66. 結果を受け止めること

 店の扉を開けると、 待ち合わせ相手はすぐに見つかった。向こうも史琉に気付くと、会釈を送ってきた。

 そちらの席へと歩きながら、懐から時計を取り出す。


 だから、相手はへらっと笑った。

「大丈夫です、五分前ですよ。僕がせっかちなんです」

「だけど、お待たせしたのには違いないでしょう。申し訳なかった――泰誠殿」

 椅子から立とうとする彼を片手で制して、テーブルを挟んだ向かいに腰を下ろした。


 鎮台の顔見知りのかんなぎと、こうして外で会うことになるとは想像していなかったと、じっと見つめる。

 ふっくらとした体格と目元に皺を寄せた顔立ちは、元軍人だとは思えない穏やかさだ。

 その、椋鳥のような色合わせの着物の襟元からは白いシャツがのぞく。テーブルの端には、濃い緑の鳥打ち帽と襟巻きが置いてある。

 鎮台や、魔物への対応で出かけたとは雰囲気が違う。私用での外出に合わせた装いなのだろう。


 一方で、自分はいつもどおり。濃紺の肋骨服に官帽、腰にも軍刀を下げたまま。


 だからか、相手は眉でハの字を作った。

「お忙しいところを申し訳ございません」

 哨戒と事務と訓練の合間を縫ってきた、というのは事実だけれども。

「ゆっくり出かけるというのも、楽しいですね」

 女給の置いていった珈琲を啜りながら、そう言う。


 泰誠も同じように一口飲み下してから、続けた。

「楽しいですよね。特に今日は散歩日和です。お日様が気持ちいい。でも風はまだ冷たくて。春は遠いなあと感じます」

 つられて、笑みを零す。

「そうでもないですよ。梅の香りがあちこちでしている」

「梅、お好きなんですか?」

「ええ、まあ」


 そこでもう一度、杯に口を付けてから。

「それと同じ調子で、倖奈を語るんですか?」

 と、泰誠は言った。


 まっすぐに向けられた視線を受け止めて。

「どうでしょうね」

 と首を傾げる。


――やっぱりこの話か。


 話がしたいと呼び出された段階で予測はしていた。それでも、いざ問われると心臓が跳ねる。

 表情が揺らがないように、と努めながら黙っていると。


「お気づきでしょう、柳津大尉」

 泰誠は真っ青な顔で続けた。

「僕もあの子を――」

「ああ、言わなくて結構。気付いてますから」


 結局、眉が跳ねる。もう一度珈琲を呑み込んでから、ゆっくりと言葉を並べた。


「同じ男として、ろくでもない奴に掻っ攫われるのは気に食わないでしょうから」

「そう、なんですよね。

 気がついたら、噂が本当になっていた。あの子が貴方と笑ってた。ひどく吃驚したし、傷ついた。何よりも、自分自身の甘え心に」


 くす、と小さな音を漏らしてから、泰誠はまだ喋る。


「せっかちな性格なんだから、それらしく、早く告げていれば良かったのにと後悔しています。長く傍に居すぎたんだ」


 同じ事を思う。かんなぎ同士付き合いも長い、だから言えなかったのだろう、と推測しながら、彼の言葉が続くのを待つ。


「傍にいることに甘えていたんだ。だから、何も分からなそうなあの子に余計なことを言って、こじれたら困ると臆病になって。あの子から目を逸らせなくなっている、そういう自覚はずっとあったのに、何もしないで過ごしてきたんだ。

