第4話暴虐の依頼

 所長室のドアが独特のうめき声を上げたとき、コーデリア・グレイスはいつものように書類の整理をしていた。それが開いて憧れの先輩が姿を現す瞬間に、コーデリアは慌てて立ち上がった。


「イヴ先輩!」


 気だるげな視線が返ってきて、コーデリアの心臓がびくりと跳ねる。

 イヴ・スレイマンの瞳は、いつもこうした気だるさに満ちている。女性にしては高い背も、引き締まった身体も、彼女を飾る宝石ではあって本質ではない。女探偵イヴ・スレイマンを形作る何よりも大きなものは、あの瞳なのだ。


 彼女の、眼帯に覆われていない左目は凪いだ湖のように清らかな青色で、そこにあるのは何かが燻るような気配だけだ。憂鬱そうで、この世の全てに飽いたような気配。

 コーデリアが憧れるのは、それが燃える時だ。湖に嵐が訪れるその瞬間だ。

 見たことはない。見たことはないが、しかし、燻るものは燃え上がるのが道理というものだ。それが何色であれ、火は力強く美しい。


「コーデリア、どうしたの? いちいち敬礼なんて止めてちょうだい」

「イヴ先輩、これ!」

「ん? ………さっきの支払い証明書? 何か不備があったかしら」

「そうじゃなくてですね………これ」コーデリアは差し出した書類の金額欄を示す。 「この額ですよ! すごい額じゃあないですか!!」


 そこに書かれていたのは、控えめに言って目が飛び出るような金額だった。二百ピリカ金貨。一ピリカ金貨でさえ、コーデリアは稼いだことがない――恐らくは王都に住む大半の人間がそれを見たことが無い筈だ。

 それが二百枚。今頃王都銀行の口座係は泡を食ったような騒ぎだろう。


 イヴはそれをちらりと見て、軽く頷いた。


「額が合ってるなら問題ないわね、整理ありがとう、コーデリア」


 先輩の反応はそれだけ。当たり前だ、イヴは幾度も、このレベルの依頼をこなしている。コーデリアが入所して半年の間で既に三度、書類上では二十回以上もだ。

 極端な話、元墓場という立地を差し引いても、グレイブヤード探偵事務所がこれだけの規模で存続できているのは、イヴの収入あってこそなのだ。コーデリアとは比べるべくもない、正に花形である。


 依頼内容もまた花形らしい派手な依頼、だ。


 今回などは、夜の町を牛耳っていた犯罪組織を壊滅させたそうだ。しかも、構成員の大半が【元素使いスペラー】、内一人は【色持ち】だったらしい。


 元素使いは、魔術と呼ばれる神秘の技を持っている。自らの生命力である魔力を世界に漂う魔力と混ぜ合わせ、超自然現象を起こす魔術には位階ランクがあり、そのレベルワン以上の技を操れる者には、自らのを魔力に込めることができるのだ。

 位階はレベルナイン、色は五色。赤、青、緑、白、黒の五色で、それぞれが象徴する属性があり、例えば今回の標的ターゲットは【青】の【風】を使うことが出来たようである。


 これは、実に脅威だ。


 魔術など使える者は王国全土を探しても一割以下、魔術大国と呼ばれるローゼリアでさえ六割を越えない。それが十人集まったら、使えない者百人に匹敵する戦力だ。


 それを、一人で。


「流石、UMA………!」


 UMAとは、Un Magic Abilityアンマジックアビリティの略称で、正式には【異外術師】と呼ばれる。はっきりいってしまえば、魔術の特異な能力を使う者の事だ。

 イヴは、さしたる呪文もなく炎を操る。それは魔術ではあり得ない現象だ。

 コーデリアの呼び名に、イヴは苦笑した。


「あまりいい気分じゃないから、そう呼ばないでちょうだい、コーデリア」

「あ、すみません、イヴ先輩!」コーデリアは頭を下げる。「つい………」

「まあ良いわ、悪気がある訳じゃあないだろうし。………そう言えば、コーデリア。今手は空いている?」

「今ですか? えっと………はい、大丈夫です!」


 嘘と真実の狭間みたいな返事だった。コーデリアは一応ある依頼を受けているが、取り立てて難しい依頼ではない。ちょっとした人探しだ、係りきりになる程の事ではないだろう。

