第二章悪魔の計画
第11話【悪魔】の説教
黒炎が走り、黒煙が立ち上る。
この世のものではない
その数秒も、結局彼等には何の救いももたらしはしない。 壁から伝わる熱で苦しむくらいなら、いっそ炎に呑まれた方がましでさえあるかもしれない。
………もっとも。
黒炎が慈悲深いわけではないのだが。
諦めた者、或いは単に逃げ遅れた者は皆炎に呑まれ、その中に閉じ込められた。
何もかも焼き尽くす炎ではなく、燃やす相手や燃やし方を調整しているのだと、憐れな犠牲者はそのとき初めて気が付いた。
炎は衣服を焦がしながら、その目や耳、鼻の穴、口から身体の中へと入り込む。そして、彼等を内側からゆっくりと焼いていったのだ。
内蔵が焦げ、気管が燃え、筋肉が焼き尽くされて。
身動きも取れず、悲鳴もあげられなくなってようやく、心臓が炭化する。そこで初めて、彼等は死ぬことが許されるのだ。
なぶるような扱いに、残った男たちはひれ伏し、口々に許しを乞うた。
助けてください。
すまなかった、悪かった。
死にたくない。
必死の叫びも、その口が焼け焦げるパチパチと言う音も、聞こえる音の何もかもが耳を覆いたくなるような不協和音。
その
あぁ、だから。
きっと、もう手遅れなのだ。
だって、この地獄のような舞踏会を見聞きしても、この心は何の情動をも感じていない。
彼等の苦痛に心を痛める事も無ければ、復讐に心踊る事もない。
ただただ、何もかもが遠く感じる。憎い仇の慟哭も、借り物の身体をなぞっていくだけ。これだけの炎を纏いながら、寒くて寒くて堪らない。
そうか………足りないのか。
ただ、傷付けた奴を焼いただけでは、この心には届かないのか――ならば、積み重ねてやる。
奴等の灰を積み上げて、天まで届く塔を造ろう。その最上階で、嘆く奴等の首に歌わせよう。目にし耳にする全ての者が、奴等の過ちを理解できるように。
戦争の悲惨さとやらを、怠けた魂に刻み付けてやる。
この身を焦がした奴等との戦いを、この世最後の戦争にするために。
イヴの復讐は、ここから始まった。
ダニアンに会った次の日、イヴは部屋の主に呼び出されて、早朝から所長室に居た。
事務所一高級な椅子に腰を下ろすと、早速とばかりに所長の声が響いた。
「これは、マスケット銃だな」
「
「銃の名称だ」イヴの疑問を所長は無視した。「筒の中に込めた火薬に、鋼鉄と火打石で火花を起こして点火する………このようにな」
かちゃん、という音がした。試して見せてくれたのだろうが、あいにくイヴからは見えなかった。所長の机の上は、相も変わらず書類の山に覆い尽くされていたのだ。
しかし、とイヴは疑問を感じる。
燃やしたはずの武器が彼の手元にあるらしいことは別に構わない。
所長の言う通り、イヴが燃やしたものは彼への捧げ物となるのだ。捧げた魂がどうなるかさえ興味の無いイヴである、金属の筒がどうなろうとどうでも良い。
気になるのは、
「ダニアンも、それを詳しくは知らなかったのに?」
「どういう意味かね、イヴ・スレイマン。あの若者が私より世界の秘密に通じているとでも? 実に馬鹿馬鹿しい」
ギィッという音が、山の向こうで鳴る。所長の椅子は、来客用のものと違って中々口喧しいのだ。
「そもそも、イヴ・スレイマン。お前はこれを見て、何に使うものか想像も出来なかったのかね?」
「全く。私は、貴方ほど博識ではないものですからね」
「私を過小評価したかと思えば、今度は謙遜かね?
朗々とした長台詞に、イヴは肩をすくめた。
所長の悪癖の1つは、本人が
イヴは、やり易いようにやることにした。話を進めるのだ。
「私がその兵器を、想像出来て然るべきだと?」
「そのものを見た時点で、何が出来るものなのか想像するのは不可能ではないだろう。イヴ・スレイマン。お前は少し、私の与えた力を過信しているのではないか?」
「かもしれませんね、何しろ【
「かもしれんな、結果として撃たれるようであれば」
イヴは舌打ちする。
正確には、撃たれたのはヴェルネであってイヴではない。戦闘中の弾丸は全て溶かしきったし、イヴ自身は傷ひとつ負ってはいない。だが、それを言えば返事は決まっている――『彼が撃たれたのは誰のせいかね、イヴ・スレイマン?』。
解っているとも。油断し、調子に乗ったイヴのせいだ。
万が一、ヴェルネが死んでいたら目も当てられなかっただろう。イヴの復讐は極めて個人的な行動であり、だからこそ他人に犠牲を強いるわけにはいかないのだから。
沈黙したイヴに、所長は満足したようだ。
「解ったかね、イヴ・スレイマン。お前は今のところ唯一無二な私の木こりだ。何が出来るかは未知数だし、過信すべき根拠は何一つ無いのだ」
「………はい」
「まあ、優秀なことは認めるがね。お前の狩りのペースは歴代と比べても相当だ。………だからこそ、詰まらん終わり方は許されん。精鋭の名に恥じぬよう心掛けるのだ、イヴ・スレイマン。今回もな」
「………今回も、とは?」
答えより早く、ギイイッと背後のドアが大儀そうな声を上げた。解っている、今度油を差してやるから。
「仕事だ、イヴ・スレイマン。先ずは
「………武器の件は」
「お前が順当に進めれば、また出会う事もあるだろう。その時に、確りと確保してやれば良い」
要するに、教える必要の無い事、というわけだ。所長の悪癖のもう1つが出たなと、イヴはため息を吐いて立ち上がった。
所長が言わないと決めたのなら、もう誰も聞くことは出来ないだろう。それに、彼の見立ては正確だ。
奴とイヴとの間には確かな利害関係があり、それは完全に一致している。その上で所長が秘密というのなら、拘る必要もない。
「失礼します」
「ドアを閉めてくれたまえよ、我が僕」
………バタン、と殊更力強く閉められたドアを見ながら、さて、と所長はひとつ息を吐いた。
「こんなところにまで【銃】とは………
呟く声は小さく、書類に阻まれて何処にも行かずに消え失せる。
所長と呼ばれた存在は、憂鬱そうに目を閉じる。此処ではない何処かを思い出しながら………。
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