第16話死者と使者と

 ジンニ公園は、この街のほぼ中央にある広大な自然公園である。

 現在のように早朝でさえなければ多くの家族連れで賑わうのだが、流石に日の出前では人気はない。


 南にはバラ園、東には季節の花壇。西には王国記念博物館があり、建国以来の歴史をそこに詰め込むだ。まだまだ建国、詰まりは帝国崩壊から一年。博物館は殆ど空の箱に近い。

 そして、北。

 エシャード小学校プライマリースクールのある方向には、大きな湖が存在している。公園総面積のおよそ半分、首都全体でも25分の1程はあるその湖は、魚や亀、水生植物の宝庫であり、季節問わずボート客が多く訪れる名所となっている。


 その畔に、見覚えのある髭面の男は倒れ伏していた。


 ボート乗り場と管理人小屋とのちょうど半ば辺り、湖周りの藪の中、人目を避けるように倒れたその姿を、最初酔っぱらいと思ったらしい。

 人足風の、粗野な格好もそれに拍車をかけた。

 赤ら顔で、いつも陽気に騒ぎながら稼いだ金の大半を酒と女に注ぎ込む放蕩者。酔っ払い、公園で寝入ってしまうこともしばしばだと、管理人の老人はそれを無視した。


「………………」


 無視しなかったのは、だから一人だけだ。その、ジョンと呼ばれている髭男を


 彼――ヴェルネ・カーペンターは藪の中で死体を見付けると、その痛ましい状況に悲しげに眉を寄せた。

 仰向けに倒れながら、何かから身体を庇うかのように突き出された両腕。恐怖に歪んだ顔と、よだれと血をだらしなく垂らした口。


 見せびらかすように晒していた、筋肉で満ちた腕には細かい切り傷が幾つも浮かび、ジョンの必死の抵抗が思い浮かぶようだった。

 衣服にも傷は及び、生活感のある汚れにまみれていたオーバーオールは、胸の辺りから大きく切り開かれている。その回りに広がっているのは、乾燥しどす黒く変色した血痕だ。


 死体の脇に屈み、ヴェルネは傷を調べる。

 決死の抵抗の末力及ばず、ここで一閃、始末されたのだろう。持ち物は目立ったものが見当たらないが、1つ、ポケットによれよれの羊皮紙が突っ込まれている。

 それを慎重に引き出して、ヴェルネは眉を寄せる。見覚えの無い記号が描かれているようだが。


「えぇ。解っております我が神。彼が信仰を知らぬ者であったとは言え、このままにしてはおけません」


 ポケットに紙を戻し、ヴェルネはブツブツと虚空に語りかける。脳裏に響く、彼にしか理解できない呟きに反応しているのだ。

 端から見れば麻薬中毒者ジャンキーが男を殺して財布を漁っているようだが、その質の悪さは


「先ずは人を呼び、彼の哀れなる死体を弔わせなければ。このままでは、あまりにも酷い………」


 心の底から悲しそうに、ヴェルネはため息を吐いた。それから手を伸ばし、開いたままの目を閉じてやる。

 せめて、祈りを捧げよう。ヴェルネはひざまずいて目を閉じ、哀れな犠牲者を弔うべく両手を組み合わせる。

 本当に、可哀想に………。


 こんな地上で死ななければ、


「せめて貴方の魂が、………」


 ヴェルネは心底から祈る。それが、万人を救うことだと信じて。











「油断だな、イヴ・スレイマン」


 本山の向こうからの声に、今回ばかりは言い返せずにイヴは唇を噛んだ。

 隣では、コーデリアが同じように悔しげに唇を噛み締めながら直立している。その灰色の瞳には、動揺が固まって出来たような水滴が溢れる寸前の均衡を保っている。


「全く、まさかよりにもよって。


 出勤したイヴとコーデリアを待っていたのは、端的に言えばその一報だった。


 物が散乱した机の一角に載っているのは、上質な紙の束と三本足の小さなテントの骨組み、そしてそこから吊るされた一本の羽ペンだ。

 妖しげに輝くペンは風もないのに揺れながら、紙に文字を書き連ねている。錬金術師の作った魔法道具マジックアイテム共鳴式遠隔通信機マギ・ファクシミリだ。


 そこには、今朝ジンニ公園内で見付かった男の死体についての報告が書き出され続けている。


 どう考えても王都巡視隊ロイヤルガードの機密事項だが、もちろん合法的に入手している訳ではない。

 機具同士を魔術的に同調させるこの魔法道具マジックアイテムは非常に便利だが、その分、使われている魔術を解析してしまえば簡単に通信を傍受できるのだ。

 そして、所長あくまにそうした神秘で敵う人間は、キャロティシアン王国広しと言えども居るはずがない。


 結果として、所長室には魔術的な通信のほぼ全てが集まってくる。今夜の献立メニューの相談から、こうした機密情報まで。


 吐き出され続ける情報を手に取り、イヴはそれをコーデリアにも見せた。


