72. 恋が終わる瞬間

「東二番通りで魔物の出現を確認。数は1!」

「五条通りも、同じく1!」

「川沿いは3です。ただし、小さい」


 次々と走って来て、走り去っていく。伝達が届くのはまっすぐに立つ隊長の下のはずなのだけれど。


「駒場。聞き漏らすなよ」

「は~い……」

「言われた場所を地図にしるしていけ」

「うっす」

「時刻も書いておけ」

「へ、あ、はい」


 体の前に抱えたのは、大きな画板。その上に鉛筆を必死に走らせる傍から、5だの駅前通りだのと、話が届く。


「やべえ、追いつかねえ」

「ボサボサするな、次は布街の西南だ」


 横から別の朱色の鉛筆が伸びてきて、大きく×印を付ける。

 懐中時計を取り出した隊長が、十一時半だ、と言った。


「うおおおおおお……」


 聴いて書いて聴いて書いて、ふと何も聞こえなくなって、顔を上げる。


「あれ?」

「伝令が途切れたな」

 時計の蓋を閉めながら、柳津隊長が息を吐く。

「魔物の出現が途切れたか、伝令部隊の手が追いつかないほど湧いてきたのか」

「前者であることを祈りますよ、切実に」

 吉田曹長も息を吐く。それから、颯太の持つ地図を覗き込んできた。

「今日最初の出現が十時二十五分。一時間経ちますが、出現数に変化があった感じはしませんね」

「だが、場所の法則性は見えるな」

 颯太が両手で支える地図を、高辻副官も覗き込んで、指先で叩く。

「一見バラバラだが、端を結ぶと円が描ける」

「だから、中心地があると考える?」

「ああ」

 ふむ、と上官たちが唸る。颯太もそろりと地図を覗き込んで。

「なんかこれって」

 と、瞬いた。


「倖奈の住んでる辺りが中心っぽくないっすかね」


 瞬間、脛を蹴られた。画板は大きく揺れて、地図が飛ぶ。


「何するんですか、吉田曹長!」

「黙らせるための行動だ」

「パワハラ! 良くない!」

「おお、語彙力だけは一丁前だな」

「だから!?」


 ジト目で睨まれるのを、正面から睨み返す。だが、溜め息が聞こえたので、視線を動かす。

 その先では、隊長殿が腰をかがめて、地図を拾うところだった。


「冗談はさておいて」

 と、地図を広げ直しながら隊長は笑う。

「東側で多い。シロが関係しているんじゃないだろうな」

 吉田が隊長の横に立つ。

「あの半人半魔物の御仁が逃げた先は、こっちだと思います?」

「おかしくはないだろう。あいつの主張では、自分をなんとかするために、倖奈を使いたいって言うんだから」

 笑みを歪めて、隊長殿は地図を颯太に放ってきた。

 わっと声を上げて受け止める。その前にもう、隊長たちは歩き始めている。


「取り敢えず、向かいますか?」

「ああ、取り敢えず、な」

「取り敢えず、じゃないだろう!?」


 突然、割り込む声。

 皆で一斉に振り向く。その先では、背の高い人が、両方のこめかみを指先で揉んでいる。


「今回、第五部隊は出動からは外していただろう? それなのに、此処で何をしているんだ」

 形の良い眉は顰められ、本当なら柔らかな笑みを浮かべるのだろう唇からは溜め息が零れている。

 濃紺の肋骨服には、いくつもの徽章が光る。袖の刺繍は大きな金色の物。颯太とは格が違う。


――なんで鎮台の司令官様がこんな末端に!


