65. 力の使い方
扉の前に立っていたのは、初めて見る男だった。
「どちら様ですか?」
颯太がじとっと睨むと、相手は、フフン、と笑った。
「君のところの隊長殿のお客さんだよ」
へえ、と頷いて。改めて相手を見下ろす。
年は二十代前半といったところ。身長はさほど高くないし、肩も大きくない。
服装は曖昧な茶色の三揃えで、似た色の山高帽を片手で回している。
首から下げた黒い革紐の先には、大きなカメラがぶら下がっていた。
――重たそう。首、凝らないのかな。
考え、見ていたら、また笑われた。
「で? はやく取り次いでくれないかな?」
「うん、その前に。どちら様ですか?」
「十時から約束してるんだけど?」
「そんな言ったって、何処の誰か分からなきゃ、取り次げないんだけど?」
むっと唇を尖らせる。相手も頬を膨らませて、新聞記者の遠郷だ、と名乗った。
「入れてもらうのが、こんな面倒だなんて。軍部は閉鎖的だなぁ」
――さっさと名乗れば、ちゃっちゃと入れてあげたのに。
颯太のジト目をものともせず、客人は第五部隊の部屋の真ん中へと歩いて行った。
そこの机には、大きめの帝都の地図が広げられていて、いくつもの紙の山が築かれている。
囲んでいるのは、ほとんどが濃紺の肋骨服姿――軍人だ。だからどうしても、その中で一人だけ鬱金色を纏った姿は目を引く。
それは颯太だけでなく、客人もだったらしい。
「フロイラインもいたんだ」
高い、短い声が上げられて。
「……
呼ばれた倖奈は、眉を下げる。
「隊長ばかりじゃなく、君まで知り合いなの」
衛生兵たちが目を丸くする横で、他ならぬ第五部隊の指揮官が息を吐いた。
「世間は狭いな」
それから、隊長殿は客人に、机の脇の長椅子に座るように促した。
斎との名らしい青年は、素早く席に着く。
「先日の作戦――訓練という名の、魔物捕捉を目指した作戦は大成功でしたね?」
手で回すものを帽子から鉛筆に変えて、膝の上に帳面を広げ。
向かい合う椅子に座った第五部隊長に向かって、斎は口も動かす。
「狙いどおり例の魔物をおびき寄せられて、捕捉に成功。建物の被害なし、怪我人も作戦に関わった軍部にちょこっとあったくらいって聞きましたよ。やっぱり事前に情報を流して、避難を促したのが良かったようだ」
まくし立てて、彼は鉛筆の先を舐めた。
「そういうわけで――お約束ですからね、追加の情報をくださいよ」
「他にも魔物の捕捉に成功した例を、でしたね」
隊長殿は、指先で銀縁眼鏡を押し上げてから、ゆっくりと口を開いた。
「この手の情報をまとめた資料はこれですが。そのままお渡しはできないから、必要なところを写していってください」
「……重要点だけまとめたのとか、ないの?」
「ありませんよ、そんなの」
げ、と記者が身を引くと、柳津大尉は喉を鳴らした。
「いかんせん量が半端ない。軍部の前身――武家が集まった頃からの、伝説の範疇に属するようなものまで含めますから」
「ええ? また歴史の、義高公の話題ですか?」
「彼に限らず、他の武将の逸話もわんさかと」
ただ、と隊長はすっと表情を引き締める。
「ある程度まとめて事例を見ると、気付けるものかと思いますが。捕捉にも条件が――相性があるようです」
「相性?」
「魔物とそれを捕まえた後に入れておく器に…… ですかね」
斎も目を細めて、鉛筆を帳面に走らせる。
「その相性とやらは事前に分からないんですか?」
「この間のように、あらかじめ入っていたものが分かっていれば、それを持ってくるだけで済むんですが。初見の相手には難しいらしい」
「捕まえるのは簡単じゃないってことですか」
眉を寄せた記者に対して、隊長殿は苦笑いを浮かべて見せた。
「さらに言えば、捕まえたとしても、その状態からより兇悪に育つ可能性があるようで。脱走した魔物が暴れ回った例がいくつも見つかりましたよ」
