27. 暫し待て(3)

 木枠の窓の外の風は、茜色に染まっている。

 胡桃の木の色を基調とした室内には洋装の人たちが多く、倖奈ゆきなの袴姿はともかく、シロの着流しは浮いていた。

 対して、背広を着込んだいつきは上手く溶け込んでいて、窓を背にした布張りの椅子にかけ、薄い笑みを浮かべて珈琲を啜る。

「ほー…… 長生きするもんじゃのう」

 四角い卓子テーブルに四つの椅子。斎の向かいに座ったシロが、白い陶器を高く掲げてぱちくり瞬きを繰り返す。

「あんたも珈琲は初めて飲んだのかい?」

「こんな苦い茶は初めてじゃよ」

「お茶じゃないけどね。やっぱり君にも紅茶をお勧めした方が良かったかな」

 彼が椀を受皿に戻す。

 その隣に座らされている倖奈の目の前には、白い前掛けを付けた店員が、器だけでなく、一回り大きい皿も置いていった。

 カップの中には、外の風の色と同じ色のお茶。皿の上にはカステラ。

「女の子はこういうのが好きだろう?」

 斎の言葉に瞬く。

「どうぞ召し上がれ」

 でも、と言いかけたが、ぐうとお腹が鳴った。むっと唇を突き出す。

「食え食え。おぬしが食わぬならわしが……」

「頂きます」

 フォークを刺して、一口齧る。甘い香りが口中に広がった。

「御礼だから。ご足労いただいたのと――不思議な力を見せてもらった、ね」

 ふふふ、と斎はテーブルに置いたカメラを撫ぜた。

「さっきはじいさん相手だった。そして、件の夏の夜。フロイライン、やっぱり君が何かしたんだろう? いったい、何を、どうやって」

 横からじっと見つめられて、口を閉じる。

 間を置いてから応じたのはシロだ。

「触れた相手に力を分け与えているだけ、じゃよ」

 ニヤニヤ笑いでの科白せりふに、斎が眉を寄せる。

「だけ、って言われてもねえ」

「倖奈にとっては、だけ、じゃろうよ」

 なあ、と言われても、口はひらけない。

――言えることは何も無いもの!

