歩き始めていたリンダは、首を傾げながらもその傍に戻る。こんな昼下がりに道の真ん中で立ち止まって、迷惑ではないかしら。

 辺りを見回すと、幸いにも人通りはなかった。


 それは、明確な異常だったが――昼下がりの王都で中央通りに人気がまるで無いなんて、殆どあり得ない事態だったが、学校と実家の他は馬車でしか移動したことの無いリンダにとっては気になることではなかった。

 運が良かった、その程度の言葉で済ませてしまう事だった。ここで話すべきだという、と思うだけで、リンダは無邪気にヴェルネに駆け寄った。


「なんですか、先生? 何処かへ行く途中だったんじゃないんですか?」

「えぇ、途中でした。そしてその行く先についてのお話です、リンダ」

「はなし………?」

「私たちは、役所に向かう途中でした。リンダ、リンダ・ラジアル、


 ヴェルネは、通行人の可能性には無頓着に膝を折ると、リンダと視線を合わせた。

 眼鏡の奥で、珍しい金の瞳が真剣さに輝いている。森や沼の魔女が、黄金のように輝く瞳を持っているという童話をリンダは思い出した。昔から、金はヒトを惑わす色なのだ。瞳でも、金貨でも――満月だって、金色だ。


 ヴェルネは魔性だろうか。リンダはぼんやりと思いつつ、その視線を受け止めた。


「あまり自分で言うのもなんですが、リンダ。私は、私の信仰は少々特殊です。貴女に強制するつもりはありませんが、周りはそうは思わないでしょう」

「………迫害されますか?」


 図書室で、或いはそれこそヴェルネ先生の授業で読んだ古い書物を思い出して、リンダは問う。異教の人間を襲う、狂信者の異教狩りの挿し絵を。

 石をぶつけ、鞭で打ち、水に沈めて火炙りにする。あの蛮行の矢面に立たされると、ヴェルネは警告しているのか。


」ヴェルネはしかし、首を振った。「問題は、我が神を信じない者ではない。我が神を者です。いつだって問題は、信じる者が起こすのですよ。リンダ、貴女の後見に私がなれば、。我が神を信じる者たちに、貴女も信じていると思われる。それが彼らの勘違いだと知ったとき、彼らが怒る先は


 リンダは、背筋にすきま風が入り込んだような寒気を感じ、身震いした。


 それは、なんて恐ろしい事だろう。勝手に味方と思われて、そして勝手に裏切られたと思われるのだ。

 ただ生きて、普通に暮らしているだけで、見知らぬ誰かから善意を向けられる。それを受け取らないと、次に届くのは悪意だ。彼らにとっては悪意。


 自分の言葉の、恐ろしい本意が伝わったことを確認するように、ヴェルネは1つ頷いた。


「残念ながら、非常に残念ながら、リンダ。貴女と私との後見関係は拒否も解消も出来ません。ラードの残した手紙は、貴族の遺言書として完全に効力を持つものです。あの男がその辺りでミスをするとは思えませんからね。これは、最早


 リンダは、おじいちゃんの性格を考えて頷いた。何事にも正確さを求めるおじいちゃんは、失敗するところを見たことがない。契約書では、特に。


「だから、確認するべきはそこじゃあない。リンダ、貴女のです」

「過ごし方?」

「貴女の家は、焼け落ちました」


 淡々と、感情の籠らない口調でヴェルネは告げる。数学の授業のようだ………貴女の家は焼け落ちました、復興するにはどれだけの人手が必要でしょうか、小数点以下は切り上げて答えなさい。

 だからリンダも、簡単に頷いた。解答に、前提条件は何の意味もないのだから。


「とすると、住む場所が必要です。学校に通いながらとなると、別荘というわけにもいかない。新しく家を買おうにも、貴女の財産はそれほどゆとりがあるようには残らないでしょう。残るは、2つしかない。学校の寮に入るか、或いは………」

、ですね」


 しかし、そうなると。


「そこで先程の話が復活します。リンダ、貴女が私の家に住むとなると、私の信仰に触れずにはいきません。そして、私には信徒もいる。彼らは、私の後継者と見なすでしょう」


 彼らは歓迎してくれるだろう。家を失ない、家族を喪った幼い少女を、慈しみ守ろうとするだろう。何故なら――

 神の奇跡の象徴として、指導者の慈悲の賜物として、彼らはリンダを担ぎ上げるだろう。高く、高く。


 そこで嫌々と首を振れば、彼らは目付きを変えて、そこからリンダを地面に叩きつけるのだ。


「役所では、後見の開始時点で貴女の今後を計画しなくてはなりません。貴女がどう生きるのか、今すぐに決める必要があるのです。リンダ、私はけして貴女を見捨てませんし、尊重します。経済的な支援も、まぁ微力ではありますが行います。だから、自由に選びなさい。………リンダ。?」


