63. 空回り、ひとり

 鎮台がざわついている。

 久方ぶりの魔物出現の報のせいだ。


「これが浮き足立つってやつですよね」

 きっと眉を上げ、精一杯背筋を伸ばして、言ったのに。

「黙れ、駒場」

 扉から出てきたばかりの隊長に、額を指ではじかれた。


「なにするんですか!」

「気合いを入れてやったんだよ」


 濃紺の肋骨服に制帽、白い手袋。脇に革張りの手帳を抱えた、いつもの姿だ。眉間に深い皺が刻まれているのも、銀縁の眼鏡の奥でぎろりと目を光らせているのも、いつもどおりだけど。


「今日は休暇だったからな」


 そう唸ったのは珍しいな、と颯太は思った。


「なんですよね、今日は休暇なんですよ。だから、第五部隊はほとんどの隊員が留守なんですよ」


 颯太と相部屋の櫂も、散歩だと出て行ったし。他ならぬ隊長自身が出掛ける寸前だった。

 呼び出しのために部屋に来た直後は、濃い色の背広だった。同じ雰囲気の色の鳥打ち帽を持った姿は新鮮で、颯太もときめいてしまった。


――べ、別に恋じゃないよ。俺も将来そうなれるかなーってだけで。


 外出着から軍服へ戻ってしまった隊長殿はまだ渋い顔だ。


「残っているのは他に誰がいる?」

「俺と、高辻副官と、衛生班の吉田曹長と、あとは……」

 告げた名前に。

「どいつもこいつも仕事莫迦バカな奴ばかりだな」

 盛大な舌打ちが返ってくる。


――隊長殿だって、仕事の鬼だと思うんだけどなぁ。


「ちなみに、おまえはどうして残っていた」

「俺、一人で出かけるの苦手なんですよ」

「そうなのか?」

「皆さんと一緒ならいいんですけど。一人だと、道が合っているか不安になるんですよね。ほら、都の通りってどこも同じような建物が並んでいるから見分けが付かなくって」

「そうかい」


 また溜め息。それから隊長殿は歩き出したので、颯太も黙ってその背中を追いかけた。



 問題の場所は『かんなぎ』たちの寮の裏手。



 煉瓦造りの建物の周りはごった返している。

 濃紺の軍服ばかりでなく、色とりどりの和装姿も混じっている。年の頃も様々だ。白髪交じりの男性も多いし、颯太のように若い者もいる。


 その中に。

「倖奈!」

 ひときわ明るい色の袖を見つけて叫ぶと、彼女は振り返ってきた。

「お仕事お疲れ様」

 ふわ、と笑われる。笑顔を縁取るのは黄色の着物に緑色の袴。柔らかい髪は結い上げられ、うなじで後れ毛とリボンの先が揺れている。


「そうか、寮の傍だから、『かんなぎ』はみんないるんだ」

 近寄ると、頷かれた。

「すぐ傍で魔物が出たなんて、落ち着かないよね」

「出かけてきます、なんて言いづらいわ」

「あれ? 倖奈も出かける予定があった?」

「ええ……」


 口許に笑みを湛えたまま、彼女は顔を伏せる。


「えーっと?」

 颯太は首をひねった。

「気にせずに行けばってわけにいかないか」

「そうね」

「でも、ここの調査が終われば少し落ち着くんじゃない?」

「そうだといいのだけど」

 倖奈は浮かない顔のままだ。


 他に何を言おう、と首を捻ったところで、声が飛んでくる。

