第二話 英雄の国

 目前に映る種族の異なる犬耳やリザードマンといった、決して地球には生息しない、ファンタジーにしか登場しない獣人や亜人などの光景にキョウヤは目を惹かれていた。


「ここが異世界!」


 興奮気味のキョウヤの目の前に、鱗に覆われた大型の爬虫類が荷車を引くのを横切った。後で聞くと異世界ではそれを蜥車せきしゃと呼んでいるらしい。


「実際に目にすると感慨深いな」


 目の前の光景に感激を覚えているキョウヤとは別に、シャルリーヌは通る人通る人に話しかけて英雄について聞いて回っていた。

 シャルリーヌのコミュ能力の高さに驚くが、同様に町の人も気さくでキョウヤの格好に奇異の目を向けてくるが、物珍しさに話しかけてきてくれる。そんな町の人の雰囲気はリア充のノリに近いため、ファンタジーに興奮していたキョウヤはテンションが下がって訥々とまたは閉口してしまう。コミュ障のキョウヤにとっては若干煩わしく感じる。

 シャルリーヌが町の人々と会話している中、キョウヤはエミールからルサント王国に訪れた理由を訊いた。どうやらシャルリーヌは英雄の伝承を知るため、人々から話を聞き、王立図書館にある文献を漁るためだとか。


「その英雄ってそんなに凄いのか?」


「う~ん、記憶喪失だからこの事も忘れているのか。ならボクが話そうか」


 少しだけ英雄についてエミールに聞くと滔々答えてくれた。

 今から千年前に英雄と呼ばれる存在がいた。

 世界を脅かす魔王が突如現れ、危機に瀕している所を英雄は魔王の封印に成功し、偉勲を立てた英雄は一躍有名となった。

 その英雄がかつていた場所がここルサント王国で、英雄の武勇伝の数々が語り継がれて王立図書館に書物として残っている。千年前から建っている英雄像なんかもあり、それを目にするためにルサント王国に、観光に訪れる様々な種族がいるとか。


「だから余所者に馴れ馴れしいのか」


 そんな英雄の国、城下町は活気に溢れて賑わっている。話を聞けば一言目には英雄の武勇伝なんかを自慢げに語るなど、余所者のキョウヤ達に寛容で、来る者拒まずって感じで、開放的で良い国というのが第一印象。


「シャルリーヌも英雄に憧れて訪れたのか?」


「それはちょっと違うかな」


 エミールの話では、シャルリーヌが英雄に憧れているというより、英雄の成し遂げた経緯を知って、シャルリーヌも同様に困っている人を助けるというのが大きな理由。

 憧れの対象は別に存在し、それが英雄の仲間である偉大な魔法使い。

 その偉大な魔法使いは、世界で一番の最強の魔法使いとして有名な偉人で魔法使いなら誰もが憧れを抱く人物という。


「英雄だの偉大な魔法使いだの、ファンタジー要素盛りだくさんだな」


 一通りエミールから歴史の一部を傾聴したところで、ほくほく顔のシャルリーヌが戻ってきた。


「やっぱり、ここに来て正解ね! 町の人達はいい人だし、英雄の話も興味深く、もっと知りたくなったわ!」


「王立図書館に英雄について書かれた文献があるみたいだし、自由に訪れることができるなら行ってみようか。ただ、しばらく滞在するから宿の確保が先だね」


 エミールの言葉に頷いたシャルリーヌは未だに瞳をキラキラと輝かせていた。そんな姿にキョウヤは胸が高鳴りつつも微笑ましかった。

 ふとキョウヤはエミールが言った”宿”という言葉に、ポケットに手を入れた。中には当然何も入ってなかった。そもそも財布を持っていたとして、日本通貨が異世界では使用できないだろう。そんな訳で今のキョウヤは無一文である。


「お、俺、宿代ってか、お金持ってないんだけど?」


「お金? あー硬貨の事か。それなら問題無いよ。キョウヤの分もボク達が出してあげるから。見るからに硬貨を持ってないのは一目瞭然だからね」


「え? 本当に良いのか?」


「大丈夫よ! 実はこう見えて私結構持っているのよ!」


 シャルリーヌ達には助けられてばかりで恐縮する思いだった。もしかすると何か裏があるんじゃないかと勘ぐってしまう。美少女であるシャルリーヌで油断をさせて美人局に会うとか、異世界でそんな手口があるのか疑問だが、そんな事を考えたキョウヤ。

 しかしシャルリーヌの屈託無い笑みを視界の端に映して、自分がどれだけ愚かな考えをしたのだと恥じた。まだ会ったばかりでシャルリーヌやエミールの事を何も知らないが、奇異の服装をしたキョウヤの事を何の疑いもせず、親切にしてくれて悪い人ではないのは明白だ。


