第23話漂う陰謀の影

「彼女を離せ貴様!!」


 叫び声に、イヴは優雅な笑みを浮かべる。

 彼らは何かを知っている筈だ。イヴの復讐心を向けるべき、の情報を、何か。

 そのためには、使えるものは全て使う。


「う………」

「マルガレット!!」

「動かないで」イヴは左手で彼女の喉を掴みながら、右手から黒炎を燃え上がらせる。

「私も、彼女の綺麗な白い肌を黒くしたくはないわ。出来るだけ、ね?」

「卑劣な………!」


 砕きそうなくらいに強く奥歯を噛み締めるバルタを、イヴは微かな罪悪感とそして確かな充足感に浸りながら眺める。


「何が目的だ!金か、それとも私の命か?!だったら私を殺せ、妻には手を出すな!!」

「結構な家族愛ね、感動的だわ。けれど困ったわね。私は金なんか欲しくないし、命も、今のところは必要ないわ」

「何も知らないんだ!」

 バルタは自分の膝を殴り付けながら、悲痛な叫び声を上げる。「本当に、何も知らない!そんなもの見たこともない!!」


 信じてくれ、と床に崩れ落ちるバルタを庇うように、ラード老が前に進み出る。


「どうか、信じてやってくれないか、お嬢さん。そいつは何も知らない、ここの後ろ暗い歴史も、あの戦争も」

「貴方は知っているの、御老体?」

「知らぬ。だが………戦争のならば、ワシの代での事じゃ。ワシが支払うのが道理じゃろう」


 老人は、差し出すように首を前に突き出した。その細く苔の生えそうな首を見下ろして、イヴはゆるゆると首を振る。


「そんなものを欲しい訳じゃあないわ」

「では、何を求めておるのじゃ?」


 老人の鋭い切り返しに、イヴは思わず口をつぐむ。

 その隙を、海千山千のラード老は見逃さない。


「お前さんの眼にあるのは、ひたすらに暗い、腐りかけの水底じゃ。溺れた者が伸ばす手は、未来に向いておらぬ。ただ同じところに引きずり込むための罠でしかないわ」

「………」

「答えが知りたい? 違うな、お前さんの望んだ通りの答えを言わせたいだけじゃろう。………じゃろうが」


 それは。

 イヴは、老人の眼を、自分の手を、そして握り締めた女の顔を見た。

 恐怖、苦痛、憎しみ、絶望、怒り………全て、かつてのイヴの瞳に浮かんでいた感情だ。


 自分は何をしていたのだろうか。

 イヴは、今、奴等と同じことをしようとしているのではないか。


「………お前は地獄を覗きすぎた。今や、お前が地獄になってしまった」


 静かなラード老の言葉に、イヴはゆっくりと、握り締めた左手を離した。











「おぉ、天使様!」


 すすり泣きながら抱き合う夫婦を居心地の悪い思いで眺めていたイヴの耳に、ヴェルネの声が届いた。

 相変わらず空気の読めない楽しげな声だが、それでも気分はこちらの方がましだった。


 姿を現したヴェルネに、ラード老が眉を寄せた。


「………ヴェルネ・カーペンター?」

「おや、ラジアル様? お久し振りです、老けましたね?」

「貴様は変わらんな………もう驚きはせんがな。やれやれ当たり前だ、?」


 そんなになりますか、と楽しげに首を傾げるヴェルネを、ラード老は呆れながら睨む。

 イヴとバルタ、マルガレットも、ヴェルネの笑顔を驚きながら眺めた。

 どう見ても、20代半ばにしか見えない。ヴェルネの事を知らなければ、ラード老の惚けたと思うだろう。

 知ってさえいれば、まあ、確かに嘘だとは思わないだろうが。


「化け物め。まさか、このお嬢さんを操ってはおらんじゃろうな?」

「まさか。私の方こそ神のしもべ、我が天使様の僕に過ぎませんよ」

「………まあ、お前さんに誰かを操るような信用が有るとは思えんがな」


 それはその通りだ。しかし、ここで頷いてヴェルネを僕にしている天使と呼ばれるのも、まあ御免だ。

 イヴは腕を組み、手近な壁にもたれながら口を開いた。


「そんなことより。事実の話をしたいわね、御当主さん?」

「私にとっての事実は、貴様がマルガレットを傷付けようとしたことだ!」

