第13話消えた男と樽

「改めて、カーペンターさん。私はコーデリア・グレイスと申します。今回は私たちの調査している件で情報があるというお話ですが………、その前に」


 コーデリアの灰色の瞳がちらりと動き、右隣に座ったイヴを見詰める。


「………紹介の必要がありますか、カーペンターさん?」

?」イヴの必死の目配せを笑顔で受け流し、ヴェルネは頷いた。「勿論必要ありませんよ、ミス・グレイス。彼女の事は存じ上げておりますから。ねぇ、我が麗しの天使様?」


 イヴは、ヒトとしてあるまじき暴言を吐かぬよう自らの唇を懸命に律しなければならなかった。

 落ち着け、と自らに言い聞かせる。何にせよ、この男をのは話を聞いたあとにするべきだ。


!!」

 コーデリアの肩が跳ねる。「貴方は、その………イヴ先輩をそう呼ぶのですか!?」

「えぇ、勿論。彼女のことを表現する単語を、他に私は寡聞にして知りませんので」


 コーデリアがイヴを振り仰ぐ。

 その頬は上気し、瞳には驚きと、それを軽々と多い尽くす程の好奇心が浮かんでいる。


 イヴは、運ばれてきたタルトを崩しながらため息を吐いた。


 聡明だが奥手な後輩が、職場の先輩と情報提供者との間にがあると推測するのは、無理もない事だろう。そしてそれが、極めて個人的かつ平穏なものであると予想することも。


 止せば良いのに、ヴェルネは言葉を続ける。


「天使様の美しくも気高い魂の輝きを、ヒトの持つ言葉という不完全な道具では断じて表現する事は出来ません。嘆かわしいことですが、その不完全さ故ヒトは神と出会うのですから、感謝するべきかもしれませんが」

「美しさ! 出会いに感謝!!」


 コーデリアは、まさに善意の塊じみたやり方で、ヴェルネの長々とした台詞をかい摘まんだ。


「何て情熱的な言葉でしょう………! 深い恋を感じます!」

「こい? 私はただ、天使様を尊敬し尊重し敬愛申し上げているだけですよ」

「愛を!」


 そこで略するのは止めてほしい。

 イヴとヴェルネとの間を忙しく動き回るコーデリアの瞳には、少女らしい浮わついた熱がまとわりついている。女でも、子供でもない【少女】という生き物は、恋を糧に踊る妖精なのだ。


 幸いにも――或いは不幸にも、ヴェルネはそういう感情には疎いようだ。興奮するコーデリアを不思議そうに眺めながら、何も入れていないホットコーヒーをかき混ぜている。

 今やイヴは、所長の思惑を明確に理解していた。こいつの相手をコーデリアに任せるには、少々不安だ。


「………カーペンターさん」

「ヴェルネで結構ですよ、天使様」

 イヴは、更に温度を上げたコーデリアの瞳を意識して殊更に力強く言う。「話を聞かせて下さい。失踪者の情報をお持ちなのでしょう?」


 ヴェルネは微笑んだままで頷いた。


「失踪したのは、グリンという男で、どうやら熊族ベアーのようです。主に工事や荷運びで生計を立てて居たようですね」

「その通りです」

 ちらり、と見下ろしたイヴの意思を正確にくみ取り、コーデリアは同意した。「日雇いの仕事が主で、決まった仕事には就いていませんでした」


 ヴェルネは頷き、ショートケーキを切り崩した。そのまま口に運ぶでもなく、スポンジをぐちゃぐちゃと弄んでいる。

 イヴは眉を寄せたが、自分の前に置かれた皿も同じような事態であることに気がついて、肩をすくめた。

 手持無沙汰はお互い様というわけか。


「それで?」

「彼の、仕事が私に関係のある仕事でして。奥さんからも相談を受けていたのですよ」

「奥さんから?」

でしてね」


 ヴェルネにしては気の利いた言い方だ。

 恐らくは、彼の信じる神とやらを信じる者だろう。もしかしたら、彼自身を信じているのかもしれないが。

 この胡散臭い男が何処まで己の信仰をオープンにしているかは知らないが、コーデリアに教えたい特徴ではない。


「彼は、私の勤務先に物を運び込んでくれたようです。所謂、人足というやつですね」

にね?」


 悪くない隠語メタファーだと、イヴは素直に頷いた。下手に刺激して、ヴェルネの情報をコーデリアに知らせるのは良くないし。

 しかし。

 イヴは、ヴェルネを未だ過小評価していた――彼が、他人に気を使うような繊細な人間だと思ってしまっていた。


 勘違いに気が付く間もなく、イヴは話を続ける。穴に向かって歩いていると知らずに。


「………荷物の中身は?」

「本やノート………あとは、白墨チョークですね」

「チョーク?」


 イヴは首を傾げた。

 悪魔崇拝者には、似つかわしい道具とは思えないが――魔方陣でも描くのだろうか?


 ヴェルネは意味もなく笑いながら、イヴが入り込んだ


「えぇ。何せ私は、

「………え?」

「教師なのです、私は」


 イヴの脳裏から、建前が音を立てて流れ出た。がらがらと壁は崩れ、剥き出しの感情が顔全体に浮かび上がる。


 ――こいつはいま、なにをいったのだ?


