第17話情報と疑惑

「んー………」


 博物館から出て、イヴは軽く伸びをする。長い時間が経った気がしたが、太陽はまだ高いところで輝いていた。


 とにかくこれで、事態は動き始めた。

 巡視隊は何も掴んでいない――ということは詰まり、犯人の思惑通りに事は運んでいるということで、ならば油断もするだろう。その隙を、突かせてもらおう。


「問題は………またあいつと、会わなきゃいけないってことね………」


 会う方法自体は問題じゃあない。ヴェルネにとってイヴは【我が神】と並ぶ現人神だ、イヴが会いたいと思うのなら――何て不気味な言葉だろうか――あいつの方から勝手に来るだろう。

 だから、必要なのは覚悟だけだ。あいつと会って、あいつの話を聞かなければならないという苦行への覚悟。


「………先ずは、腹ごしらえかしらね」











「おお、我が麗しき天使様! この清々しい空の下で出逢えた運命に感謝を」


 予想通り、それから30分もしない内にヴェルネは現れた。

 東の花壇脇でベンチに腰掛けていたイヴは、出会い頭の重い挨拶にそっとため息を吐いた。


 空になったホットドッグの包み紙をくしゃくしゃと丸め、ベンチ脇のゴミ箱へと放り投げる。………外れた。

 舌打ちし、半分ほど残ったカフェモカのカップを手に立ち上がる。転がった紙屑に手を伸ばしたが、その手は空を切った。


 ごみをひょいと拾い上げたヴェルネを、睨み付ける。ヴェルネは微笑むばかりだ。


「我が神より、何とも光栄な啓示を戴きました。なんと、天使様が私を探しているという事ではありませんか」

「………まぁ、ね」

「実に光栄です、天使様。貴女の求めに応じるべく、微力なれど使命を果たしてご覧に入れましょう」


 指名というほどの重い話ではないのだが。しかし、それくらいの真剣さをもって話してくれるのならその方が良いだろう。

 イヴは渋々と頷いて、腰を下ろす。ヴェルネも嬉しそうに隣に腰掛けた。


「………あんたが、例のジョンを見つけたって聞いたんだけど」

「今朝の事件ですね、流石、耳が早い」


 やはりこいつか。

 何故ここに来たのか、それも早朝に。問い質したとしても、きっと答えは運命的な代物というだけだろう。


「その時、何か気付いたことは?」

「ふむ、そのようなことをお尋ねになるということは、事件そのものはさして進展はないようですね」

「まだ一日も経ってないから、仕方がないと思うけれどね」

「ふふ、天使様はお優しい、王国のをも労うとは。巡視隊は平伏して感謝するべきでしょうね」


 イヴは肩をすくめる。

 ダニアンたちを擁護するつもりは無いが、必要以上に貶すつもりもない。立場としては自身もそう、探す者の側だ――調査にとって時間がどれだけ重要な要素なのか、充分に解っている。

