第十一話 ゼロから紡ぐ物語

 ルードルフは一度女王に報告するためしばらくの時間を要する。そのためシャルリーヌは一人でリリと対立する羽目となる。

 キョウヤの中にある不安要素は二人の実力差がどれくらいあるか。もしルードルフが来るのが遅れた場合、最悪シャルリーヌが死ぬ可能性もある。それだけは絶対に回避せねばならない。


「くそっ! 何で俺には何も力がないんだよ! 何か俺にもチート能力あれば格好良くシャルに助力できてあわよくば……ってそんな悠長なこと考えていられないか。兎にも角にも何としてもシャルを――死なせはしない!」


 他力本願という情けない有様にキョウヤは悔しい思いをする。

 シャルリーヌの魔法に縋る他がない。もしシャルリーヌに危険が襲ったとき、その時はキョウヤが全力で庇うと密かに抱く。


「大丈夫よキョウヤ。これでも私魔法使いとしてまだ未熟だけど運だけは良いんだからね?」


「……ふ、不安しかない」


「心配することはないよ。ボクのシャルは謙虚だから自分を過小評価してるけど、実力は本物だから。それにボクも出来る限りサポートはするよ」


 エミールの言葉に少しだけ希望が見えた。


「……頼りにしてるぞ」


 話はここまでにしてキョウヤ達は例の場所へ向かっていた。

 既に日が沈み、辺りは真っ暗闇。月明かりだけが道を照らしている。

 この雰囲気はラプラスの悪魔の最悪な結末を想起して、キョウヤの呼吸は必然と荒くなる。手も少し震え出して、考えてしまうのはもしまたシャルリーヌがラプラスの悪魔と同じ結果になってしまったらということ。


 ――これが失敗したら終わり……? そ、そんなの嫌だ!


 ネガティブ思考に囚われたキョウヤは徐々に不安が押し寄せて、焦燥感に駆られてくる。

 ここの分水嶺はリリと対決するか、シャルリーヌを無理矢理連れて逃げるかの二択で別れる。

 どちらの選択肢がどの結末へ向かえるのか分からない。

 本音を言えば、今すぐにでもシャルリーヌを連れて逃げたい気持ちでいっぱいだった。だけどそれはシャルリーヌが許さないし、もし後者を選択したら軽蔑の視線を向けられて縮んだ距離が遠ざかる。


 ――やっぱりどっちも嫌だ!? 俺は……俺はどうすればいいんだ


 キョウヤは答えが見つからず苦悩していると。


「――っ!? シャ、シャル?」


 その時、キョウヤの手に柔らかく温かい感触に包み込まれた。その温もりは自然と不安が払拭されて安らぎで満たされる。


「キョウヤは私が守るから」


 燦爛さんらんとした翠玉の左目にジッと見つめられ、穏やかな微笑み浮かべるシャルリーヌ。

 本来なら男が口にする台詞で、女の子に「私が守るから」と言われて情けなく思ってしまう。それでもシャルリーヌの熱の籠もった台詞にキョウヤは頼もしさと安心感を与えてくれた。


「頼りにしてるよ」


 いつの日かキョウヤがシャルリーヌに同じ台詞を吐ける日があればいいなと思い、密かにある決意を下した。




 それから辿り着いた例の路地裏。

 奧は不気味な道が続いて、キョウヤにはそれが死へ誘う地獄の道のように見えた。自然と生唾を呑み込んだ。


「く、暗いわね? 本当にこの奧にいるの?」


「た、大抵狂人ってこの暗闇を好むだろ? だ、だからあいつも…………いたからな」


 一度深呼吸してから、気持ちを落ち着かせて中へ進もうとすると。


「キョウヤは危険だからここで待ってて」


「え? ちょっと待ってくれ! た、確かに俺は役に立たないし、足手まといだから、本当ならここで待つべきかもしれないけど…………」


 なぜシャルリーヌがそんな事を言ったのか、全てキョウヤが口に出していたから何も反論はできなかった。それでもキョウヤはシャルリーヌに付いて行きたいという気持ちがあって思いを吐露する。


