第21話過去の遺産、今の死体

「………、天使様!」

「っ!!………あ」


 いきなり肩を掴まれ、イヴは思わず腕を振るっていた。

 為す術も無く吹き飛んでいくヴェルネ。腕に伝わる手応えと、激突した壁が大きく抉れたことが被害の大きさを物語っている。


「ご、ごめんなさいヴェルネ!大丈夫!?」


 崩れ落ちた彼に慌てて駆け寄ると、ヴェルネはゆっくりと起き上がった。

 飛んでいた眼鏡を掛け直すと、コキコキと首を鳴らしていつものように微笑む。


「問題ありませんよ、天使様。それより、どうかなさいましたか? 御加減が優れないようですが………」


 問題がないのが問題だとは思うが、事実としてヴェルネはかすり傷も負ってはいない。

 しかし、殴り飛ばしてしまったこともまた、事実だ。イヴは躊躇いながら、それでも口を開いた。


「ちょっと、昔を思い出してね………」

「そうですか」


 ヴェルネの返事は、ひどく簡素なものだった。同情も、好奇心もない、ただ打っただけの相づち。

 拍子の外れたそれが何だか面白くて、イヴは軽く笑った。


「………私は昔、帝国軍に捕らえられた事があるのよ。住んでいた村はまるごと焼かれて、住人は皆殺しにされた」

「………無惨な」

「黒焦げになる母さんを見たわ。私をタンスに隠そうと押し込んだ途端に、炎の槍に貫かれた」


 数少ない筈の帝国軍属【元素使いスペラー】の襲撃に、ただの村人なんかひとたまりも無かった。

 10人集まれば一個中隊にも匹敵するとさえ言われる彼等の暴虐非道は、幸い直ぐに終わった。燃やすものがなければ、火はたちまち消え去るものだ。


 残ったのは、ただ一人。


「偶然、私は助かり、そして捕らえられた。そこで、と気付かされたわ」


 単に、イヴは地獄から別の地獄に運ばれただけだった。

 拷問を受け、尋問を受け、精神的に肉体的に、ヒトを効率良くための技術変遷をその身で体感させられたのだ。


 焼けた鉄串を、右目に突っ込まれた。沸騰し泡立つ水晶体が破裂し、空洞が生まれた。

 皮を溶かし肉をすする粘体生物スライムに、両手両足を喰われた。目の前で骨へと代わる自分の身体を、無理矢理開かされた左目に焼き付けた。

 時には逆に、何もされない事もあった。顔面に光を浴びせられたまま、眠ることも出来ずに何日も放置された。


 挙げていけば切りがない。我ながら、良く気が狂わなかったものだと呆れる。

 本当に。

 狂ってしまえたら、どんなに楽だっただろうか。己を失ってしまえたら、イヴは簡単に死ねた筈なのに。


 そうならなかったのは、運命かもしれない。

 悪魔に出会い復讐の鬼となるべく、イヴは定めを受けたのかもしれない。

 神によって。或いは、悪魔によって。


 とにかく奴等はイヴを壊し、そしてイヴ・スレイマンが生まれた。

 悪魔の奴隷人形スレイブ・マンに、生まれ変わったのだ。


「奴等が何を求めてたのか、私は知らないし、結局聞く機会も無かった。奴等は私たちを罪人と呼んで、罪を告白しろって言ってたけれど。私たちは、何の罪も犯した覚えがなかったわ。だから、懺悔のしようも無かったのよ」


 恐らくだが、奴等もまた、解っていなかったのでは無いだろうか――自分たちが誰の、どんな罪を責めていたのか。

 あの村に、本当に罪人は居たのだろうか。それともただの生け贄か。


 彼処は、地獄だった。地獄には終わりが無いものだ。


「此処が、それだと?」

「………似ては居るわ。と言うよりも、ほとんど同じよ。記憶の中のあの場所が此処だったと言われて、思わず信じてしまいそうになるくらい。………けれど、それは有り得ない。あの穴蔵は、私がこの手で焼き払ったのだから」


