第一話 眼帯の少女

 目を覚ました少年――桜間恭也は目の前の光景に困惑していた。

 今いる場所はどこまでも続く草原がそよ風に揺られ、恭也の前方は広大に見渡せる風景を映していた。後方には中世ヨーロッパにあるような大きい城が中心部に聳え立って、その周りには町が点在しているのか、建物が見える。いわゆる城下町と呼ぶのだろうか。


「マジでここどこ? ……一応推測として、過去にタイムスリップ説。つっても、明らかにそれはアレでタイムスリップ説は選択肢からなくなるが」


 アレと呼ぶ恭也が目にしたのは空に浮かぶ島。そんな地球ではあり得ない光景が、実際に恭也の目に映っていた。

 島が浮かぶなんて、まるでファンタジー世界である。とある呪文を唱えると崩壊するのか疑問に思った恭也は試しに呪文を口にするが、何も起こらなかった。


「そうなると異世界に飛ばされた説?」


 なぜこんな場所に恭也は倒れていたのか、記憶を遡ろうとして最初に真っ赤な血に染まった自分の手の映像が過ぎった。

 もっと記憶を探って他に何か思い出せないか試みると、次に浮かんだのは横断歩道を渡る恭也の姿。しかし、最後まで渡れず、赤信号を無視したトラックが迫ってくるのを視界にいっぱいに、それから衝突した恭也は視界が何度か回転して地面に横たえる。

 そこまで思い出した恭也は自分の手を見てポツリと声を漏らした。


「俺……死んだのか?」


 そんな記憶を有していたのなら、当然行き着く答えは死亡という二文字。

 普通なら、自分が死んだと知ると戸惑い、取り乱すなどするところだが、恭也は至って冷静に物事を判断していた。


「異世界に飛ばされたわけじゃないのか?」


 異世界に飛ばされた説。

 これは先程恭也の記憶にあったトラックに轢かれて死亡したことによって、その選択肢もなくなる。


「ということは、ここは天国? いやいや俺が天国行けるほど善行していたか? でも地獄に落ちるほど悪行を犯したつもりはないし、コミュ障で人見知りの俺がそんな事できないしな。あ、でも悪口は悪行に入るのか? 仮にここが地獄だと仮定しよう。地獄っていうのは、なんかとても熱く、火山にいるような感覚? 多分イメージ的にはそんな感じだが、そもそもこの場所はそんな地獄のイメージとはかけ離れている。なら天国? まあ、それはそれでラッキーって感じだけど……」


 思慮をめぐらせて、恭也は自分が滔々と声を漏らしていることに気付いていなかった。

 そして、恭也以外の人物が恭也の事を驚きと奇妙な視線で見られていることに気が付いてなかった。


「あの……?」


 華やかで澄明な声が恭也の耳に衝撃を受けて、ビクッと肩を揺らすと、恐る恐る声がした方へ目を向けた。

 一番最初に視野に映ったのは、絹糸のような美しいアッシュブロンドの長髪。

 右目は眼帯に覆われ、左目は燦爛と翠玉の輝きを放つ明眸。

 端麗な顔立ちに楚々とした優しげな雰囲気を纏った美少女。

 短いスカートに派手さのない服装、その上に羽織った淡い桃色と白を基調とした華麗な衣装に、彼女の容姿と相まって可愛さが一段と増す。

 ふと脳裏には、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花という言葉が浮かび、まさに彼女はその言葉にふさわしい容姿をしていた。


「………………」


 恭也はしばらく彼女に目を奪われて見惚れていた。

 今までの人生の中で、これほど目を奪われるような美少女に出会ったことがなかった。


「大丈夫ですか?」


 彼女は困惑した表情をする。

 そんな彼女も可愛いと思い、答えることが出来なかった。


「………………」


 いや、確かに彼女に目を奪われ、声が出ないのは本当の事であるが、しかし、恭也にはもう一つ声が出せない理由があった。

 それはコミュニケーション障害――略してコミュ障である。

 他人を前にして、ましてや相手が美少女だと恭也はコミュ障を発症して会話するのが困難な状況に陥る。

 過去、中学校に上がってから女性と話した事は母親を除いて数少ないが、高校生に上がるとほぼゼロ人。数人ほど女子に声を掛けられた事があるが、結果は声が吃って会話が成り立たないことはしばしば。そんな恭也を女子から気味悪がられ、友達もいないぼっちだったため学校に行くのが辛かった。