 だから、知り合ってまだ一年経っていない貴方が、どうして、と思いもした」


 ね、と首を傾げられて。


「何故、あの子に目を付けたんですか。どうして、手を出せたんですか?」


 曖昧な笑みを浮かべる。


 気がついたら、と云う他ない。気がついたら、視線で追うようになって、会話を楽しむようになっていたのだから。

 でも、一応躊躇ためらいはあったのだ。


「私と彼女じゃ、年が離れてますから。如何なものかと思いはしたし」


 もしもの時に家族のもとにすぐに帰ろうとするのか、という問いかけが棘となって残っている。それを抜くことは未だできていない。

 なのに、この両手で簡単に抱えられる彼女なら欲張って求めてもいいかもしれないと、考えてしまったのは。


「贅沢なんじゃないかとも思うんですけどね」


 向かい合った相手は、目を丸くしている。

 それをじっと見つめて、史琉は嗤った。


「だけど、今更だ。手放せと言われてもお断りします」


 喉を鳴らし続けていると。

 泰誠の顔も、複雑な笑みを形作った。


「……僕が言うのもなんですけど。ずっと関係を続けようと思ったら、難敵は万桜様ですから」


 史琉は笑みを引っ込める。

「そうでしょうね」

 溜め息を零す。

 顔を合わせた時の、間違いなく値踏みされていた視線を思い出すと、苦笑しか浮かばない。

 そのまま、何を言えずにいる間に、泰誠が立ち上がった。


「お時間ありがとうございます、柳津大尉。言わずにはいられなかったというだけなんです」


 妙にスッキリした顔の相手と同じように立ち上がって、店を出る。

 鎮台への道をゆっくりと歩いて行くと、大通りを進んでいく一隊が見えた。


「今の哨戒は?」

「第二部隊のはずです」


 史琉の答えに頷きながら、泰誠の視線は、部隊の後ろをついて行く。


「軍は良いなぁと思うんです」

「そう、ですか?」

「魔物と戦うなら、軍人が良かった」


 そう言って彼方を向いたままの彼に、問いかける。

「以前は南方鎮台の所属だったとおっしゃってましたよね?」

 すぐに、そうだ、という返事があった。

「最後にお世話になった海野隊長は、士官学校で柳津大尉と同期だったはずですよ」

「ああ、あいつか」

 義父に送り込まれた士官学校で席を並べることもあった、とり澄ました顔を思い出しながら。


「シゴキは辛かったですけど、実際の戦いで全く役に立たなかったってことはないですし。むしろ今も、参考にしていることがあります。だから、かんなぎより軍人のほうが良いって思っちゃうでしょうね」

 泰誠の言葉に、相づちを打つ。

「雷を飛ばすよりも刀を振り回したほうが、早く魔物を斃せますよ、きっと」


 だから、思い至ったのか。


――誰でも戦えというのは心苦しい。


 いつだか、泰誠はそう言っていた。たしか、今日と同じように喫茶店で珈琲を飲みながら、新聞記者の斎と軍の意義について話していた日のことだ。


 白い手袋をはめた手を口許に当てて、眉を寄せ。


「復隊の意志は?」


 湧き上がった問いを、ためらわず口にする。

 振り返った泰誠は、まず目を丸くして、すぐに口許に力を込めた。


「あります」




 *★*―――――*★*




 テーブルの上に皿を置く。

 そこから取った串の先を口を含んだまま、美波は眉をひそめた。


「味がしない」

「嘘!?」


 叫び、別の串を口に入れる。


 鎮台に来る前に寄った、万桜が贔屓にしている菓子店で、買ってきた。

 串に四つ並んで刺さった白玉と、その上にかかった黄金色のたれは。


「ちゃんと甘いと思うけど」


 倖奈がもぐもぐと飲み込んでいる隣で、美波もまだ頬を動かしている。


「全然感じない。トロッとしてるだけじゃない。これが甘いだなんて、本当、倖奈って変ね」


――変なのは、美波でしょ。


 言葉を呑み込んで、団子を呑み込む。


「たしかに味は控えめかもしれないけど」

「控えめなんてものじゃないわ、砂糖をケチっているんじゃないかしら。もし、お店のせいじゃないんだったら、そうね」

 と、美波は口の端を吊り上げた。


「あんたと食べるから味がしないのかもね」


 もう一度。倖奈は思いっきり言葉を呑み込んだ。ついでに煎茶で喉の奥まで流し込む。

 横目で見れば、美波は涼しげな顔で、団子を頬張っている。


――文句があるなら食べなきゃいいのに!


 団子が気に入らないというより、倖奈が気に食わないのだろう、と視線を宙に向ける。


 あれからたったの三日、まだお互い気持ちが落ち着いていないだけなのだろうか。何にせよ、都合をつけられるからと鎮台に来た、美波の顔を見に来たのが間違いだったのがしれない。

 胸の裡で強い眼差しの恋人を思い浮かべると、仲直りすべきだとしか考えられなかったのだけれど。


――もういっそ、関わらない方がいいかなぁ。


 気が滅入るばかりだと思いながら、ちらりと時計を見る。午後の二時。


――真希と菜々子と約束したのは、三時。頃合いだよね。


 あの二人となら笑える。彼と次に出かける時に何を着ようかなんて相談も聞いてくれる。

 すこし気持ちがふわりと浮いたので。

 さらにお茶をあおって、立ち上がる。


「次は味が濃いめの物を探してくるわ」

「柳津大尉と相談して? 羨ましいわね」

「そんなこと言ってないでしょう!?」


 つい声を荒げて。口を両手でふさぐ。


「かっこつけ?」

「……ああ、もう。そうよ、怒鳴るなって常盤も泰誠も言うから」


 そういえば、と倖奈は周りを見回した。


「魔物が出たなんて話はないのに。二人はいないんだね」

「そうね、何処に行ったのかしら」


 もう一度広間を見回すと、年嵩の女かんなぎが手を振っているのが見えた。


「倖奈にお客様よ」

「……はい」


 出かけたいのに、と足音荒く玄関に向かって。

 結局、そこで目にした人物にも、叫んでしまった。


「何しに来たのよ、斎!」


 珈琲色の三つ揃い。織り目が波模様を作っている鳥打ち帽。そして、首からはカメラを下げた、いつもの姿の彼は。

「八つ当たりかい、フロイライン」

 目を瞠っていた。


――こいつには嫌われても全然構わないし!

