33. 思い出と古い傷と(1)

 第五部隊の部屋にやってきた少女を見て、颯太そうたはびっくりした。

倖奈ゆきな、髪を切ったの!?」

 いつも肩下で揺れていたおさげ髪が消えている。色の薄い、細い髪は後ろでくるりと捩じられて、簪で止められていた。

「少しだけ」

「そっかー。に、似合ってるよ」

「ありがとう」

 蚕の繭のように白い肌に、ほんのりと朱が浮くのが見える。知らず、颯太の顔も熱くなった。

 颯太より背の低い彼女の顔から、さらに視線を落とせば、細かい織の着物の袖からやはり白くて小さな手が見える。ぎゅ、とその手が抱えていた紙の束に皺を寄せる。

「いつもの『かんなぎ』からの資料をお持ちしたの」

「あ、うん、うちの隊長に渡すやつだよね! 預かる!」

 がっと身を乗り出して笑うと、彼女は微かに顔を伏せた。

「お願いしていい?」

 差し出されたそれは大した量はなさそうだ。軽い。

「かしこまり!」

 両手で掴んで振って見せると、倖奈は頷いて、踵を返していった。

 視線が白いうなじに吸い込まれていく。喉が鳴る。

 慌てて顔を横に向け、体も部屋の中に戻す。

「今、来てた?」

 扉の横に立っていた別の隊員がぼそりと訊いてきた。

「例の子――司令官室の前で隊長がふっちゃったっていう」

「悲しいことにそうです」

 颯太はしょぼんと肩を落とした。

――びっくりしたなぁ、話を聞いた時は。


 何がどうしてそういう展開になったのかは諸説紛々なのだが、噂の中で一点共通しているのは、隊長殿が倖奈に何一つ返さなかったということだ。

 無表情に横をすり抜けていったのだというのだから。

――怖い。

 颯太の中に、隊長殿を表す言葉はそれしかないらしい。


「残念だったな。おまえも盛大に失恋だ」

「えっと。なんでそんなお考えに」

「え? おまえはあの子狙いだったんじゃないの?」

「違います」

「あーはいはい。元気で何より」

 肩を竦めた先輩に、ぼりぼりと顔を掻いて、手にした書類を見下ろす。

「さっさと渡して来いよ」

「ええ、えええええええ」

「おまえが預かったんだぞ、責任持てよ。ほら、今、席にいるじゃねえか」

「お席を外している間に机に置いてくるじゃ駄目っすか」

「いいから行けよ」

 ぼそぼそと言葉を交わす。すがる視線を周囲に投げても、皆明後日の方角を向いている。

「今の隊長に声かけたくないっす」

「全員そうだ。諦めろ」

 ぽん、と背を押され、かくんと一歩踏み出す。

 よた、よた、と臙脂の絨毯を進み、重たげな木の机の前に立つ。その反対側、窓際の椅子に座っている人が見上げてきた。

 官帽に肋骨服、白い手袋、軍刀もさげっぱなしと、いつもと変わらぬ組合せ。だが、口は真一文字に引き結ばれ、眉の間には深い皺が二本刻まれている。

「なんだ?」

 声は硬い。背中を汗が流れる。

「ええっと。書類です、隊長!」

「ああ、『かんなぎ』のか」

「そうです!」

「誰が持ってきたんだ?」

「あ、えっと、俺がちょっと預かってきました!」

「どこで?」

「ええっと、すぐそこで!」

「おまえ、部屋を出ていたか?」

 背中の汗の量が増える。誰かが「あーあ」と呟くのも聞こえた。

 隊長殿は大きな溜め息を吐き、颯太が差し出す書類を取った。そのまま椅子を軋ませて、書類を読み始める。眉間の皺は深い。

 その鍛えられた背から、真っ黒な霧が立ち上っているような錯覚に何度も瞬く。

「駒場」

 不意に呼ばれ、ひゃあ、と叫んだ。

「何か用か?」

「え、ええと、ええっとですね。あの…… 隊長は」

 わたわたと両手を振っていると、柳津大尉は顔を上げた。冷たい視線が脳天を貫いていく。

 これからやってくるだろう冬将軍よりも冷たい目だ。

「いえ…… その、隊長にも恋人とかいるのかなーとか、その」

――何言ってるんだ、俺!?

