62. おそろいになるのなら

 駅前のミルクホールは今日も混んでいたが、その中でも手を振って合図を送ってくる待ち合わせ相手たちはすぐに見つかった。

 倖奈も手を上げる。

 三人の手に、この間来たときのような手袋はない。


「お待たせしました」

「急に呼び出してゴメンね」


 にこにこと真希が、座っていた位置をずらす。

 隣の菜々子も同じように反対へ動いて、そうしてできた長椅子の隙間に身を滑り込ませた。


「今日は暖かいわね」


 頬をあかくしている真希の今日の着物は、紺一色だ。

 だが、帯は白地に黒の菱模様。帯紐は紅色で、帯留めも大きな紅の花だ。襟元もすっきりと白でまとめられているから、余計に、帯留めに目が行く。


「もう三月も終わるから」


 そう受けた菜々子は、学校の制服姿ではなくて、和装だ。

 同じように紺の着物だが、紅白の花模様。合わせた袴は乳白色。編み込んだ髪にも袴と同じ色のリボンが結ばれている。


 ちなみに、倖奈は袴が紺色だ。着物は、万桜の屋敷で見つけた、古着。黄色の中に淡い花びらが舞う紋様のもの。

 手首にさげた苺色の巾着を揺らして見せる。


「春だから花模様なの?」

「みんな紺と赤ってことのほうが気になるわよ」


 示し合わせたわけでもないのにどこか揃っていることに、三人顔を見合わせて、吹き出した。


「暖かい陽気なのにミルクココア飲もうだなんて、物好きよね」

「そんなにここのココアが気に入っていたの?」

「だって、菜々子がこれがいいっていうんだもの」


 憮然と、真希は言った。


「菜々子に奢る約束をしてたのよ」


 倖奈は瞬いてみせる。菜々子は頬を緩ませて、真希は目尻をつり上げた。


「冗談のつもりだったのに!」

「やあね、本気でしょ」

 ふふふふ、と菜々子は笑う。

「宣言どおり学年一位とりましたからね」

 それに、もう一度瞬いた。

「一位?」

「学校の考査の結果よ」

 はあ、と菜々子が息を吐く。

「一学年の最後の考査だったから…… 頑張らなきゃって思って。それを真希に言ったら」

「良い成績を取ったらご褒美をくれることになったのね」

「ご褒美っていうと聞こえが良いですけどね!」

「それで、ええっと…… 一位ってことは、一番…… 一番、何が良かったの?」


「得点が取れたってこと」

 菜々子は胸を張った。

「全教科満点だったのよ」


 胸を張る菜々子に手を叩く。

「すごい!」

「まあね。ミルクココア一杯くらいじゃ足りないくらいよ」

「ええっと…… ビスケットもいる?」

 首を傾げると、すんっと鼻を鳴らされた。

「やあね、冗談よ」

「倖奈には冗談って言うのね」


 今度は真希が鼻を鳴らす。菜々子は気まずそうに横を向いた。


「だって、一位はわたしだけじゃないし」


 うん、と頷く。菜々子は溜め息を返してきた。


「もう一人いたの。満点を取ったのが」

「……すごいね」


 学校になど、もう通っていないから、試験の苦労など思い出せないけれど。

 感嘆の声しか出ない。

 菜々子は頬を染める。


「取ったのは薫子で――彼女は仲の良い子だから、それはそれで嬉しかったんだけど」

「そうね。一緒って嬉しいよね」


 良いことで一緒になるのだったら大歓迎だろう。

 クスクス笑うと、真希がぶうっと膨れた。


「ちぇっ。菜々子が倖奈にはあまい」

「真希が意地悪なのよ―― 違う、はっきり言い過ぎなの」

「どの口がそれを言いますかねえ!?」


 ふくれ面を向け合ったやりとりに、笑い声を零す。


――この二人も仲良しだ。


 ひとしきり笑ったところで、器になみなみと注がれたココアが三つ届く。

 飲み始めようとしたところで、はたと、思った。


「真希が菜々子をお祝いするためだったんでしょ?」

「お祝いって表現が気に入らないけど、そうね」

