39. 将軍閣下は逃げ出した(2)

「ずっと待ってたの? 一人で?」

 ぱかっと、秋の宮の口が開く。

「どうして」

「だって、お話ししたかったんですもの」

 対する美波みなみは、暗い廊下にも関わらず、顔を上げて歩み寄ってきた。

「わたしたち、恋人同士なのではなくて?」

「そう…… そうだね」

 甘やかな響きに、口許はするりと笑みの形に変わった。

 真正面まで辿り着いた美波は、己の袖と秋の宮のそれの両方を揺らしてくる。

「だけど」

 と、秋の宮は静かな囁きを返した。

「僕、今夜はもう帰るよ?」

「……御一緒できませんの?」

 だが、さらり髪を鳴らして、首を傾げられた。白魚の指は、秋の宮の腕に添えられたまま。喉が鳴る。

「じゃあ…… 来るかい?」

 返事は頷きのみ。

 白い手袋を嵌めたままだった手を、華奢な肩に乗せて、そろって歩き出す。

 外で待っていた御者は、二人が乗り込むとそのまま馬車を走らせた。

 夜陰に不愉快な、洋燈ランプの光と、蹄と車輪の音。箱の中で自然と身を寄せ合う。

「こんなに冷えて」

 絹の長着の表が冷たい。それに隠された彼女の躰も冷え切っているだろうに、と自分より細い肩に回した腕に力を込める。

「ずっとお待ちしてましたから」

「そんなに僕と話がしたかった?」

「勿論ですわ」

 その囲いの中から逃げ出さないばかりか、彼女は指先でぎゅっと袖を掴んできた。

「宮様、お忙し過ぎ。年末からずっとお休みなく働かれているのではなくて?」

「うーん? まあ、確かに休みたいなーとは思っているけど……」

「そうでしょう!?」

 ぴしりと言いきられて、笑う。彼女は頬を胸に押し付けてきた。

「初詣をご一緒にしたかったのに」

「行けなかったね」

「そればかりでなくて、ここしばらくお散歩もお食事もご一緒できていないわ」

「そう言えばそうだね」

 これが恋人の我がままというやつか、と口元が綻ぶ。


 無邪気に己を慕ってくれるというのはいいものだ。


「でも今夜はさすがに、食事を一緒にというような時間じゃないけど」

「そうですの?」

 美波の声がさらに硬い響きを含める。

「先程までたしなんでらしたのではなくて?」

「あれ…… におうかな」

 くんと鼻を鳴らすが、分からない。美波は先ほどとは反対に、くすくすと笑い出した。

「すぐ分かりました」

「ええ!?」

「馬車に乗ったら、特に。近いし、狹いところですし。だから、正直におっしゃって。お酒呑まれましたの?」

「呑んだよ…… 断れなかったさ」

 ふふ、と息を零すとぎゅうと袖の下まで摘ままれて、イテ、と叫んだ。

「美味しかった?」

「うん」

「それはよろしかったですわね」

「美波」

「わたしは寂しい想いをしていたのに」

 抗議の声。笑い声は止まって、胸にぬくもりがすり寄ってくる。

「ずるいですわ」

 ひゅっと息を呑んで、さらに身を寄せる。頬を寄せる。

「ごめんよ」

「……どなたとお飲みになったの?」

柳津やないづ君だよ」

 答えたのに、また腕をつねられた。

「なんで怒るの」

「だって、あの人のせいでお忙しくなったんじゃないですか」

 声が強張っている。思わず宙を仰いだ。

「確かに…… あの日、柳津やないづ君が魔物の追跡を優先してくれてたら、捕まえられていたかもしれないけど」

「そうでしょう?」

「第八部隊の藤江ふじえ隊長の動きが遅かったからって説もあるけど…… うーん。やっぱり、柳津君なのかなぁ?」

「あの人が悪いんです」

 ぎゅうぎゅうと腕の皮膚は攣れていくばかりで、いてて、と声を上げる。

「僕のせいじゃないってことで、ゆるしてよ」

「ごめんなさい」

 指先が離れていく。肋骨服の下に痺れだけを残して。

「折角お話になって、魔物を追わなかった理由は訊いていませんの?」

「そういえば訊いてないや」

 あはは、と笑う。美波からは溜め息が返ってきた。

「わたし、あの人は嫌いです」

 え、と間抜けな声を出す。

「だって、話は聞いてくれないし、してくれないし」

「そ、そうだねえ?」

倖奈ゆきなとはするのに」

「うん? そうなんだっけ?」

 唐突に出てきた、美波とは親しいはずの少女の名前に首を傾げながら。

「実は、僕も今夜が初めてなんだよ、柳津君とゆっくり話したの。普段は仕事の真面目な話しかしないから」

 ふっと笑う。

「やっと彼のお父さんの話を聞けた」

 ちくりと胸の奥だけ痛む。それを溜め息とともに追い出したのに。

「宮様」

 美波の声が硬く響くのに、身を強張らせた。

「わたし、宮様の一番になれませんの?」

 え、と漏らした声は自分のものではないような響き方をした。

「……どういうこと?」

「わたし、一番になりたいんですの。誰と比べられても、一番で」

 馬車の揺れ、夜の闇のなかでもくっきりと、美波の声が聞こえる。

「一番にしてもらいたいんです」

 瞬く。

「それは、どういう……」

「一番じゃなきゃ厭なの」

 くっきりとした声。

「わたしが一番綺麗じゃなきゃ駄目なんです。わたしに一番に話しかけてもらわなきゃ駄目なんです。私と過ごす時間を一番多くしてくれなきゃ。わたしのことだけ考えてくれなきゃ……」

