第18話いざ行かん貴族の地へ

「………」


 いつもの悪夢から目覚めて熱いシャワーを浴びて、身支度を調えてアパートを出て。

 


「コーデリア………」

「………あ、お、おはようございます、イヴ先輩………」


 いつもの大きめのスーツには皺が寄り、髪もやや乱れている。柔和な顔には疲労の色が濃く、彼女が安らかな夜を過ごしたようには見えない。

 寝てないのか、それとも起きてシャワーを浴びなかったのか。

 上目遣い気味に弱々しい視線を向けてくる後輩に、イヴは軽く肩をすくめる。


「………寝てないの?」

「………はい」


 そう、と短く頷き、イヴは踵を返した。

 古いアパートの、錆び付いた階段に片足を掛ける。足音が続かないことに気が付いて、イヴは苦笑しながら振り返った。


「コーデリア」


 ビクリ、と身を震わせるコーデリアを見ながら、その弱々しさに呆れる――、弱々しい才能に。

 彼女は少女だ。時に桜のように儚く散るが、その幹や根まで散ることはない。


「話があるんでしょ、中で話しましょう?」

「っ、はい!」


 咲いて、散って、また咲いて。そうして樹は大きく育つ。

 それでも、なるべく長く咲いてほしいと願うのは、やはりワガママだろうか。











「………待たせたわね」

「いえいえ、天使様。出逢うべき時に出逢ったというだけのことです」


 コーデリアから話を聞いて、やはり寝てない彼女にシャワーを浴びさせてベッドを貸して、イヴは部屋を出た。

 そして再び階段下で、今度はヴェルネに出会ってしまった。


「家を教えた事はないわよね?」

「我が神は全てをご存知なのです、天使様」


 イヴは舌打ちし、ヴェルネは微笑んだ。


 結局、ヴェルネを巡視隊に差し出すのは止めておいた。

 もし巡視隊に貴族の手の者が居るのなら、そこにむざむざと餌をくれてやる事にしかならないからだ。

 勿論ヴェルネは死なないだろうし下手をすれば返り討ちだが、その場合は巡視隊と敵対する事になってしまう。死ななくとも捕縛されれば、非常に面倒だ。


 いや、別に良いと言えば良いのだけれど。

 万が一にでもイヴ・スレイマンの名前を出されては困るのだ。


「ラジアル家とやらは、ここから遠いのですか?」

「それなりにね。馬を使うしか無いかしら。あんた、乗れるわよね?」

「乗ったことはありませんが、お任せ下さい天使様。貴女の期待を裏切ることは無いと御約束しましょう」

「その自信は何処から来るの本当に………。なら、次善の策を使いましょう」











「なるほど、馬車ですか」

「ま、これなら半日というところね。日暮れには着けるんじゃあないかしら?」

「素晴らしい」


 街の西端で、イヴとヴェルネは貸し馬車を借りた。

 二頭立ての小型の馬車だ。これならそれなりにスピードも出せるだろう。


「………コーデリアから、報告があったわ。グリンの行方は全く解らないと」

「ほう、では、


 死体も何も見付からないなんて事は、口封じならば起こらない。死体の処理にまで気を揉む必要は、彼らには無いのだ。

 見付からないのなら可能性は2つ――連れ去られて監禁されているか、そのまま死んだかだ。どちらにせよ、敵の本拠地が最有力候補と言える。


 だからこそ、馬車が良い。

 もし生きていたとしたら、恐らく五体満足とはいくまい。歩ければ御の字、場合によっては生きているという事も考えられる。背負って帰るのは、流石に御免だ。


「支払ってくる、ヴェルネ、馬車を外に出してきて」

「畏まりました、我が天使様」


 にこやかに頷いて、ヴェルネは馬車に近付いた。


 次の瞬間。

 二頭の馬たちは、に怯えたように大きく嘶き、そのまま床に倒れた。

 口から泡を吹いたまま、哀れな馬たちは起き上がることはない。


「………」

「………」


 暫しの沈黙の末、ヴェルネは財布を取り出し、イヴは新たな馬車へと向かった。











 旅は快適だった。

 御者席に座り、イヴは大きく伸びをする。


 なかなか良い馬車を借りられた。でこぼこの地面からの衝撃はサスペンションがしっかり受け止めてくれて、イヴには殆ど届かない。

 穏やかな午後の日差しに、柔らかく薫る風。揺れる金色の小麦畑の波音に、馬の穏やかな吐息。


 実に良い旅だ。短いのが残念なくらい。


「………御機嫌ですね、我が天使様」


 心なしか落ち込んだような声が、イヴの気分に水を差した。

 背後の幌の中で、ヴェルネが静かにため息を吐く。窓もないから、景色も風も楽しめはしないのだ。


 まあ、自業自得だ。ヴェルネが近付くと、馬たちは酷く怯えてしまうのだから。


「我が神の荘厳さは、彼らには通じないのですね………」

「………ある意味、通じたのかもしれないけど………」


 荘厳さというよりは、本質がだ。

 動物は賢い。ヴェルネの口調や態度に騙されること無く、彼を支配する邪な思想を嗅ぎ分けているのだろう。


「まあ、そこで大人しくしておきなさい。まだ掛かるから」

「天使様は、休憩は大丈夫ですか?」

「大丈夫」


 寧ろ、楽しい。


 イヴは、帝国支配下の小さな村に生まれた。

 幼い頃から村と森、畑、川を往復する生活を送っていて、旅どころか馬車にも馬にも乗ったことはない。

 一番長く乗り物に乗ったのは、今から3年前。

 その後2年にも渡る拷問の日々を送ることになる、幽閉への旅路だ。


「………」


 ぎりっと、イヴは手綱を握り締めた。

 奴等は村を焼き、家や人々を焼いた。理由は今もって解らず、最早知る手段はない。


 関係無い。どんな理由があったにせよ、奴等を許容する手助けをしてくれるとは思えないのだから。


「………少し急ぐわよ」

「畏まりました」


 馬に鞭を入れ、イヴは速度をあげる。

 ラジアル家についての、コーデリアの知識が脳裏に浮かんで、そして消えていく。


 ………ラジアル家はかつて、という、報告が。

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