 教師、教師? 学校で子供たちに道理を教える、あの教師ティーチャーの事ではないだろうな、まさか。

 カーペンター、と子供たちに呼び掛けられる信条異常者を想像して、イヴはヴェルネの胸ぐらを掴んだ。


「冗談でないなら今すぐ辞めろ、いや、私が辞めさせてやる何処の学校だ」

「ジンニ公園の北にある、エシャード校ですよ。ご存知ですか?」

小学校プライマリースクールじゃないか!」


 イヴの声は、殆ど悲鳴に近かった。

 コーデリアが慌てた様子で周りの席や通りを行くヒトに頭を下げる。

 それを横目で見ながらも、イヴは言葉を続ける。


「お前が子供に教えて良いことなんか、何一つないだろうが!」

「い、イヴ先輩、何もそこまで………」

「いえいえ、天使様の仰有る通りですよ」


 ヴェルネは、何もかも解っているというような、包容力に満ちた笑みを浮かべる。

 実際には、そこには包容力無いのだが。

 何もかも、あらゆるものを全て受け入れ、そして受け。外からの影響をまるで受けない、不変の者の笑みだ。


「子供というのは、可能性の塊でありながら、既に小さいだけの大人なのです。自ら学び、考えるだけの力を既に持っている――時として大人が持ち忘れるような能力をね」

「カーペンターさん………」

「私たちに出来ることは、多様性を教える事だけです。色々な答えがあるのだと、他人と異なることを恐れてはならないと、教えてあげる事だけなのですよ」


 コーデリアが、瞳を潤ませている。ヴェルネの話に感動したのだろう、今なら幸運の壺くらい買いそうな精神状態に違いない。

 イヴも、口をつぐんだ。

 思ったよりもマトモな答えが返ってきた事に驚いたし、同時に納得もしたのだ。


 ヴェルネ・カーペンターは単なる狂人ではない、他人を導き、能力を持った先導者カリスマなのだ。恐らく――彼は異教の中でもかなりの地位にあるのだろう。下手をすれば、教祖クラスの。


 他人の話を、彼は全て聞く。

 他人の人生を、彼は全て許す。

 世界で最も心の広い男と言えるのだろう――ただし、それで信用するのは間違いだが。


 彼はヒトを上手く導くだろう。彼の望む、奈落の空に。


「………子供に、いないのね?」

「えぇ。御約束しますよ、天使様。私は、如何なる子供にも偏った思想を植えつけるような真似はしません」


 イヴはため息を吐いた。この辺りがまあ、落としどころだろう。

 他人の人生に関与するのは好みじゃあない。無差別に子供を空に還さないのであれば、イヴとしてはそれで充分だ。


「続きを、。グリンとやらは、その後どうなったの?」


 思わず呼び捨てた名前の響きに、コーデリアがほうっと熱っぽい吐息をこぼしたが、イヴは気が付かなかった。











「グリンさんが消えるまで、その兆候は周囲の誰も悟ることはありませんでした」


 イヴは、ラズベリーを口に運びながら視線で先を促した。ヴェルネは軽く苦笑し、直ぐにいつもの笑みに戻る。


「普通、ヒトが自らなら、準備が必要になります。金銭、家財道具、着替え………何処かに普段と違う兆候が現れ、誰かがそれに気が付くものです。しかし………彼の場合、そうした事が一切見受けられませんでした。とすると、答えはひとつしかありません」

「自らの意に反して、消えた」

その通りイグザクトリー


 タルトを食べ終えたイヴにケーキを捧げると、ヴェルネは話を続ける。


「では、その理由は? 私は、に注目しました。運んだ場所、或いは物に、何か原因があるのではと考えたのです」

「成る程、素晴らしいです! 流石は、イヴ先輩の………」

「原因は見付かったの?」


 イヴは口を挟んだ。もはやこの上は、早くこの会合を終わらせるべきだ。

 コーデリアは不服そうに唇を尖らせたが、根は真面目なだけあって、話を戻すことに渋々同意してくれたようだ。


「恐らくは、です」


 ヴェルネもまた真面目に話を続けている。いや、彼は最初から真面目だったか。

 イヴは、文明の崩壊した跡みたいなスポンジを器用に掬い、口に運んだ。


「彼の最後の仕事を探った結果、どうも、荷物が一部始めと終わりで不足している。樽が1つ、消えたのです」

「グリンさんとともに、ですね?」

「えぇ。とすれば、何かあると見て間違いないでしょう? ですから先日、彼の仕事仲間を訪ねたのですが………」


 イヴは、酒場での騒ぎを思い出した。

 あれは、だったのか。


「どうも、彼らは何かを隠しています。そこで、ちょうど奥さまも依頼をしたということですし、我が神の導きもあり、ミス・グレイスにご連絡差し上げたのです」

「………成る程です」


 コーデリアは頷き、ちらりとイヴの方を見る。

 その灰色の瞳に思慮深さを見てとり、イヴも頷く。彼女の考えは、恐らく正しい――残念ながら。


 これはどうやら――の仕事らしい。殴り込んで、話をさせて、力ずくで解決する類いの事件だ。


 そしてそれは詰まり。


「………その仲間たちのところに、案内して。ヴェルネ」


 そう――イヴが、ヴェルネと共に仕事をしなくてはならないということだ。

 全く残念ながら。


 ヴェルネは、嬉しそうに笑みを深くした――何故だかコーデリアも、同じように嬉しそうに微笑んでいる。

 私は全て解ってますよ、後で報告してください、そんな意思を感じるコーデリアの微笑みに、イヴは大きくため息を吐いて、ひときわ大きなイチゴを口に放り込んだ。


 まったく………甘くない展開だ。

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