「俺はシャルとずっと一緒にいたいんだ!」


「え!? ちょっと!? な、なな………………何言ってるのよ」


 シャルリーヌの声が小さく聞き取れなかったが、果たしてキョウヤはどんな台詞を告げたのか。そんなこと気にせず、キョウヤは言葉を続ける。


「もうあんな思いはしたくないし、俺が知らないうちにシャルがいなくなるのも不安でどうしようもないんだ。だから俺も一緒にシャルと付いて行きたい」


「…………わ、分かったわ。でも本当に危なかったら逃げるのよ?」


「……分かった」


 キョウヤはシャルリーヌの問いに少しの間を置いて嘘を吐いた。

 心の準備はまだ万端とはいかないけど、覚悟は決まった。足を一歩踏み出してキョウヤ達は暗闇へ歩き出す。

 前回同様、路地裏は薄暗く、不気味なほど静寂に包まれて、キョウヤとシャルリーヌの足音だけが響く。キョウヤはいつリリが襲ってくるのか常に気を張って、息づかいが普段より荒く、心臓の鼓動はうるさいくらいに鳴る。

 しばらく進んでいくと。


「や、やめてくれえええええええええ!!??」


「!?」


「今のって!?」


 奧から人の悲鳴を耳にした。

 瞬間、キョウヤ達は走り出した。

 そしてそこにはリリと男性の人影を捕らえた。

 シャルリーヌは咄嗟の判断で。


「我に集いし風よ、駆け、飛弾せよ――ウェントュス!」


 魔法の詠唱でシャルリーヌの掌から緑色の幾何学模様が展開した。放たれた風の魔法が勢いよく射出すると、男性を避けてリリへと襲った。


「にゃ?」


 紅い双眸がシャルリーヌ達を捕らえて、口角を上げると掌を前に突き出してシャルリーヌの魔法が魔法障壁によって阻まれて消失した。


「せっかくの食事を邪魔する奴は誰にゃ?」


 リリの問いに魔法で返答するシャルリーヌ。何発もの風の魔法が飛弾すると、リリの眉はぴくりと跳ねて鬱陶しそうに魔法障壁で防いで、その場を跳躍して後退する。シャルリーヌの狙い通りに男性から距離をあけることに成功し、シャルリーヌ達は男性を庇うように立ちふさがる。


「あ、あのここは危険だから逃げた方がいいですよ」


「あ、……あ、あんた達は……?」


「正義のヒーロー……じゃなくヒロインか」


 この場ではシャルリーヌだけが頼りだから、キョウヤは完全にお荷物だ。

 男性は立ち上がって逡巡すると「き、騎士様を呼んでくる!」と残して逃げ去る。


「今夜の食事を邪魔するにゃんて、リリちょっと機嫌悪いよ? まあ、一人が二人に増えてリリ的には満足かも知れないけど…………んにゃ?」


 リリの視線がキョウヤに向けられる。驚いたような表情をした後、まるで友人に出会ったような笑みを浮かべると手を振って言葉を続ける。


「そこにいるのはキョウヤじゃにゃいか! ふふっ奇遇の出会い――いやこれは必然にゃ? まさかリリに会いに来てくれたにゃ?」


「だ、誰かお前なんかに!! お、俺たちはお前を倒しに来たんだ!」


「ん? なぜリリが倒されなきゃいけないにゃ? リリは何か悪いことでもしたかにゃ?」


 首を傾げて先程男性に何をしようとしたのか、悪びれた様子は微塵も感じられない様子だった。狂人ともなると普通の人と価値観が異なり、自分の行いに疑問を持たず、それが当たり前だと認識するのか。

 さっきしようとしていたリリは食事と言葉にしていた。それは人種が空腹を満たすために食べ物を摂取するのと同じく、リリも同様に腹を満たすために人種を喰らう。既にリリはそれが当たり前という認識を持っている。

 こうして対峙しているリリはシャルリーヌとキョウヤの事をただの食べ物として見ているのだろう。

 そんな胸くそ悪い話に、リリという化け物に、決して相容れないとキョウヤは畏怖と嫌悪感を抱いた。


「こんな狂人の事は一生分かり合えないだろうな。分かりたくもないけど」


 キョウヤの呟きに反応したリリは肩を落として寂しげな瞳で。


「それは酷いにゃ。キョウヤはリリの事を一目惚れしたんじゃないのかにゃ? リリはキョウヤの事は結構気に入ってるのに……だからリリの事を分かって欲しいにゃ」


 なぜこうもキョウヤに好意的で気に入られているのか理解ができなかった。今回の出会いでキョウヤは恐怖で真面に声が出せず、会話が成立していなかったはず。キョウヤの事を気に入る理由に見当がつかない。