事実は、バルタさん? 地下室にあった銃と死体よ」

「したい?」


 マルガレットと呼ばれた美女が、目を丸くした。涙こそ落ち着いたが、頭の回転は追い付いては居ないようだ。

 ちら、とイヴとバルタは目を合わせ、イヴは軽く顎を引いた。バルタも頷く。


「………マルガレット、寝所に行っていてくれないか。リンダの事を見ていてくれ」

「で、でも………!」マルガレットは猛獣を見るように、イヴを見た。「アナタが、危ないわ」

「心配ない、話をするだけだ。………そうだろう?」

「………えぇ」


 今のところは、とイヴは内心で付け加える。話がどう転がるかによっては、それだけで済ますつもりは無い。

 ヴェルネが何か言いたそうに口を開きかけ、結局閉じた。実に結構。これ以上マルガレットを留まらせる理由を増やしたくはない。


 マルガレットは、それでも少しの間夫とイヴとの間で視線を往復させていた。

 やがて、リンダという名前が効いたのか、マルガレットは渋々立ち上がった。


「解ったわ、リンダを見てくる。………貴女、夫を傷付けたら許さないわよ?」


 ドアに向かうついでに、マルガレットはイヴの前に立って睨み付けてきた。剛毅な事だ、イヴは軽く肩をすくめると、ニヤリと笑った。


「考えておくわ。………ところでマルガレット、貴女の旦那は?」

「うむ、ワシも聞いた」

「ちょ、父さん!?」

「………一発だけなら殴っていいわ。後で話があります、アナタ」


 心なしか、イヴに向けた以上の殺意を込めて、マルガレットはバルタを睨み付けた。

 ドカン、と大きな音と共にドアが閉じられ、バルタはがっくりと肩を落とした。


「御愁傷様」

「恨むからな、女盗賊………」

「結構よ。それよりも、話を聞かせてもらうわ。………本当に、銃にも死体にも覚えはないの?」

「そもそも、【ジュー】とは何だ」


 バルタは鼻息も荒く顔を上げた。青くなったり赤くなったり、全く忙しい顔だ。

 視線をずらすと、ラード老も首を振る。


「………さっきの筒よ。爆発で弾を飛ばすのよ、すごい速さで」

「あの危険物か。騒がしいし投げただけで爆発するし、何の役に立つ。弾を飛ばす? クロスボウではいかんのか?」

「………」


 イヴとしても、その辺りの事情はよく知らない。凄い武器だという情報と、基本的な原理しか聞いていないのだ。

 イヴの表情から何かを察して、ラード老はヴェルネを見た。


「お前は何か知らんのか、無駄に長く生きておるのだろう」

「私も、先日初めて見ましたよ。しかし経験で言うのなら、かなりのものだと言わせていただきましょう。………天使様、この武器の発射機構はご覧になりましたか?」

「何か、引鉄トリガーを引くんでしょう? クロスボウみたいに」

「そうです。そしてそれだけで、銃は鉄をも貫く威力を簡単に出せるのです」


 ヴェルネが指差した、先刻の暴発事故の結果。頑丈な石壁に空いた大きなへこみは、ほんの軽い衝撃がもたらした結果だ。

 これなら確かに、鋼の鎧くらい簡単に貫けるだろう。


「まるで、魔術のようだ。これだけの威力は確かに凄いが………」


 バルタはまだ納得がいかないというように首を傾げる。それを笑顔で見守りながら、ヴェルネは頷く。


「その通り、魔術のようです。ではそれを、使?」

「っ、そうか、数………!」

「はい。仮に歩兵が全員この武器で武装していたら、天使様、如何に【元素使いスペラー】といえども分が悪いとは思いませんか?」


 ヴェルネが言っていたことだ。技術の進歩は、結果の均一化を目指す。

 。実現すれば、それは【四花同盟フォアローゼス】の魔術師団さえ踏破し得る最強の軍事力だ。


「帝国軍の残党は、それで再起を図っているのか………」

「でしょうね。もしも彼らが資金さえ得れば、再び戦争の始まりでしょう」

「そこに商機を見出だした、なんてことは?」


 イヴの問い掛けに、バルタは顔を真っ赤に染めて捲し立てた。


