第五話 眼帯の下は……

 シャルリーヌの眼帯に覆われていたはずの右目を注視して、キョウヤは驚愕と困惑を顔にした。

 左目は翠玉の輝きを放った瞳の色に対して、右目は深く不安を誘うような紫紺の瞳の色をしていた。

 シャルリーヌは左右瞳の色が異なる――いわゆるオッドアイだった。

 突然の事でキョウヤは何も言えず、ただジッとシャルリーヌの瞳に目を奪われ見つめているだけだった。

 遅れてキョウヤは内心で綺麗な瞳だと感想を抱いた。

 ただ直ぐにキョウヤは気の利いた言葉を掛ければ問題は起こらなかったかも知れない。結果がどう転ぶにせよ、無言は最悪な選択肢であった。


「……あ」


 異変に気付いたキョウヤは、さっきまで笑顔を浮かべていたシャルリーヌは唇が震え、顔色が真っ青に染まっていく。そしてキョウヤの視線に恐れ、自衛するようにシャルリーヌは自らを抱く。


「ゃ……や……」


 肩は震えて、子供が嫌々するように首を左右に振る姿は、今までのシャルリーヌの様相とは思えないほど弱々しい姿をしていた。


「シャ――」


「いやっ!? 見ないでっ!?」


 名前を呼ぼうとしたキョウヤの声を遮って、シャルリーヌの悲痛な声が裂帛する。何事かと通りすがった人々は足を止めて、キョウヤとシャルリーヌの様子を傍観していた。


「な、なんだ喧嘩か?」


「あれ? あの子……」


「え? 変な噂があるのって……もしかして?」


 町の人達は何やら不安そうな声で言葉を交わすが、キョウヤは目の前のシャルリーヌの様子に狼狽して、それどころじゃなかった。


 ――一体どうして?


 なぜシャルリーヌが突然態度が変わったのか、考えるまでもなく眼帯の下が晒されたからであり、左右異なる瞳を知られたから。

 キョウヤの世界では左右異なる瞳――オッドアイは希有な存在で、中にはコンプレックスを抱く人もいる。

 しかしシャルリーヌの様子は尋常じゃないほど平静を失っている。コンプレックスを抱いても、ここまで我を忘れるほど取り乱すのは異様である。


「お、落ちつ――」


「やだっ!? そんな目で私を見ないで!?」


 手を伸ばしたキョウヤは、拒絶するように手を叩かれる。シャルリーヌは歪んだ顔をキョウヤに向けた後、その場から逃げ出した。


「シャルリーヌ!?」


 追いかけようとした途端、目の前にエミールが現れて足が止まった。


「……どうやら君とはここでお別れのようだ」


 冷酷に紡がれる言葉がキョウヤの胸に突き刺さる。


「ま、ま……って」


「君の事は少し期待していたんだ。君なら受け入れてくれるって、そう思っていたけど、ボクの思い違いだったようだ」


 失望した瞳を向けられ、キョウヤはそれに怯える。


「だ、だ……から!?」


 声が何かに詰まったような不愉快な感覚に、真面に言葉が紡がれない。

 言いたいことはたくさんあるのに、コミュ障という壁が立ちはだかり、それを乗り超えることが出来ない。

 いつもそうやって、言いたいことが言えず、みんな離れていき、コミュ障を克服できず、こうして同じ事を繰り返してしまう。そんな負のスパイラルに嵌まって抜け出せず、キョウヤはまた失敗を繰り返してしまった。

 キョウヤの言葉がないことにエミールは何も言わず、その場から去った。

 追いかけようとしたキョウヤの足は動かず、転倒するとシャルリーヌが去っていく背中に向けて必死に手を伸ばす。


「待って……お願いだから…………俺の……話を……………聞いて、くれ……」


 声は掠れて、必死に訴えるキョウヤはいつまでもシャルリーヌが去った方へ顔を向けていた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 過去に学校でキョウヤの冤罪事件が起こっていた。

