第6話滅びの信奉者

「かつて、神は――あぁ、この際大衆の呼び名に従いましょう――天上に住まう存在ですよ。神は地を見下ろし、嘆きました………何と混沌とした世界であることか、とね」


 ヴェルネは爛々と瞳を輝かせ語る。その勢いたるや、先程までの陰鬱いんうつな調子が嘘のようだ。


「その混沌を排斥すべく、神は兵を差し向けました」

?」イヴは皮肉げに笑う。「確か、聖典ではとなっていたはずだけれど?」

「勝者の説得とは、敗者にとっては暴虐でしかありませんよ。………そう、敗北。地上に在った我等がは、その尖兵にして精鋭たる神の娘、


 それくらい、イヴだって知っている。世界一有名な、お伽噺だ。


 地上に君臨していた4匹の竜。

 彼等を聖女はし、海竜を海に、地竜を大地に、風竜を空に、火竜を太陽へとそれぞれ封じ込めたのだという。

 やがて聖女は神の写し見たる人に交わり、神としての力と役目を失ったのだ。


 ヴェルネはクスクスと、幼子の無知にするように優しく首を振った。


「いいえ。それは正確ではありません、【死の天使マイディアエンジェル】。神は、旧き神たる竜神を、

「材料?」

「竜の身体を大陸に変えました。溢れる血は海になり、折った翼で空を編み、肉と鱗から獣と魚を生み出したのです」


 ヴェルネはきっと、この調子であの酒場で語りかけたのだ。だとしたら、多少頭を叩かれた方が少しは螺子ねじも締まっただろうに。

 余計なことをしたと、イヴは肩を落とした。握られたままの手が、徐々に温度を上げていく。

 それを吹き飛ばすように、イヴはハッと強く息を吐いた。


「天地創造に一家言あるのは解ったけど、カーペンターさん、だからなんなのかしら?」

「ヴェルネで結構ですよ、天使様」

「貴方が何を信じるにせよ、、私には関係無い」


 頑ななイヴの態度に苦笑しつつ、ヴェルネは身を乗り出して、イヴの顔を覗き込んだ。

 いや、恐らくは、眼帯に覆われたをだ。刺すような視線の針で、瞳がピクピクと震える。


「関係はありますよ、天使様。何しろ貴女は、神のでしょう? その身体、の気配を感じます」

「勘違いでしょう、それとも、証拠でも有るの?」

「証拠というのは、安らぎを物質に求める行為ですよ。信仰には不要な代物です。信仰に必要なのは、信じる意思だけです」


 イヴは舌打ちした。詰まりは、ヴェルネが信じる限りイヴは信仰されるということか。

 話が通じない相手だということに、イヴは漸く気が付いた。ヴェルネは話を聴くが、意思を変える事はない。


「私は、天使様。神の写し見としてヒトを、本来の居場所に還すべきだと考えているのです。それは何処か? 神の御下、空ですよ」

「………」

「貴女は、私の正しさを証明するです! どうかその瞳で! 腕で! ヒトを空に………」

「………

「っ!?」


 ヴェルネが掴んだままのイヴの左手が、

 自然界では有り得ない、漆黒の炎。夢か幻かと思うような光景だが、掌から伝わるのは確かな熱だ。慌てて、ヴェルネは手を離す。


 

 不愉快な優男の顔を、そのままテーブルに叩き付ける。


「良い? あんたが何を信じようと、集団自殺を企んでいても構わない。。………私は、私のために火を灯したのよ、カーペンターさん。あんたの正しさの証明のためじゃあない」


