40. 願いを述べよ

 どうして、目が合った。

 参拝客でごった返している、決して狭くない通りの端と端で。


 彼は哨戒の最中なのだろう。

 濃紺の制帽をかぶって、腰には軍刀を下げて。肋骨服の襟元では徽章が一つ輝いている。

 白い手袋を嵌めた手で持っている帳面は街の地図か、はたまた。そんな手元を見るわけでもなく、すぐ傍に立つ同じ部隊の軍人たちでもなく、彼の視線はこちらを向きっぱなしだ。

 真っ直ぐに伸びた背筋に、眼鏡越しの鋭い視線。


 顔が火照り、喉が渇いていく。

 咄嗟に横を向いて、そのまま駆け出した。どうにかこうにか人波を掻い潜って、遠くへ遠くへ。


「あいたっ!」

 つんのめって、倒れ込む前にどうにか止まった。

「やだ」

 息を吐いて、足元を見る。半歩引いたままの右足、黒漆の草履の鼻緒が取れてしまっている。

 倖奈ゆきなは屈んで、草履を摘み上げた。


――直さなきゃ。


 ざわめきの中を、けん、けん、と道の端へ。土産物屋の前を避けて、木の塀にもたれる。

 体中がかっかっと熱い。真冬の乾いた風の中なのに。

 溜め息を吐き出して、塀に背中を預けたところで。


「大丈夫?」

 声がかなり高いところから降ってきた。

颯太そうた

 見上げて、笑う。


 声の主も軍人。だけど、自分とさして年の変わらない少年。


「そう、ね。いるわよね。今この辺りを回っているのは第五部隊だもの」

 知り合った頃よりも馴染んできた肋骨服には二つ肩章が付けられている。皇都鎮台のしるしと『伍』という文字だ。

 それをさすって、ずばぬけて背の高い少年はふにゃっと笑った。


「哨戒と訓練を兼ねてだって」

「訓練?」

「そう。びっくりだよね」

 笑顔のまま、彼は通りを向いた。

「人出の多い中で魔物が出た場合にどう避難誘導をするか、だって」

 なるほど、と頷く。

「初めてやるんだって話だよ」


 そこで颯太はぐっと唇を曲げた。

「だって、ほら――捕まっていないからさ」

 ああ、と倖奈も眉を寄せた。


――アオだ。


 鏡を見なくても分かるほどの情けない表情で見向けば、彼もしょげた表情になっていた。


「あの、さ」

「なに?」


 颯太は、かり、と頬を掻いた。


「第五部隊が魔物を逃がしたって言われているんだ」

「そう…… みたいね」

「それでさ。第五部隊っていっぱい隊員がいるのにさ。俺だってその時一緒に出動してたのにさ」


 コツン、小石が颯太の足元で弾んだ。


柳津やないづ隊長が怒られてばかりで、すごい厭なんだ」

「そう…… よね」


――部隊を指揮していたのは俺だ。


 そんな理由だ、隊長ばかりが怒られているのは。彼は決して颯太や他の隊員たちを前に出すつもりはないのだ。

 口を何度も開けて、閉めて、繰り返す。


 颯太は、ぶん、と頭を振った。

「そ、それはそれとしてさ。その下駄、大丈夫?」

 あ、と倖奈は手に下げたままだった歯の無い履物を見る。

「大丈夫よ」

 反対の手首に下げた巾着に使える手拭いがあるはずだと、笑む。


 颯太の頬が赤くなる。

 遠くから「駒場こまば!」と呼ぶ声がした。


「やばい、探されている」

「行ってらっしゃい。頑張ってね」


 色彩豊かな人波の中に、濃紺の背中が溶けていく。

 もう一回息を吐いて、草履の鼻緒をすげる。ぎゅっと締め直したところで、また声をかけられた。


真希まき!」

 今日の待ち人、年の近い女子。差し出された両手に、ぱん、と両手をあてて打ち鳴らす。


「この人混みだもん、見つけられなかったらどうしようかと思ったわ」

「服を決めておいてよかったね」


 うふふ、と笑いあう。

 今日の約束をした時に、着る服まで決めたのだ。長着に道行にしよう、と。

 真希は、紺と白の縦縞の着物。その上に落ち着いた色の道行だ。

 倖奈も今日は袴姿ではなくて、珊瑚色の長着に淡い色の道行。


「本当いいなぁ。そんな色が似あって。女の子って感じで、ふわふわしてて」

 その道行を真希が引っ張る。

「浮ついてる?」

「ううん。可愛くて羨ましい」

 でも、と彼女は舌を出した。

「ずんだ餅みたいな色よね」

 え、と目を丸くする。ケラケラ笑われて、唇を尖らせる。

「真希のだってあんこ餅みたい」

「うるさいなあ!」

「こし餡よ、ぜったい!」

「そんな言うから、お餅食べたくなってきた。お参りは後にして、先におやつにしよう!」


 再び手を打って、両側に土産物屋と茶屋がひしめき合っている参道へ。その一つの店で、毛氈のかかった長椅子の隙間に滑り込み、並ぶ。

 久しぶりの友人は、あばたの浮く頬を膨らませ、笑っている。


「あんたがなかなか来ないからさ。オネエサマたちが五月蠅うるさくて」

 いつも会う、別の店員たちのことだろう。

「今日あんたと遊びに行くんだって言ったらさ。よろしくだって」

「わたしからも。よろしくお伝えください」

 倖奈も笑む。


「買い物に来ない?」

「うーん…… しばらく、いいかなぁ? 履物を新しく買っちゃったの」

 と、倖奈は足元に視線を落とした。真希も下を向く。


「随分古そうな草履だけど」

「これじゃないわ。編上靴ブーツを買ったの」

「そっかあ! 袴に合わせるの流行ってるもんね」

「やっぱりそうなのね。別の方に教えてもらったから買ってみたんだけど」

「どう?」

「どうって…… そうね。暖かいわ」