「……話しているところに悪いんだが」

 大きくないけれど、よく通る声。

「柳津隊長」

 振り向く。


 渋い顔の大尉殿はちらりと颯太を見て、視線をそのまま倖奈に向けた。

 見れば、倖奈もまっすぐに柳津大尉を向いている。


「ごめんな」

 隊長殿が言ったのはそれだけ。

「大丈夫」

 倖奈も笑みのまま、首を振る。


 それだけ。

「行くぞ、駒場」

 すぐに隊長は歩き出した。

「はい!」

 じゃあね、と手を振ると振り返された。


 隊長殿と人混みをひとつ抜けると、他の第五部隊の面々と預かり人が、しょんぼりとした顔で立っていた。


「やりきれんのう」

 と、預かり人――シロと呼ばれている、鼠色の長着姿の少年が言い。

「チョー切ない」

 と、衛生兵が呟くのに、瞬く。


「え、吉田曹長、なんですか?」

「黙っとけ駒場」


 ぐりぐり、と脇腹に肘をねじ込まれた。あぎゃぎゃぎゃぎゃ、と叫んでも、力は弱まらない。

「気付かないのか、本気で」

「え? 休暇が返上になったことが皆さんそんなにショックでしたか?」

「違うよ、バーカ」

 吉田曹長の視線は冷たい。

「駒バカと呼ぶぞ」

 腹の底が冷える声に、青くなったらようやく開放された。


 涙目で痛む脇腹を撫でている間にも、隊長殿たちは人混みの向こうへと進んでいく。

 建物をぐるりと回った先、木立と背の高い草に囲まれた一角。

 草を刈って、落ち葉を掻き出して、と動く軍人たちと、彼らから少し離れて立つ一団。


「やあ、柳津大尉」


 一団の中の一人が、にこやかに手を振ってくる。

 濃紺の服の生地は光沢が強く、肩から胸に書けてさがる記章の数は三つ。この鎮台の司令官その人だ。


「宮様」

 敬礼をひとつとって、柳津大尉もその中へ入っていく。

「お休みの日にごめんね。僕も今日はきちんと働くよ」

 くすくすと笑ってから、秋の宮も表情を引き締めた。


「魔物が出た。それも、魔物退治を専門とする『かんなぎ』たちの寮の裏手だ。どうしてって話だよね。

 ここで、より厳重な警備を、と言うだけじゃ解決にならない」

「そのとおりです」


 頷いたのは柳津大尉だけでなく。一団はぐるりと円になって話し始める。


――さすがにこの距離じゃ聞こえない。


 両手を耳の後ろに当てても聞こえない。

「また忙しくなるのかな」

 まだ隣にいる吉田曹長の呟きははっきりと聞こえるのに。

 颯太は溜め息を吐いた。


 しばらくして、隊長殿が、かんなぎを一人伴って、戻ってきた。


 背は低くないが、ふっくらとした体躯で穏やかな顔立ちの人だ。

――泰誠さんって言ったよね。

 颯太がうんうんと首を振っている間に。

 彼らを囲んで、第五部隊は円になる。


「今日は解散だ」

 苦笑いを添えて告げられたのに、疑問の声が上がる。


「最初に出た一匹は焔で退治された。吹き飛ばした時にバラバラになったから、その欠片が逃げている可能性があるんだが、鎮台内を捜査するのは、かんなぎたちがやるらしい。万が一外に逃げていた場合に、俺たちへ追加で要請があるかもな」