 今朝の事件で、1日も経たずに手掛かりを掴めだなんてそんなの、無理難題も良いところだ。


「どんな些細なことでも構わないから、聞かせて」

「畏まりました。………と言うよりも、天使様。

「へぇ?」


 心当たりがある、というわけか。

 イヴは、不本意ながらもヴェルネの言葉をある程度理解できるようになってしまった自分に気付き、大きく息を吐いた。

 気を付けないと、いずれ共感するようになってしまうかもしれない。


 イヴは無神論者。天に全能者としての存在を認めるし、それを神と呼称する事にも理解がある方だ。

 何しろ、自分は対極としての全能者、【悪魔】を知っている。影があるのなら、光があるのもまた当然だろう。


 神がいることを否定しないイヴとしては、ヴェルネの信仰する神を否定することは出来ないけれども。

 肯定し信奉する気には、やはり成れない。


 復讐のために憎悪を糧として生きるイヴにしたって、ヴェルネの終末思考を肯定することはできない。

 憎い相手は殺す、絶対に殺す。だが、そうでない相手をも殺したいとは思わない。

 万人を分け隔てなく死なせる思想は、詰まるところ憎しみを捨てるということだ。敵味方の区別無く死なせ尽くすことを、認めるわけにはいかない。


「これをご覧ください、天使様」

「これって………?」


 ヴェルネが差し出したのは真新しい、上質な紙切れ1枚。そこに、インクで何事か、文字と図形が書かれている。

 その図形、幾何学的な記号の組み合わせに、イヴは見覚えがある。


「………これは、家紋エンブレム?」

「流石は天使様、御存知なのですね。私は全く解りませんでしたよ」

「一応、王国一有名な家紋だと思うけれど………。聞いたこと無いかしら、ラジアル家って」


 ヴェルネが首を傾げる。世俗の事には疎いというわけか。


 ラジアル家というのは、王国における一大貴族の名前だ。

 4分割した円を4色に塗り分けて、右上から蜘蛛、豆、交差した二本の剣を配した特徴的な家紋と、王国随一の領土を持つ。


「ラジアル家は、キャロティシアン王国では有名よ。今の当主は老人だけど、娘夫婦がかなりやり手と噂なの。ラジアルシルクって、聞いたこと無い?」

「さあ。我が神も御存知ないと」

「………シルクは知ってる? 麻は?」


 どちらも素材としてはポピュラーだ。

 ヴェルネも、どうやら知っているらしく頷いた。それくらい知らなければ、流石にどうかと思う所である。


「どちらも、蜘蛛の糸を紡いだものですね。絹蜘蛛と麻蜘蛛」

「そう。………詰まりは、本質的にはどちらも蜘蛛の糸で、素材は同じでしょう? けれどその品質は全然違う。そこに、初代は商機を見出したってわけね」

「ふむ、確か、絹と麻ではかなり値段も異なりますね。同じ蜘蛛糸ならば、そこまで変わるものなのですか?」


 イヴは呆れたように唇を歪めた。


「本当に何も知らないわね………。簡単よ、絹蜘蛛の方が、糸を採るのが難しいのよ。そうね………あんた、ジャンプしてどのくらい跳べる?」


 ジャンプしたヴェルネの高さを見て、イヴは頷いた。


「それが、

「………それはまた………」

「麻蜘蛛は、大人の鹿くらいなら簡単に捕らえて餌にするのよ。しかも群れを作るから、場合と規模によっては森の一角だけ白く染まる程の巣を作るの。そして、絹蜘蛛は


 イヴが空を見上げる。釣られてヴェルネも空を見上げ、そこに、姿

 そこから糸を採るのは、確かに困難な作業と言えるだろう。


「希少価値の理由については把握しましたが、それで? そこからラジアル家の躍進にどう話が繋がるのです?」

「例えばよ、麻蜘蛛を捕る手間で絹蜘蛛糸を手に入れられたらどうかしら? 或いは、それに似たものを」

「なるほど………ということですか」


 ラジアル家の領地の大半を覆う森。そこに生息する麻蜘蛛から採った糸に、絹豆を煮出した液体を染み込ませることで、まるで絹蜘蛛糸のような手触りに加工するのだ。

 麻蜘蛛も狂暴な肉食動物には代わり無いのだが、肉食よりは遥かにましである。


 そうして造り出した擬似シルクは比較的安価で手に入るとあって、庶民にあっという間に浸透した。

 ラジアル家はその好機を見逃さず、私財を投じて事業を拡大。そして、賭けに勝った。


「帝国の崩壊も、彼らは見事に乗り切った。貴族としての顔と商人としての顔を使いこなし、新政権の貿易事業に食い込んだのよ。この家紋は、貿易関係の書類に使う、彼らの証明書なのよ」

