第7話薄暗い森へ
森の入り口に着いたのは、夕暮れ時だった。
太陽が沈みかけ、月が浮かぶ寸前。空は鮮やかな茜色に染まり、上から徐々に夜色へと変わっていく。
夜。
化け物の時間が、音を立てて近付いてくる。
森は、町の延長として考えるのなら思ったよりも
絡み合った枝葉は太陽の侵攻を妨げ、昼間であってもあちこちに不気味な影を描く。余程気の強い者ならともかく、敢えて近付こうとは思うまい。
まして、今は夕暮れ時。入り口はおろか、森への道でさえ誰の姿も目にすることは無かった。
イヴはこっそりと頷いた。
これなら、申し分が無いだろう――悪魔崇拝者にとっても、犯罪者にとっても。
臆する様子もなく、ヴェルネは森に踏み込んでいく。暗さなどでは、彼の信仰は揺らがないということだろう。
「私たち【
「随分と優雅なお名前ね、カルト教団にしてはだけど」
足元で鳴る小枝に眉を寄せつつ、イヴも続く。怯えではなく、音で獲物に気付かれる事が不安だった。
ヴェルネは無頓着に歩いているように見えて、そのブーツは器用に枯れ枝を避けていく。喋ってさえいなければ、幽霊にだって成れるだろう。
イヴは彼に、隠れることに慣れているのか尋ねようとして、止めた――どうせ、我が神の御心です、などと言われておしまいだ。
「名前など、本来は付けずとも構わないのですが。信仰者の中には、やはり呼び名が無いと困る者も多いのです。我が神の言葉を、信じるだけでは足りないのですね」
さも残念そうに首を振るヴェルネ。目指す場所はともかく、目指す意思は本物のようだ。
残念といえば、残念だ。その熱意がもっと別の方向に向いてさえいれば、彼もまた一角の人物になり得ただろうに。
まあ、とイヴは頭を切り替える。
彼の人生だ。好きに生きれば良いし、好きに死ねば良い。………イヴ自身が、そうしているように。
大股で先を行くヴェルネに追い付くと、イヴはそのまま追い抜いた。
「天使様?」
「あんたは、ここで帰って」
ここから先は、これ以降は猟場に変わる。中に誰がいたとしても、イヴの炎は逃しはしない。
先の喫茶店のような真似をしている場合では無いかもしれない――何せ相手は人生を戦乱に賭けた兵士であり、武器も手元にあるままなのだから。
「薪の選別をしている時間は無いの、解るでしょう? あんたは狂人だけど、焼く必要のある相手じゃあない」
焼いて困る相手では、もちろん無いけれど。
恨みもない相手に力を向けたら、それはもう復讐でも何でもなくなってしまう。
復讐だから、許されるわけでも無いだろうけれど。
復讐ならば、納得できる自分がいる。
「………私としては、貴女の炎に焼かれるのならば本望と言えますが………」
「そんなことを言う輩を焼くための、炎では無いわ」
「ふむ。確かに、私ごときのせいで天使様の威光を汚すわけには参りませんね………」
ヴェルネは軽く悩むように腕を組み合わせ、やがて頷いた。
それで、解ってくれたかと安堵したのは、イヴの失策と言えるだろう。そう言ってしまえるだろう。
先程自ら【狂人】と評した相手に対しては、全く呆れた温さだと言わざるを得まい――たかが言葉程度で、理解を得られたなどと考えたことは。
「案内の礼は、言っておくよ」
「勿体無い御言葉です、天使様。では、また後程」
そう言って笑顔で見送るヴェルネが大人しく待っていると誤解したまま、イヴは森の奥へ奥へと進んでいった。
「………さて」
その後ろ姿が、見えなくなるや否や。
ヴェルネは微笑んだまま、ゆっくりと歩き始める。その目的は、常にただひとつだ。
「………はい、解っております、我が神よ」
眼鏡とボサボサの前髪、二重の壁のその奥で、ヴェルネの瞳が怪しく光る。その瞳に映るのは、己の信仰の道だけだ。
誰もおらず、なんの声も聞こえない森の中で、ヴェルネはぶつぶつと呟いた。
彼にしか聞こえない神託が、その耳に響いている。
「天使様の炎は聖なる炎。向けられる相手は、すべからく悪でなくてはならない」
折しもそれは、イヴが言った事だった。
半端な奴、復讐相手以外の奴を焼いては、火の価値が下がるというイヴの信念。
それを、ヴェルネは曲解していた。
「選別の手間をかけさせるわけにはいきません。詰まり………選別は、私がしなくてはなりませんね」
前髪を、掻き上げる。眼鏡を外し、情熱に燃える眼を晒す。
その瞳は、金色に輝いていた。
「………………」
彼等は、
生まれた土地は違えども、一つの国に生まれた者たち。大規模な侵攻と占領を繰り返した帝国という名の枠組みで育った彼等は、当然のように兵となった。
国のために戦い、国を広く豊かにする。そのために武器を手に戦場を駆けてきた。
それが終わったのは、今から1年前のこと。
野火のように世界を席巻し掛けた帝国は、野火のように一瞬で崩壊してしまったのだ。
元より戦いで大きくなった国だ、戦いで滅ぶのは寧ろ、必然であったかもしれない。
【
余りにもあっさりしすぎて、残された破片たちは皆、終わりを理解できなかった。
突然の革命による、皇帝の死、王国の樹立、植民地の独立。一年の内に雪崩のように進んだ世界の変革に、他でもない兵士たちは取り残されてしまったのだ。
国が終わった。戦いが終わった。
けれども――自分達は負けていない。
負けない限りは、終われない。
その広さ故、世界の各地に散っていた帝国軍。
彼等は、分裂したまま闇に潜むことを選んだ。いつか――戦うために。
より正確に言うのなら、負けるために。
終わり方を知らない兵士たちは、手にした武器と身につけた技術を武器にその時を待つ。自らの戦いが終わる、その時を。
「………来たか」
ポツリと、一人が呟く。身ぶり手振りで意思を伝え合い、亡霊たちが配置につく――その手に、帝国独自の武器を握り締めて。
そっと一人が、窓の外の様子を窺う。夜の森は暗く、少し先も見通せない程だが、亡霊たちには関係ないらしい。
音もなく近付いてくる人影を見咎めて、彼等は一様に身構え、迎え撃った。
………動きづらそうな丈の長い服を着た、細身の優男を。
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