 中学校の時、それは女子の体操着が消えて騒ぎになった日。

 キョウヤの鞄の中に入れた覚えのない女子の体操着が入っていて、皆から失望や軽蔑の視線が集中砲火を受けた。必死に否定を口にしようが声は掠れて、非難の声に掻き消されてしまい、結果犯人はキョウヤということになった。

 そのせいでキョウヤのコミュ障はまた一段と酷くなって、失望や軽蔑の視線を向けられると声が掠れて真面に発言ができなくなった。

 過去の辛い経験が、異世界転生してからも失望や軽蔑の視線を向けられるとは思ってなかった。

 シャルリーヌが去った後、キョウヤは追いかけられず、絶望した顔でキョウヤは何度も「くそっ!? どうして!?」と繰り返して膝を抱えて涙を流していた。

 誰かがキョウヤに心配そうな声を掛けてくれるが、当然答えることが出来ず、いつしかキョウヤに声を掛ける人はいなくなった。

 しばらくして虚ろな瞳でキョウヤは当てもなく町の中を酩酊したようにふらついていた。

 日はもう沈んで外灯は存在せず、月明かりだけが頼りだった。

 人の姿も僅かで、昼間の賑わっていた喧騒は嘘のように鳴りを潜めて静寂に包まれていた。

 それでもフラフラと歩くキョウヤに優しい人が心配げに声を掛けてくれる人もいるが、返事する気力もなく、黙殺して歩き続けた。

 せっかくシャルリーヌと出会い、そして一緒に旅がしたいと決意を口にしようとしたのに、なぜこんなことが起こったのだろうか?


 ――どこで選択肢を間違えた?


 それは考えるまでもない。

 キョウヤのコミュ障に起因し、直ぐにシャルリーヌに自分の思いを告げなかったからだ。

 悔しさで涙を流したキョウヤは叫びたい衝動に駆られる。


「どうして俺はいつも間違いを犯すんだ。なんで言葉が出てこないんだよ。これじゃあ同じ轍を踏むじゃないか。この第二の人生も俺は結局何もできず、コミュ障のせいで……。いや、これはコミュ障を言い訳にして正当化しているだけだ」


 キョウヤの思いが自然と吐露すると、情けない自分に嫌悪を抱き、悪態を吐く。キョウヤはそんな自分の性格が好きになれず自分自身を嫌っている。


「異世界転生しても結局俺は何も変わらない……。なぜ俺はこんな場所に来たんだ……。誰が俺なんか呼んだんだ……。俺なんか役に立たない存在で、コミュ障で何もできないクズだぞ? 肝心な所で失敗して……俺から皆離れていく…………死にたい」


 自分を卑下し、淡々と言葉をこぼしていると誰かにぶつかった。


「おっと、って君どうしたんだい? 酷い顔じゃないか」


 キョウヤの虚ろな視線が上がると、月明かりで視認できたのは短髪の銀髪に目鼻立ちが整った美形のイケメン。

 彼は白い外套を羽織り、腰には剣が携えて佇立していた。

 キョウヤの中のファンタジー知識に、彼と似たような格好した騎士の姿を思い浮かべた。恐らく彼はここルサント王国の騎士なのだろう。


「…………」


 しかしキョウヤは騎士を前にしても、何の感情も沸かず、謝ることも出来ず、空虚な瞳を向けるのみで淡々とした声で質問した。


「この異世界って……オッドアイの子の事どう思ってるんだ?」


「ん? どういうことだ?」


 キョウヤの言葉の意味が分からず顎に指を乗せて考える仕草をする。そんな姿が様になっていて少し格好良く見える。

 彼にオッドアイという言葉が異世界では通じないと知り、キョウヤは再度質問を投げた。


「左右瞳の色が違うって…………どう思ってるんだ?」


 その言葉を聞いた美形の騎士は驚いた表情で、キョウヤの顔を探るように見てきた。余裕のないキョウヤはそれに気付かず、質問の答えを待っていた。

 しばらくして、銀髪の騎士は眉間に皺を寄せて。


「災いを呼ぶ、そう言い伝えられている。なぜ災いを呼ぶのか理由は分からないが、恐らく千年前に何かあったのではないかと、私は推察している。君は左右瞳が異なる人と会ったことがあるのか?」


