第30話新たな罠の予感
ぎぃぃという、開閉させられることが堪らなく不満だと言いたげな声を上げるドアを開けて、イヴは所長室をあとにする。
途端、幼女をあやす悪魔崇拝者という不愉快な光景が目に入ってきて、イヴは大きく息を吐いた。
何より不愉快なのは、リンダが安心したような顔で無防備に眠っている事だった。
もしかして――これは本当に恐ろしい予想であるのだが――ヴェルネは子供から人気があるのだろうか。まさかとは思うがしかし、笑顔で抱き付いているところを見るに可能性はある。
「………おぉ、天使様。よくぞ御戻りになりましたね」
「あまり騒がないでよ、起きたらどうするの?」
「有り得ないとは思いますが、気を付けます。ところで、彼の御方からの御言葉はいかがでしたか?」
所長の事だろうか。随分と大袈裟な呼び方だが、まあ、イヴも名前を知っている訳でもない。特に訂正することなく、首を振った。
「別に。私の不手際をネチネチと責められただけよ」
「ふむ………今後の話は特には無かったのですか。それは、少々肩透かしですね」
ヴェルネにしては辛辣だが、気持ちは解る。
事態は相当不味いと思うのだが、所長からは特に指示や、或いは
自分を卑下する訳ではないが、所長の手腕が問われる段階なのではないだろうか。それがないとすれば詰まり………。
「見放されたのでなければ、現状のまま行けば良い、ということかしら」
「現状のまま、ですか。ふむ、とすると、我が友人に頼る必要がありそうですね」
「友人? お前にそんな大層な繋がりがあるとは思わなかったわね、誰のこと?」
「ラードですよ」
イヴは首を傾げた。
常識的な観点で言えば、間違いなく彼は死んだと思うのだけれど――もしかしてヴェルネの『信仰』の前では、死人さえ穏やかに眠ることを許されないのか。
死者を眠らせる事が、宗教の最も大きな役割だと思っていたのだが。それもまた、神次第というところか。
ヴェルネは、抱き付いたままのリンダを起こさないよう器用に懐を探り、一冊の本を取り出した。
革紐で綴じられた表紙には流麗な筆遣いで【ラジアル家の歴史】と記されているようだ。
投げ渡されたそれをペラペラと捲り、イヴは顔をしかめる。
「ラジアル家は、少なくとも文才には恵まれなかったようね。それとも興味がなかったのかしら?」
記されていたのは、数字と単語の箇条書きだけだ。
要するに、収支報告書の束なのだろう。ラード老やバルタはもちろん、紙自体が変質するほどの昔に遡っても変わらないところを見るに、この習慣はラジアル家の家風のようだった。
ある意味解りやすい資料と言えるだろう。彼等一族が何を優先してきたのか、金銭の流れのみが記された書物からは察してあまりあるというものだ。
「これが、どうしたの?」
「ここを御覧ください、日付的に、グリンが運んだと思われる荷物の受け取りについてです」
「………問題ないみたいね、数も金額も確認の署名がしてあるわ」
「それはおかしいのです。お忘れですか、天使様。私たちが何故ラジアル家に目をつけたか」
問われて、イヴは事件のあらましを思い起こす。そして、気がつく。
「ラジアル家の家紋入りの、書類………!」
「その通りです、それによって私たちはグリン最後の仕事がラジアル家に関係のある内容だと知り、そして調査の末、荷物の偽装運搬に辿り着いた」
そうだ。
書類によると、樽が1つ消えていたはずだ。だが、この書類によると、その記載はない。
「これは、極めて個人的な書類と言えるでしょう。ラード老もあんな事態にならなければ私に見せようとは思わなかった筈です。詰まり、偽装の可能性は極めて低い」
「ということは………荷物の偽装は無かったということ?!」
ヴェルネは首を振った。
「いいえ。私たちが壊滅させた酒場では、確かに荷の偽装が行われていました。しかし………恐らくそれは、ラジアル家に向けたものではなかったのです」
「送り先を、偽装したの………!?」
一度荷物を集めて、そこで中身を入れ換える。酒場では合法的な中身を抜いて、非合法的な中身に換えて運ばせるという犯罪が行われていた。
そしてある時だけ、その送り先をも偽装した。本来の場所ではなく、ラジアル家に送ったのだ。
ラジアル家が注文したものと運んだものの量を合わせるために、樽は1つ消えたのだ。その上で家紋を偽装したせいで、樽が不足したままの書類が生まれてしまったというわけか。
何のために?
