42. 前へ、前へ

 こいつらをたおすために軍に入ったんじゃなかったのか、と己の額に拳を見舞った。

 もっとも、それで何が変わるわけもなく。

 闇雲に走って叫んで刀を振るって、血飛沫を遠く眺めて、竹箒で殴られて、掌は胼胝たこだらけになって、頬はすり減っていく日が続く。


 そうして季節が巡り、一列に並ぶ仲間は半分まで減った。減ったうちの半分は逃げ出した者で、もう半分は戦闘で命を落とした。

 今も此処に立っているのは、悪運と根性が取り柄な者だけだ。

 正面に立つ部隊長兼教官は変わった。大きい方は異動していき、小さい方は魔物に踏み潰されたから。

 今度の見た目は何処にでも居そうな中年オヤジの風采で、中身は変わらず威張り散らずだけが取り柄の奴だった。

 前に立つ都度クドクドと、並んだ面々の文句を零し続けている。

 その口から解散を命じられた。

「久しぶりに外に出れる」

 三回目に隣同士になったた少年――丸かった頬が削げて、鋭い視線が目立つようになった彼が、笑う。

「休暇だよ、休暇。頑張った甲斐があったなぁ」

「よく生き残ったよな」

 返すと、交わった視線が一瞬だけ昏くなった。

 すぐに明るい声が返ってくる。

「親の顔を見に行かなきゃ」

 つい、目を瞠る。

「家に、帰るのか」

「おまえもだろう?」

 その存在に疑いがないのだろう表情に、曖昧に、笑い返す。


 懐には、僅かばかりの一年の見返り。

 歩いてきた果て、よく知ったはずの通りに、ピリリと肌が粟立った。

「よう、帰ってきたのか」

「でかくなったなぁ!」

 朗らかにかけられる声に、頷きしか返せなかった。


――ここを離れていた間、俺は何をしていたんだろう。


 濃紺の肋骨服と官帽は、誇りではなく重荷だ。

 足を引きずって、それでも前を向いて、進んで。

 奥まった路地に面した、薄い壁の貸し長屋に着いて。

「ただいま」

 戸を叩く。

「ただいま――いずみ?」

 何度呼んでも、返事はない。試し、と引き戸に手をかけても、カタンと揺れるだけ。

 首を傾げる。休暇のことは伝えたが、戻る、と伝えていなかったのがいけなかったのだろうか。

「そういえば」

 と。

 通りかかった、三件向こうの部屋の男が宙を仰いだ。

「一昨日くらいから姿を見てねえなぁ」

 がん、と戸を叩く。戸板が揺れる。きしむ。

「泉!」

 まだ此処に住んでいるはずの女の名前を呼ぶ。

「俺だ! 開けろよ!」

 ぎっと奥歯を鳴らして。蹴破った。

 瞬間、喉をつく異臭。

 ぶらん、と揺れる影を見る。梁に吊られていた、女が落とす影だ。



 馥郁たる香りが漂う日だった。

「おまえが喪主か」

 小さな祭壇の前でじっと座っていたら、声をかけられた。

柳津やないづ少将」

 その相手は知っている男だ――外ならぬ、自身の上官の上官のそのまた上官、くらいに当たる男。北方鎮台の司令官その人。

 まだ二年目の二等兵に何の用だろうと瞬く。

「弔問に来た」

「え?」

「配下の親族へ手を合わせることに、問題はあるまいよ」

 導師さえ招かなかった葬儀を、どうやって知ったのか。目を丸くする横で、壮年の彼は静かに線香を立て、手を合わせた。

「母親か」

「違います――いや、そうです」

 こんどは少将が目を丸くした。構わず、喋る。

「戸籍は、養母、のはずですから」

 笑って、俯く。ぽたん、と雫が膝に落ちた。

「実母はどうした」

「死にました。十二の時に」

 唇だけが、笑う。

「住んでいた村に魔物が出て。皆、魔物に食われた。人は食われて、家と畑は焼けた。その時に、俺の本当の家族も、泉の本当の子どもも死んだんです。俺の、学校の友達だった」