「あ、……あ……りがと……」


 謝辞を言葉にしたキョウヤだが、声は小さく町の喧騒に掻き消えてしまったためシャルリーヌには届かなかった。

 しばらくして拠点となる宿に着くと宿主は、余所者であるキョウヤ達に満面な笑みで歓迎してくれると、宿代を安く提供してくれた。銀貨一枚を渡したシャルリーヌ。それが安いのかどうかキョウヤには分からなかった。


「英雄の事を知るために訪れたのかい? それは大いに歓迎だよ! ということは英雄像や王立図書館に行く予定があるのかい?」


「はい!」


「それなら英雄の友人がここルサント王国に住んでいる事はご存じかな?」


「え? 英雄の友人がいるんですか?」


「かつて英雄と語らい友人となったエルフがいた。そのエルフがルサント王国に今も住んでいるって話しさ。ただ噂だから本当に実在するのか不明だけど、王立図書館の司書なら詳しい事を知っているかもね。聞いてみると良いよ」


「英雄の友人……ということは英雄がどんな人なのか実際に聞く事が出来るかもしれないって事ね。もしかすると偉大な魔法使いのことも聞けちゃうのかも」


「ほう? 偉大な魔法使いか。英雄の仲間の一人で数々の功績を称揚され、世界で一番強いと謳われた魔法使い」


「実は私魔法使いで、その偉大な魔法使いに尊敬を抱いてるんです! いつか偉大な魔法使いのようになりたいって思っていて!」


 そんな宿主とシャルリーヌは会話をしている中、キョウヤは隅の方で影を薄くしてシャルリーヌ達の会話が終わるのを待っていた。


「どうしてキョウヤは隠れるようにしてるんだい?」


「俺は元々コミュ障で人見知りだから、初対面相手に喋る事が出来ないんだよ」


「それは難儀なことだね。でもボクとは普通に会話出来てる感じだよね? シャルとは未だに会話出来ていないけど」


 なぜエミールとは会話が出来るのか、小さな竜の姿をしたエミールに目を向けてしばし考える。姿形は掌サイズの竜で、少し厳つい感じの顔をしているが、どこか愛嬌を感じる。

 人ではないから会話が成立しているのか?

 もしエミールの性別が雌なら会話は成立するのだろうか?

 様々な疑問を生じるが答えが見つからない。


「人以外なら大丈夫なんだよ」


「本当に難儀だね。でもボクもシャルリーヌ以外と会話が出来て少し嬉しく思うよ」


「え? まさかコミュ障仲間?」


「その言葉の意味は分からないが、恐らく違うよ。ただボクの存在は希有で、人種相手に恐れられているんだよ。本来ならこの場所にいるだけで怯えさせる」


 エミールの表情は相変わらず分からないが、何となく憂愁を秘めた表情をしているように見えた。


「……他の人はエミールの姿を見ても怯えているように見えなかったけど?」


「それはボクの姿形の認識を変化させているからだよ。キョウヤからボクは、本来の姿である小さな竜に見えるけど……いやこれが本来の姿というのは少し語弊はあるけど、とにかくキョウヤ以外からはボクの事は精霊にしか見えないだよ。そういう術式を今施してるからね」


 魔法についてからっきしのキョウヤには到底理解出来ない概念。今もなお術を展開しているのなら、魔法使いなら魔力の機微を察知することが出来るのだろう。


「ん? でも俺には本当の姿に見えるんだよな?」


 そこでキョウヤは疑問を口にした。


「う~ん……一応キョウヤにも術式は発動しているんだけど、どうもキョウヤにはその術式が効かないんだ。理由は分からないけどね。でもボクの姿を見て、怯えなかったのは君で…………アレ?」


 急に険しい顔で、顎に手(?)を器用に添えて疑問符を浮かべたエミールは、「キョウヤ以外にも……?」と呟いていた。

 何のことか分からず黙っていると、宿主とシャルリーヌの会話が終えてキョウヤ達に近づいて来ると、シャルリーヌがジト目でキョウヤを非難がましく凝視してくる。視線を受けたキョウヤは耐えられず顔を背けた。


「キョウヤとエミールが楽しそうに話してた」


 そんな羨ましそうな声音でシャルリーヌが言葉を吐くが、もちろんキョウヤは言葉を詰まらせて何も言えず黙っていた。



 宿主が二階へ上がり、その後を付いていったキョウヤ達。

 案内されたのはベッドが二つある部屋。もう一つの部屋も案内されると思っていたキョウヤだが、宿主は「ごゆっくり」とにこりと笑い部屋を出て行った。


「えっと……俺の部屋は?」


 当然の疑問が漏れるが


「キョウヤの部屋もここだよ?」


 そう答えたシャルリーヌ。


「え? だ、だってお、俺……男だよ?」


 顔をエミールに向けて喋るがエミールはベッドの端で丸くなっていた。既にお休みモードとなって、真面に会話出来る相手がいなくなった。

 しかし、それよりもキョウヤは重大な局面に立たされて、コミュ障なんて発症している場合ではない。このままではキョウヤはシャルリーヌと寝所を共にするに事になる。正確にはベッドは別々だが。