「それなら、どうして、わたしを呼んでくれたの?」


 すると、真希と菜々子は顔を見合わせて、それから揃って倖奈に向いてきた。

「あんたのお祝いもするの」

 目と唇が、にゅるん、と曲がっている。その顔をずずい、と寄せてくる。


「ねえ」

 言ったのは、菜々子だ。

接吻キスはしたの?」

 あやうく、ミルクココアを吹き出すところだった。

「菜々子まで言うの?」

「え、だって、気になるし」


 間に挟まれて、身を退く。だけど。


「それともまず、手を繋ぐところから話す?」

「どうやって気持ちを伝えたのかも気になる」

「それを言うなら、初めての出会いから……」


 二人は追ってくる。


「待って、待って!」

 器を取り落とさぬよう握りしめながら、叫ぶ。

「そんな一度に答えられないし、それに答えなきゃいけないの?」

 すると、真希と菜々子はまた顔を見合わせる。

「友人としての好奇心よ」

 と、菜々子が言った。


「その理屈なら、菜々子から喋る?」

 真希が肘で小突く。今度は菜々子が咳き込んだ。

「や、やあね。わたしは一年くらいずっと会ってないんだから!」

「へえええ? この間、新聞で軍の作戦を知った時に見られるかもって嬉々として出かけていったのは誰でしたっけ~?」

 ねえ、と真希から視線を送られて、 ふむと唸る。


 そして、問題の日を思い出す。

 作戦の始まる直前に、通りで菜々子に会った。学校の帰りだ、と言っていたのを憶えている。

 一緒に、別の日の少年の呟きも思い出す。


――会いたいなあ、菜々子。


 彼の名前を胸の内だけで呟いて。

「見かけたのでしょう?」

 とだけ、菜々子に問いかける。


「絶対、顔見てる」

「なんで言い切れるのよ!」

 菜々子が真っ赤な顔で叫ぶので。

「どうしても」

 今度は倖奈が笑う番だ。


――あの日、きっと、颯太も気づいていたから。


 話しかけに行かなかったのは、任務中だとお互い分かっていたからなのだろう。

 やはり仕事中には声をかけに行かないのが最善なのだ。


 頷くと同時に胸の底がずきりとなった。

 黒くて長い髪が揺れる姿が瞼の裏に浮かぶ。

 ぶんぶんと頭を振る。


 はあ、と息を吐いて、前を向き直ると、真希とばちっと目が合った。


「じゃあ、倖奈の番ね」

「え?」

 もう一度身を退く。手を引かれる。

「ちかいところで、この間の逢引きでーとの結果から行きましょうか」

 ふっふっふっと笑う真希から目を逸らすと、菜々子の笑顔が見える。

「でーとに行ったの? どこまで」

 逃げられない。

「……通りの向こうのカステラ屋さん」


 何を食べたはまだ答えられる。だが、どんな話をしたにはどう答えればいいのだ。

 しどろもどろに喋り、目を白黒させているだけなのに、真希も菜々子も楽しそうだ。


「次はいつ会えるの?」

 その問いかけにだけは。

「明日」

 と、すんなり答えられた。


 かんなぎの仕事として舞台の部屋に行った時に顔は見られる。でも話すことは、当たり障りのないことばかり。

 合間にこっそりと渡された小さな手紙。記されていたのは、ようやく取れたらしい彼の休みの予定。

 そのどこでなら会えるのかと返事を返すのも、翌日の仕事の隙。

 ひっそりとしたやりとりは、まるで忍びの者のようだ。


――でも、部隊の他の人たちに迷惑はかけられないし。


 それに、二人きりになれる、と思うだけでドキドキした。

 何を着よう、どうしたら彼に呆れられないだろう。頭の中は心配事でいっぱいだ。


 むう、と頬を膨らませていると、そこをちょいちょいと突かれた。

 振り向くと、真希が笑っている。


「で、接吻はしたの?」




 鎮台に戻る。

 階段を上るにつれて、気分が沈む。それでも躊躇わず、問題の部屋の戸を叩いた。


「美波、いる?」