「はあ!?」
斎は素っ頓狂な声を上げて、さらに厳しい表情を浮かべた。
「一体何してるんだよ。捕まえた段階で完全に斃してしまえばいいのに」
「斃せないから、捕まえるんですけどね」
隊長殿は打って変わって、朗らかだ。
「今回だってそうでしょう? 捕まっていたのが逃げ出して暴れたんです、力が増していたかどうかの判断は付けられませんけどね。そして、斃しきる、完全に消し去るには軍も力不足だったから、従前の落ち着いていた状態に戻しただけだ。
捕まえるというのも、結局はその場凌ぎに過ぎないんですよ」
そこまで話して、隊長殿は目を伏せる。
「今の最善は、その場その場の対処です。確かな力を持った者による、ね」
斎はむくれる。
「結局は力で捻じ伏せていくしかない、と」
顔を伏せたまま、隊長殿は肩を震わせた。
「そのための軍です」
「野蛮だ」
なお呻いた斎に、柳津大尉はゆっくりと顔を向けた。
「我々を嫌い、批判するのも結構ですよ。だが、我々にも誇りがある。その誇りが故に魔物に立ち向かうことを選んでいる、とはご理解いただきたいね。また、力の使い方を誤らぬために、日々備え、鍛えているとも」
小さくとも、隊長殿の声は部屋の隅まで通る。だから、この場に居た軍人たちは皆、ぴんと背筋を伸ばした。
その空気へ逆らうように、溜め息が響く。
「僕には理解できないね。どうすれば、そんな力が身につくか」
さらに頬を膨らませて、部屋の中を見回した斎と目が合って。颯太は叫んだ。
「筋肉は大事だから!」
えい、と腕をまくって、ちからこぶを見せる。
隊長殿は静かに顔を伏せ、記者は目を丸くして、副官には背中をひっぱたかれた。
――マジで痛いよ、菜々子ぉ!
結局、記者はひとしきり資料を眺めてから帰って行った。出て行く寸前まで、資料を持って行かせろ、まかり成らぬ、と揉めていた。
喧騒がすっかり消えた後に、吉田曹長は長く息を吐いた。
「あいつ、遠郷って名前ですって?」
ああ、と隊長殿が首を縦に振る。
「前隊長殿の甥御らしい。裏は取ってないが」
「まあ、顔はよく似てましたけど、そこまでですね」
「そうか」
柳津大尉はまた苦笑いを浮かべる。その斜め後ろで副官殿がこめかみに青筋を浮かべている。
吉田曹長は、陰鬱な声で続けた。
「なんか、心配になる情報収集能力だなぁ。怪我人は一般市民にもいたんですよ」
「見物に来ていたのが、巻き込まれて逃げようとして…… だったな」
「新聞記者なのに、まさか知らないなんて」
「俺との交渉の一環として、調子のいいことを言ってただけだろ。それなら、軍で補償を出すって記事を書いてくれたほうが助かるのにな」
「ですよねぇ。対応ご苦労様です」
ビシッと吉田曹長は敬礼を決めて。
「怪我といえば」
と、彼は体の向きを変えた。
「君の痕は大丈夫そうだね」
その視線の先は部屋の隅。
「わたし?」
まだ持ってきた資料を捌く作業を続けていたらしい倖奈が瞬く。
「そうだよ。顔に怪我したんじゃなかったっけ?」
ひょいと颯太は体をかがめて、その顔を覗き込もうとしたのだが。
彼女が両手で頬を覆うほうが早かった。
「もう…… 大丈夫です。有難うございます」
眉を下げて、笑う彼女は。
「ごめんなさい、資料をお持ちしただけなのに、長居しちゃった」
ばっと身を翻して、飛び出していった。
「隊長」
吉田曹長がまた剣呑な声を出す。
「ちょっと気分転換に行ってきてください。可及的速やかに」
「俺の気分転換なのか?」
「そうですよ。面倒な客を相手した後で、疲れてるでしょ?」
「……じゃあ、そういうことにしておくか」
ふっと息を零して、隊長は立ち上がる。
「すぐ戻る」
「ごゆっくり」
――かみ合ってない!