「…………災い。それって、皆から嫌われているって事?」


 銀髪の騎士の問いに答えず、キョウヤは一方的に聞きたい事を訊いた。彼はそんな事も気にせずに答える。


「そんな伝承が流布されているのだから、その子を忌み嫌う人は大勢いるだろう。恐らく、小さいときからずっと……両親からさえも迫害されることも十分にあり得る」


 それを聞いたキョウヤは、なぜシャルリーヌが顔を歪ませて取り乱していたのか、ようやく理解した。真っ先に声を掛けなかった自分に嫌気が差して、後悔が押し寄せてくる。そして空虚な瞳に少しだけ光を差すと。


「俺っ!? どうしたら……いや、また会って伝えるしかないだろ!? これじゃあ、今までと何も変わらない。それにまだ間に合うはずだ! 自分の思いを伝えればまだやり直せる!」


 そんな決意と共に、キョウヤは徐々に立ち直ると、そこでようやく銀髪の騎士の姿に気付いた。


「え? だ、誰?」


「はは、さっきまで私と話していただろうに。まあさっきまでの君は精神が危うい状態だったから無理もないか。なら丁度いい、私はルサント王国騎士団を務める、ルードルフ・ファン・ラビリウス。よろしく」


「あ、えっと……お、俺は……キョウヤ」


 吃りながら自分の名前を口にする。

 いくらか慣れたキョウヤは少しずつコミュ障改善に進んでいた。


「キョウヤか……。妙な名前だがここにルサント王国に訪れたばかりなのか?」


「あ、……はい……。えっと、え、英雄について……知りたくて」


 正確にはシャルリーヌの付き添いだが。


「そうか英雄か。それなら王立図書館に行くことをお勧めする。あそこは英雄についての文献が数多く保管され、中々興味深い話が書かれている」


「は……はい」


 ルードルフはキョウヤのコミュ障を気にせず気さくに話しかけてくれて、接しやすい印象を受けた。だけど、顔はイケメンという事に若干の苦手意識や敵意があったキョウヤだが、親切にしてくれている分、無碍に出来ず性格もイケメンだから何も言えない。


「キョウヤに一つ尋ねたいことがあるんだが、さっき君は左右瞳の色が違う子の事について聞いてきたな? その子と知り合いなのか?」


「あ、そ、それは……」


 うっかりルードルフに話してしまったが、オッドアイは災厄を呼ぶと言われるとシャルリーヌについて簡単に口外できない。


「安心してほしい。私は左右瞳の色が違う子に偏見を抱いていない。ただ、みんな私のように寛大な人ばかりではないから、大勢いる人前では控えた方がいいだろう」


 真摯に伝えられたルードルフの言葉に安堵し、キョウヤはポツリと吐露する。


「し、知ってる。ただ昨日会ったばかりで…………今まで知らず、初めてシャルリーヌの瞳が左右違うことに気付いたんだ。それで、俺から逃げ出して……」


 フラッシュバックする映像は錯乱したシャルリーヌがキョウヤを拒絶する姿。

 キョウヤは胸が締め付けられるほど、苦しい思いが再び蘇ると胸を押さえつけて眇める。

 言葉少なに話すキョウヤの事情を察したルードルフは一つ頷くと。


「そういう事情があったのか。それで君は落ち込んでいたってとこか? さっきまで酷い顔だったから心配してたんだが、うん。ならキョウヤは今すぐにその子の元へ行った方がいいだろう。今、その子は酷く傷ついて、キョウヤのように酷い状態にいるかもしれない」


「あ……は、はい!」


 ルードルフの言葉が深く染みこんで、初対面でこんなに良くしてくれた事に感謝した。顔もイケメンなら、性格もイケメンなリア充のようであるが自然と憎めなかった。機会があればルードルフとは友達の関係を築けたらいいなと、そんな事を想っていた。


「ルードルフ、ありがとう!」


 自然と出た感謝の言葉にルードルフは微笑を浮かべた。


「ルサント王国は比較的平和な国であるが夜道は危険だ。気をつけた方がいいだろう」

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