「そういえばラプラスの悪魔でも何か知らんけど、気に入られてたが……俺って狂人に好かれる体質なのか?」


 そんな事を考えて背筋に冷たいものが走ってゾッとした。


「随分仲が良いようだけど、あの獣人とどういう関係なの?」


「凡人と狂人で一生相容れない関係だよ。ってそれよりリリは簡単にシャルの魔法を防いだけど……大丈夫なのか?」


 先程、何発か魔法を放ったシャルを軽くあしらったリリを目にして不安な声を漏らす。


「あれは男の人を助けるためにわざと弱い魔法を使ったの。もし全力で魔法使ったら、巻き添え食らうでしょ?」


「……そ、そうだな」


 その全力がどのくらいの威力なのか分からず、キョウヤは曖昧な笑みで答えた。しかし、まだ全力を出していないというと希望はまだある。後はどれくらい時間を稼げるかが勝負だ。


「これで全力は出せるけど、もちろん倒しても問題ないよね?」


「変なフラグ立てないでくれるかな!?」


 不安を抱きつつ、シャルリーヌに任せるしかなく、キョウヤは少し離れた位置で行方を見守った。


「へぇ~? リリを倒す? 面白い事をいう人種の雌にゃ。もしかしてリリの事何も知らないのかにゃ? ちょっとは有名だと自負していたんだけど……ってキョウヤもリリの事知らなかったみたいだし、やっぱり有名じゃないのかにゃ?」


食人魔エーイーリー。人種を喰って糧とする悪魔。魔法殺しがそんな事を言ってたから、実際に目にするまで半信半疑だったけど…………シャル、こいつは中々厄介な敵だから気をつけて」


「え? エミール知ってるの?」


「う~ん、今思い出したって感じかな。とにかく今のシャルには難しい相手だから、倒すことじゃなく時間を稼ぐ事だけを考えて」


 エミールの言葉に頷いたシャルリーヌの瞳は不安に揺れていた。

 食人魔エーイーリー。その名の通りの二つ名に乾いた笑いが漏れて、キョウヤはまたも”エーイーリー”という単語に再び首を傾げる。確かにどこかで聞いた響き。一般的には当然聞く事はないが、キョウヤは何か興味を抱いて、その言葉を知る機会があった。それがどこなのか思い出せない。

 そんなキョウヤの思考は中断され、シャルリーヌが再び魔法の詠唱を紡ぐのを聞いた。それは先程の詠唱とは異なる魔法。


とどろいかづちよ、紫電の刃と成り、穿通せよ――トニトルス!」


 今度は黄色い幾何学模様が展開すると、雷の刃が一条の光となってリリへと走り出す。先程よりも素早い魔法に、リリは同様に素早い行動で魔法障壁を展開する。しかし、雷の刃が突き刺さった瞬間、魔法障壁が砕け散った。

 その様子にリリは感心した表情で直ぐさまその場から跳躍し、雷の刃から逃れる。

 するとシャルリーヌが放った雷の刃が上空へ方向転換し、リリの横を通り過ぎて消えゆく。

 雷で斬れた白髪の一本がひらりと舞い上がるのをリリは視界の端に映す。


「上位魔法を扱えるなんて中々やるにゃ。だけど制御の方は全然ダメにゃ」


「轟け雷精よ――」


 シャルリーヌはリリの言葉に答えず、次の魔法を唱え始めた。

 しかし、それより先にリリは行動を起こし、空中で魔法障壁を足場に作ると、それを蹴ってシャルリーヌへと肉薄し、両手から鋭い爪が伸びる。


「紫電の刃が一閃、穿通せよ――ドュラ・トニトルス!!」


 先程よりも威力も速さも格段に増した雷の刃が複数現れると、近づくリリへ襲いかかる。魔法障壁で防ぐには間に合わないし、それに魔法障壁で防ぐにしても先程より破壊力がある雷の刃では貫通される。

 キョウヤは直撃すると確信していた。


「まさかそこまでやるとは――にゃけど」


 不敵に嗤うリリ。

 雷の刃がリリに当たる瞬間、足場に作った魔法障壁で空を蹴ると、俊敏な動きで横に避ける。するとまた魔法障壁を作っては蹴って、今度はジグザグに進み出て雷の刃を次々と避けて近づいてくると。