颯太が一人戸惑っているうちに、柳津大尉も外へと出て行った。
*★*―――――*★*
鎮台の庭から見上げた先は、どんよりと曇った空だ。
「冬が戻ってきたみたい」
ブルッと肩を震わせて、襟巻きに顔を埋める。チリ、と生地と肌にこすれて、痛かった。
――今日は本当に、顔がガサガサだ。
とっさに顔を隠したのは、荒れた肌が恥ずかしかったから。
朝起きた時にヒリついていたことでそれに気付いて、鏡を覗き込んで、絶句した。
――頬は赤いし、唇は剥けてるし、隈も酷いし。
「ほんと、最悪」
「馬鹿な記者と遭遇したことがか?」
後ろからかけられた声に、ひゃあ、と叫ぶ。
「史琉!」
振り向いて、どうして此処に、と倖奈が問うより先に。
「あの記者が来るって先に教えておけば良かったな。悪い」
謝られた。
「……別に、大丈夫だよ?」
今日はそこまで絡まれなかった、と息を吐き。
「史琉はお話大変だったね」
言うと、彼も首を振った。
「今は、休憩?」
「まあ、そんなもんだ」
史琉が喉を鳴らす。
「吉田が、おまえの様子を見てこいって言うから来た」
「……吉田さんが? なんで?」
瞬くと。
「うちの衛生兵はあちこちに気を遣う」
史琉の声が笑みを含む。
「おまえが酷い顔をしてるから、気にしてるんだよ」
う、と身を引く。史流は素早く間を詰めてきて、倖奈の肩を掴んだ。
「怪我は治ってるよ」
「知ってるよ」
「じゃあ、なんで、吉田さんは酷い顔なんて言うの。それも史琉に……」
呟くと。
「それは」
と、史琉は口の端を上げた。
「あいつには喋ったからな」
「へ?」
「律斗にもだ」
「……何を?」
「俺とおまえがどういう仲か」
一気に体温が上がる。顔を上げて、史琉を見つめる。
「なんで、なんで……?」
「言ったほうが楽だ」
「そうなの!?」
「変な気遣いをしなくていい」
「そ、そういうもの……?」
話されて、彼らはどう思っただろう。
そんなことを考えると、どうしても、美波を思い出す。
倖奈がぎゅっと唇を噛む前で。
「それはそれとしてだな。言われなくても、気になってたんだよ」
史琉も表情を引き締めた。
「本当に酷い顔だぞ」
「そんなことない」
「あるだろう」
そのまま、まっすぐ見つめられる。
「昨夜ちゃんと寝たか?」
自然と首を横に振ってしまってから、はっとした。
彼が目を細くする。
「何があった」
「何もない!」
強い視線を受け止めて、心臓が騒ぐ。
――言いたくないよ。
美波と言い争った、と。その結果で気がついてしまったことも。
彼に知られたくない。
「なんでも、ないの」
だから、嘘を絞り出す。史琉の目がもっと細くなる。
「……本当に大丈夫だから」
「どうだか」
はぁ、と彼は珍しい溜め息を吐いた。
「どうしても俺に言いたくないってのなら、それでもいいが。もっと巧く隠せ。俺の心臓に悪い」
そう言って、彼は倖奈の肩から手を離すから。つい、その手を追いかけて、掴んだ。
「ずるい」
「何がだよ」
「そんなこと言われたら、隠し事できなくなっちゃう」
「そのつもりで言ってるからな」
また喉が鳴らされる。
「どうしても言いたくないならそれでもいいが、馬鹿なことは考えるなよ」
薄く唇を開いて、彼は言う。
「必要以上の卑下はいらない」
「なら、悔しいって思うのは、いいと思う?」
「当然だろう?」
「じゃあ、悔し泣きは?」
「有りに決まってる。その時は、気が済むまで泣きな」
また両手が肩に触れる。そのまま、胸元に引き寄せられそうになって。
負けまい、と踏ん張った。
「なんだよ、強情っぱりめ」
「今だけ! 今だけだから!」
頭をぶんぶんと横に振る。同時に、目の奥がつんと痛むのを耐える。
それに気付いているのか、彼は、白い手袋を外してから、改めて両手を伸ばしてきた。
頬を包まれて、上向かされる。
視線が絡んで、自然と微笑んだ。
「大丈夫よ、心配しないで」
美波とどうしていけばいいか、考えねばならない。
何より、この『酷い顔』をなんとかせねば、と息を吸う。
「今夜は早く寝る」
「そうしろ」
史琉が柔らかく目尻を下げる。
だから、頬を包んでくれたままの両手に、自分の手も重ねた。
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