そんなの、決まっている――イヴたちを嵌めるためだ。
「これによると、ラジアル家は調味料を注文していたようですね。随分な量ですが、パーティー用とありますね」
「ところが届いたのは、銃と弾薬だった。それをノコノコと、私たちが見付けに行ったわけね」
「グリンを殺したのも、その時ですか。私が関わらずとも、天使様に依頼が行くよう行方不明者を演出したわけですね」
実際、グリンの奥さんはコーデリアに依頼を出した。その前にヴェルネに相談してしまったのは、黒幕としては予想外だったろうが、結果は予想通りだっただろう。
イヴたちは酒場のことに気がつき、ジョンの死体から書類を見付け、罠へと飛び込んだ。
そこまで考えて、イヴは目を見開いて低く呻いた。
「………罠は、私に向けられたものだった」
「そうでしょうね、天使様に疑惑を持たせて、バルタさんたちを殺させるつもりだったのでしょう。その上で火を放ち、天使様をも焼き尽くす。不可能だという点に目をつむれば、良い策略と言えるでしょうね」
「何故?」
ヴェルネは首を傾げた。
「帝国の残党とやらは、貴女に散々狩られたのでしょう? その復讐なのでは?」
「それは妙よ。私は確かに奴等を狩ってきた。狩り尽くして来たのよ、解る? 誰も生かしては居ないのよ。何者かということは解っても、私のことまで知ってるわけが無いわ」
「………とすると、どうなりますか天使様? 詰まり、貴女が狩人だと知っている人物が何かを企てた訳ですか?」
イヴは答えず、一度だけ目を閉じた。
あらゆる条件が、一人を指し示している。だが――それすら罠ではないとどうして言えるのだ?
確かめる必要がある。虎穴に入らずんば虎児を得ず、罠だとしても飛び込むしかない、あの男に会うしかないのだ。
「………ところで、これは何処で?」
「ラードの車椅子、その背もたれに入っていましたよ。………昔から、椅子の背もたれに隠し事をするような奴なのです」
しみじみと、昔を思い出すような目付きでヴェルネは虚空を眺めた。
最期の時ラード老は、自分たち家族を狙った敵が現れることを予想して、待ち伏せをしていた。結果は残念ながら返り討ちだったが、それすらも予測していたのだろう。
だから、遺したのか。ヴェルネならば気付くと考えて――信頼して。
最適な人選では、ある。どんな危険があったとしても、ヴェルネならば間違いなく生き残るのだから。
「………ん? 中に何か入ってるわね」
「書類ですか?」
「いや、手紙みたいね」
綴じられた帳簿の中に1枚、綴じられていない羊皮紙が挟まっていたのだ。
ひらりと落ちたそれを拾い上げて目を通す。紙も新しいし、インクも本当に最近書かれたようだ。
達筆な、老人らしい文字だ。少々読み辛いそれをじっくりと見て、イヴは大きく深呼吸した。
もう一度読んだ。文字を見間違えていないか、或いは文章の理解が間違っていないかをじっくり確認した。
もう一度、読んだ。もしかしたら悪魔の視界で見れば違うかもしれないと、眼帯をはずして読みさえした。
何度読んでも文字は変わらず、文章はそのままだ。
「どうしたのですか、天使様?」
「………答えたくないわ、自分で読んで」
「………?」
イヴは紙を渡して、深く深くため息を吐いた。
眠るリンダを見詰めて、悲しげに目を伏せる。あぁ、彼女は何と不憫な人生を背負わされたのだろうか。
………ラード老が、恐らくは脱出の間際に用意したであろう書類。
それは――リンダの今後を決める書類だ。
内容は単純。『リンダ・ラジアルの後見人として、ヴェルネ・カーペンターを指名する』という、ただそれだけの――死刑宣告書だ。
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