 イヴは軽く目を細めてコーデリアを見詰める。その瞳の静けさに、コーデリアは目を背けた。


「忙しいなら、無理しなくていいのよ、コーデリア。貴女の依頼も、大切な依頼だわ」

「あ、い、いえ、忙しいってほどじゃあ無いです! 奥さんを探してほしいっていう依頼で………」


 依頼料だって、五十ピル銀貨。イヴの四百分の一に過ぎないのだ。

 恐縮するコーデリアに、イヴは首を振った。


「依頼料なんて関係無いわ、コーデリア。大事なのは内容で、それで言ったら貴女の依頼の方が大事よ。だって、貴女のは純然な人助けだもの」


 私のは違うわと、イヴは呟いて笑った。

 その笑顔は、まるで泣いているように見えた。









 所長が示した場所は、町の東端だった。駅馬車を使うかどうか少し悩んで、イヴは結局歩くことを選択する。

 倹約したいわけではない。ダニアンには成功報酬以外に必要経費も請求していいと言われているし、遠慮するつもりはもちろんない。そもそも駅馬車の運賃など、イヴのポケットマネーから支払っても良いくらいだ。


 そうしない理由は単純。


 ダニアンの依頼の標的ターゲットは、昨夜の連中の客だ。奴等に武器を売り渡す予定だったとかで、無表情な中にも苛立ちが見え隠れしていたが、イヴとしても気持ちは解る。

 連中のもとに武器が既に引き渡されていたら、まとめて潰すのは容易だった。奴等のねぐらを焼き払うついでに焼いてしまえば済むのだから。

 だが今、武器は標的の手の中にあるまま。加えて、最悪なことに、既に金は支払われているらしいのだ。詰まり標的は、武器を売らずに金だけを得たことになる。


旧帝国残党やつらは元軍人だ。彼らが命よりも大事にしている武器を売るということは、それだけその金、資金が必要だったということだ』


 ダニアンはそう言った。そう、必要ということ。手に入ったのなら、彼らはそれを手に身を隠すだろう。

 亡霊が身を隠すなら、闇だろう――夜の闇のなかに我が身を隠そうとすることは予測がつく。


 軍人の恐ろしいところはその連帯性と、何より行動の迅速さだ。

 訓練で反射的に正しい行動を採ることを叩き込まれている彼らは、考えるよりも早く行動する。ということは、移動は今晩にでも行われると思うべきだ。

 だとすれば、逆に、今晩までは動かないということでもある。アジトに閉じ籠り、息を殺すことだろう。


 それを蒸し焼きにするのも悪くないが、依頼にはよろしくない。


『彼らの武器は特殊だ』ダニアンは舞台を見たまま淡々と告げていた。『出来ることなら確保してほしい。もちろん、貴様の命に勝るほどの優先順位は無いが、追加報酬ボーナスを支払うほどには優遇するつもりだ』


 イヴは、復讐者だ。憎き亡霊を皆殺しに出来るならなんだっていい。彼らが武器を持っていようが白旗を持っていようが、遜色なく灰に変えると決めている。

 だが同時に、独力で殺し尽くすことの難しさくらいは理解できている。所長に頼めば情報は手に入るだろうが、奴は明言してはいないが恐らく【悪魔】だ。何かを求めれば何かを失うのが道理であり――それが、イヴに支払えるものとは限らない。


 対して、あの青年将校は。イヴが亡霊を殺す力があると信頼されている限り、情報の提供が止むことはないだろう。

 持ちつ持たれつギブアンドテイク、ならばこちらから誠意を支払ってやるのも、取引としては悪くない。

 復讐のためなら何でもする。役に立つ便利屋くらいなら、楽勝だ。イヴは軽く笑って、大通りを歩き始めた。

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