 ヴェルネが宗教家であるということを、リンダは初めて知った。学校での先生はまさに先生で、ヴェルネ・カーペンターという個人を殆ど見せていなかったのだとリンダは初めて知ったのだ。

 見せたら、巻き込むから。

 引きずり込んで、しまうから。


 リンダはヴェルネの眼を見た。その色が金色だということも、リンダは今日初めて知ったのだ。


「………先生、ひとつだけ、訊かせてください」

「はい」

「………あの人………黒い炎の女の人は、先生、てんしさまって呼んでましたよね?」

「えぇ。私はそう、しています。我が神の遣わした、神意の実行者であると信じているのです」


 それなら、意思は決まった。

 覚悟も決めた、そして、


「わたしは、先生の使に助けてもらいました。先生の信仰に、助けてもらったんです。だから――


 天使さまが異教だというのなら。

 神様を信じる人たちが、悪魔と呼ぶのなら。

 私は、神様なんて要らない。


「私は、私を助けてくれた神を信じます。あの天使さまを遣わしてくれた、先生の神様を信じます。だから………傍においてください!」

「………そうですか」


 ヴェルネは、一度だけ目を閉じた。

 それから、再び開いたとき、そこには喜びの色が輝いていた。


「貴女の信仰に祝福を、リンダ。では、行きましょう」


 立ち上がり、ヴェルネは手を差し出した。

 その手を握り返して、リンダは歩き出す。強く地面を踏みしめながら。











「先輩!」

「きゃっ?」


 ドアを開けたと同時に飛び付いてきたコーデリアに、イヴは思わず悲鳴を上げた。

 殺気の無い突撃はかわし辛いのだ。しかも、コーデリアは割りと俊敏だし。


「し、心配しました………! 起きたら誰も居ないし、夜にはあんな話をしたばかりだったし………。先輩、ラジアル家の事も聞いてきたから、貴族に喧嘩を売りに行ったんじゃないかって………。けど、追い掛けようにも、家開けっ放しには出来ないし」

「あ、う、うん、そうね………」いきなり泣き出したコーデリアを宥めながら、イヴは周りを窺う。「とにかく、入りましょう、コーデリア」


 隣人に、同居人に泣いて抱き着かれたという印象を持たれるのは嫌だ。しかも、泣いているのは女の子だ。


 社交性に秀でているわけでも、隣人と仲良くなろうという意思があるわけでもないイヴだが、波風は立てたくなかった。

 ホームパーティーに呼ばれないのは構わないが、会う度に眉をひそめられるというのは実に構う。


 強引に部屋に押し込んで後ろ手にドアを閉める。

 鍵を掛けて、イヴは漸くホッと息を吐いた。


「ごめんなさいね、コーデリア。貴女の仕事のお陰で目処が立ったから、さっさと済ませることにしたのよ。貴女、疲れてるみたいだったし、頑張ってくれた貴女を起こすのも偲びなくて」


 その結果すっかり忘れていたのだが、そこは黙っておくことにした。

 波風は、立てたくなかった。


「………けど、?」

「どうして、それを?」


 流石に、部屋を出ないで調査はできないと思うのだけど。

 首を傾げるイヴに、コーデリアは涙を拭きながらごそごそとソファーのクッションの下をまさぐった。


「聞いたんです。不味いことになった、連絡があったら知らせて欲しいって………」

「まさか、ダニアン?」

「はい」


 イヴは目を丸くした。

 あの堅物な仕事人間が、いつでも切り捨てられるフリーランスを気にするとは思わなかった。

 そして、同時に、事態が更に悪化していることにも気が付いた。


 ダニアンは、巡視隊の若きトップだ。その彼が、イヴの状況を不味いと表現するということは、どういうことか。

 それは詰まり、イヴに仕掛けられた罠が、巡視隊としても不味いということに他ならない。


「私が切り抜けるかどうかが、あいつにも関わってくるってことね」

「詰まり、お二人の運命は、一蓮托生………?」

「そこで頬を染めないで頂戴、コーデリア………」


 ヴェルネとのロマンスの妄想はどうした。


 イヴは、絶対にコーデリアとヴェルネを今後会わせないことを強く誓った。しかも今なら、もれなく新たな誤解の種リンダも着いてきてしまう。

 もうお子さんが居るのですか、なんて言われたら、ヴェルネをその場で焼き払わない自信はなかった。

 大丈夫よリンダ、貴女は一人でも生きていけるわ。


「そうだ、先輩!」


 後輩の弾んだ声がこれほど精神を削るものだとは知らなかった。

 イヴはため息を吐きながら、それでも置いてきぼりにした罪悪感から、「なあに、コーデリア」と優しく尋ねた。


「ダニアンさんから、プレゼントもありますよ! 愛の、プレゼントが!」


 焼き払おう。

 決意と共に、イヴはコーデリアの差し出した箱を受け取った。そして、その中身を見て息を呑んだ。


 そこには、場所と時間だけが書かれた小さなメモと、そして――とんでもないが入っていたのだった。

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