「有るわけがない! 戦争が儲かるなんて話は嘘っぱちだ、素人の幻想だよ。アレは結局、世界を蝕むだけのただの悪夢だ!」

「天使様、彼はともかく、こちらの老ラジアル様はそんなことは為さらないと思いますよ。惚けていないとすれば、とても賢明な方ですから」

「どうも、嬉しい言葉だよ化け物。あの戦場でお前の首は刎ねておくんだった」


 戦場で、か。

 イヴはヴェルネを見詰める。この男は、元は兵士なのか? いまいち上手く印象が浮かばないが。

 ラード老は首を振る。「そいつは従軍司祭だったよ。何年前からそうしていたかは知らんがね」


「思い出話は後にしよう。お嬢さん、本当にそいつが地下室にあった訳だね?」

「その通りよ、御老体。ところで心当たりは無いのね?」

「無い。それは信じてもらうしかないが。帳簿やらを見たいのなら見せても構わないが………」


 イヴは肩をすくめた。数字の羅列を見ても、イヴには現実の商品の流れなど解らない。

 ヴェルネは読み解けるだろうか。ちらりと視線を向けると、意味の解らない微笑みが返ってきた。

 ここは決断のし処だ。イヴはじっくりとこれまでの状況を咀嚼して、やがて頷いた。


「良いわ、一先ず信じましょう」

「結構。では、その上で矛盾を解き明かすとするかの。物は有るが金など払ってはおらん。運び人も、生活用品は運ばせることはあるが命など取りはせぬし」

「もし取るのであれば、森に棄てれば済むものね。死体を律儀に置いておく必要はない」

。ならば、そこには必要性があったということじゃな」


 何の必要性があったのか。

 いや――イヴは内心で舌打ちする。考えるべきは、必要性があったのかだ。


「………嵌められた、ということ?」

「宝探しゲームじゃな。ヒントを手繰らせ、自分で隠してやったプレゼントまで向かわせるというわけか」

「私たちを、追い落とす策略か………! 貴族の連中だな、恐らくは。奴等、私たちの成功を妬んでいる」


 理には敵っている。

 思えば、調査はやけにスムーズだった。死体の発見者にヴェルネがついたのは偶然だろうが、あれほど証拠を消した犯人がよりにもよって家紋付きの書類を残すわけがない。

 遅かれ早かれ、イヴにその情報を与える策略だったのだろう。なんなら、コーデリアに教えても良いのだから。


 そうしてここに案内し、地下室を見せる。

 イヴに、悪夢を思い起こさせる。


「………ここはかつて、戦争時は帝国軍に接収されたことがある。地下の設備はその時に置かれたものでな、撤去する時間もなく、そのままにしておった」

「戒めにもなる。………父さんに昔、見せられたよ。ここを二度と使うことの無いようにしろとね」

「………………」


 ラジアル家の面々を、イヴはある程度信頼し始めていた。………罪悪感も、含めて。


 彼らは貴族であり、それよりも商人だ。

 ものを売ることを躊躇わないだろう。それが、他人の情報であっても。


「どうやら、一考の余地があるわね。………御当主様、調査に協力してくださる?」

「勿論だ。私たちを嵌めようとする者を、許してはおけん。構いませんね、父さん?」

「当主はお前だ、好きにしろ」


 イヴは頷いて、右手を差し出した。

 それを一瞬ぎょっとした様子で見てから、バルタは深呼吸してそれに自分の右手を重ねる。

 握手にこれ程緊張する男性を見るのは初めてだ。イヴはクスクスと笑い、バルタは文句を言い掛けて、


「そう言えば、天使様。1つ問題が………」

「ん、何?」

「啓示が有りました。我が神の

「警告? 何の」


 その時。

 ドン、という腹の底から響くような音と共に、床が震えた。


「な、なんだっ!? 爆発?!」

「地下からだわ………!」

「はい。………言いそびれましたが」


 口汚く罵ってから、イヴは全力で、ヴェルネを殴り飛ばした。

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