「守護せし――」


「遅いにゃ」


 シャルリーヌの眼前にリリの鋭い爪が迫ってくる。


「――雷精よ閃け!!」


「にゃ!?」


 リリは魔法の詠唱を終えた事に驚愕し、そしてシャルリーヌの前に雷の壁が出現して攻撃を防ぐ。しかし、それだけには終わらず、雷の壁に触れた瞬間にリリの体に電撃が走り回る。


「――っっ!?」


 パチンッと轟音が反響し、辺りに目映い光が何度か明滅する。一瞬にしてリリの体が感電すると、衝撃で飛ばされたリリは眇めて地面に叩きつけられる前に体勢立て直して着地する。

 膝を着いてリリの体は未だに電気が帯びて暗闇を照らした。


「人種の雌風情が、少し、侮って……いたにゃ。まさか上位魔法の詠唱を省略するとは……」


 リリの冷徹な視線がシャルリーヌを射貫く。

 先程まで余裕だった態度が急変し、リリの纏う雰囲気がどす黒く不安を掻き立てるような機微を感じ取ったキョウヤ。


「これで居場所は分かったと思うけど……後どれくらい持てばいいのかな?」


「相手も本気じゃなかったから、ここから油断できないよ」


 二人の攻防にキョウヤは、なんだか何かのアニメのシーンをCGで見せられているような感覚だった。


「これが魔法? 俺にも使えるか聞きたい気持ちはあるが、今はそれどころじゃないよな。アレを食らってリリは生きてるし、それにリリは未だに魔法を使ってないのは不思議だ。もしかして獣人は魔法が使えないのか? 身体能力は高いが魔法は……でもシャルの魔法を防いでるから……少なからず使えそうに思えるけど」


 少しでも何か情報を知ろうとリリを分析するが、素人では何も分からない。

 そんなキョウヤの呟きにリリの耳はぴくっと動き、耳聡く聞いていたリリの紅い瞳がキョウヤへ向けて嗤った。


「にゃははははは! 一つキョウヤに教えてやるにゃ。普通は獣人に魔法を扱える者はほぼいないにゃ。その分、身体能力は人種より高い。だけどそれは千年前までの話にゃ。そこの雌がさっきから扱っている魔法は古代魔法にゃ。時代遅れの魔法で扱えれば強力、けどその分長ったらしい詠唱が必要にゃ。だけど今の時代は近代魔法が主流で、古代魔法より数倍強力な魔法で詠唱は殆ど必要ないにゃ」


 リリは胸元から何かを取り出した。

 それは腕に嵌めるブレスレット。幾つも宝石が取り付けられて綺麗な装飾をしている。


「それは魔宝具!? シャル気をつけて」


 エミールの注意する声にシャルリーヌが気を引き締める。


「にゃはは! そうにゃ! これはリリが扱う魔宝具にゃ。近代魔法を扱うには魔宝具必要になるにゃ。そしてこれはこう使うにゃ」


 リリがその場で立ったまま、シャルリーヌに向けて手を振って見せた。

 なぜか分からないが、胸がざわついてキョウヤは本能的に足が動いた。リリが手を振る動作をする前に、シャルリーヌを庇うようにして飛び込んで一緒に地面を転がった。


「いたた……キョ、キョウヤ? 一体どうし――」


「――っくあ!?」


 シャルリーヌの声がキョウヤの耳元近くに聞こえるが、腕に熱い痛みが徐々に押し寄せてきて返事をする暇はなかった。

 抉られた腕は骨まで達して、血がどばどばと流れ出して地面を真っ赤に染める。今すぐにでも意識が持ってかれそうで、キョウヤは泣き叫んだ。


「ぐああああああ!? 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ!?!?!」


「キョウヤ!? し、しっかりして!? 今すぐ治癒魔法掛けるから!」


 涙は滂沱と溢れるキョウヤは痛みで思考を奪われ、シャルリーヌに治癒魔法を掛ける暇はないと声を掛けられなかった。

 シャルリーヌが慌てて、抉られて肉が露出したキョウヤの腕に掌をかざして治癒魔法の詠唱を唱え始める。


「生命を司る水精よ、安らぎの恩恵を与え、汝の傷を癒せ――サナーレ」


 傷が温かい光に包み込まれて、徐々に痛みが引いていく。出血は止まると抉られた肉も再生する。


「キョウヤが庇うからそんにゃ痛い目に合うのにゃ。でも雌が治癒魔法を使えて良かったにゃ。リリとしてもキョウヤを殺すのは心苦しいからにゃ。だけど、今度はキョウヤも大人しくしてるにゃ」