「犯行は恐らく深夜、目撃者は依然無し。鋭利な刃物で胸を一閃された。目立った持ち物も無しじゃあ、手掛かりはないですね」

「彼自身が手掛かりだった」

 所長は苛立ちも露に言う。「手掛かりは詰まり、消されたのだ」


 イヴとコーデリアは揃ってため息を吐いた。いつも鬱陶しいだけの所長の言葉だが、今は全くその通りだ。

 ジョンは、マスターとは違い直接樽を運んだ人物だ――グリンと同じように。しかも全ての事情を知っているという条件を付ければ、恐らくは唯一の存在だっただろう。


「彼が行方を眩ましていた理由がこれで解ったな。身の危険を感じていたわけだ」

「それほどの、事件というわけですね。………ということは、グリンさんは、もう………」

「可能性は高いな、小灰女リトルグレイ。しかし、死亡が確定したわけでもまた、ない。引き続き、行方の調査を頼む」

「待って! ………ください、所長。これが事件であるならば、コーデリアが危険すぎます」


 何か言いたげにコーデリアが見上げてくるが、イヴは無視した。

 コーデリアは魔術も使えないし、イヴのように所長から異脳を授けられたわけでもない。戦う術なんて、護身用に習った格闘技くらいのものだ。


 相手は、男を一人ないしは二人殺害している。内一人は、正面からだ。相当に荒事に慣れていると見て間違いないだろう。そんな相手の周りを嗅ぎ回るのは、いくらなんでも危険すぎる。


「敵は私が。だから………」

「その敵を、どうやって見付ける? お前にその技能スキルは無いだろう。持っているのはリトルグレイだ。行きたまえ、リトルグレイ」

「………はい!」


 挽回の機会チャンスにコーデリアは大きく頷き、一礼して所長室を出ていった。

 そのはつらつとした危うさに満ちた背中を見送って、イヴは所長の方へと向き直る。

 その左目が、怒りに染まる。


「私がやれば済む話でしょう。そして情報だって、所長なら手に入れられるはず。わざわざコーデリアを巻き込む必要なんて無いはずよ」

「元来リトルグレイに来た依頼だ、巻き込まれたのはお前の方だ」

「危険すぎる」

「過保護すぎるぞ、イヴ・スレイマン。彼女とて我がグレイブヤード探偵事務所の一員であり、依頼をこなす義務があるのだ。そして、お前にはお前の仕事もある」


 きっぱりとしたもの言いに、イヴは悔しさに押し黙る。

 全てが紅茶のように正論だ。何もかも全て、ミスをしたイヴが悪い。取り返すしか、採るべき道はない。


 イヴは渋々、手にした紙をポケットに捩じ込んで所長室を出る。

 行き先は解っている――何か犯罪があったときには、先ずは巡視隊お巡りさんに聞くのが一番だ。











「………お前からの呼び出しとはな、イヴ」


 がらんとした、埃以外の一切が無いような部屋で、イヴは扉に背を預けている。

 扉の向こう、廊下から響く聞き慣れた声は、珍しく驚きに満ちているように感じられた。


「歴史に興味があったとは知らなかったぞ」

「興味を持つほどの歴史があればね。それよりも、私は現在に興味がある」

「公園での事件か」


 巡視隊隊長であるダニアンの声。

 顔は見えない。彼にも立場というものがあり、これからの話を思えば、同じ部屋で面と向かっての会合ランチは危険の一言にすぎる。

 薄いドアを挟んでの、独り言と独り言。それが精一杯だ。


「今朝報告があったばかりでな、未だ調査中だ」

「目処は?」

「全く。なにしろ遺留品が一切無い。物取りの犯行さえ考えられるが、それにしてはが良すぎる」


 イヴはため息を吐いた。情報としては、あまりに価値の低い会話だ。


「知っていることばかり、という反応だな、どこから仕入れた?」

「秘密よ、もちろん」

「ならば、1つ。通報したのは小屋の管理人だが、そもそも遺体を見つけ、彼を呼んだ人物が居るようだ」


 それは知らない話だ。

 イヴは無言で先を促す。


「老人の話では若い男で、少しの間遺体の側に一人きりだった。気になるだろう?」

「そうね。名前は?」

「それが、わからん。丈の長い学者みたいな白衣を着ていて、祈っていたようだ、としか………どうかしたか?」

「………いいえ、少し心当たりがあっただけよ」

「では、彼に出頭を伝えてくれ。話を聞きたいからな」

「お薦めはできないけれど。まぁ、承ったわ、ありがとう」


 どういたしまして、と無感情な声が答える。

 気配と足音が遠ざかるのを確認して、イヴは小さな声で毒づいた。


 あまりにも短く汚いその言葉は、いずれ誇りでいっぱいになる筈の埃っぽい部屋に、空しく響いた。

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