第八話 綺麗な瞳

 月明かりが窓から差し込んだ光は静かな吐息を漏らすシャルリーヌの穏やかな寝顔を照らされ、アッシュブロンドの髪がキラキラと輝きを発して美しく映った。

 そんな無防備な姿にキョウヤは息を呑んで、時間を忘れるほど見惚れていた。頬に軽く触れたい、錦糸のようなアッシュブロンドの髪を手で梳くいたい、柔らかい唇に……、そんな邪な考えに至ったキョウヤはかぶりを振って邪心を取り払う。


「…………」


 シャルリーヌの唇を注視すると思い浮かぶのが、二度目の邂逅の時に治癒魔法を掛けてくれ場面。あの時のことを考えると、心臓の鼓動が普段より速まるのを感じる。


「……って、あれは気のせいだ。いつまでも変な事考えてないで強制イベントの準備しないと……。と言っても心苦しいな」


 自分のやるべき事を実行に移そうと心の準備を整える。

 何かいけない事をするようで罪悪感を覚えるが、キョウヤはこの日を逃すわけにはいかないと叱咤するとシャルリーヌの眼帯に手を伸ばす。


「なにを企んでいるんだい?」


 鋭い声が響いて、一瞬シャルリーヌが起きたのかと思い、冷や汗が流れた。キョウヤは恐る恐る声の方へ顔を向けると、いつの間にかキョウヤの横にエミールが佇んでいた。

 表情の変化が少ないエミールだが、声の調子とキョウヤに睨みを利かせている視線からいつもと雰囲気が違うことを感取していた。


「……起きていたのか」


 強制イベントを起こすことばかり考えていて、エミールのことをすっかり失念していた。


「キョウヤが何かを企んでいたことには気付いていたからね。それで? シャルの眼帯を取って何をしようと思ってたの?」


「…………なんでシャルが眼帯をしてるのか気になってるんだ」


「まあ気になるのは当然だろうけど、シャルはそれを望んでいない。それでもキョウヤは知りたいのかい?」


「……知りたい」


 選択を誤らないように慎重に答えた。

 虚言でやり過ごした所でエミールには通用しないし、シャルリーヌと一緒にいるということは、必然的にキョウヤのすることを知ることになる。


「…………」


「…………」


 エミールとキョウヤの視線がぶつかり、しばしの沈黙が訪れる。


「それを知ったとき、シャルと君は別れる。それを承知で君は知りたいというの?」


 キョウヤの事を”君”と呼んで拒絶をしてくる。

 表情が読み取れないエミールの真意は分からず、キョウヤからはシャルリーヌの秘密を知ったキョウヤでは何もできず悲しい結果が訪れる。それは決別を意味すると言外に言っているように思えた。