 そんな悲惨な過去を持つ恭也はどうしたものかと考えるが、こればかりはどうしようもない。


「急に黙っちゃって、そんなにシャルの事が可愛くって魅了されたのか? ふふん! 確かにボクのシャルはこのとおり、可愛くって自慢の妹だけど、君のような訳の分からない人種にシャルは渡さないからな?」


 もう一つ、声がして視線を向けた恭也は驚愕した。

 掌サイズの竜がシャルと呼ばれる彼女の周りを飛び回って、ファンタジーに登場する小さな竜が自慢げに彼女を誇っていた。


「しゃ、喋った!?」


「なんだよ。君だって喋れるじゃん」


 喋る竜に驚愕した恭也はそこで再び思慮をめぐらせる。


「え? ちょっと待ってくれ、ここって天国じゃないのか? 目の前の美少女は、俺を連れて行ってくれる天使だと思っていたが……この小さい爬虫類? 竜に見えるけど、竜なのか? いや、そんな事はこの際置いといて、もしかするとここは地獄の可能性も大いにあるかも。ということは目の前の美少女は悪魔? こんな可愛い悪魔なら連れて行かれても文句はないが、というか是非連行してくれ!」


 思っていたことは全て声に出して漏れていた。


「えっと……あ、ありがとう? ってそうじゃなくって、本当にあなた大丈夫なの? どこか頭打っておかしくなったりとか? それなら治癒した方がいいかも。えっと……ちょっとごめんね」


 思慮から脱すると、恭也の視界に彼女が接近してきて、恭也の頭に手を伸ばした彼女は何かを呟いた。何を言っているのか聞き取るより、彼女の顔が間近にあることに恭也は一瞬にして顔が真っ赤になると、その場から一歩下がる。しかし、彼女は再び距離を詰めてきて。


「……っ!?」


「あ! ちょっと、どうして離れるのよ!」


 お互い何度も一進一退を繰り返して、足がもつれた恭也は尻餅を着いて倒れる。そして、当然彼女も倒れて恭也に覆い被さる。その時に絹糸のような彼女の髪が恭也の頬を撫でて、甘く蕩けるような香りが鼻孔をくすぶった。


「――――っ!?」


 ようやく動きを止めた恭也に、彼女は満足して恭也の頭に掌をかざすと、何か温かく心地よい熱が浸透する。しかし、恭也はそれどころではなかった。


「これでよし!」


 密着状態で、至近で彼女の満面な笑みを魅せられた恭也の心臓の鼓動は、普段より数倍速めて破裂しそうなほどドキドキしていた。


「ど…………ど…………」


 退いてくれないかと、言葉に出したかったが声帯に障害を負ったように発音ができない。そんな恭也の様子に彼女は不思議そうに、燦爛とした翠玉の左目に見つめられる。


「ボクのシャルになんてことするんだ君は。消し炭にされたいのかい?」


「俺は被害者だ!? 退いてくれよ!」


「ボクに言われても」


 喋る竜に無罪を訴えて、ようやく彼女に退くよう意思を伝えるが、声を発した相手は喋る竜で困った声音で苦笑する。


「ご、ごめんね! わ、私重いよね……。はぁ~、もう何やってるのよ私は……」


「あ、……いや………………」


 配慮ある言葉は紡がれず、コミュ障がを邪魔してくる。何でこうも女性と会話を交わせないんだと自己嫌悪に陥った。

 そして思慮をめぐらせ始めた恭也は滔々と例によって声に漏らす。


「女性に対して重いは失礼だよな? この場合はむしろもっと乗ってくれても構わないと伝えるべきか? 声に出せれば別に良いんだが……コミュ障のせいで! いや、待て、もっと乗ってくれって言葉はおかしくないか? それじゃあ俺が変態みたいじゃないか!? まあ確かに美少女に乗られるのは悪くないけど、むしろもっと堪能したいというか……ってやばいこの変態的な思考から脱却しないと。ん? ちょっと待てよ? その前に彼女はさっき俺に何をしたんだ? 治癒って言葉を聞いたが……」