 いつの間にやら取り出した万年筆でコツコツと卓を叩きながら

「それをどうやっているのか、は?」

「コツなどない――偶々たまたまそれが簡単にできるから『かんなぎ』と呼ばれるんじゃよ」

 笑みを深くして、シロは続けた。

「本来は、誰でも魔物を祓うことができる」

「誰でも?」

 首を傾げながら見向くと、シロは力強く頷いた。

「誰でも、じゃ。そもそも、『かんなぎ』を何故そう呼ぶか知っているか?」

 瞬いて、首を横に振る。斎も同様だ。シロは胸を張る。

「神和ぎ、じゃよ。神をなごませる者で『かんなぎ』。荒ぶる御魂を鎮められるならば、誰だってかんなぎじゃ」

「……誰だって」

「あー、その発想好きだなぁ」

 斎が手を叩いた。

「『かんなぎ』っていうかね。魔物から街を守るのに、軍に拘る必要はないと思うんだよね」

 ほほう、とシロが唸る。

「国民皆兵か」

「そうじゃない」

 ガリガリと斎は頭を掻く。

「もっと…… ああ、くそ、言葉が出てこないぞ」

 うー、彼が唸っていると、すぐ傍の床をコツンと叩く奥が近づいてきた。

「おお、戻ったか」

 シロが言い、倖奈はそちらに顔を向ける。

史琉しりゅう

 ほっと息を吐く。

 濃紺の肋骨服はかっちりと着込んだ彼は、するりと官帽を脱いで、ぐるりと座った三人を見回した。

 シロが彼の隣の椅子を叩き、史琉はそこへ静かに腰かける。

「お疲れさんじゃのう。現場の片づけは済んだのか?」

「爺さんは病院に担ぎ込んでもらったよ。俺と組み合った時にやってしまった骨もあるみたいだな、やっぱり」

 微かに苦みを含んだ笑みを浮かべている頬、先ほど切られた上には絆創膏が貼られていた。

「神主は?」

「そっちはピンピンしてるよ」

「ご神体だという鏡はどうなった?」

「――詳しくは知らん」

「知らないの? 喋ってくれないの?」

 斎が乗り出す。史琉が笑みを消した。

「あ、どうも。初めまして」

 くっと口の端を上げて、斎は懐から掌にすっぽり隠れる大きさの革の小物入れを取り出した。

 その中からさらに、小さな紙を取り出す。

「僕はこういう者なんで」

 それを受け取って、史琉は目を細めた。

「皇都日報――記者」

「そ。遠郷斎です」

 まだ鎮座していたカメラに。卓子テーブルを斜向かいに挟んだ二人の視線が動く。

「それでこれを」

「ええ。取材の相棒ですよ。先ほどの事件だってしっかり撮らせていただきました」

 それで、と斎はじろじろと史琉の袖章と襟飾りを見遣る。

「皇都鎮台第五部隊の柳津だ」

 史琉が笑みもなく名乗ると、僅かに斎の眉が跳ねた。気付いたからだろうか――叔父の後任だということに。

 だが、すぐに口元だけに笑みを浮かべた。

「で? さっきの質問は?」

「お答えできないですよ」

「是非そこをなんとか。新聞は真実を伝えるのが仕事なんですよ。今だって、先ほどのことを正しい記事にするために、フロイラインとお連れさんにここに来てもらったわけだし」

「わしがお連れかい」

「そのために、大尉さんにだって、お仕事の後に寄っていただけるようにお願いしたんですよ――ねえ?」

 無表情と笑ってない笑顔が、視線を交わす。

「ご協力を」

「仕事のことは外で離さない主義なんですよ」

「正しいことを書くと言っているのに」

「そうであっても」

 史琉は微かに口元を強張らせた。斎も憮然となり、肩を竦めた。

「参ったなぁ。鎮台の人ってのは新聞を誤解するのがお得意なんですか?」

 大袈裟に首を振る。

「下世話な好奇心を満たすためのものじゃないですよ。知られるべき真実を調べ、知らしめるものです」

「今回の神社の件は知られるべきことと考える、と」

「そりゃそうでしょ。街中であった魔物が絡む騒動、しかも憩いの場である神社で起こったときた。人命に関わる事態だったし、知りたい人は多いと思いますがね」

 斎が詰め寄る。

「偶々居合わせた軍人さんが機転を利かせて退治してくれたとお書きしますから」

「尚更お断りだ――当たり前のことをしたまでなので」

 史琉は首を振る。斎もだ。

「魔物が出て来たら戦うのが軍隊の当たり前ですか」

「少なくとも、この国の陸軍はね」

「そうですか!」

 どさり、と斎が座りなおす。

 ずずずと椀の中身を啜る音を、シロが立てた。

「いつの間にか、軍も立派な動きをするようになっておるのう。感心するばかりじゃ」

「そうかな」

 椅子の背に体を預けたまま、斎が低く呻く。

「僕は軍隊ってのが嫌いなんだよ」

 どくん、と心臓が呻いた。そろりと顔を上げる。史琉の表情はますます冷え込んでいく。

 斎は左肘をテーブルについて、拳の上に頬を乗せた。

「自警できるならそれでいいじゃないか。この国の陸軍は魔物に対応するためだけのようなもの。無駄ですよ。税金を費やすところじゃあない。自分たちの力で対処できるのだというのであれば、尚更ね」