「そういうことなんです。ご足労ありがとうございました」


 ひょこっと泰誠が頭を下げたのに、誰も何も言わない。

 そのまま、するすると散会していく。


「あまり大きくもなく、強大でなかったというのが幸いでしたね」

 と隊長殿が言うのが聞こえて、颯太は足を止めた。

「ええ。正直、ここまで騒がなくてもと僕は思いますよ」

 応えたのは泰誠だ。ただ、と彼は眉を寄せた。

「推測されるなかで怖いのは、捕まえている魔物との関連していたら、ということですよ」


「捕まえている魔物?」

 思わず声をあげる。

「例の、勾玉の中にいる魔物ですよ」

 泰誠は静かに答える。

 そこで、二人の間から、シロがひょこっと首を出した。


「可能性は否定できんなぁ。なにせ今は、外から刺激している奴がいるからな」


 ケケケ、と笑うシロに、泰誠はしかめっ面を向けた。

「その話は今は止めましょう?」

「そうなのか?」


 シロが首を捻る。泰誠は静かに、視線を柳津大尉に向けた。

 大尉も三白眼をかすかに見開いた。


「込み入っていることなら、部隊の部屋にご案内しますよ。あちらの方が話しやすいでしょう」

「いいえ、結構です」

 泰誠は首を振り、腰を折った。


 そして彼は、走って去って行く。

 その影が見えなくなってから、大尉は、シロへと振り向いた。


「今回のは、勾玉の奴とは関係あるのか?」

「わしは見てないのでな、確実なことは言えぬよ」


 そうか、と溜め息を吐き出してから、隊長はまだ続けた。


「ちなみに、勾玉の奴が、中から出てくる可能性はあるんだな」

「もちろん」

「その際に、あいつが人に乗りうつる可能性は?」

「ある。おぬしが以前見た光景と一緒じゃよ」


 シロは嗤う。颯太はひっと指先を噛んだ。

 大尉殿は落ち着き払ったままだ。


「もし、その人を斬ったら」

「人は死ぬぞ」

「魔物は?」

「魔物も消える」


 成程ね、と柳津大尉は頷いた。


「人ごと魔物を殺せるってことだな」




 *★*―――――*★*




 椅子の上に無理矢理乗っているから、草履がぶらんぶらんとだらしなく揺れているのが見える。


――顔を見れたんだから、いいじゃない。


 膝を抱えて、指先で落ちてきた髪を弄る。


――でもでも、本当なら、一緒にお出かけしていたはずなのに。


 ふう、と溜め息を吐き出す。

 脳裏に描くのは、濃紺の肋骨服の姿。まっすぐに見つめてきた視線。


「史琉はわるくない」

 彼はそれが役目だ。魔物に立ち向かっていくのは、軍人として誇りだ。

 そう思うのに、寂しい、と感じる自分の気持ちが恨めしい。


「恋は一人でするものだから」


 泰誠もなんてことを言ってくれたのだろう。

 倖奈が、史琉に対して浮かれているのを、わざとはっきり言い当てるなんて。


 そして。それだけでないのも、分かっている。


――泰誠は、わたしを。

「考えたくない……」


 もう一度、溜め息。

 立ち上がる。


 今、寮の居間代わりの部屋に、人は少ない。皆、魔物の様子を見に、外に出て行ってしまった。最初に見つけた一匹は退治したけれど、残りがいないかと躍起になっているのだ。

 ちなみに、倖奈も行ったのに、常磐に追い返された。

 そこから時間が経てば、様子は変わる。窓の外を見れば人の流れがこちらから離れていくように変わってきていることに気付く。

 捜索は終わったのだろうか、と玄関へと走った。


 ぞろぞろと帰ってきた人の中には、泰誠もいる。

 会いたくない、という倖奈の願いにかかわらず、彼は歩み寄ってきた。


「もう遅い時間だよ」

「万桜様のお屋敷に帰らないといけないかしら」

 頷いて。

「部隊の方はどう?」

 訊ねると、彼は首を振った。

「帰っていったよ」

「そう」


 ならば、と一歩建物の外に踏み出したところで。

「何処に行くの、倖奈」

 後ろから声が飛んできた。

 振り返ると、泰誠が笑っている。

「向こうもばたついていると思うけど」


 そう言われると進めない。仕事の最中に飛び込めない。

 ぎゅっと両手の指先を組んで、視線を逸らして。向こうから名を呼ばれたことに口実に、その場から走る。


 玄関の横にいたのは、年上のかんなぎだ。

「部隊の方からお呼び出しよ」

「そうなの?」

「最近いつも作戦で一緒になってるからなの?」

 指さされた先に、ひゃあ、と声を上げる。


 寮の玄関の外。枝の先を膨らませる木の下。


「史琉」

 走り寄ると、彼は制帽の庇を持ち上げて、頷いた。

「今、時間は?」

 単刀直入な問い。ええと、と瞬いていると、後ろでカサと落ち葉が鳴った。


 振り返る。心臓が跳ねる。


「先ほどはどうも」

 史琉が言うと。

 泰誠はぎゅっと両手を握りしめた。


