第9話彼等の武器

「う、うおおおおおおっ!?」


 床に、壁に天井に。

 視界全てを覆う黒い炎に、男たちは悲鳴を上げる。常識ではあり得ない現象に、彼等は長い間身を委ねた兵としての訓練の全てを忘れ、不器用なタップダンスを踊るのみ。

 冷静に動けたのは、その炎を恐れない者だけだ――使炎を恐れない者だけだ。


「あぁ、我が麗しの天使様。いらっしゃると思っておりました」

「黙って」


 鬱陶しいヴェルネに苛々しながらも、イヴは彼のロープを切ってやった。

 全身をざっと眺め、イヴは頷いた。


「怪我はないようね。立てる?」

「もちろんです、天使様。私の足は信仰によってのみ立つのであり、立てないときは我が信仰の柱が折れる時です」

「寝ててもらいたかったわね………」


 気分はともかく、ヴェルネの意識はハッキリとしているようだ。立ち上がった姿もまた、行動に支障があるようには見えない。

 あとは、黙ってさえくれれば完璧だったのだが。

 まぁ、動けるのなら最悪それで良い。張り倒したい気持ちを抑えつつ、イヴはヴェルネを自らが侵入した窓の方へと押しやる。


「おや、どうされました天使様? 我が神の示す敵は、目の前ですよ?」

「解ってるわよ、だから、あんたを逃がすのでしょ?」

「何故ですか? 我が神の導きの前に、敵からの逃亡などあり得ません」

、奴等からじゃあない」


 火は平等に空間を焼く。先程のように制御する事は不可能ではないが、面倒だ。

 燃やしたくないものがあるのなら、火には近付けないことだ。子供だって知っている。


 イヴは首を振った。

 ――燃やしたくない、のか、私は。この、言葉の1節を聴くだけで苛々とするような男の事を?

 愚かなことだ。自分は【悪魔】とのギャンブルの途中で、人生の全てを賭け金に注ぎ込んだ。この上上乗せレイズする荷物を増やすなんて。


 自分の行動から思考を分析するような逡巡は、戦場においては致命的だ。


「っ、貴様?!」

「チッ………!!」


 一番近場にいた男が立ち直った。肌の直ぐ上を這い回る炎より、目の前で逃亡しようとする敵の方が上回ったのだ。

 理性は瞬く間に伝播する。

 奇妙な衣服の男たちは、訓練された歯車だ。一人が正常な動きをすれば、残りのメンバーも追随する。


 せめて、5人にする必要がある。イヴは指揮棒タクトを振るように、右腕を振るう。


「【クシザシ】………!!」


 部屋中に広がっていた黒炎の軍勢が、目の前の一人に殺到する。

 足元に水溜まりのように溜まった炎は首をもたげ、男の足の間から一直線に天井へと伸びた。通過点に過ぎない男の身体は一度だけビクリと震えると、直ぐに炎に呑み込まれた。


「………おや」


 骨すらも残さず灰になった男に、ヴェルネが珍しく顔をしかめた。

 のを見るのは、同じ男性としては辛い体験らしい。イヴは短い笑いをこぼすと、残る男たちに向き直る。


「き、貴様!何者だ!? それに、その力はいったい?」

「一応確認しておくわ、亡霊ゴースト


 身構える男たちに対して、イヴはむしろゆったりとした仕草で相対した。暗に、支配者がどちらかを思い知らせるように。


「お前たちは、元帝国の人間で、間違いないかしら? それも、軍人で」

「………何者だ? まさか、巡視隊ガードの連中か」

「私が? 面白い冗談ね。この私が正義の味方に見えるのかしら」


 背後で頷く気配は無視する。ヴェルネの言う正義と世間一般の正義とでは、大きすぎる溝が存在するのだから。

 第一。イヴはヴェルネの味方ではない。


 男たちは、一般的な正義感を持っているらしい………詰まりは、イヴに対して敵対する感覚を。


「………」


 男たちが、自然な動きで陣形を組んだ。それぞれが、見たことの無い形の武器を持っている。

 イヴは微笑んだ。実によろしい、探し物が1ヶ所で済むとは。


 この時点で、イヴはある事実を失念していた――彼女のは単なる道具ではなく、


 仮面の奥で、くぐもった笑い声が漏れる。

 それを訝しく思うよりも早く、男が手にした黒い杖らしき物をイヴへと向けて。


「………天使様?!」


 