 その熱の高い視線を送られて、シロはぷっと笑った。

「だから、国民皆兵なんじゃろ」

「はぁ?」

 斎が片目だけ細める。

「誰でもってのはちょっと違うな。専門家はやっぱり必要だと思うし」

 がりがりと右手で頭を掻いて、斎は呻いた。

「あーもう! さっきから、巧く伝わってくれないなあ」

「おぬしの話し方が悪いんじゃ」

「腹立つな!」

「ちなみに、現在の専門家はそのへんをどう感じるんじゃ?」

 へらっと笑いシロが横を向く。

 背筋を伸ばして座ったままの史琉は、首をゆるりと振った。

「覚悟のない奴には戦わせられない」

 視線を伏せた顔をじっと見つめる。

 彼の前にも置かれていたカップから上がっていた湯気は、するすると散っていく。

 ぶるりと体を震わせて、シロ、斎の顔も順に見遣る。

 斎は大きく目を瞬かせた後。

「ようはそれが専門家ってことですかねぇ……?」

 呟き、ぐったりと背もたれに倒れた。

 それきり四人とも黙る。

 カシャンと、フォークを皿に戻す音が奇妙に大きい。

 扉の洋風鐘の音も良く聞こえた。

 乾いた音が収まる頃にそちらを見向いて、え、と呟く。

泰誠たいせい?」

 きょろきょろと首を回していた彼の耳に、それは届いたらしい。

 ふにゃりと笑って、やはりこの場には似合わない書生姿が寄ってくる。

「倖奈――具合は?」

「特別変わったところはないけれど?」

「そう。ならいいんだけど」

 首を傾げる。彼の頬にえくぼができる。

「また巻き込まれていると聞いたので、心配で」

「巻き込まれ……?」

「魔物がらみの件にね」

 もう一度、え、と声を上げる。史琉を見ると、彼も微かに目を瞠っていた。

「交番から、鎮台に通報が来たので」

「ああ…… よく人の名前まで伝わってましたね」

 史琉がくすりと声を立て、泰誠も笑んだ。

「僕もびっくりしましたけど、倖奈がいると分かったら、また夏みたいなことになるんじゃと心配になりまして。それでその交番に行ったら、柳津大尉がこちらに向かったと聞いたので、まあ、ご一緒させてもらっているかなと」

 そこでふと、彼も笑みを消した。

「大尉。あなたがいるなら――いいえ、僕の思い込みでしょう」

 次の瞬間にはもう、いつもの和んだ顔だ。その彼を、斎がじろじろと見る。

「君も鎮台の人なの?」

「僕は『かんなぎ』です」

 うん、と首を傾げた泰誠に、斎はにやりとした。

「じゃあ、参考までに。軍についてどうお考え?」

「否定する思いはないですよ。僕も元軍人ですし」

 彼はにこやかなまま言った。

「誰でも戦えというのは心苦しい。女子どもは、特に」

「まあ…… 子どもなんてね。護られる存在でしょうし」

 ふん、と斎が鼻を鳴らす。

 ずきんと頭の奥が鳴った。

――わたしは?


 爪から逃れるために、肩を引かれた。転んだのを、受け止めてもらった。

 護られたのだ。


――やっぱり、子供。

 飛び出しかけた叫びを噛みしめて、俯く。長い髪が顔を隠してくれた。

「そろそろ、よろしいですか?」

 史琉の硬い声を遠く聞く。

「私もそんなに鎮台を空けられないので、帰らせていただきたい」

「結構ですよ」

 はあっと斎は宙に溜め息を吐き出した。

 それから、懐からまた別のものを取り出した。

「はい、フロイライン。約束のもの」

 あ、と呟いて、その茶色い封筒を受け取る。

「それは、何?」

 泰誠が問うのに、曖昧に笑い返したのだが。

「ちょっと前に会った時に写真を撮ったんだけだよ」

 斎が答えてしまった。



「あとで見せて」

「厭よ――棄ててしまうわ」

 頬を膨らませると、泰誠はあははと笑った。

 石畳に長い影が落ちる。東の空は紫色に変わっている。

「すぐ暗くなりそうですねえ」

「ええ」

「早く帰らないと」

 そう言いつつ、倖奈の歩調に泰誠も史琉も合わせてくれるらしい。

「泰誠」

 右隣の彼を見上げる。うん、と返ってくる。

「わざわざ、ありがとう」

「うん。一人でも歩けるんだったら、余計だったかな」

「ううん」

 今二人きりにされたら、居た堪れないところだった。

 少し前を黙って歩く人の濃紺の背中を見上げ、まだ熱を欲していると気がついて、息を呑む。その表情も、解いた髪は巧く隠してくれるらしい。

「ぼさぼさだね。どうしたの? 結紐は?」

「……切っちゃった」

「切れたじゃなくて?」

 泰誠の声が裏返り、すっと史琉が振り返った。

「存外、荒っぽいだな」

 その笑い顔は、大人が幼い子供を見守るときのそれのようだ。

――失望した?

 言うことも為すことも、力の使い方も、外見も、すべてすべて。

――わたしは未だ子供で、力不足なの。

 大人になりたい、とまた強く思う。

 そうすれば、あの背中に並べるのだろうか、とも。

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