 彼の背中の向こうに馬車が止まっていたから、あれで来たんだな、と思いつつ。隊長たちに倣って、右手を挙げる。

 敬礼を保ったままの柳津隊長の前へと、秋の宮はつかつかつかと進んだ。

「第五部隊はいついかなる時でもヤル気だね」

「お褒めにあずかり恐縮です」

「褒めてないからね! 特に君を!」


 わずかに腰をかがめて、秋の宮は柳津大尉に顔を近づけた。

 そして、かすかに震えた指先が、大尉の首元を示す。

 いつもより緩められた襟元からは、白い包帯が覗く。


「病院」

「厭です」


 一言ずつの応酬。秋の宮は頬を引き攣らせる。


「ちゃんと治療を受けて、完治という診断が出るまでじっとしててくれ。これは上官命令だ」

「受けかねます」

「死にかけたって自覚ある!?」

 叫び声が上がる。だが、隊長はまるで驚かず。

「あります」

 そう、苦そうに笑った。


「今回は生き延びたんじゃないということも、重々承知しておりますとも」

 視線がちらりと、横に動く。衛生兵もまた、顰め面で頷いた。

 姿勢を戻した秋の宮が、また溜め息を吐き出す。


「なんかの時は、即刻病院に送るからね」

「その時は俺が殴って気絶させて、抵抗もできぬようにさせます」

「頼むよ、高辻君!」


 天を仰いで、秋の宮が踵を返す。馬車から飛び降りてきた別の軍人が、宮に何事かを話しかけている合間に。


「おい、律斗……」

 珍しく、隊長殿が低い声を出した。

「殴って気絶させてって」

「無抵抗にする有効な手段だ」

 副官はしれっとしている。

「そうじゃなきゃ、彼女に泣きついて貰うかですね。手はいくつか用意しておきましょう」

 衛生兵も平坦な声で続ける。

「おまえらなぁ……」

 喉を鳴らして、隊長が肩を落とす。

「俺はい部下に恵まれているな」

「そうでしょうそうでしょう?」


――俺もそのい部下に含まれますよね!?


 問おうとした時。また走ってくる足音がする。


「東通りで7!」

 伝令の叫び声に。

「増えたな」

 と、皆が笑みを消す。

 足音が、告げる声が続く。


「駒場! 地図!」

「はい!」

 殴り書きだらけになった紙を突き出す。

「円の端が西進していますね」

「じゃあ、ご本尊も西進中だな」

 隊長殿が、すす、と地図の上で指を動かしていく。そして、ぴたりと止める。

「落ち合うのはこの辺りでいいな」

 くるっと振り向いて。隊長が地点を告げると、あっという間に伝令たちはまた走り出す。


「僕らもそこに向かう?」

 足音に声が混ざって、え、と振り向く。そこでは秋の宮が笑っている。


「まだいらっしゃったんですか」

 苦笑する柳津大尉に、宮将軍は胸を反らした。

「今日は大一番だからね」

 ふふん、と鼻息の荒い将軍の一歩後ろでは、別の軍人が肩を震わせている。

「ヤル気なのは宮様もなので、ご容赦ください」

「いえ…… 現場の高揚に繋がりますから」

 よろしいのでは、と言って大尉も笑っている。


「じゃあ、行こう。馬車が早い」

 そう言って、全員が一つの馬車に飛び乗る。

 結果、狭い。



――ってか、俺も乗るの!? 末端の二等兵が高貴な血筋の将軍と同じ馬車とかやばくない、ねえ菜々子!!



 地点に近づけば近づくほどに、花の香りが強くなる。

 それこそ、狭い馬車の中でも分かるほどに。


「また何かしでかしてるんじゃないだろうな」

 ぼそっと隊長殿が呟く。

「してるかもしれませんね」

 受けたのは衛生兵だ。

「確証はないですけど、危険なものっぽいですから。使うのは止めさせないと」

 唸り声は、ああ、という声が受け止めた。

「さっさと捜さないとな」


 そう言っている間に停まった馬車から、副官が飛び降りる。その背中を隊長殿の声が追いかける。

「遠慮はいらないぞ!」

 途中で数人、合流して、走って行く。


 逆にこちらへと走ってくる人たちもいる。肩章の数字は『伍』。伝達どおり、みな集まってきていたのだ。

 その顔ぶれを見回しながら、笑う。

「吉田。救護の実施」

「了解です。隊長は無理しないでくださいよ」

 衛生兵が、隊長の背を叩く。ばしん、と音が響いて、痛、という声が続く。

 だが、隊長殿はまっすぐに立って。いつもどおり、皆の顔を見渡した。

「無理はするな。だが思い切り行け。刀を振れ。魔物を斃して、街と人を護ること――それが軍の役目だ、いいな」

 応、と声が轟く。駆け出す足音が続く。


 つられ、走りだそうとしたら、肩を掴まれた。

「駒場」

 振り返って、力強い手の主を見る。

「柳津隊長、俺の役目は」

 魔物と戦うことじゃ、と続けようとしたのに。

「情報をまとめ続けろ」

 そう返ってきて、瞬いた。

「ここが司令部だからな、ここに集まってくるからな。書き漏らすなよ」

「ほえ?」

 さらに瞬く。笑われる。

「いいな、ここから動くなよ」

「はい!?」

「俺は野暮用に行ってくる。戻ってきたら聞くから、しっかり話をまとめておけよ」


 にやっと笑って、隊長殿も大股で歩いて行く。

 追いかけられない。

 その場に残ったのは、将軍閣下とその秘書官。そして、颯太だ。

 吉田曹長もいるけれど、彼は他の衛生兵の面々と慌ただしくしている。次々と、怪我をしたらしい人たちが連れてこられているからだ。


――この状況。


 どっと汗が出た。背中を、顔を、滝のように流れていく。


 ――なんで置いてかれてるの!?

「マジでどうしたらいいんだよ、ねえ菜々子……!」


 つい漏れた叫び。秋の宮が振り向く。

「面白いね、君」

 くしゃっと笑われて。さらに汗が出る。

「え、あ、その」

「面白いなあ、第五部隊のみんなは。僕が直接指揮をしていた時もあるのに、知らなかったよ」

 笑みを浮かべた将軍は、そっと目を伏せた。

「柳津君だから、なのかなぁ」


――柳津隊長だから?