「っ!?」


 最初に感じたのは、衝撃だった。続いて、轟音。

 音よりも早く到来した衝撃はハンマーのように腹に炸裂し、全身を吹き飛ばした。


 使


「くっ、う、うぅぅ………」


 床に転がったイヴの喉から、呻き声が漏れる。

 ヴェルネは安堵した――どうやら、息はあるようだ。


「て、天使様………、ご無事、でしょうか………?」

「あんた………」


 身を起こしたイヴに、ヴェルネは微笑む。あぁ、あの蒼い瞳との美しさ。

 あの輝きに見守られていると思えば、脇腹の痛みなど微々たるものだ。


「………あれは、


 軽視すべき痛みなどどうでも良い。だから、ヴェルネは必要なことを伝えることにした。

 彼の天使にとって、必要なこと。獲物の習性についてだ。


「あの金属の筒の中で爆発が起きます。その力で、金属製の弾が飛び出すのです」

「今、それどころじゃあ………」

「いわゆるも、或いは神の奇跡すらも必要とはしません。薬品の純粋な化学反応による武装であり――かつて帝国軍が開発していた秘密兵器です」


 処刑を目前に控えたとある軍属の兵器工が明かした秘中の秘。

 


 結局、戦争には間に合わなかったが。それなりの代物は、完成していたらしい。


「お気をつけください。あれは………

「本当に、物知りな男だな、ミスター・カーペンター。同じ神を信仰していれば、こうなることもなかったろうに」

「仕方がありません、信仰の道というものは、常に無理解との戦いですのでね。それに、ヴェルネで結構ですよ」

「………黙っていて、


 ………その時のヴェルネの気持ちを正確に表現する術は、およそ地上のどんな生物でも持ち合わせてはいなかっただろう。俗に言う、という奴だ。

 どんなかはともかくとして。


 ただ外見から知り得た情報を元に表現するとすれば、ただ一言。


「手当ては、こいつらを始末してからゆっくりとしてあげるから」


 











 イヴ・スレイマンの嫌いなことは、日光浴の他にはひとつだけ――他人に借りを作ることだ。

 人との繋がりは、厄介な鎖だ。重く、かさばり、その癖燃えやすい。


 他人との絆の鎖はヒトを動けなくし、溺れさせ、巻き添えに燃やすだけの重荷。そんなものを抱え込んで生きるのは、復讐者に相応しい人生とは言えない。

 イヴの厳しい人生の、一番太い柱は復讐心だ。誰かの支えなんて、必要ない。


 借りの清算は、早い方が良い。


「お前も大人しくしていろ、お嬢さん? こいつの威力は解ったはずだ」

「そうね、あいつが欲しがるのも解るというものだわ。………ところで、あんたたちは解ったかしら? 私の威力を」


 イヴは、コートを脱ぎ捨てる。高価なものではないが、気に入っているものだ――こいつらと心中させるには、いささか以上に勿体無い。

 空気に晒した両腕に、男たちが息を呑んだ――その二の腕に刻まれた刺青いれずみに。


 牙の並んだ口の中に太陽を呑み込もうとしている、三つ角の悪魔の刻印。


「な、なんだそれは!?」

「【贈り物ギフト】よ。差出人は不明だけれど。効果は保証してくれる筈よ、


 イヴはニヤリと笑う。

 広げた両腕に漆黒の炎がまとわりつく。そのグローブはあっという間に肥大化し、青白い顔を照らし出した。


 おののいたように男たちは一歩下がり、手にした細長い『銃』とやらを構える。

 その口から雷が放たれるよりも早く。


舐め尽くせドーン我が怒りワールドよ………!!」


 地獄の軍勢が、軍人崩れに襲いかかる。

 抵抗は、無意味だ。彼等の武器は金属の弾丸を吐き出したが、それらは炎に触れる前に全て溶けて消えたのだ。


 燃えにくい鋼すら呑み込んだ炎。

 それに抱き着かれた男たちもまた、灰すら残らなかった。


「う、お、うおおおおおお?!」

「あ、あ、あぁぁぁぁぁあ? たす、たすけて!!」

「き、きえろきえろきえろ!!」

「ば、ばけものめ!?」


 阿鼻叫喚の悲鳴。

 憎いやつらの、悲鳴。

 憎くて憎くてたまらない、軍人どもの苦痛と恐怖と絶望とに満ちた、たっぷりと蜂蜜に漬けたフレンチトーストのようにこってりと甘い、悲鳴。


「ふ、ふふ、うふふふふふ、ははははははははははははっ!!」


 5本の焚き火に照らし出されて、イヴは狂ったように笑う。いや、もしかしたら狂っているのかもしれない。

 それでも良いと、外面の狂騒とは裏腹に無人の谷底のように静かな内心で、思う。

 この火種さえあれば、健全な精神なんて如何程の価値があるだろうか。

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