54. 将軍閣下と醒めない夢

「ご苦労、お歴々」


 扉を入って正面の席にいた、天音あまねが立ちあがる。


「明日の新聞が楽しみだな」


 紅をひかずともあかい唇から溢れた声に、部隊長たちは一斉に頷いた。


 中でも、一番の功労者である、第九部隊の梶川かじかわ大尉は、特に動きが大きかった。頬も紅潮している。

 第八部隊の藤江ふじえ大尉も堂々と胸を張り、すっきりとした表情だ。

 第五部隊の隊長だけは、いつもどおりの、冷えた雰囲気だけれど。


 そんな鎮台の司令官室をぐるりと見回してから、秋の宮は溜め息を吐きだした。


「改めて、報告を伺おう。梶川大尉?」

 天音が呼びかけると、一番年嵩で体の大きい男が、頷いて一歩踏み出た。

 ずい、と挙手の礼をとる。


「申し上げます。本日午後二時四十分頃、魔物を一体捕獲することに成功いたしました。昨年来懸案となっていた、逃走中の魔物であります」


 朗々と、男は、軍の部隊と『かんなぎ』、そして集まっていた群衆の動きを述べる。その最後に、懐の隠しから、勾玉が取り出された。古びた、艶も輝きもない。親指の先ほどの大きさのもの。