 と、そこで息を吐いて、美波は黙ってしまった。

 車輪が跳ねる。

「それは…… 分かるかな」

 ふっと、秋の宮は息を吐き出した。

「誰でもいいから、僕を一番に考えてほしいんだ」


 誰かが何かをはっきり言葉にしたわけではない。だけど。

――兄上と僕は違う。

 同じ父母の子でありながら、産み落とされた順番によって差別される兄弟。世継ぎと崇められた兄とは違い、幼い頃はどこか甘やかされた、放り出されたような毎日だった。

――天音と僕は、違う。

 気が付けば一緒に育てられていた同い年の従妹。はっきりものを言う彼女。国と主上を第一に考えて行動できる彼女と、なあなあで司令官の座に居る自分に対する、軍人たちの評価はまるで異なっている。

――教え子でしかなかった僕と、名目上であれ『子』であった彼は、違う。

 尊敬する人が知らぬ間に迎えていた養子。


――寂しかったからだそうですよ。


 知りたいのは、養子を迎えた理由ではない。

「君が良かった理由はなんだったんだろう」

 つい声に出してしまった。

 美波が、え、と顔を上げる。

「わたしでは、お嫌?」

「ごめん。君のことじゃないよ」

 頭を振った。


――そうか、それが知りたかったのか。

 ふと気が付いたことに、深く息を吐く。

 少将の訃報が届いた時、その喪主として名を見たのが最初だ。

「これは誰?」

 問うと、秘書官は即答した。

「故人のご子息だそうです」

「嘘だ。結婚もしていないのに、子どもがいるはずがない」

「知りませんよ」

 それを無理矢理調べさせれば、今は北方鎮台で小隊を率いる中尉だという。程なく大尉に昇進したということも知った。

 そして不運な事故から出来た皇都の鎮台の、部隊長の空座。

 北方から彼を呼びたいと司令府に訴えると、怪訝そうな顔をされた。さらに当の本人からも拒絶の反応。

 むっとなった。

「都での勤務は不満なのかな!?」

 手紙で。電話で。人を介して。ようやく諾との返答を得た時は天音に自慢しに行ってしまった。

 今にして思えば、試されていたのは自分なのかもしれない。

 鎮台を預かるだけの才覚があるのか、と。


 ガラガラと鳴いて馬車が停まる。秋の宮の私邸の門前だ。

 黙って降りる。振り返ると、美波はまだ座席に座ったままだ。

「おいで」

「わたしでよろしいのですね?」

「良いから、連れてきてる」

 馬車に戻って、彼女の腕を掴む、強く引く。小さく抗議の声が上がったが、聞かないふりをする。

 そのまま手を引いて玄関をくぐり、真っ直ぐに寝室へ進む。

 たたき起こされたらしい女中がブツブツ言いながら、灯りや寝台を用意してくれた。

 灯りの下、今日も美波は赤い装いだと知る。

「美波」

 寝台の端に腰を下ろして、呼んだ。

「僕が良かったのは、なんでだい?」

 部屋の入口に立ち尽くした彼女は、唇を引き結んだ。

「ああ、僕だけが訊くのは公平じゃないか」

 軽くむせて、笑う。

「僕は――そうだな。君がそこにいたから、なんだろうな」

「わたしもです」

 美波も少し肩を落としながら笑んだ。

「そこに宮様がいたから。わたしの話を聞いて、頷いてくれたから」

「もし、そこにいたのが僕じゃなかったら。例えば、筒井君とか柳津君とかだったら」

 僅かに上目づかいになる。

 彼女はゆっくりと唇を弧に歪めた。

「だとしても、やっぱり宮様を選びますわ」

「どうして?」

だからです」

「それは本当かい?」

 今更のように疑問を口にする。

「ええ。きっと、本当」

 言い切った美波の顔を電球が照らす。赤く、昏く。

 首を振る。手を振る。

 勢いよく飛びついてきた美波もろ共、秋の宮は寝台の上に転がった。

「嬉しいよ」

「わたしも。気持ちが一緒で嬉しい」

「そうだろう?」

 浮ついた声だな、とどこか冷めた己が指摘する。

 腕の中から広がる温もりに、そんなものはすぐに溶けてしまった。


 面倒な毎日なんか、溶けて無くなってしまえ。


 分厚い窓帷カーテンは朝日を通すなんて、無粋な真似はしない。

 だからこのまま夜に逃げていたい、と頑なに目を閉じた。



 *****



 薄っぺらい布団に包まっているのは自分だけではなかった。

 いつの間にか、その相手に背中を向けて眠っていたらしい。背骨に沿って感じる熱に、自然と眉が寄る。

 身じろぎすると、起きているの、と声がかかった。

「そっちこそ、起きてるの?」

「目が開いちゃったのよ、あんたが動くから」

 後ろから伸びてきた腕に囲われる。

 背中に当たっているのは女の豊かな乳房だ。温かくて、柔らかくて。

「なんかムカつく」

 ぎりっと奥歯を鳴らす。

「何がだよ」

 くすくすという笑い声がつむじの向こうで響く。

「あったかいだろう?」

「一人で寝れる、布団から出て行け」

「まだまだガキなんだから、強がらないの」

「うっさい、ババア」

 舌を打つ。

「一体どこで、そんなお行儀の悪い仕草を覚えたんだかねえ……」

 溜め息。それきり、彼女は黙ってしまった。

 こちらから話すこともないから、ただただ沈黙が流れる。

 そうして、ふにゃふにゃと頼りなく白い腕の中に閉じ込められたままじっとしていると、やがて、寝息が聞こえ始めた。

 こちらの目はぎんぎんに冴えているというのに。

 ぎゅっと睨んだ夜の闇の向こう、窓の外は仄明るい。雪のせいだ。

 冷えているんだろうな、と思う。

 それ以上に、こんな夜から逃げ出したいとも思っていた。

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