「ん? 知ってるよ?」


「え?」


「え?」


 シャルリーヌはキョウヤの言わんとしていることに、疑問符を浮かべて首を傾げた。どうやら同じ部屋で男女が一緒にする意味が分かっていなかったようだ。

 キョウヤの常識が異世界に通じないのだろうか。

 もしかするとキョウヤが知らないだけで、異世界では男女が同じ部屋で寝る行為は普通なのか。もはや常識と言ってもいい。

 キョウヤの中で美少女と一緒に過ごせる歓喜と困惑が同居し、苦悩して頭を抱えた。


「異世界ではこれが普通なのか? それとも俺は異性だと思われていないのか? それはそれで複雑な思いがあるけど、俺はシャルリーヌと一緒の部屋で嬉しいけど……って、べ、別に俺は疾しい気持ちなんかないぞ? やっぱり、美少女と同じ部屋だと色々と問題が……」


「えっと……キョウヤは私が一緒だと嫌だったの?」


 思い悩むキョウヤにシャルリーヌは胸の前で両手をぎゅっと握り、憂いを帯びた表情をする。そんなシャルリーヌの姿を映したキョウヤは狼狽すると。


「あ、……え……い、いやじゃ…………ない」


 むしろ嬉しくって小躍りするほど感激している。

 今までの人生の中で、異性と同じ部屋に泊まった事など一度もないのだから。そもそも異性と同じ部屋で泊まるってこと自体、キョウヤがいた世界でも普通ならあり得ないイベントだ。


「なら問題はないと思うけど……?」


 眼帯をしていない方の翠玉の瞳が不安に揺れてキョウヤを上目遣いで問う。そんな姿にキョウヤは息が詰まり、心の奥から沸き起こる感情が奔流するのを必死に阻止し、シャルリーヌから視線を外す。その時、悲しみの感情が垣間見て胸が締め付けられた。

 直ぐに返事しようと、必死に言葉を紡ぐ。


「えっと…………よ、よろしく、お、お願い……します」


 パァっと花が開いたように笑みをこぼしたシャルリーヌは「こちらこそ!」と明るい声で答えた。もう何度目になるか分からないシャルリーヌの笑顔にドキッとさせられるキョウヤ。


「…………」


 それにしても、こうも無防備な姿を晒すシャルリーヌに若干不安な気持ちを抱いていた。キョウヤはコミュ障であるから、相手に手を出す甲斐性を持ち合わせていないので問題はない。男として情けないと思われるだろうが。

 それはともかく、もし相手が鬼畜で、平気で貶める酷い男ならシャルリーヌの純粋な気持ちを踏みにじり、シャルリーヌの事を性奴隷に服従させられないか心配していた。エロゲなら良くあるシチュエーション。


「それじゃあ、キョウヤともっと話したいから、エミールと喋ってたように会話してほしいな?」 

「え? えっと……」


 ベットに腰掛けるシャルリーヌの期待が籠もった視線を向けられて、キョウヤはチラリとシャルリーヌに視線を送ると目が合った。そして数秒で明後日の方向へ視線が外れる。

 コミュ障に取って、美少女と目を合わせるのは非常に困難な行為。


「どうして私と目を合わせないのよ? もしかして……本当は私の事……」


 シャルリーヌからこぼれる不安な声音がキョウヤの耳にまとわりつく。


「ち、……ちが…………」


 否定しようとするが、やはり声は紡がれず焦燥感が襲ってくる。

 シャルリーヌに勘違いさせてしまった。

 雰囲気が重くのし掛かり、居心地が悪くなるとキョウヤは内心で苛立ちが膨らみ悪態を吐く。


 ――どうしていつも肝心な所で声が出ないんだよ!?