 その勾玉を、天音が受け取った。


「こんな小さな中に収まっていったのか。どうやって」

「魔物は変形し、そのまま吸い込まれていきました。私も初めて見ましたが、なかなかどうして、奇っ怪な様相でしたな」


 掌の上で揺らして、ひっくり返して、天音は首をひねる。


「もう出てこないのか?」

「大丈夫だろうというのが『かんなぎ』の見立てでしたが」

 梶川大尉はかすかに眉を寄せる。


「出てこないならもう出さぬのが良いかと思いますが。後顧の憂いを絶つには、完全に払ってしまうのが最善と思います」

 藤江大尉が言い。


「退治するのとは別に」

 と、柳津やないづ大尉も口を開く。

「一昨年の夏に部隊に甚大な被害をもたらした魔物と同一か、確認する事項は残っております」


「そうだった」

 顔をしかめる天音を見つめて。

「……そんな疑い。あるの?」

 秋の宮は呟いた。


 視線が一斉に向いてくる。 わずかな、揺らぎの後。


「第五部隊ではそんな話でして」

 当の部隊の柳津大尉が、ぼそりと応じてくれた。


「そう、なの……?」

「私の前任――遠郷中佐が最後に交戦した相手だと判断しています」

「なぜ?」

「複数特徴が一致するそうです」

「そんな話聞いてない」


 目が、丸くなる。


 静かに柳津大尉は視線を下げる。

「隊員の証言をまとめるのに手間取っておりました。同一との確信に至ったのが、年を越してからでしたので」

 その一方で、天音の鋭い視線が向いてくる。

「私は、着任の際に聴いている。おまえは、引きこもっていたから報告されていないんじゃないのか?」


 え、と呟く。何度も瞬く。

 柳津大尉は、もう何も言わないつもりらしい。

 他の二人の大尉も、同様だ。


 だが、静寂は続かない。

 天音の長靴が床を鳴らしたからだ。


「小難しいことは抜きにして、表面だけ報告に行こう。指令府の爺さんたちを落ち着かせてやらないとな」


 艶やかに笑い、彼女は視線を巡らせる。


「梶川大尉、ご同行いただいても?」

「承知しました」

「藤江大尉もお願いできるかな」

「申し訳ございません、残らせていただきたく。お恥ずかしいのですが…… どうも浮かれている者が部隊に多く、引き締めておきたく思いまして」

「ずっと気に病まれていたからな。本当にご苦労様」


 頭を下げた彼の肩に掌を乗せて、天音は微笑む。

「今日はゆっくりさせてやってくれ。また明日からよろしく」

 そして、さらに視線の先を変える。


「柳津大尉、あなたは?」

「私もよろしければ残らせてください。怪我人の手当と、市街地の復旧の状況を確認したいので」

「なるほど」


 ゆっくりと首を横に振った大尉に、天音は大仰に頷いた。


「そちらの指揮はお任せする。何かあったら、すぐに知らせてくれ。では、梶川大尉、行こうか」


 颯爽と。

 天音が先を歩き、その後ろを壮年の部隊長がついていく。

 革靴の音は、階段を下っていく。


 それが聞こえなくなると、藤江大尉がゆっくりと挙手の礼を取り、出て行った。


「柳津君?」

 ともに残された相手の名前を呼ぶ。

 わずかに眉を跳ねさせて。彼は体ごと向いてきた。


「何かご指示がありましたでしょうか」

「……いいや?」


 そう応じながら、秋の宮は、同い年の部隊長をじっと見遣った。

 まとう空気はいつもどおりのようだけど、視線はわずかに伏せがちだ。

「僕の方こそ訊きたいよ。何か、気になることが?」

「いいえ、特に」

 応じる声が、すこし低い。明らかに、いつもと違う。

 嘘だ、と笑いそうになるのを堪えて、別の言葉を捻り出す。


「今日は上出来だった?」

「ええ、まあ」

「君でもそう思うんだ」

「都に住まう者の脅威をなる魔物を一つ、それも大きなモノを減らせたのだから、上出来に違いないのでは。

 我々の役目は、魔物から都と住人を護ることです。閣下も、魔物を減らしたいのだと、おっしゃっていたでしょう?」


 ようやく、まっすぐに視線が向けられてくる。銀縁の眼鏡の奥から、鋭く。


「都に着いて一番最初にいただいた指示はそうでした」

「たしかに…… 言ったね。遠鄕大尉の仕事を、もう一度君に戻す打ち合わせをした時に」


 乾いた笑いが浮いてくる。


「忘れてたよ」

「指示を忘れられると、下の者は行動に困ります」


 う、と詰まる。

 でもすぐに。

「君達だって、報告をしてなかったじゃないか」

 言い返した。

「遠鄕大尉を殺した魔物かもしれない、なんてこと、一言も」


「そう…… なるのですね」

 相手もかすれた溜め息を返してくる。

「確定に手間取り、時機を逸していたのは言い訳に過ぎませんね。申し訳ございませんでした」


 それから、目を眇められる。


「そろそろ行ってもよろしいでしょうか?」

「……うん?」

「怪我人の手当は衛生班がおりますが、市街地の復旧に関しては、上でまとめる者がいないと進みませんので」

「まとめるのは君がやるってこと?」

「他に、誰が?」


 睨まれた――ような気がした。横を向く。


「そうだったね。ごめん」

「こちらこそ、生意気を申し上げました」


 カツン、と靴が鳴ったのは、挙手の礼をとるためだったのだろう。

 わずかな間を置いてから、また足音が遠ざかっていくのを感じる。



 チクン、と胸の奥が疼いた。

 忘れていたはずの感触だ。

 試されていたのは自分なのかもしれない、という不安。



 頭を振って立ち上がる。何も言わない秘書官に、笑みだけ向けて、司令官室を出て、歩き出す。

 ゆらり、ふらり。ふわり。踏みしめているはずの床が揺れる。



 向かった先は、敷地の中でも奥まったところにある、煉瓦造りの一棟。

 白の花崗岩で飾られた玄関の前に立つと、中から一人、吹っ飛んできた。


「秋の宮様」

 呼びかけてきた蒼褪めた顔の『かんなぎ』に、穏やかに笑いかける。

「美波を迎えに来たんだ」

 ああ、と、ふっくらした頬を揺らして、彼は中へと振り向いた。


「お喋りに夢中みたいですよ。呼んでまいります」


 玄関を入ってすぐにあった、布張りの椅子に腰を下ろす。

 何回も足を組み替えて、首を左右に倒して、ようやく美波が走ってきた。


 今日は赤一色の振り袖だ。足下や袖の裾から舞い上がってくるように白い蝶の刺繍がいくつも施されている。真っ青な帯の上にも蝶の飾りが使われている。

 眩しい。そして、目に痛い。くらくらする。


「誰とお喋りをしていたの」

 訊けば、『かんなぎ』の同性の仲間たちだという。主に武具を清めることを担う者たちは今日の作戦に出かけず此処に残っていたようで、その彼女たちと話していたというのだ。

 その内容を――流行りの衣裳に装身具といったことを、途切れることなく彼女は話し続ける。

「まだ喋りたりないの?」

「だって、久しぶりなんですもの」


 正面に立った娘は、くすくすと、袖で口元を隠しながら笑う。

 それを見上げながら。

――こっちにも帰ってくればいいのに

 言葉を呑み込んだ。


――どうして、美波は僕といるんだろう?