「………なるほど。出発点か到着点かは解りませんが、


 そうなってしまう。

 王国随一の大貴族が、偽装搬送に関与している。これは、相当に不味い事態だ。


 権力というのは、無茶を利かせる力だ。例えば、公園に邪魔者を棄ててしまう、なんてことも。

 例えば――


「………やっぱり、コーデリアには手を引いて貰わないと………」

「昨夜の方ですか?」


 独り言を耳聡く聞きつけて、ヴェルネが首を傾げる。


「手を引く必要があるのですか?」

「………あの子は私の後輩。危ない目に会わせるわけにはいかないわ」


 解ってもらえるとは思っていなかったが、やはりヴェルネは不思議そうに首を更に傾げた。

 他人への気遣いなんて無縁なのだろう、そう思ったイヴは、だからこそ驚いた――ヴェルネの次の言葉に。


「………それは、、天使様」

「………え?」

「失礼ながら、貴女はヒトを軽んじておられるのでは? 天使様、貴女ほどの力が無くとも、ヒトは強い生き物です」


 目を丸くして隣を見ると、ヴェルネもまた、イヴを見ていた。

 眼鏡の奥で、金色が満月のように輝いている。


「………私が訴えを受け、グリンさんを探していた期間は、凡そ1ヶ月です。1ヶ月掛かって漸く、私はあの酒場に辿り着きました」


 無機質に見開かれた瞳には感情は無く、柔らかく歪んだ唇には優しさを込めて、ヴェルネは淡々と語る。


「確かに、勤務の合間を縫ってではありますが、我が神の導きも有りますからね。難易度としてはそう変わらないでしょう。しかし――辿。そして、酒場で騒ぎを起こした男性、詰まりは私を探し出したのです」


 一瞬、ヴェルネの瞳に感情の影が揺らいだ。

 瞬きの間に消え失せたが、それは間違いなく【尊敬】の影だった。

 間違いなく――ヴェルネ・カーペンターは、コーデリア・グレイスを尊敬したのだ。


「彼女は、間違いなく優秀です。恐らくはこの王都で一番の探偵でしょう。天使様、


 イヴは、ヴェルネを誤解していた事に気付いていた。彼はただの狂人ではなく、ヒトを教え、導く素質を持った狂人なのだった。

 既にそこはありふれた公園のベンチではなく、静謐な教会の長椅子に変わっている。

 無遠慮な昼の日差しはステンドグラス越しの清廉な光となり、ヴェルネを照らしているようだった。


 彼は神の使徒、仕える相手こそ間違っていても、導く力は本物だ。


「彼女の肉体は脆弱で、天使様ならば容易く耐えられる程度の苦痛を受ければ死ぬでしょう。ですがだからと言って、貴女の庇護のもとあらゆる危険から逃れ続けていては、今度は。天使様、ヒトは、安全の中ででも溺れるのです」

「………それでも私は、コーデリアに死んで欲しくない」

「ならば、天使様。貴女に出来る事は祈ることだけです」


 突き放すような言葉。或いは、背中を押すような言葉。

 それはきっと、祈りという名前だ。


「祈りましょう。真摯な祈りには、神は必ず応えて下さります」

「………あんたの神なら、応えてくれない方が良いわね」


 ヴェルネは微笑み、弄んでいた紙屑をひょいと放った。











「さて、どうなさいますか天使様。このままその、ラジアル家に乗り込みますか?」

「あんたの神さまは、なんて?」

「貴女の御心のままに」


 イヴはため息を吐いた。


「………コーデリアの調査を待ちましょう。明日まで、ね」


 グリンの行方、せめて生存しているか否かを調べてくれれば。

 屋敷に探しに行くかによって、やり方も変わってくる。


 ヴェルネがにこやかに頷いた。


「畏まりました、我が麗しき天使様」

「ついてくるのね、やっぱり」

「えぇ、もちろん。我が魂の生存のためにもね?」


 イヴは、肩をすくめる。

 魂だろうが肉体だろうが、ヴェルネが死ぬようには思えない。


 まあだからこそ、気にせず連れていけるというものだが。


「そう言えば、ヴェルネ。あんたのこと巡視隊が探してるわ。第一発見者なんだから、捜査に協力してほしいって。さっきの紙の事とか伝えておいたら?」

「紙を? ………彼らは知らないのですか」

「は?」

「何も遺留品も無いというから、不思議に思ってはいましたが。………私は、


 どうやら――敵の手は、思った以上に深く食い込んでいるようだった。

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