 するとお休みモードだったエミールがむくりと起き上がると、溜息を漏らしていた。


「シャル、キョウヤも難儀してるのさ」


「…………」


 葛藤する気持ちが揺れ動いたシャルリーヌは眼帯に触れる。


「それはやめた方がいいよシャル。誰もが受け入れてくれる訳じゃないし、最悪……分かるよね?」


 エミールの声色はいつもの調子とは低い声で叱咤するように、冷徹な一面を見せられる。

 キョウヤは蚊帳の外に、エミールに問われたシャルリーヌは目を伏せて


「そんなつもりはないし……それに辛い思いするのも嫌だから。…………ダメね。こんな弱気な私は私じゃないわ。ごめんねキョウヤ。雰囲気悪くしちゃったみたいで。私はちょっと外に用があるから、キョウヤはエミールと話でもしててね?」


 そういったシャルリーヌの悲しげな横顔が目に映し、声を掛けようとしたキョウヤは、しかし何も言えずに部屋を出ていったシャルリーヌの背中を見ているだけだった。


「悪かったねキョウヤ」


「いや……」


 悪いのはキョウヤの方だ。


「……キョウヤはこれからどうするんだい?」


 今のところキョウヤにはこれといった目的はない。

 しかし異世界転生したのなら何かしらの理由があって呼ばれた可能性がある。その理由の心当たりは検討がつかないけど。

 しばしキョウヤはどうするか思案すると、先程のシャルリーヌの姿が脳裏に焼き付いた。


「……もし良ければだけど、しばらく一緒に行動してもいいかな?」


「それは構わないよ。ボク達の一応の目的はこのルサント王国に訪れることだったし、これからの事はまだ決めてないしね。きっとシャルも賛成するはずだよ。でもいいのかい? さっきのように、キョウヤが何も言わずに黙ってるとまた空気が悪くなるよ?」


 それは言外にキョウヤを責めるような物言いに聞こえた。キョウヤが全面的に悪いのだから、非難されて当然な報いをシャルリーヌにしてしまった。確かにキョウヤのコミュ障でまたシャルリーヌを悲しませかねない。

 しかし、こればかりは直ぐに改善できるほど、キョウヤのコミュ障は軽症ではない。


「ちゃんと会話出来るよう……善処するよ。そういえばルサント王国だっけ? シャルリーヌ達はここで英雄を知るために訪れたんだっけ?」


「そうだね。今日の所は休息を取って明日は王立図書館に向かう予定だよ」


 シャルリーヌと町の人が会話しているのを聞き耳を立てていたキョウヤは、ふと気になっていたのが英雄の話は語られるが魔王については一切触れられてなかったことだ。


「その英雄に討伐された魔王の事も少し知りたいんだけど……?」


「正確には封印したってのが正しいね」


「封印? って事は今も魔王は封印されて現存しているって事?」


「恐らくね。だけど伝承ではあまり魔王について語られておらず、一体どんな姿をしていたのか、誰も知らないんだよ。それを知るのは英雄達、だけど英雄達は魔王について一切話さなかった」


「正体不明の魔王ね……」


 魔王について何も情報を開示しない事に少しだけ疑念が生まれる。本当は魔王なんて存在せず、ただその英雄と呼ばれる者が英雄と囃し立てられたいために、捏ち上げたのではと疑う。千年前の出来事なので確かめようがないけど。


「アレはちょっと特殊な存在だからね」


 エミールから発した抑揚のない声を聞いたキョウヤは、不思議に感じてエミールに視線を向けると、目を細めて虚空を眺めていた。


「……? それってどういう意味だ?」


「ん? …………ごめん、なんでボクもこんなこと言ったのか分からない」


 エミールは険しい表情で、自分の発言に首を傾げた。エミールの言葉の真意について特に気にすることなく、魔王の詳しい話を耳にしなかったので、何となく訊いてみただけで執着はしなかった。

 今度はシャルリーヌが人々の役に立ちたいという理由を訊いてみることにした。


「う~ん、それについてはボクの口では言えないかな。シャルとキョウヤの距離感は微妙でしょ? それにそういうことは直接本人に聞いて」


 素気なく突き放した言葉で答えられ、キョウヤはこれ以上何も言えなかった。

 もしこれがギャルゲーなら二人の好感度はほぼゼロの状態。

 会ったばかりでも、二人から普通に声を掛けてくれるし、普通に答えを返してくるが距離感は一向に縮まらず、どこかで拒絶されているような感じはしていた。

 それはキョウヤのコミュ障が一因して、特にシャルリーヌには顕著で嫌われている可能性がある。そう考えに至ったキョウヤの顔は真っ青になる。


「……それってヤバくないか?」


 これでは元いた世界と変わらず、いずれキョウヤからシャルリーヌ達は離れていってもおかしくない。

 せっかく第二の人生を歩み始めているのに、コミュ障が原因で異世界で引きこもり生活を送る嵌めになる。いや、そもそも異世界にキョウヤの居場所など存在せず、ただ放浪し、無為の時を過ごし、やがて一人では何もできずに朽ちていく。

 そんな未来の窮境を想像したキョウヤは切迫感に息が詰まる思いをする。


「……もうちょっと踏み込んで、シャルリーヌともちゃんと話せるようにしないと」


 キョウヤの呟きにエミールは何も言わず、キョウヤの事を何の感心もない空虚な瞳が向けられていた。

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