 秋の宮が瞬いている間に、笑い声を引っ込めて。

「そうそう。お聞きになりました? 倖奈のこと」

 美波は、紅を佩いた唇をのぞかせた。


 それに、ああ、と頷く。

「先ほどの報告で上がっていたね。今日の魔物に立ち向かっていったのは彼女だと――捕まえるのにも一役買ったと聞いた」

「そう。そんなして、でしゃばるから、怪我をしたそうよ」


 つい、首をかしげる。


「君は、倖奈が心配じゃないの?」

「だって、わたくしたちは、軍人ではないですもの。それなのに飛び出していって、怪我までしたなんて、いい迷惑なんじゃないかしら」

「そうかなぁ……」


 あはは、と笑って眉を下げる。


「君は最近、倖奈に辛辣だね」

「違うわ。宮様がお優しいの」


 美波は、うっとりと笑う。

 両腕が伸ばされてきて、座ったままの秋の宮の頭を赤い袖が包み込んでしまった。

 その袖越しに、コンコン、と戸が叩かれる音を聞く。


「かんなぎに、誰が御用かな」

「……誰も気づかないのかしら?」


 繰り返される音に、美波が溜め息を吐く。

 するり赤い色が離れていって、秋の宮も息をつく。


 重たげに扉を開いて、彼女はあっと叫んだ。

「柳津君」

 秋の宮もまた、声を上げる。

「何をしに来たの」


 司令官室で分かれたきりだったはずの相手を見つめる。制帽の下で、柳津大尉も渋い表情を浮かべた。


 その彼が口を開く前に。

「倖奈はいませんわよ」

 美波が笑った。

「怪我をしたと言って、手当を受けているそうですから」

「……こちらで手当を受けているのではなくて?」

 彼は目を見開いた。


「いいえ。他の皆は戻ってきてますけど、あの子は帰ってきていませんわ。きっと部隊のほうにお邪魔してるのよ。作戦にも図々しく飛び込んでいったって聞くのに、立て続けにご迷惑でしょう?」


 それに応えはない。

 柳津大尉は、目を細めて、庭のほうを見ていた。


「どうしたの?」

 呼ぶ。

「倖奈を探してたの?」

 はい、と返ってきたことにほっと息を吐く。


 戸から離れた美波は、ゆるゆると頭を振った。


「もしかして、心配なさっているの?」

「ええ」

 頷いた大尉に、さらに湿った視線が向かう。

「どうして。でしゃばったのは、あの子でしょう?」


 美波がその後を続ける前に。

 あからさまに、柳津大尉は唇を曲げた。


「倖奈を前線に出させてしまったのは、俺の手落ちなので」


 その顔を、下げた制帽の陰に隠しながら。

「俺には責任がありますから」

 固い声を響かせる。


 むっと美波は唇を尖らせた。


 その横で。ぐわん、と胸の奥が揺れた。

 心臓がどくどくどくどくせわしなく走り始める。そのまま、喉から飛び出してくるのではないかというほどに。



 やっぱり、この男には試されているのかもしれない。

 おまえに司令官たる器があるのか、と。



 茫然となっている自覚があった。

 そんな秋の宮を分かっているのかいないのか、美波はまだ、小さな溜め息を続けている。

 柳津大尉はゆるく首を振った。


「手当をこちらで受けているのかと思ったので――私の勘違いです、お騒がせしました」


 会釈の後、一歩下がる彼を。


「柳津君!」


 大声で引き留めた。

 静かな顔を向けてきた彼に。

「どうして」

 との呻き声を放つ。


「どうして、柳津少将は、僕の先生は、君を息子にしたんだ」


 それに、彼は全く表情を変えずに返してきた。


「一人で寂しかったそうですよ」

「そうじゃない」


 すぐさま言い返す。


「息子が欲しかった理由じゃない」


 真っ直ぐにその険しい顔立ちを見つめて、問う。


「君が良かった――君じゃなきゃいけなかった理由だよ」


 すると、かすかに肩が揺れた。

 だから答えがあるのかと期待したのに。


「そんなこと聞きませんでしたよ」

 吐き捨てて、彼は外に出て行った。

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