「そうよ、ごめんなさい」


 後で恋人に何と言い訳するのはさておいて。


「何をしにきたの? 魔物のことなら表の軍の人たちに訊いてちょうだい」

 眉をつり上げると、斎は首を横に振った。

「それは無理。柳津隊長にも断られそうだから」

「いったい何を言おうとしているの……」


 はあ、と溜め息を吐く。斎は口の端を上げた。


「魔物を閉じ込めているって言う勾玉を見せてよ」


 ぎょっとして、それからまっすぐに斎を睨む。


「無理!」

「そこをなんとか」

「無理なものは無理!」

「頑なだなぁ」

「そんなこと言ったって、絶対ダメ」

 斎が肩を竦めるのに、低く唸る。


「もし何かあったら、その時に責任を持たなきゃいけないのは、史琉だったり秋の宮様だったりするのよ」

「そんな言ってもさ。今、柳津大尉は鎮台にいないよ?」

「うそ!?」

「さっき、一人で駅の方に歩いて行くのを見たかな。一人だとずいぶん地味な人だよねえ」


 ふふ、と笑う斎をぎゅっと睨む。


「じゃあ尚更ダメ。何かあっても、わたしは責任持てない」

「そこをなんとか」

「厭よ!」


 そしてもう一度、無理、と叫んだところに。


「倖奈って他人に厳しいわね」


 後ろからかかった声に振り向いた。


 黒地に赤い花と鶯が描かれた振袖の端で口許を隠して、彼女は立っていた。

「美波」

 呼ぶと、かたちの良い眉が緩む。

「そんなに頑なに断らないで、聞いてあげたら良いのに」

 クスクス、美波は声を震わせる。


 倖奈が口を開くより先に。

「君は?」

 と、斎が問うた。


「私もかんなぎだけど」

 首を傾げた美波に。

「へえ」

 と、斎が頷く。


「じゃあ、ご案内を請えるかな?」

「どういう?」


 そろりと袖から覗い美波の唇が、弧を描く。

 斎の口許も綻んだ。


「この間ので捕まえた魔物を、閉じ込めているって云う勾玉を見たいんだ。見た様子を記事にするつもり」

「お見せするだけなんでしょう? じゃあ、どうぞ」


 絹の音を残して美波が歩き出すのに、斎がついて行く。

 廊下を行く珍客に、すれ違ったかんなぎが怪訝そうな表情を浮かべる。


――なんなのよ、もう!


 叫び声を呑み込んで、両手で拳を作って。

 倖奈はその後ろをずかずかと追った。



 鎮台の、かんなぎたちの寮の、一階の奥だ。

 注連縄のかかった扉を開けると冷たい空気が流れてくる。


 高い場所にしか窓のない部屋は薄暗くて、狭い。

 その空間の大部分を占めているのが、白木の祭壇だ。その中央に、鈍く光る勾玉。


「これが?」

 と手を伸ばした斎の袖を引く。


「止めて。触らないほうがいいから」

「そうなの? 触ることで出てくる可能性があるとか?」

「無いとは言わないわよ」


 もう一度睨む。彼は口許を引き攣らせた。


「ちなみに、閉じ込めた君は、呼び出すこともできる?」


 それに眉を寄せる。


「知らないし、試さないわよ。本当に出てきたらどうするのよ」

「斃せばいいじゃない」


 美波が口を挟む。そのまま彼女は、でも、と目を細めた。


「あんたの力じゃ、斃すことはできないものね」

「美波」

「わたしはできるけど」

「だからって呼び出して良いわけじゃない」


 むっと唇を尖らせて、背を向ける。

「わたしは何もしないからね」


 そのまま部屋を出た。扉は開けっぱなしで、五歩進む。


――本当に何も起こらないよね?


 ぐっと唇を噛んで、振り向く。

 部屋からは、まだ美波と斎の声が聞こえてくる。

 よく聞き取れなかったそれが、だんだん大きくなって。


「本当に出たぁ!」


 最後は悲鳴になった。

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