 ああ、と少将は目を細めた。

「新聞の記事になっていたな――少し北の、海辺の村だろう? 魔物の出現と、それに失火が重なったと聞いている。火から逃げそびれた者もいたと」

「違う」

 ぎりっと奥歯を鳴らしてから。

「みんな魔物に殺されたんだ!」

 叫ぶ。

「魔物に追いかけられて、火を倒しちゃったんだよ。ちょうど、ご飯の用意の最中だったから。魔物がいたから、火を消せなかったんだよ! だから、もし、あの時、誰かが魔物を斃せていたら。喰われることもなかったし、火も消せて――みんながみんな、死ぬことはなかったかもしれないのに」

 ぼたぼたぼたぼた。雫が続けて落ちる。

「魔物を斃せるようになりたくて軍人になったのに、全然斃せない。仲間はどんどん死んでいく。俺が強ければ――いいや、そうじゃない。魔物のせいなんだ。魔物がいなければ、誰も死ななくて、何も壊されなくて」

 涙など、とっくに枯れたと思っていたのに、まだ残っていたのかと拳で顔を擦った。

 腫れぼったい目で向くと、司令官は満面の笑みだった。

「本当に魔物のせいだけだと、思うか?」

「……どういうことだよ」

 何故か面白がられている、と感じて唇を曲げる。

「一般兵、年期はあと一年か」

 つい、そっぽを向いた。だが、彼は軽やかに続ける。

「今が最悪なだけ、と心得よ。そして、前に進んでみろ。私はおまえと共闘できるぞ?」

「は?」

 声がひっくり返る。

 柳津少将は豪快な笑い声を立てた。

「むしろ、私の方こそ共闘してみたい、かもしれぬな。任期が終わって、その時にまだ軍人を続ける覚悟があったら、私の家に来たまえ」



 出動、の掛け声に怯えずに済むようになった。

 胼胝が破れて痛いということが減ったな、と気が付いた。

 その時、久しぶりに自分の掌をじっくりと見た。

「今が最悪なだけ」

 呟いて、拳を握り、開く。

 軍刀を振れるか、と唇の端を上げる。



 *****



 はあ、と指の先に息を吐きかける。

「寒いねえ」

 かけられた声に倖奈ゆきなが横を向くと、泰誠たいせいが笑っていた。

 その彼は、蒸栗色の小袖に焦げ茶の袴。いつもは白い立襟のシャツが覗く首元には、紺色の襟巻がぐるぐると巻きついている。両手には、毛糸で編まれた手袋。

「あなたは、温かそうね」

 笑い返す。

「手袋、いいよ」

 彼は目尻を下げた。

「指先が冷えないと、温かく感じるよ。ああ、襟巻もね。首が冷えないほうが良い」

 倖奈は右手を首の後ろに回した。短くした髪はくるりとまとめて、簪で留めてある。乾いた空気に晒されたうなじも、そこを触れる指先も、冷え冷えとして感覚が薄い。肩掛けを羽織り直して、息を吐いた。

「わたしもつけてみようかな、手袋」

「服屋の友達がいるんじゃなかったっけ?」

「頼んだら作ってくれるかしら」

 クスクス笑って、目を逸らした。

「……心配してくれて、ありがとう」

「ああ。うん。どういたしまして」

 それきり、泰誠は黙る。倖奈は眉の端を下げた。

――そうよ、心配してくれているのよ。

 相手が困っているようだったらその解決の手助けをしよう、としてくれているのだ。決して、傷つけようとしているわけではない。

 そうだ、と判っているつもりなのに。



 シロの声が頭を離れない。

「人を苦しませて、怒らせて、怖がらせて、わざと荒れさせて、瘴気を生み出させて」



――そうなんだ、わざとなんだ。わざとできるんだ。

 人間は、同じ人間を故意に奈落へと突き落とすことができる生き物らしい、という感覚もまた。躰を冷やしている気がする。

 もう一度溜め息を吐いて、首を振って、辺りを見回した。

 濃紺の軍人たちが彼方此方へ駆けている。肩章には『玖』の字。今日は皇都鎮台の第九部隊が一緒だ。

「僕らの出番はないかもね」

 泰誠が頭を掻く。

「沸いた魔物はすぐに退治出来たみたいだし、この後に続いて沸きそうな気配も無いものね」

「そう…… かしら」

――人間が魔物を産むのだとしたら、人間がいる限り魔物は生まれ続けるのではなくて?