 エミールの瞳がキョウヤを映す。また同じ過ちを辿るのではと若干の不安は残るが、キョウヤの中では既に決意を固めてある。


「…………もし君がシャルを受け入れたら……」


「……今度は大丈夫だ」


 エミールの言葉に力強く決意を吐露する。


「君は……」


 これ以上エミールから言葉が紡がれなかった。

 それはキョウヤから失望されていると捉えて、少しだけ息を詰まらせる苦しさが襲う。


「――……はぁー」


 息苦しさは深呼吸することで、自然と気持ちが落ち着くことに成功する。

 シャルリーヌのオッドアイを知ったキョウヤがシャルリーヌに拒絶されて、未来と同じ一途を辿る。エミールの中ではそう思っているのだろう。

 しかし、思い通りにはさせない。

 あんな悲劇的な結末なんて誰も望んでないし、誰だってハッピーエンドがいいに決まっている。


「俺は同じ結末を繰り返さない」


 エミールはただキョウヤの行動に傍観している。

 それならキョウヤは再びシャルリーヌの眼帯に手を伸ばして、それに触れた。自分の手が震えていることに気付いて苦笑する。それから眼帯を外した。

 目が閉じられて紫紺の瞳を視認する事は出来ないが、シャルリーヌを起こしたときに、それは見られるだろう。

 二度目のオッドアイ発覚イベント。

 失敗したらやり直せるご都合主義なループ能力なんてキョウヤにはない。


「うぅ…………ん?」


 物音に気付いて目を覚ましたシャルリーヌは、起き上がって寝ぼけ眼でキョウヤを視界に入れた。


「…………」


 キョウヤはシャルリーヌの開けられた目を見つめて、三度目となるオッドアイの姿に見惚れて、やはり綺麗だと感じていた。

 燦爛と翠玉の輝きを放つ左目、

 そして深く不安を誘うがそれでいて綺麗な紫紺の右目。

 災いを呼ぶと言われる左右異なる瞳の色。

 異世界の常識なんて知らないキョウヤには、シャルリーヌのオッドアイは希望と呼べるような瞳をしていると思った。


 「…………え?」


 キョウヤの視線に気付いて、何か違和感を覚えたシャルリーヌは不安な表情で、恐る恐る右瞼に触れた。眼帯が無い事に気づく。

 そして――キョウヤが眼帯を持っているのを目にした時、血の気の引いた顔でシャルリーヌは咄嗟に右目を隠し、左目でキョウヤを非難するように訴えていた。


「どう……して?」


「シャル……聞いて欲しいんだ」


「……やだ……なんで……? ……見ないで」


 前回と同じように顔面蒼白となって、キョウヤの言葉に耳を貸さず、拒絶してくる。

 唇は震え、左目は怯え、今にも逃げ出しそうな雰囲気だった。

 これを間違えてしまうと、後戻りは出来ない。だからキョウヤは何度もシャルリーヌに呼びかけるが、拒絶の言葉ばかりが返ってきて、真面に会話が成立できない。


「いや…………見ないで……そんな目で私を……見ないで!?」


 涙が頬を伝って零れ落ちた。

 その姿が心苦しく、思いを告げようと必死に声を掛けるキョウヤだが。


「シャ、シャル! 俺の話を聞いてくれ! お、俺は――」


「嫌だ!? 来ないで!? 私を――そんな目で見ないでよ!?」


 悲痛の叫びを上げて近づいたキョウヤをシャルが魔法で吹き飛ばす。壁に背中を打ち付け息が詰まる。その隙にシャルリーヌが扉に向かって走り出した。


「――ッ!? ま、待ってくれシャル!?」


 手を伸ばすがシャルリーヌに届かず、部屋を出たシャルリーヌの背をただ見ているだけしかできなかった。

 キョウヤの脳裏に過ぎったのはシャルリーヌの亡骸。

 猶予はまだ残っているが、また最悪な結末を迎えてしまうと想像したキョウヤに焦燥感が襲いかかり、冷静さを奪われていく。

 直ぐさま立ち上がって部屋から出て行こうとする。

 しかし、エミールによってまた邪魔をされるが、何かを言われる前にエミールより先に声を発した。


「エミールがなんと言おうが俺はシャルを追いかけて、今の思いを伝えるんだ!」


「――ッ」


 それだけを口にして部屋を出ると、エミールは何も声を発することができなかった。

 宿屋の外を出ると、シャルリーヌの人影を見つけて、直ぐさま追いかけた。

 空は暗闇が覆って月が佇んでいた。足場は見えずらく月明かりが頼り。人はまばらで賑わっていた昼間とは異なる静寂さが広がっていた。

 そんな中で地面を蹴る音だけが響いて、シャルリーヌを追いかけるキョウヤ。


「はぁ……はぁ……」


 運動は殆どせず体力に自信はなかったが、それでも足を止めるわけにはいかず、シャルリーヌを一生懸命に追いかける。

 距離は一向に縮まらず徐々に離されて、このままではシャルリーヌに追いつかず、最悪な結末を迎えてしまう。それだけは回避しなければと、焦ったキョウヤは夜の静けさの中で思いを告げることにした。


「俺は!! シャルが好きだ!!」


 キョウヤの中にある心情を声に上げて町中を響かせる。

 そんな異世界まで来て、青春映画のワンシーンのような一幕をキョウヤ自身が演じるとは予想だにしなかっただろうが、無我夢中のキョウヤにとって気が回ってなかった。


「――っ!?」


 反応を示したシャルリーヌの足が遅くなる。

 好機だと思ったキョウヤは再び声を上げた。


「シャルが好きだ!」


「――っ!? キョウ、ヤ?」


 そして、思いが届いてシャルリーヌの足が立ち止まり振り返った。蒼白だった顔は不安と困惑が混じった表情をしている。

 一気に距離を詰めて、ようやく追いついたキョウヤはシャルリーヌの手首を掴んで離さないよう力を加える。


「――っ!? は、離して!」


 手首を掴まれてはっと我に返ると、キョウヤの手を振り解こうとするが、堅く掴んでいるため、それに女性の力では不可能だった。


「シャ、シャル!」


「――っ!?」


 シャルリーヌは何かを呟き始めた。それが魔法の詠唱だと気付いたキョウヤは再び思いを吐露した。


「俺はシャルの事が好きだ! だから逃げないでくれ!」


 そのキョウヤの思いは何か言葉が抜けているような気がしたが、今のキョウヤはそれを気にする余裕はなかった。

 再び紡がれるキョウヤの必死な想いに、気圧されたシャルは詠唱を中断し、シャルリーヌは目を見開いて頬を赤く染めた。


「な……――っ、わ、分からないわ!」


「だから、俺は……シャルの事が……いや、シャルのその瞳が綺麗で俺は好きなんだ」


「……う、嘘よ。これは……こんな気持ち悪いのが…………どこが綺麗なのよ……」


「綺麗だって! 俺は本当にそう思ってる。それにオッドアイなんて、何か特別な感じがして得した気分じゃないか? もっと誇ってもいいと思うぞ」


「何が……特別よ。これは災いを呼ぶって言われて忌み嫌われているのよ? 普通なら気持ち悪がって、軽蔑の視線を向けられる……。私は自分のこれが嫌いよ」


「災いを呼ぶ? そんな事知ったことないし、周りの評価なんかどうでも良いだろ? 誰か一人でも綺麗で、好きだって言う人がいれば、それだけで十分じゃないか? 俺はシャルの瞳が好きだ。何度だって言ってやる! 俺はシャルの瞳が綺麗で好きだ!」