 シャルリーヌが治癒魔法を掛ける時間を与えてくれるリリ。そんな余裕の姿にキョウヤの中に生まれる不安と恐怖心。


「――っ、シャ、シャル……リ、リリは遠くから攻撃が……できるらしい。それも……無詠唱で」


 痛みは引いていくらか落ち着いたが、それでもリリに対する恐怖心は払拭されず、言葉が真面に発するのが困難。それでも精一杯、自分がリリに腕を抉られた時の、リリが扱う近代魔法の正体を伝えた。

 遠くから詠唱なく攻撃できる近代魔法。これがリリが扱う魔法の正体。

 なぜリリの扱う魔法を知ることができたのか、勘としか言えなかった。だけどそのお陰でシャルリーヌを庇って致命傷を避けることができた。その代償は大きいが。

 しかし、近代魔法の正体を知ったところで、どうやってリリの攻撃を防ぐか。そこが問題だった。無詠唱でただ腕を振る動作一つで遠くのものに攻撃ができる厄介な近代魔法。魔法というよりまるで異能力のようだ。


「……このままでは私もキョウヤも――って弱気になったらダメよね! まずは近代魔法をどうするか――」


「どうするかにゃんて考えるだけ無駄にゃ。お前たちはリリに食べられて終わりにゃ♪」


 リリの微かな動きに反応したシャルリーヌは、咄嗟に体が動いた。視界の端にはリリの手が動いていた。

 さっきのような失態は犯さず、シャルリーヌはキョウヤをお姫様だっこするようにその場から跳躍。されるがままのキョウヤは複雑の気持ちを抱くが、細かい事を気にしている余裕はなかった。

 壁際にキョウヤを下ろした後、シャルリーヌはリリの手の動作に注視し、対峙するとどうしようか考える。


「シャ、シャルも魔宝具だっけ? な、ないのか?」


「ごめん。持ってないの」


「魔宝具は貴重な物だから誰もが持てるわけじゃないんだよ。本当ならシャルも魔宝具を持てば、この場を切り抜けることはできると思うのだけれど……」


 そうなるとどうすることもできないのだろうか?

 後の希望はルードルフが早く来てくれるのを祈るばかりであるが、少し時間が掛かっているようで焦れったい。このままではシャルリーヌがラプラスの悪魔と同じ状況になる。それだけは避けたい。


 ――何でこんな時に俺は何も出来ないんだよ!? ただ見てるだけしかできないのかよ!? くそっ!?


 キョウヤの中で焦燥感が段々と膨れ上がり、拳を握り締め地面に打って、何もできない自分を責めた。


「にゃ~リリはお腹が空いて我慢できないにゃ。そろそろ終わりにすることにするにゃ」


 お腹をさすって余裕を見せるリリは紅い双眸をシャルリーヌに向け、ちろりと舌が唇をなぞるように舐める。妖艶なリリの姿に普通なら見とれてしまうが、キョウヤにとってリリのその仕草はゾッとする。


「まだ終わらせないわよ! 荒れ狂う風精よ切り刻め――トラ・ウェントュス!!」


 緑色の幾何学模様から最大級の風の魔法が放たれる。凄まじい勢いで風の塊が周りを巻き込み、何もかも見えない刃で切り刻まれながらリリへ襲う。するとリリはその場から動く気配を見せず、口角を上げた。