 耳を澄ましていなければ聞こえなかっただろうほどの返事があったから、勢いよく開ける。

 窓帷カーテンが締め切られて、暗い部屋の中から、のそりと美波が出てきた。


「何しに来たの?」

「お土産。駅の方に行ってきたから」

 両手で煎餅の袋を差し出す。

 美波はそれをじっと見下ろして、右手でつかみ取ってきた。

「気を遣わなくて良いのに」

 ん、と曖昧に笑う。それから彼女の全身をまじまじと見つめる。


 長い髪はもつれて、ボサボサだ。

 纏っているの着物も、しわしわで、色褪せている。


 秋の宮のそばを離れたことが哀しくなかったわけがないと唇を噛む。


 自分もそうだったではないか。

 嫌われたと思った時は悲しくて、苦しくて。

 それでも、大丈夫と背中を押してくれた真希がどれだけ有り難かったか。


 頭を振ってから、美波に向き直った。


「美波らしくないよ、そんな格好。宮様に笑われちゃうよ?」

「どうかしらね」


 ふん、と鼻を鳴らされた。


「捨てた相手のことなんか、もう見えないし、気付かないんじゃないかしら?」

「そんなことないわよ」

「嘘ばっかり」


 もう一度鼻を鳴らし、彼女は髪を掻き上げた。


「あんただってそうでしょ? あれから、柳津大尉と何が話せているのよ」

「何がって…… 普通よ」


 向けられる視線は変わっても、話していることはそう変化していないはず。

 胸の裡でこっそりと言い訳しながら、キッと、すこしだけ睨みつける。


「普通ってなによ。嫌われたままなんでしょ? 一緒なのに、つれないわね」


 一緒なんかじゃない、とやはり胸中だけで叫んで。それに、と息を吸って。

「すくなくとも、私はこんなの美波らしくないって思ってるから」

 真顔に戻る。


「とりあえず、部屋から出てきてよ。食事もちゃんと取って」

「放っといてよ」

「万桜様も、お屋敷に来なさいっておっしゃってた」

 畳みかければ、肩を揺らして、睨み返された。

「お説教の続き?」

「違うわ、たぶん」

 溜め息を吐く。


 結局くるりと背を向けられたから、また来る、と告げて廊下に出る。


 窓の向こうは夕焼け。

 桜の枝の先が膨らんでいるのが見える。


 とぼとぼと向かった寮の玄関脇では、泰誠が待っていた。


「美波は相変わらすかい?」

 頷くと、苦笑いが返ってくる。

「困ったものだね」

「でも、元気がなくなって当然だもの。宮様と、恋人だって言ってた人と離ればなれになるのは、どんな人だって辛いはずよ」


 恋は乙女の一大事なのだ。自分のも友達のも。

――そうだっけ?

 真希と菜々子の顔を思い浮かべながら、首を捻る。


 そうしてる間、泰誠は大きな溜め息をついていた。

「恋、ね……」

 眉を下げ、口許を緩ませて、彼は倖奈を見つめてくる。

「都合の良い言葉だよね。自分の気持ちを美しく見せるための」


 え、と瞬く。泰誠の笑みが渋く、苦く変わる。


「もしかしたら、恋人だなんて思っていたのは美波だけだったんじゃないかな。

 宮様はあの日以来、きちんと鎮台に顔を出されて、お役目を果たされている。引きこもっているのは美波だけなんだ。見事なまでにすれ違っているんだよ」

「それは…… 別に」

 秋の宮が傷ついていないという証拠になるのだろうか。何も言い足せないうちに。


 泰誠が眉を寄せて、口元を引き攣らせた、


「僕も人のことを言えないけどね」


 だから、目を丸くした。

「……そうなの?」

「こんなに、振り回されている」

 何に、と問えなかった。

 湿った視線が向いてきているのを感じ、知らず両腕で自分を抱きしめた。

 彼は喉を鳴らしている。


「仕方ないよね。恋は一人でするものだから」

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