「君の言うとおり、シャルは治癒したんだよ」


「なぜ俺の心の中と会話してる!?」


「声に出してるよ?」


「……マジか」


「私とは会話すらしてくれないし」


 喋る竜によって、衝撃的な事実を知った恭也。そして、落胆する彼女に申し訳ない気持ちで顔を合わせるが、やはり声が出てこない。

 このままではせっかく美少女との邂逅が、コミュ障のせいで敬遠され、今までと同じ結果を辿ることになる。

 これからコミュ障改善を心懸け、胸に刻んだ恭也は深呼吸して心を落ち着かせる。


「もしかして俺は天国じゃなく、地獄でもなく、やっぱり異世界に飛ばされた? 元の世界で俺は死んだって事は異世界転生?」


 再び浮上する異世界説。

 それも異世界に飛ばされた説ではなく、異世界に転生した説。

 島が浮かぶことといい、喋る竜といい、不思議な力といい、目の前の美少女……は関係あるか甚だ疑問だが、それから恭也が見知らぬ世界に来たこと、それらを加味して考えると異世界転生説が最も信憑性があるだろう。

 そんな恭也を余所に喋る竜が「異世界?」と首を傾げて、うんうん唸っていた。


「エミールどうしたの?」


「う~ん、何か引っかかったような気がしたんだけど……何だろう。まあボクの気のせいだと思うから、気にしなくてもいいよ」


「そう?」


 二人の会話を聞いていない恭也は喋る竜に顔を向けて


「えっと、そこの喋る竜?」


 恭也に呼ばれた喋る竜は「ああ」と声に出して


「そういえば、お互い自己紹介がまだだったね。ボクはエミール」


「私はシャルリーヌ。よろしくね?」


 一人と一頭(?)が名前を名乗って視線が恭也に集中する。若干息が詰まるのを感じたが、コミュ障改善のために訥々と答えた。


「お、お……俺は……桜間………恭也」


 何とか言葉を紡ぐ事に成功し、二人の視線から逃れるように顔を背けた。


「サキュマ……キョウヤ? 変わった名前なのね」


 怪しい発音で不思議そうな顔を向けるシャルリーヌ。しかし、エミールの方は竜の顔をしているせいか、その表情は何を考えているのか分からない。何か思案しているようにも見えた。何か気になることでもあったのだろうか。


「キョ……キョウヤでいいよ。えっと……シャ……シャルリーヌさんこそ……」


「あ、私の事は普通にシャルリーヌもしくはシャルで大丈夫だから」


 いきなり呼び捨てはキョウヤにとって難易度の高い要求だった。それに”シャル”というのは愛称で、さすがに初対面でそう呼べる仲でもないし、キョウヤは身程知らずじゃなかった。妥協してキョウヤはシャルリーヌと呼ぶことにした。


「シャ、……シャルリーヌは何で眼帯してるんだ?」


 何か会話を繋げないとと言葉に出したのは、先程から気になっていた眼帯だった。当然、シャルリーヌに目を合わせて喋るのが困難なキョウヤはエミールの方に向けて質問した。

 しかし、視界の端に映ったシャルリーヌの顔が伏せているのに気付いた。キョウヤはデリケートな部分に触れてしまったのかと軽く後悔する。


「う~ん、シャルにも色々とあるから察してね?」


 踏み込んでくるなと突き放した声色で言うエミール。

 最初っから失敗したキョウヤは慌てて話題を変えようと次の質問をした。


「その……治癒ってどういうことだ?」


 一般的には治癒という言葉に連想するのが、消毒液やガーゼを用いて時間を掛けて治す事だ。しかし、実際にシャルリーヌがした行為はただキョウヤの頭をかざし、温かい熱に癒やされたような心地よい感覚のみ。治癒と言われると不思議な行為であるが、ふとキョウヤは”治癒魔法”という言葉が脳裏に浮かんだ。