「最上級の風魔法の詠唱を省略するにゃんて、そこら辺の魔法使いより強いにゃ。だけど――」


 巨大な風の塊に向けて腕を振る。

 たったその動作一つで巨大な風の塊は簡単に霧散した。


「な――っ!?」


「シャル! 早く防御の魔法を唱えて!?」


 驚愕するシャルリーヌをエミールは叱咤すると、シャルリーヌは慌てて呪文を詠唱する。


「っ!? 守護せし雷精よ閃け――トニトルス・パリエース!」


「そんな薄っぺらい魔法で防げると思ってるにゃ?」


 その呟きと一緒に腕を振るリリ。すると、パリンとガラスが割れる音をキョウヤの耳に届き、キョウヤの目に映したのはシャルリーヌが血を流す姿。


「シャル!!!」


 空中に血が飛び散ってシャルリーヌが壁に衝突して息を詰まらせた。

 キョウヤの脳裏にシャルリーヌの亡骸がフラッシュバックすると、顔を青くして駆け寄った。

 シャルリーヌの腕から爪で引っ掻かれた傷跡と、そこから血が流れていた。見る限り軽症で済んでいた。それと眼帯がいつの間にか無くなって紫紺の瞳が露わになっていた。


「っっつ!? だ、大丈夫……け、けどエミールがっ」


 シャルリーヌの悲痛な声にエミールに顔を向けると、シャルリーヌより酷い怪我を負っていた。シャルリーヌの傷の具合からエミールが咄嗟の判断で、庇って変わりに怪我を負ったのだろう。


「エミールっ!? お、俺、何も、――――何か、何か俺にないのかよ!?」


 ――これじゃあ……もう……。


「にゃんだ。もう終わりにゃ? まあリリとしては空腹でイライラし始めた頃だからちょうどいいけどにゃ。雌は美味しく頂くにゃ……って、んにゃ? まさか雌が災厄の瞳を持っているとはこれは上物にゃ」


「え……? あ、が、眼帯――っ」


 眼帯が無くなったことで少しだけ顔が強ばったシャルリーヌだがそれも一瞬、シャルリーヌはキョウヤを庇うように立つ。


「シャ、シャル?」


「キョウヤは今すぐに逃げて」


「な……何言ってんだよ!? そんな事出来るわけ無いだろ!?」


「自己犠牲にゃ? バカな雌だにゃ。雌を殺ったあとキョウヤは直ぐに捕まるにゃ。だけど直ぐには殺さにゃいよ? キョウヤはリリの一番のお気に入りでリリの側に置いとくからにゃ。腐らないように熟して一番食べ頃の時にリリが美味しく食べるからにゃ♪」


 いつの間にか近づいて来たリリは嗤い声を上げて静寂な路地裏を反響させる。

 絶望的な状況。シャルリーヌではリリに敵わない。

 それが分かっていてもシャルリーヌは未だに闘志は潰えず、真っ直ぐにリリを見据えていた。それに対してキョウヤはリリに恐怖し、今すぐにでもこの場から逃げ出したい衝動に駆られていた。しかし、シャルリーヌの後ろ姿を見たキョウヤは自分が情けないとも感じていた。


「と、轟け穿――」


「もう遅いにゃ」


 詠唱を終わる前に、リリは冷酷な瞳でシャルリーヌを見下し、鋭い爪が振り下ろされる。


「シャ、シャル!?」


 キョウヤはただシャルリーヌの名前を叫ぶしかできず、目の前でリリに殺される姿を見ているだけしかできない。


「――ぁっ!?」


 その時、シャルリーヌとリリの間に影が落ちる。するとリリの鋭い爪を弾く音が響いた。


「遅くなって悪かった」


 聞き覚えのある声に希望が芽生える。


「ルードルフ!」


 その後、ルードルフは剣を下段から切り上げる。リリは直ぐに反応するとその場を跳躍して後退。


「ッチ、人種風情が」


 紅い双眸がルードルフを睨み、忌々しげに吐き捨てた。


食人魔エーイーリーのリリ。まさかこのルサント王国に踏み入れてるとは思わなかったよ。だけど今日で君の悪行はここで断つ」


「ルードルフ……? わ、私……いき…………てる?」


 張り詰めていた緊張感の糸が突然切れたシャルリーヌはその場にへたり込んで、キョウヤが慌てて受け止めた。


「シャ、シャル大丈夫か?」


「う、うん……。ただエミールに治癒魔法を掛けないと」


 言われてキョウヤは酷い怪我を負ったエミールを抱き寄せた。シャルリーヌは治癒魔法を掛けて、徐々に傷が塞がっていく。


「ルードルフ遅いぞ!?」


 キョウヤはやり場の無い怒りを遅れて登場したヒーローに叱咤した。


「すまない、女王の許可に少々手間取ってしまって説得に時間が掛かってしまった。ただ……いやこれは後ででいいだろう。――――っ!? そうか、シャルリーヌやはり君の瞳は左右別の色をしていたか」