 黒炎はヴェルネどころかテーブル上を覆い尽くし、呑み込む。


「う、うわあああああっ!? ………え?」


 バタバタと暴れたヴェルネは、イヴにとっては存外に早い時間で異常に気付いた。


「………?」


 彼の肉体も、衣服も、テーブルクロスさえもが燃えていなかった。

 ヴェルネが瞬きをした次の瞬間にはもう火は消え失せ、何処にも焦げ跡ひとつも残っていなかった。


「これは、いったい………? 幻? いや、まさか燃える範囲を調整して………?」

「………ブツブツとうるさい奴」


 テーブルクロスに着地したまま分析するヴェルネに舌打ちし、イヴは手を離した。

 燃やすわけがない。こんな白昼の大通りでそんなことをすれば、街の治安を守るダニアンに出会う事になるだろう。

 捕らえられては、燃やせない。それは困る。


 苛立ちを込めて勢い良く椅子に身を沈めたイヴに、同じく椅子に戻ったヴェルネが微笑んだ。

 その、何事も無かったかのような態度に、イヴはいっそ焼くべきだったと後悔した。


「幻想から醒めたかしら、カーペンターさん。私は天使なんかじゃあない」


 ヴェルネは首を振った。ずれた眼鏡を直しながら、嬉しそうに笑う。


「貴女は天使様。神の御遣いです」

「違うと言ったわ。………口では伝わらないの?」

「いえいえ、。貴女が貴女の意思で行動し、その結果神意を為すのならば、それこそが神の御遣いたる証でしょう」

「………」


 イヴはため息を吐いた。

 どうやら、時間の無駄だったらしい――薄々解ってはいたが。

 日も大分傾いた。目的地までの道のりが不明なことを考えれば、少々のんびりし過ぎたかもしれない。


「………まあ、私は私のために生きるだけよ。あんたの人生に関与する気はない、それじゃあ、」

「おぉ、、天使様」


 伝票を手に立ち上がりかけた半端な姿勢で、イヴは目を見開いた。

 ヴェルネは微笑んだまま立ち上がる。ガラスのコップに未だアイスコーヒーが残っていることに気が付くと、氷ごと飲み干した。


「参りましょうって、あの、私は………」

「我が神の導きのままに、天使様。貴女の行くところ、詰まり我が神の敵がいるということでしょう?」

「いや、そんなことは………」


 呆然と見詰めるイヴに微笑みながら、ヴェルネはガリガリと音を立てて氷を噛み砕く。

 そうしながら、祈るように両手を胸の前で組み合わせて、力強く頷いた。


「ご安心下さい、天使様。

「………は?」

、森があるのを御存知でしょうか?」











 街の東の森。

 大通りを歩きながら、イヴは眉を寄せた。目的地は街の東だ――そこに広がる森なんて、実に都合の良い立地である。


 昔から、森は異界と同義だ。

 狼に魔女など、ヒトならざるものの住み処であり、足を踏み入れたら半分は戻ってこないような場所。

 森が何かを求めたら、ヒトは断れない――それが己の命でも。


「我が神の言葉を伝え、信仰者たちを導くためには、衆目を浴びない土地が必要になるものです。………我が神の信仰は、とかく人々の誤解を生みやすい」

「誤解、ね?」

「残念なことです。私は、ヒトを救いたいだけだというのに………」


 救う方法次第だろう、それは。

 現世の苦しみを取り除く現世からもは堪ったものじゃない。


 先を歩くヴェルネの背を見ながら、イヴはため息を吐いた。

 それ《死》が救いと考える者は少なくない。世の中には、死んだ方が多少はまし、という事態が多々あるものだ。それを一概に断罪することは、少なくともイヴ自身には出来ない。

 代わりに、イヴの唇は実務的な事を聞いた。


「だから、森の奥で集まっていたわけ?」


 本人の考え方がどうあれ――ヴェルネの信仰が何処にあるにせよ、『ヒトを空に還す』等という目的は異端であり悪魔的だ。

 ヒトは、異なるものに対しては厳しい。同じヒトである筈の亜人デミに対して忌避感を抱く人間ヒュムは少なからず居るし、抱かれている亜人もまた少なくない。


 信じるの違いは、耳の形以上に違和感を与えることだろう。

 そんな彼らならば、集会ミサは必ず人目を忍ぶものになるはずだ。とすれば、町はずれの森なんて、絶好のロケーションといえるだろう。


 果たして、ヴェルネは頷いた。


「彼処は、人通りも少なく、街自体にも近い。我が神が与えて下さった、最高の場所でした」

「でした、ね」

「えぇ。邪魔の入らない静謐な場所は、私たちとは逆にヒトを害する志しを持つ者たちにとっても最高の場所だったようです」


 嘆かわしい、と首を振るヴェルネの背中に、イヴは皮肉げな笑みを投げた。


「神の試練、じゃあないの?」

「かもしれません。そして貴女が現れたことを思えばね、天使様」

「偶然よ」

「偶然?」ヴェルネは歩きながら、クツクツと肩を揺らした。「どこからどこまでが? 天使様、貴女が敵の下へ降臨するために歩いたことは? 軽食を取ることを選んだことはどうです? そして数多ある内、私が吊るされかけたあの店を選んだことは?」


 情熱的な言葉の群れに、イヴは顔をしかめる。その不機嫌な瞳を見れば、誰であれその言葉を引っ込めるだろうと思うような、凶悪な表情だ。

 しかしヴェルネは気にしない。


 ヴェルネは前を見ている――自身の進む道が【我が神】とやらのお眼鏡に敵っていると信じて疑っていないのだ。

 だから、振り返らない。歩く跡をイヴがきちんと着いてきているかどうかなど、気にも留めない。

 ただ未来だけを見て進むヒトを、こんなにも恐ろしく感じるとは。


「………偶然よ」


 イヴは繰り返した。彼の信じるまま、彼の敵を倒すために進まざるを得ない現状を切り捨てるために。

 ヴェルネは笑いながら、口を開く。見る必要の無いもの常に付いてくる過去を見ないままに。


「これは、運命と呼ぶのですよ、我が麗しき天使様」

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