「いるわけないだろう」

 あっさりと返ってきた答えに、はあ、と間抜けな声が出る。

「縁談とかなかったのかなーとか」

「北方鎮台に居た時に何度かあったよ」

「でも今結婚されてないってことはお断りしたんですよね」

「どっちもだ」

 掠れた溜め息の後、大尉殿は視線を書類に戻した。

「さっさと元の仕事に戻れ」

「あ、はい、頑張ります調べます」

 わたわたと戻ってくると、ジト目の先輩数人に迎えられた。

「おいしい情報を持ってきたな」

「そ、そうですか?」

「彼女にまだ挽回の機会があるかもしれねえぞ」

「そういうこと?」

「でも今日は、入口で追い返したので正解だよ。この部屋で一緒に喋られたりしてみろ、俺たちが居たたまれない」

「そうだそうだ」

「そもそもはだな、隊長がカワイ子ちゃんを邪険にしたのが悪い」

「北に居た時の縁談ってのも気になるな」

「どっちもってことは、フったこともフられたこともあるんだ」

 ぼそぼそぼそぼそ、頭を突き合わせていると。

「おまえら」

 氷のような声がすうっと通された。

「訓練」

 声の主は顔を上げることなく、淡々と続けた。

高辻たかつじ少尉。午後の哨戒に向けて、一つしごいてやれ」

「いいだろう」

 部屋の隅からすたすたと鍛えられた体が向かってくきた。なお、こちらも黒い霧を放出している。

 ざわ、と皆が揺れる。

「ひえええええええ、菜々子ぉ!」

 颯太も叫んだ。



 *****



 寮に戻ると、泰誠たいせいが出迎えてくれた。

「来るなり雑用を頼んじゃって、ごめんね」

 首を振って笑みを返すと、彼は眉を下げる。

いやじゃなかった?」

「なんで?」

「それは…… だって」

 と彼の視線が、部屋の奥の椅子に座っている美波みなみに向けられる。

 今日も赤い着物の彼女は顔を顰めた。

「わたしのせいじゃないわ。柳津やないづ大尉が通りかかるなんて思わないじゃない」

「君たちが廊下で大声で喋っているからいけなかったんでしょう」

「そんなこと言ったって」

 頬を膨らませた彼女は、左手の指輪を反対の指先で擦り始めた。

 紅玉が輝く。

 泰誠は大袈裟に肩を竦めた。

「惜しかったのぅ」

 けけっと声を立てて、横合いからシロが顔を出した。

 右手でぶらぶら揺らしている生成のそれのは、外で着けていた襟巻。嵯峨鼠の着物の裾から細い脚が見えているのに、彼は座ったまま足を組んだ。

「大尉が分からず屋なのがいかん。男ならどーんと受けとめんかい」

「あんな状況じゃ、大尉じゃなくても何も言えないと思うけど」

 そこで、また別の椅子に座っていた青年は鼻を鳴らした。

「他人がどう言おうが知ったことか」

常盤ときわ

 蘇芳色の小袖からのぞく白いシャツ、ボタンがきっちり並んで皺のないそれどおりの声。

 真っすぐに見向いて、頷いて見せる。

「気にしてないわ」

 伸ばしっぱなしになっていた髪は、出掛けに肩の下で切りそろえた。あとは何も変えていない。着物はいつもどおり、鬱金色と苔色の組合せ。声を聞けたらと期待していたことも、変わらない。