 ルードルフの視線がシャルリーヌの右目に注がれる。

 災厄を呼ぶ瞳。

 ラプラスの悪魔でルードルフから聞かされた言葉だ。

 シャルリーヌから微かに息を呑む音が聞こえたが何か言葉をする前にリリの声が響く。


「話は終わりでいいかにゃ? リリの空腹は限界に近いの? もうイライラして仕方ないの? だからもう死んでくれにゃいかな? 二人まとめて食べてあげるから!」


 リリが苛立った声色で腕を振ると、無詠唱の近代魔法がルードルフに襲いかかる。

 ルードルフはまだリリの近代魔法を知らない。せっかく助けに入ったのにこれではリリに殺されてしまう。

 キョウヤは顔を青くすると、ルードルフが剣を振る姿を映した。

 すると、パリンッというガラスが割れる音が響いて、ルードルフは泰然自若とした態度で立っていた。


「これが君の近代魔法。無詠唱で遠くの対象に攻撃できるという厄介な魔法だな。しかし、私にそれは通じない」


「魔法殺し……そうか思い出したにゃ。ふふっまさかここで対面するとは思わなかったにゃ! にゃははははは! 復讐は果たされたのかにゃ?」


「――っ!? 貴様知っているのか!?」


 リリの言葉に反応したルードルフがさっきまでの余裕の表情が消えると、憤怒と憎しみの混じった感情を表に出してリリを睨み付ける。


「にゃ~んだ。まだみたいだにゃ。それもそうか、あいつまだ生きてるからね。というか……にゃはは! 殺すなんて無理だからにゃ! リリだってそうだしね! さて、もうリリは空腹で限界にゃんだけど、少しだけお前の戯れに付き合ってやるにゃ」


「――吐かせてもらおうか? 悪魔よ」


 その言葉と同時にルードルフは一瞬で間合いを詰めると、剣先がリリの眼前に迫っていく。


「にゃは♪」


 それをリリは頭を引いて躱すと、ルードルフを見下す。すると、リリの額から皮膚が切れて血が流れた。少し驚くリリ。

 口元まで伝ってきた血をペロリと艶めかしく舐めると、距離を置いてからバネのように地面を蹴った。鋭い爪を前に弾丸のような速さでルードルフに接近する。

 眉をぴくっと跳ねてルードルフが素早い反射神経で攻撃を躱す。しかし、リリは振り返って腕を振った。

 見えない攻撃が再びルードルフに襲いかかると、剣で見えない攻撃を弾き飛ばす。


「魔法殺し……。そうか、その剣は魔宝具にゃのね。だから魔法殺し……ならその魔宝具を何とかしたいけど……ちょっときついにゃ」


「その身のこなし方……獣人とはいえ侮れないな。しかし私の敵では無い」


 少しだけ冷静さを取り戻したルードルフが、リリを見据えて次の攻撃に備えた。

 そんな二人の戦闘を離れて見ていたキョウヤ達は目が離せなかった。


「これが魔法殺しって言われているルードルフの力……?」


「私も実際に目にするのは初めてだけど……すごい」


 キョウヤたちはただジッと二人の戦闘を眺めていた。

 ルードルフの実力は本物でリリを圧倒して、形勢はルードルフに傾いている。これなら勝てるとキョウヤは確信していた。

 しかしリリも何かを隠している様子でまだ余裕を見せていることに不気味さを感じた。


「随分余裕があるようにゃ、魔法殺し。だけどいつまで余裕でいられるかにゃ!!」


 何度も見えない攻撃を繰り返すと、ルードルフは一つの攻撃を漏らさず全て剣で弾き防ぐ。そんな単調な攻撃に、不意にリリの視線がシャルリーヌを捕らえて、悪魔じみた笑みを浮かべる。それに気付いたルードルフはリリを睨み付けた後、シャルリーヌの前に駆けだして剣を振る。パリンという音が響いてシャルリーヌに向けられた攻撃を防ぐが。


「甘いにゃ」


 その言葉と共にルードルフは見えない攻撃に引っ掻かれ、白い騎士服が破かれ、血で真っ赤に染まった。


「――っく!?」


「ルードルフ!」


 シャルリーヌが駆け出すのを手で静止し、ルードルフは不敵に笑う。


「この程度の傷なら大丈夫だ。それより下がった方がいい。また君が狙われてしまう」


「にゃはは! このまま嬲り殺してやるにゃ!」


「――私以外を狙うその卑劣さは、さすが悪魔だと褒めるべきか」


「最高な褒め言葉にゃ♪」


 リリの猛威にルードルフは何度も剣で防ぎ、隙を窺うが、近代魔法の魔力は無尽蔵で尽きる気配はない。このままではルードルフの体力は徐々に削られ最悪な結果になりかねない。

