第15話情報収集の結果

「………ふう」


 を終えて、イヴは息を吐いた。汗の一滴も掻いていないが、その代わりには充足感が滲み出ている。

 気分転換程度には、荒くれ者の相手は役に立ったわけだ。ささくれだった心のイガは、比較的滑らかなレベルにまで落ち着いた。


 その代償として、店内は廃虚と化していた。年代物の椅子やテーブルは粉砕し、床や天井には大きな穴が空いている。壁や窓にはそれほど破壊が及んでいないのは、外から見られても困るという思いからである。


 そして、そのである男たちは、全員床に倒れてピクリとも動かない。

 死んではいないと思うから、気を失っているのだろう。彼らから話を聞くのは、諦めた方が良さそうだ。


 まあ、彼らは本命じゃあない。

 運動エクササイズの最中に男が一人、店の裏口から逃げようとしているのは解っていた。逃げた者を追うのが狩りの基本なのだ。


 そのために、ヴェルネを裏に回らせたのだが――回らせようとしたのだが、彼は聞かなかったのだが――果たしてどうなったか。


 床板を踏み抜かないよう注意しながら、イヴは裏口に向かう。


「まさか、逃がしてないでしょうね………?」

「勿論ですとも、我が天使様」


 裏の戸を開けると、ヴェルネがにこやかに出迎えてきた。

 ………一人で。


「………逃げた奴は?」

「そこで倒れていますよ、ご安心ください」


 確かに、ヴェルネの背後では筋骨隆々とした男性が仰向けに倒れている。

 そのすぐ近くの壁が見るも無惨に壊れているが、いったい何があったのか。


「殺したの?」

「まさか。我が神の言葉を少し、伝えただけです」


 イヴはもう一度、男の方を見た。

 倒れている男は目を見開き、浅く不安定な呼吸を繰り返している。瞳は焦点があっていないし、それに何より、髪も髭も。まるで………………。


 これが、彼の言う【神の教え】の結果だとしたら、そんな精神兵器は聞きたくないとイヴは心に誓った。


 ………もし、

 これが神の教えではなく、ヴェルネの力なのだとしたら、彼はイヴよりも化け物と呼ばれるに相応しい存在だ。


 そしてイヴは、より恐ろしい想像の中に迷い込む。もしイフもしイフもしイフ

 もし彼が、使。本当に、心の底から、への信仰心が奇跡を起こしていると信じているのなら。


 それほど恐ろしいことは無い。

 何故なら――


 ヴェルネが信仰で奇跡を起こすなら、彼にとっての基準はになる。

 周囲の全てに求める信仰が、そこに固定されるのだ。

 奇跡を起こせなければ――のだ。


「………情報は?」

「大丈夫ですよ、


 イヴは、必要な事だけを尋ねた。

 ヴェルネも必要な事だけを答える。


 結局ヴェルネは、イヴの人生においては流れる雲だ。ほんの一時陽射しを遮り、恵みの雨を降らせるだけの存在。

 それが嵐を起こすのだとしても、イヴには是正する手立てはない。


「なら、良いわ」


 そう。

 それで、良いのだ。











「お待たせしました、イヴ先輩!!」


 大通りを南に下った先、ベジェンダ広場のベンチに腰掛けていたイヴに、コーデリアは駆け寄った。

 既に、日はとっぷりと暮れている。待ち合わせの時間を確りと決めていたわけでは無いにしろ、先輩を待たせたという事実はコーデリアの胸に鋭い刃となって突き刺さった。


 大慌てで駆けてくるコーデリアの姿に、イヴは苦笑して立ち上がった。


「構わないわよ、コーデリア。時間を決めていたわけではないし、私も少し、整理したかったから」


 手にしたコーヒーカップをゴミ籠に放り込んで、イヴはコーデリアに歩み寄る。


「整理ということは………情報が掴めたんですね、流石です!」

「………ありがとう」


 何故か複雑そうに頬をひきつらせるイヴに、コーデリアは首を傾げた。

 何しろこうした、成人の失踪は情報が得づらい。子供に比べて大人が何処で誰と歩いていても、誰も不審には思わないのだ。


 注目を集めないから、とにかく足取りが掴めないことが多い。人探しを主な仕事とするコーデリアは、情報の価値を正しく理解しているのだ。


「何でもないわ、それよりもそっちはどうだったの、コーデリア?」

「もちろん、こちらも掴めました!」

「聞かせて」


 頷いて、コーデリアはイヴと並んで歩き出す。

 夜に近い時間とはいえ、それなりに人通りはある。特にこの広場回りは、食事や買い物客で常にある程度の人出があるのだ。


 そんな中で秘密の話をするのなら、何処かで立ち止まるよりも歩きながら雑談を装う方が都合が良い。

 それに――イヴはそうでなくても目立つのだ。すらりと背が高い美人だ、歩いていても目を引くが、座っていたら道行く男性が矢継ぎ早に声を描けてくるのは目に見えている。


「………荷物の依頼は、単純です。良くある荷物運び、中身も問題ありませんでした」

「問題は?」

「中に」コーデリアは頷いて、少し言葉を選ぶように間をとった。「………と言うよりも、依頼そのものが隠れ蓑だったようですね。木を隠すなら森の中、樽を隠すなら」

「樽を用意すれば良い。なるほど、運ぶ正規の荷物に、何か紛れ込ませたのね」


 1つ樽を運ぶのは、チェックが厳しくなる。だが、


「チェックした荷物を持った運び人たちは、ある酒場にそれを運び、そこでグリンさんたちにバトンタッチしたようですね」

「中身もすり替えたのね」


 イヴは頷いて、集めた情報を開示する。


「なるほど………酒場自体が、違法な品の運搬基地というわけなのですね」

「どこまで彼らが把握していたかは解らないけれどね。マスターともう一人、ジョンという男はよ」


 すり替えに関与していたのは、恐らくごく一部の人間だろう。犯罪というものは、全てを知るのは最低限の人数で済ませるものだからだ。

 恐らく、中には何も知らずににされた者もいたのだろう。何しろ、彼らはただ言われた物を言われた場所に運ぶだけなのだから。


「………では、今後はその、ジョンさんを探すようですね」

「あとは、送り先は?」

「それもまだなんです。どうも、運んだ先で更に別のところに運ばれたようです」

「なら、コーデリア。貴女はその運び先を探ってちょうだい。私は、引き続きジョンを探すわ」


 解りました、と頷いて、コーデリアは帰ろうとする。その手を掴み、イヴは首を傾げた。


「あら、どこに行くのコーデリア?」

「え?」


 まだ何か、話すことがあっただろうか。

 首を捻るコーデリアに、イヴは柔らかく微笑み、夜の街へと歩き出す。


「言ったでしょう、コーデリア? ………スーツを見に行きましょう?」











 なんだかんだと言って。

 イヴは、事態を軽視していた。


 行き先は解らないが、その手掛かりは掴めた。しかも、二つもだ。

 捜索は順調と言えるだろう。あとは、そのどちらかから辿れば良いだけなのだから。


 その目論みは、儚く潰えることとなる。


 ………次の日。

 

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