 魔法という概念が存在しない地球。魔法はファンタジー世界で良く耳にする創作の中の概念で、普通なら考えが及ばない単語。

 魔法という言葉に至った理由は、キョウヤがアニメやゲームが好きなオタクだからである。きっと誰もが憧れる魔法を自由に扱いと一度でも夢想するだろう。


「うん? 治癒魔法のことかい?」


「やっぱり魔法か……。ち、治癒魔法といえば水系統って事……なのか?」


「私が得意なのは風系統の魔法で、水系統は基礎しかできないんだけど、それでも魔物に襲われて怪我を負ったときに役に立つから治癒魔法を覚えたのよ」


 キョウヤの疑問に答えたシャルリーヌは曖昧な笑みをこぼす。


「シャルって怪我を負う前に、やっつければ問題無いって意気込んでいたからボクが進めたんだよ」


「ちょっとエミール!? それは言わないでよ! 私が猪突猛進の変な人だと思われるじゃない!」


 シャルリーヌの意外な事実を聞いたキョウヤは微笑すると、それに気付いたシャルリーヌのジト目が突き刺さりキョウヤは目を泳がせた。


「やはり異世界転生説が有力か。島が浮かんでるし、魔法が実在して、喋る竜も存在するファンタジー世界。そういえば、異世界転生した時って確かなんかの力を得るって定番の設定があったけど……今のところ自分にそんな力があるような感覚はない? あっても俺じゃあ使いこなせないし、宝の持ち腐れだろうな」


 なぜキョウヤが異世界転生したのか理由は定かではないが、ここからキョウヤの第二の人生が始まることとなる。それは良いことなのか、悪いことなのか、今のキョウヤには分からないが、一つ分かるのはファンタジー世界に胸躍る冒険と萌芽の予感に期待が膨らんでいることだ。

 そのためにはキョウヤのコミュ障は邪魔であるが、それはこれから改善しようと考える。

 キョウヤの取り柄の一つである適応力が発揮し、異世界転生を受け入れると早速情報収集に取りかかろうとした。


「こ、ここは一体どこなんだ? どうしてシャ、シャルリーヌ達がここに?」


「あ! そうだよ! キョウヤがこの場所で倒れていたから、どうしたのかなって気になってたの。置いていくのも悪かったからキョウヤが起きるまで待ってたんだ」


 思い出したように手を叩いて話すシャルリーヌ。


「ちなみにここはルサント王国、キョウヤの後方にルサント城があるでしょ? って、これは誰もが知っていることなんだけど……キョウヤはもしかして記憶喪失なのかい?」


「あ、いや……」


 何と答えたものか考あぐねる。

 異世界に転生したなんて普通なら信じて貰えるはずがない。ましてや、さっき会ったばかりの初対面である。頭を打っておかしな妄言を話し始めたと思われる。ここは定番の東から来たと言うべきなのだろうか?

 しかし、冷静に考えると、異世界の地理を知らないキョウヤにとって迂闊なことを喋られないと判断すると、エミールの言うとおり、記憶喪失という設定で二人にそう話した。


「それじゃあ、自分が何でここにいるのか分からないの?」


「ま、まあ……」


「これは困ったね。シャル、どうするの?」


「乗りかかった船だし、放っておけないから私達に付いてくるというのはどうかな?」


 そんなシャルリーヌのありがたい提案にキョウヤは賛成し、お礼を言った。ただしエミールに顔を向けて。それにシャルリーヌは不満だった。


「で、でも、いいの? シャ、シャルリーヌからしたら、俺はす、素性も分からない輩だよね?」


 キョウヤの格好はTシャツにジーパンというラフな格好。普通なら別に気になる服装をしていない。しかし異世界となればキョウヤの格好は変に映るだろう。


「困っている人を見かけたら助ける、これが私の行動指針なの。確かにちょっと怪しい格好だなって思っちゃってるけど、私達だって変わらないからね」


 眼帯に触れて苦笑するシャルリーヌの表情はどこか悲しげに映ったように見えた。


「シャルがそういうなら反対はしないよ」


 こうしてキョウヤはシャルリーヌ達に同行することとなった。

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