 だからこそ、理解できない。

 まるで悪夢がそのまま具現化したような光景が、現実なのかどうなのか。


「………悲しい、と言うよりも空しい話をしますが、天使様。ヒトとは効率を求める生き物です」

「そうね、そう思う。それで?」

「だからこそ技術を発展させてきたわけですが、


 教本マニュアル化ですよ、とヴェルネは首を振る。


「技術というのは、結果を均一化することを求めます。誰がやっても結果が同じくなるように、方法を定めるのです………

「………まさか、がそうだと言うの? あの悪夢を生み出すための、洗練された方法だと言うの?」

「もしも、天使様の記憶のままだと仰るのなら、答えはそれしか有り得ません。恐らく、ここは帝国軍の創り出した負の遺産そのものなのです」


 それは、詰まり。

 地獄は他に幾つもあって。

 ………イヴのような誰かが、幾人も生まれていたということなのか。


「………許せない」

「天使様………」


 イヴの全身を、悪魔の力が駆け巡る。両腕が燃え立ち、コートの袖を焼き捨てる。

 腕に刻まれた三つ角の悪魔の刺青が、持ち主の激情に反応して赤々と輝いた。


「こんな真似をする連中、一人だって生かしておくわけにはいかない。全員、焼き捨ててやる………!」

「天使様。御気持ちは解りますが落ち着いてください。先ずは、囚われている依頼人の御主人を見つけ出さなくては………」

「………そうね」


 大人しく頷いたイヴ。だが、その内心が落ち着いたわけではない事は、彼女の腕を見れば容易に解る。

 彼女の精神を象徴する、復讐の悪魔の刺青を見れば――。











 蜘蛛たちにとっては、とても落ち着かない夜だった。

 月は美しく輝き、森の葉を透かした光は穏やかさと清浄さを湛えたよう。

 それらを感じる感性が蜘蛛たちに有れば、少しはましだったかもしれないが――あいにく彼らに有ったのは、身を切るような空腹感だけだった。


 獲物を逃した。鉄の塊から駆け出した獲物を、惜しいところで取り逃してしまった。

 目の前を通りすぎた肉袋に、蜘蛛たちはいつも以上に飢餓感を刺激されたのだ。


 もういっそ、嫌いな臭いではあるが、鉄の側に倒れる馬にでも襲い掛かろうか。そんな風にまで考え始めた頃。

 蜘蛛たちの感知網センサーが、


 もし蜘蛛に顔があれば、きっと笑っただろう――恐ろしく邪悪で歪な、捕食者の笑みを浮かべ舌舐めずりさえしたことだろう。

 獲物が掛かった喜びを、せめて全身で表現するように、彼らは肢を打ち鳴らしながら獲物の到来を待つ。


 その獲物が、知る由もないままに――。











「………そんな」


 捕らえられているのなら間違いなく地下だろう。経験から部屋を探っていたイヴたちは、直ぐに成果を得た。

 元々閉じ込められた経験があるのだから、探すのも勿論簡単だ。


 そうして、見付けた。依頼は完了というわけだ、


 ――


「………拷問の形跡は、無いか………」


 少し死体を調べて、イヴは小さく呟いた。彼の死は突然だったかもしれないが、長引きはしなかったらしい。


「………天使様、これを。近くの物置で見付けました」


 別行動をしていたヴェルネが差し出したのは、あの時の帝国軍残党が所持していた【銃】だ。確か、葡萄銃マスカットとか言っていたか。

 ダニアンの言葉が思い出される。戦況を一変させるほどの兵器。


「帝国軍は崩壊して、少なくとも資金は絶たれた。そして、ラジアル家には資金がある」

「土地と城もですね。森のも。どちらも戦争には欠かせない準備だ。………彼らは、

「やらせない」


 イヴはヴェルネから銃を受けとると、彼のために場所を空けた。死んだ者の為に祈るには、神を信じる事が必要だ。

 自分が信じるのは、力。そしてそれを与えた悪魔だ。


「ラジアル家には、ここで潰れてもらう。もう二度と、戦争なんて愚かな真似をさせて堪るものですか………!」

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