 ただ見てるだけのキョウヤはそれがもどかしい気持ちでいっぱいだった。


「リリの力ってこれほどまでに強かったのか……? これじゃあどうすれば――」


「心配しないで欲しいキョウヤ」


 リリの攻撃を受けながらルードルフは余裕の笑みをキョウヤに向ける。

 瞬間、地面を蹴って攻撃を防ぎながら、リリと同じような俊敏さで肉薄すると冷徹な瞳で。


「――っ」


「私が悪魔に殺られるわけがない」


 溜まった力を一気に解放し、剣が光り輝くと一閃がリリに襲い掛かる。防ぐ暇を与えず斬りつけた。光は数秒で収縮し、霧散する。吹き飛ばされたリリは腹部から血を噴き出して、壁に激突すると地面に倒れた。

 一瞬の出来事に決着が付いて、キョウヤはしばらく放心していた。


「……勝ったのか?」


 一体何が起こったのかキョウヤやシャルリーヌは分からずポカンとするが、目の前の光景がキョウヤの呟きに対する答えだった。


「……にゃ…………、こ、これは……ま、ずいにゃ……」


 指先をぴくぴくと動き、顔をルードルフに向ける。瞳は怒りの色を帯びて、憎々しげに睨み付ける。

 そんな姿を見下し、ルードルフは冷たい声でリリに質問をした。


「あいつはどこにいる?」


「……にゃ、はは。知りたいかにゃ……? な、ならリリを、助けてくれたら……教えるにゃ……」


「……これで終わりだな」


 ルードルフが剣を上げた後、振り落として止めを刺す瞬間、リリの瞳がキョウヤとぶつかると、その目が微かに怯えの色を帯びていた。


「―――――――――――――――――――――――――――どうして……わ、たしが……」


 ルードルフの剣がリリに届く――その時、轟音が鳴り響く。


「――くっっ!?」


 異変に気付いたルードルフは止めを刺す手を止めてその場を跳躍した。

 ルードルフがいた場所に幾つもの瓦礫が振ってくると、リリを巻き込んでその場に積まれていく。砂煙が辺りに充満するとキョウヤは腕で顔を覆ってやり過ごそうとした時に、シャルリーヌの風の魔法で砂煙を飛ばしてくれる。


「い、一体何が……?」


「すまない。私の失態だ。恐らく仲間がいたのだろう」


 ルードルフの悔しそうな顔を見た。


「それじゃあ……リリはまだ生きてる……?」


「いや、重傷だろうからしばらくは襲ってこないだろう。逃がしてしまったとはいえ、取りあえずは危機を回避しただろう」


「私、助かったの……?」


「助かった……? シャルが助かった……? あ! エ、エミールは無事なのか!?」


 エミールの傷はシャルリーヌの治癒魔法で殆ど傷は塞いでいるが、未だに目は覚まさないままだ。キョウヤと違う種族だから、これが大丈夫なのかどうかキョウヤは分からなかった。

 キョウヤの疑問にシャルリーヌは頷いて無事である事を答え安心した。だからなのか、シャルリーヌがエミールの目を覚まさない事に慌てていないのは。


「そっか……シャルは助かって最悪な悲劇は回避したのか……? ははは、そっか……良かった……」


 今まで張り詰めていた緊張の糸がぶつんと切れると、キョウヤは仰向けに倒れて月を仰いだ。乾いた笑いを上げてシャルの無事に瞳を潤ませた。


「キョ、キョウヤ!? ど、どこか怪我でもしたの!? 直ぐに治癒魔法掛けてあげるから――」


「本当に良かった……シャルが生きてて……、良かった」


 キョウヤの安堵した声にシャルリーヌは穏やかな笑みでキョウヤの頭を何度も撫でる。


「キョウヤが言っていたラプラスの悪魔で何が起こったのか、大まかにしか聞いてないから分からないけど……でも私の瞳のことを受け入れて、私が生きていること……キョウヤが頑張ってくれたお陰なのかな?」


「俺は……大したことは…………」


 安心したら眠気が襲ってきてキョウヤは段々と意識が薄れていく。


「ありがとね。キョウヤ」


「…………俺は――――」


 最後まで言葉が紡がれず、それを最後にキョウヤの意識が途絶える。

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