「おっかなくて、厳しい隊長ですけど」

 ぽろっと言葉が零れる。秋の宮は緩やかな視線を向けてきた。

「でも、好きなんでしょう?」

「好きって言うか」

 一度、息を吸う。それから。

「憧れてるのかもしれません」

 言って、自分で頷いた。


 ――そうだ、憧れなんだ。


「いいことだ」

 秋の宮がくすくすと笑う。

「僕にもいたよ、憧れた人が。同じように振る舞えたらと思っていたし、今は、すくなくとも。その人に恥じないようにいたいよ」


――そうかもな。


 隊長にも、菜々子にも。


――胸を張れるように。


「よし、頑張ります!」

 ふん、と鼻息荒く鉛筆を握りしめる。

 さて何を記録しておこうかと首を捻って。


「梅が咲いたんだよ」

「そうなの? わたしが見たのは躑躅よ」

「糸瓜も咲いていたなぁ」

 聞こえてくる、救護されている人たちの会話に。

「花が咲くと、魔物が逃げていくんだよ」

――そうなんだ。

 ふんふん、と頷いて鉛筆を走らせる。


「藤、向日葵、それと」

「竜胆と山茶花だ」

「あ、ありがとうございます」

「どういたしまして」


 横に立ってくれた秋の宮が、颯太の手が止まる度に次の話を繰り返してくれる。


――気さくな人だなぁ。


「桜って声もあるなぁ」

「これは多分、時季だから咲いていた分っぽいから外していいと思うよ」

「なるほど!」

「木槿や水仙ってほうを書いて」

「はい。あ、葉牡丹って声もありますね。 ……って、あれ?」


 秋の宮の声が聞こえなくなる。


――何かまずいことでも言った!?


 そろっと顔を動かす。

 変わらず隣に立ってくれている将軍は、颯太も救護されている人たちも見ていない。


――どうしたのかな。


 背の高い将軍は、颯太と視線の位置が変わらない。だから、その先を追うのは簡単だった。


 向かったのは、並木の陰。

 一人、女の子がいる。

 彼女の赤い唇が綻んで、可憐な声を零す。


「宮様……」


 聞こえた声の意味を理解して、横の人を振り向く。

「美波」

 その人もまた、声を絞り出していて。それが人の名前だと理解した瞬間、、颯太は唾を飲み込んだ。


「ここで何をしているの?」

 先に問うたのは秋の宮。

「それはわたしの」

 と彼女は言葉を切った。だが、駆けてくる。

 伸ばされた両腕はまっすぐ秋の宮へ。そのまま胸に飛び込んで、背中へと回される。

 背に触れるしろい手は、ゆるゆると震えている。


「宮様こそ、此処で何をなさっているの? 此処は魔物が出た恐ろしい場所ですのに」

「え、だって、魔物が出たからいるんでしょ?」


 思わず言ってしまった。それから、両手で口を押さえる。

 秋の宮の胸から顔を上げた彼女は、ぎゅっと颯太を睨んできた。


「あなたも、宮様を苦しめようとするのね」

「……へ?」

 身を引く。一歩下がると、ぎゅっと睨まれる。

「お優しい宮様を野蛮な場所に連れ出すの。人でなし」


 ぽかん、と口が開いた。

 その瞬間。

「でも、僕は軍人なんだよ」

 秋の宮が言った。

「率先して魔物に立ち向かっていく軍人だ」

「宮様?」

「そうでなきゃいけないんだ」


 ふっと笑って。彼は両手で、胸の中にいた人を押しやった。


「美波」

 よろめいた彼女は、目をまんまるにしている。

 秋の宮は真っ直ぐに立ち直る。

 すこし目を細めて、ゆっくりと声を出す。


「足を引っ張るのはもう止めて」


 言った秋の宮の顔は、どんどんと冷えていく。

 赤い着物の彼女は、何度も何度も瞬きを繰り返して。首を振った。

「そんな、宮様」

 するりと袖が揺れて、手が伸ばされる。その手が、白い手袋の掌に触れようとした瞬間。


「触るな」


 ぱしん、と乾いた音がした。決して大きくない、でも乾いた、よく通る音。

 手は宙で止まって、赤く腫れていく。


 かすかに眉を寄せてから、秋の宮はくるりと背を向けた。

 彼女の手を叩いた掌が、手は颯太の肩に乗る。


「駒場君、だっけ?」

「はい!」

「この場の役目は、救護と情報の取りまとめだったね。行こう」

 ふわ、と笑って、秋の宮は進んでいく。

「頑張ります!」

 ふん、と息を吐いて、颯太は将軍閣下を追いかけた。

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