「どうしたの、倖奈?」

 泰誠が顔を覗き込んでくる。

「具合悪い? この寒さだし、やっぱり風邪でもひいてる?」

「なんでも、ない、よ」

「本当に?」

 彼がきつく眉を寄せているのが見える。

「誤魔化さないで。顔、蒼いよ? 朝からだったじゃないか」

「そうかしら?」

 目を逸らす。

「頑張るのもいいけれど、倒れたら元も子もないから。ね、ここでの用は無さそうだから、送っていくよ」

「大丈夫」

「心配だから」

「一人で帰れるもん」

 差し出された掌から、するり、逃げる。

 泰誠が目を見張り、眉を寄せる。

 きり、と胸の奥が軋む。

「ごめんなさい」

 俯く。

「いや…… 僕の方こそ、その」

 ぶんぶんと頭を振って、泰誠はからりとした笑い顔を向けてきた。

「とにかく、今日は帰りなよ。寄り道しないで帰って、ゆっくり休んで」

「うん」

「本当は」

 と、泰誠はまっすぐに見つめてきた。柔らかな、視線だ。

「僕が君を護れればいいのに」

 曖昧に笑い返して、頭を下げる。


 コツン、コツン。

 編上靴ブーツの踵が石畳を打つ。

 硬質な、音。


 無茶苦茶に歩いたから、万桜まおの邸からは遠ざかっていて。それに気が付いて、苦笑いを零す。

「だって、戻りたくないんだもん」

 いつかのように雨でも振ってくれば良いのに。そうしたら、雨宿りでもしている間は帰らないで――シロの顔を見ないで済む。

 目を逸らしてばかり、と内心嗤うと同時に。

――それでもって、いつかのように、逢えたらいいのに。

 そんな考えが浮かんで、唇を噛んだ。

――どんな顔で逢うつもりなの?

 おまけに。泰誠からは逃げ出したのに、史琉しりゅうなら良いなんて、どういうことなのだろう。

 結局、年が明けてからずっと、まともに会っていない。雨の日に、差し伸べてくれた傘の内から飛び出して以来一度も、言葉を交わしていない。最後に見たのが、巡回中の彼に向けられた冷たい視線だ。

 その視線を勝手に解釈するな、と言われて固めた決意は何処に飛んでいったのか。

 ああ、と息を吐いて、天を仰ぐ。

 空は青い。真冬の冷たい空気は何処までも澄んでいて、白い雲が目に痛い。

 木枯らしを裂く子どもの声が鼓膜を打つから見回せば、堀に沿って伸びた空き地で何人もの子どもが、凧を上げていた。

 くるりくるり回るのもいれば、ひたすら真っすぐに昇っていくのもある。

 顔を見合わせながら笑う彼らの頬は温かな、赤。

 倖奈の頬も綻ぶ。

 もう一度肩掛けを体に巻き付け直してから、周りを見回せば、ここは笑顔だらけだ。

 遊ぶ子どもと、それを見守る視線。

 堀を目にして、あ、と思った。

――此処。この間、史琉が魔物に捕まったおじいさんと取っ組み合いになったところ所だ。

 魔物を追い出すのを手伝ったのだ。一緒に、史琉とシロと、魔物がいた社の神主がいた。

 そこから思い出す。

 その後、もう一度、社に行った。鏡から魔物が飛び出してくるのを見た。

――あの魔物は、煩いのが嫌いだった。

 あれ、と瞬く。

 何がか引っ掛かる。

 ぎゅっと襟の袷を握る。何かが、喉の奥まで近づいてきている。

――なんだろう、なんだろう。

 忙しなく瞬いて。もう一度、両手を握りしめて。

 空は青い。


 倖奈は駆け出した。

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