「柳津大尉。倖奈に御用なんですか?」


 釣り上がった眉の下、 かすかに史琉は目を瞠った。それから、口の端を持ち上げた。


「ええ。話す用事がありますよ」


 泰誠は眉を寄せる。体の横で腕が震えている。

 ぐっと縦にしわを刻んでから、そうですか、と背中を向けてきた。

 その一瞬前。また湿った視線だ。


 彼が玄関の扉を閉めた後も。

「見てるよ」

 そう、感じて、呟く。

「だったら、ほら。来いよ」

 史琉はさっさと、建物から離れる方へと歩き出してしまった。


 建物と建物の、中間。

 軍の訓練が行われていない限り、誰もいないような木立の間だ。


 そこまで来て、彼はまた振り向いた。


「悪かったな。出かける約束だったのに」

「ううん。仕方ないもの」


 そう笑って俯いた。


 本当は仕方なくはない。会いたかったのだから。


 それくらい、どうしようもなく惹かれていて、好きだとしか言えない気持ちを抱えている。

 だけれど、史琉はどう思っているのだろう。

――わたしだけが会いたがっているんだったら、どうしよう。


 顔を上げられない。その上に、掌が落ちてきた。


「何を心配してるんだよ」

「だって」


 わしゃわしゃと髪を撫でられる感触に、そろりと見上げる。

 彼は口の端をあげて、目を細めていた。


――平気そう。


 それは当然だ。


――史琉は軍人なんだもの。


 ここに至るまでの想いを知っている。


 じっと見上げたら、吹き出された。

「拗ねるなよ」

「拗ねてないもん」

 応じると、ぐいっと顔を近づけてきた。

「じゃあ、はっきり言え」

 吐息がかかるほど近くから、覗き込まれる。

「俺に言いたいことがあるんだろ?」


 逃げられない、と乾いた唇は何度か空回って。

「今度はいつ会える?」

 ようやく絞り出した一言に、内心でがっかりした。


 なのに。

「どうだろうな。さっきので、予定が全て飛んだからな」

 史琉は唸りだした。

「また部隊全体の休暇をもぎ取らないとならない…… 最近、筒井秘書官の日程管理が厳しくて、なかなかねじ込めないんだよ……」


 だから、忙しなく瞬く。

「わたしに会ってくれるの?」

 問いかける。

「当たり前だろう」

 史琉は喉を鳴らした。


「せっかくなら、街中じゃなくてもっと遠出するか?」

「例えば?」

「とは言え、行けてせいぜい宇治あたりまでだろうけどな」

「宇治なら、義高公のお社に行きたい。北の方様とご一緒に祀られているところ」

「おまえ、本当に好きなんだな、あの二人の話」

「駄目?」

「いや、構わないんだけどな」


 首を振って。史琉は吹き出した。


「今更恋愛成就を祈願しに行くつもりか、おまえは」

「え? ……あっ!」


 かっと顔が熱くなる。

「えっと、それは、あの」

「信用無いな、俺は」

 史琉は肩を震わせている。

「信用?」

「叶ってるんだぞ?」


 何が叶っているのだ、と思いを巡らせて。あ、と呟く。


――そうか、叶ってるんだ。


 会ってくれるのは、当たり前、と。

 会いたいと思っているのは、倖奈だけでない。史琉も同じように思ってくれているということだ。


――わたしだけじゃない!


「拗ねてないもん、全然拗ねてないもん」

 くすくすと笑い出す。そのまま、両手を上げて、頭の上に乗ったままの彼の手を取った。


「会える時が決まったら、教えて。お洒落していくから」


 胸の奥が熱い。安堵だ、と気がついてさらに笑う。


 するり、と捉えていたはずの手が抜けていく。

「気色悪いな。何考えてる」

 白い手袋に覆われた指先が、ぐいっと頬をつまんできた。それも、左右ともに。

「いひゃいいひゃい」

 目の端が湿ってきたけれど、痛いからではないはずだ。


 えい、と頬をつまむ指先を自分の手で引っ張る。

「なんでもないもん」

「どうだか」


 ふっと息を吐いて、彼は手を離していく。


「まだお仕事?」

「俺はね。今夜は仕方ないな」

「……頑張ってね」


 精いっぱい笑う。

「ごめんね。忙しいのに、寄ってくれて、ありがとう」

 言って、踵を返す。不意に泣きたくなって、顔を背けてからで良かったな、と思ったのに。


 後ろから、左肩を捕まれた。

 背中から温かい体へと倒れ込む。右手にゆっくりと、白い手袋の指先が絡まる。

 体中の温度が上がっていく。


「ねえ」

 抗議のためにあげた声は細く、弱々しい。

「見られてるかもしれないよ?」

「いいんだよ、見せつけてやれ」

 抑えた声が鼓膜を震わせる。

 唇がこめかみに押し当てられる。


「これに何の意味も無いと思う奴はいない」

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