「うん。そういう話だけじゃない」


 真希は、餅を頬張りながら、ニヤニヤ笑っている。


「周りの人の反応は?」

「特にないです」

「ええ? 以前まえに着物は褒めてもらったのに?」


 ああ、と倖奈は、団子の櫛を握る指先に力をこめた。


「彼とは最近、喋ってないもの」

「そうなのね。残念」

史琉しりゅうとはなんでもないもん」

「はいはい、そうなのね」


 真希はぺろっと舌を出した。

「最近、軍は忙しそうだっていうものねえ」

「そうね」

 またアオの話だ、と倖奈も溜め息を吐きだした。


 年を越しても、まだ見つかっていない、町はずれの社で眠っていたはずの『魔物』。

 鎮台はそれを退治することに躍起になっている。通常の哨戒に加えての捜索任務。忙しくないわけがないのだ。


「だけどさあ…… あたしはイマイチ、ピンと来こないんだよね」


 緑茶を啜る真希に、え、と振り返る。

「小さい頃から都に住んでるとさ、慣れちゃう気がしない? 魔物が出てくるのが当然に感じちゃうんだよね。そんでもって、魔物をなんとかするために軍が来てくれるってのも当たり前になっちゃっててさ。だから今、一匹魔物が見つかってないくらいでなんなの、っていう……」

 うーん、と頭を掻く真希に何度も瞬いてみせた。

「気にならない、の?」

「あんまり。身近に出てくるはずないって思っているというか」

 下唇を突き出した真希の視線が通りへと向く。

「結構、そういう人、多いと思うんだけどなぁ」


 倖奈もまた、通りを見遣る。

 その先の神宮に向かう人たちと、逆に帰ってくる人たち。その合間を縫う濃紺の軍人たち。明るい表情と騒めきは、確かに何も変わっていないような気がする。昔からも、そしてこれからも。


「そういうものなのね」

「あんたはそうもいかないんだ」

 当然だ。魔物を追っている者の一人なのだから。


――それなのに、こんな遊びに来ていて良かったのかしら。


 つきりと胃が痛む。ぶんぶんと頭を振って、それを追い払う。

 食べかけの団子に齧り付く。


「やけ食いしなくていいのよ」

「ほんなほとないほん」

「分かったから、飲み込んでから喋りなさいよ。彼に笑われるわよ」


 真希はげらげら笑っている。喉につかえた分をお茶で流し込む。


「だから、最近喋ってないんだってば」

「もしかしたら、そこの通りにいるかもしれないわよ?」

「居るわ。もう見かけたもの」

「じゃあ、なおさら、お行儀よくしてなきゃいけないんじゃないの?」

「なんで」

「嫌われちゃうわよ?」

「もう嫌われた後だもん」


 唇を尖らせて、横目で睨む。真希はひょいっと肩を竦めた。


「ウソだ」

「ホントだもん」

「じゃあ、話してごらんなさいよ。何と言われたの?」

 やはりジト目で笑いかけてくる友人に倖奈は、え、と返した。


 冬の雨の中、交わした言葉はなんだっただろう。


「勝手に諦めちゃダメじゃない?」

 そう言って、真希は少し首を傾げた。

「あのさ……」

「なあに?」

 同じように首を傾げてみせる。真希は苦笑いを浮かべている。


「あのさ。あんたのそれと一緒にしちゃいけないんだけどさ。良いことがあった」

「どんなこと?」

「お客さんが増えた」


 真希の表情がぱっと華やいだ。


「ずっと一回限りの人が多かったんだけどさ。秋の終わりくらいから、二度目三度目も来てくれるお客さんが増えた。年が明けてからも、また来る、なんて言ってくれた人もいるし」


 頬を染めて、彼女は顔を伏せた。


「……嬉しいんだ」

「おめでとう」


 倖奈は、伏せられたままの彼女の顔を覗きこんだ。


「あたし、やっぱりお針子の仕事好きだからさ」

「うん」

「作った着物を気に入ってくれるのは嬉しくて」

「ええ」

「またお願いしてくれるってのは本当に嬉しくってさ」

「そうよね」


 自然と頬が緩む。彼女はまっかな顔のまま、目を瞑って、かすれた声を出した。


「諦めないで良かった」


 ぎゅっと。傍にあった手を握り合う。

「仕事、辞めないで良かった」

「……辞めたい時もあったの?」

「だって、全然お客様が来ない時とかあったんだもん。あんたが初めて来た時も、実はちょっと自棄糞やけくそになってた」

「そうなの!?」

 目を丸くする。真希はそろりと目を開けた。

「オネエサマ達には内緒よ」

「言わないわ」

「お願いね」


 うふふ、と笑った彼女は立ち上がり、倖奈の腕を引く。

「じゃあ、倖奈の恋愛成就をお願いしに行きましょうか」

 倖奈も吹きだして、それから上目遣いで睨んだ。

「わたしは真希の商売繁盛をお願いするからね」



 賽銭を投げて、鈴を鳴らして。手を鳴らす。

 その後もまたおやつを頬張りながら、散々笑いあって。

 ころん、と草履を鳴らしながら邸へと返る。



 縁側では、シロが大欠伸をしながら転がっていた。

 朱色の光を受けて、影が長く伸びている。

 唇を噛んで、ねえ、と声をかけた。


「アオを捜す、手掛かりはないの?」


 すると彼はにっと笑った。


「ようやく捜す気になったか」

「わたしもできることをするの」


 右手で、反対の道行の袖をぎゅっと握りしめる。

 白い狐面を床の上から跳ね上げて、シロは起き上がった。

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