 笑って泰誠がまた眉を曲げたのから目を逸らす。何気なく持ち上げた指先は何にも当たらなくて、少し驚いた。


――でも、大丈夫。


 ざわめきの大きい部屋の中、立ち尽くすわけにはいかない。常盤のいる卓子の前に進む。

「次のお役目は何?」

「さっさとこの間の話をしろ」

 万年筆の先で机を叩きながら、常盤は言った。

「それじゃよそれ。わしもその話に加えてほしくて、ついてきたんだからな」

 シロがぴょんと跳ねる。

 常盤の斜め向かいに腰を下ろして、倖奈は首を傾げた。

「魔物が鏡から飛び出してきて戻っていったわ」

「端的に過ぎる。細かく話せ」

「落ち着きなよ、常盤」

 ははは、と泰誠も隣に座った。

 その彼に時折質問を混ぜてもらいながら、二度目の魔物の件を語る。

「一度目はおまえだったな」

 ぎろ、と常盤がシロを見やる。

「おまえが拝殿の中を覗いた後に魔物が出てきたと聞いている。その時、それはどこからどのように湧いた?」

「わしは、あの魔物は社に祀られていた荒魂あらみたまだと言ったはずだがな」

「それと倖奈が見たのと同じ魔物なのか?」

「同じじゃないかしら。どちらの時も、最後は鏡に入っていったんだもの」

「と、倖奈は言っておるぞ。おぬし、信じないのか?」

 にやにや顔のまま、少年は首を傾けた。

 常盤は舌を鳴らして、紙の山の中から一枚抜き出した。

 地図だ。碁盤の目の都の道と、朱の印が記されたそれの鎮台からは真西の大きな印を指先で叩く。

「魔物が社から出てきた、という話が他にも見つかった」

「ここ? 小さな御社みたいだね」

「ああ。神主もいない小さなところだが、夜中に社の中から魔物が出たことがあると地元の連中の間で話が沸いている。先日の騒ぎを聞いてから騒がれ始めたというから、どこまで本当かあやしいものだが。詳しく調べるに越したことはない」

「確実に出てくるって分かっている場所、何か対策できたらいいものね」

 泰誠は顎に手を添え、シロを見た。

「何故わしを見る」

「お詳しいんでしょう。そういう――魔物が出てくる状況や原因について。だから倖奈についてきたんでしょう?」

 胡乱な視線。シロはまたケケケと笑っている。

「では早速出かけるか」

 な、促され、倖奈も立ち上がった。

「その御社に行って、本当に魔物が出てくるか確かめてくればいいのね」

「出てきたら、消してこい」

 常盤が凄む。

「魔物を放っておくな」

 ぐっと唇を噛む。

――この間はダメだったのかしら。

「僕も行くよ」

 よっこらせと泰誠は腕を伸ばした。

「消すのは僕。それでいいよね?」

 常盤は首を縦に振る。

 三人そろったところで戸を開けると、後ろに美波が立った。

「君はどちらへ?」

 彼女はふわっと笑った。

「秋の宮様のところよ」

 目の端で紅玉が輝く。

 また溜め息が響いた。

「おすすめはしないよ?」

 言ったのは泰誠だ。倖奈は目を丸くした。

 どんな意味だと問うより。

「なぜ止められなきゃいけないの?」

 美波が唇を尖らせるほうが早かった。

「咎められるような関係ではないわ」

「君と宮様の関係を止めてるんじゃないよ。今お傍に行くなって言っているの」

 彼の声が珍しく固い。美波の唇も一瞬強張ったが、すぐに綻んだ。

「やあね。泰誠まで羨んでいるの?」

「ちょ…… ちょっと!」

 びくっと肩を揺らして、泰誠は叫んだ。顔が真っ赤だ。

「滅相もないこと言わないでくれよ!」

 美波はからからと笑う。そのまま袖を揺らして去っていく。

 それが見えなくなってから、泰誠はがくりと項垂れた。

「参ったなぁ……」

 赤い頬のまま、視線を送られる。つい吹き出した。

「ごめんなさい」

 くすくす笑う。

「あんな言われたら、誰でも恥ずかしくなるわよね」

「分かってくれたなら、笑わないでよ」

「ごめんなさい」

 すうと息を吸って、頬を叩く。

「出かけましょう」

「そうだね」

 と、表情を改めた泰誠は地図を見て、眉を寄せた。

「これまた、嫌な場所だなぁ」

「なんじゃ、縁起の悪い社か?」

 シロが嗤うのに、彼は首を振った。

「去年、遠郷大尉が亡くなった辺りだね」

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