「だって……でも……私……」


 キョウヤの言葉に戸惑いを見せるシャルリーヌはそれ以上何も言えなく、目に涙を溜めてしゃがんだシャルリーヌは嗚咽混じりに澎湃と涙を流した。

 キョウヤはもう大丈夫だろうと手を離して、シャルリーヌが落ち着くまで側にいた。


「はぁ……よ、良かった……」


 そして暴走した気持ちはいくらか落ち着いて、冷静になったキョウヤは自分の台詞を改めて思い出して、重大な事に気づき赤面した。

 シャルリーヌに思いを伝えようと吐露したはいいが、告白まがいな事を伝えてしまった。もちろん、シャルリーヌの事は好きなのは事実だが、初日に出会って告白するなんて軽薄すぎだ。どうしようと考えあぐねていると


「……ありがとうキョウヤ」


「え?」


「こ、こんなこと言われたの……キョウヤで二人目」


「えっと……一人目はエミール?」


 キョウヤの問いに頷く。

 エミールを人と数えて良いのか不明だが、ポジティブに考えればエミールを人と数えなければ、シャルリーヌにとってキョウヤが初めての事となる。


「キョウヤとは……今日初めて会ったばかりでしょ? どうして?」


 キョウヤにとってシャルリーヌとは何度も会っている。しかし、その事をシャルリーヌは覚えていないため、例えキョウヤが未来を経験したと言った所で信じて貰えない。いや、今のシャルリーヌなら何となく信じて貰えそうだと感じた。


「……俺にとって、シャルとは初めて会ったわけじゃ……ないんだ」


「……どういうこと?」


 キョウヤはシャルリーヌに未来で経験――ラプラスの悪魔の事を話し始めた。

 明日の昼間に王立図書館に向かうこと、司書から聞いた英雄の友人――エルフと出会うこと、その後、シャルリーヌの眼帯が外れて、キョウヤがそれを目にすること。

 そして――シャルリーヌの最後。

 全て話し終えると、シャルリーヌは信じられないと言った顔を浮かべる。無理もない、自分が殺されると聞かされて、何かの冗談だと思い飲み込めないだろう。


「いきなりのことで戸惑うかもしれないけど……実際俺も最初はわけ分からなくって…………でもこうしてシャルと出会えて、本当に良かったと思ってる」


「……それで私と最初に会ったときに」


「あ、あの時は本当にごめん!」


 その時の事を思い出したシャルリーヌの頬が赤くなって、キョウヤは怒っていると思って謝罪を述べた。


「………………キョウヤは本当に、気持ち悪いって……思わないの?」


「オッドアイの事? 全然そんな事思わないよ。むしろ俺は好きかな」


「ぅ……、そ、そのオッドアイ? って私の……これのこと?」


「えっと……まあ」


 思わず異世界にない言葉を使ってしまった。ただシャルリーヌはオッドアイという響きが気に入ったのか、何度も口に出していた。


「オッドアイって言葉の響き、何となく悪い感じじゃないからいいかも。けど……私のこれは…………好きになれなくて……嫌い」


 顔を曇らせて辛そうな気持ちが伝わってくる。キョウヤは何か口に出そうとするがシャルリーヌが言葉を続けた。


「で、でも……キョウヤが、き、綺麗だって……初めて褒めてくれた瞳だから好きになる努力はする」


 ちょっとぎこちない笑みを浮かべた。

 しばらくして、シャルリーヌは顎に指を添えて考える仕草をすると、翠玉と紫紺の瞳がキョウヤの方をジッと見つけてきた。何かの手違いでキョウヤの心情を告げた後なのでキョウヤは気恥ずかしくってシャルリーヌの視線に耐えられなく逸らした。


「ど、どうしたの?」


「キョウヤが話してくれた未来の事、信じるわ」


「……え? で、でも……いいのか? そう簡単に信じて?」


 自分で話しておきながら驚いていた。


「だってキョウヤの目は嘘を言っているように見えないし、それに……キョウヤの想いは伝わったから」


 照れ笑いを浮かべるシャルリーヌにキョウヤは頬を掻いて苦笑した。




 そんな二人の様子をエミールは虚ろな瞳で眺めていた。


「やはりキョウヤの雰囲気がどこかあいつに似ている」


 ぽつりと零した言葉に、我に返ったエミールはさっきまで自分が言った言葉を忘れて、「ん?」と首を傾げた。

 しかし、特に気にせずシャルリーヌを――娘の成り行きを見守るような、慈愛の籠もった瞳で二人の姿を映していた。

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