21. お菓子と手紙と恋心

 倖奈ゆきなが鎮台に戻ると、煉瓦造りの玄関の前で、常盤ときわが渋い顔で待ち構えていた。

「預かり物だ」

 ずいっと突き出された紙包みを両手で受け取る。

 かさ、と音を立てたそれは、さほど大きくもなく重くもない。

「おまえが出かけている間に訪ねてきた奴がいるんだ。帰ってくるのは待てぬからと、これだけ置いていった」

「どなた?」

 瞬くと、常盤の顔がさらに歪んだ。

「ああ、くそ。名前を忘れた。顔はよく憶えてるんだが……」

 首を傾げる。

「ああいう手合いは嫌いだ。軍人だからなんでもできると思うなよ。魔物を相手にするのは『かんなぎ』の役目で……」

「……軍人さんだったのね?」

 やや体を退きながらの問いは首肯される。

「ありがとう、預かってくれて」

 一気に走って、寮の二階の自室に飛び込んだ。


 窓から涼しい風が吹き込んでくる。


 部屋の真ん中、畳の上にぺたんと座り込むと、松葉色の袴が静かに広がった。

 紙袋の擦れる音はよく響く。

 中を覗くと、あ、と呟きが漏れた。

「わたしの巾着」

 桜を咲かせた晩に落としたと思っていた、使い込んだ薄紫の巾着だ。その横にはもう一つ、小さな懐紙の包み。

 先に懐紙を摘み上げて、開く。

「金平糖だ」

 紅白の、指先より小さいお菓子が、ころころと鳴っている。

 瞬いてから包み直して、今度は巾着を取り出すと、一緒に紙がひらりと飛び出してきた。

 畳の上を滑っていったのを、手を伸ばして掴み取る。

 素っ気ない一筆箋。濃い藍色のインクが走っている。


―― 倖奈殿    柳津史琉 ――


 ただ、それだけ。

 この包みの送り主と受け取り手の名が記されているだけ。

 つまり、常盤に荷物を託した相手は史琉しりゅうだ。

「……もしかして、病院に連れて行ってくれたのも?」

 考えたら、何もおかしくないのだ。あの晩は、かなり近いところにいたのだから。

 眉尻が下がる。

 お礼を言いたい。もし、今日出かけていなかったら、包みを持ってきた彼に会えたのだろうか。

 むう、と唇が尖る。

 眉を寄せて、一筆箋を睨む。

――史琉の字。

 跳ね払いの主張が強い、堅い線の文字だ。

――史琉が、わたしの名前を、書いた。

 どくん、と胸の奥が鳴る。

 ぼっと顔が火を噴いた。

「や、やだ……」

 両手で頬を押さえる。

 また紙が飛ぶ。

 慌てて取って、文字を見つめて。

 心臓に存在を主張される。

「た、ただの字よ、これは」

 掠れた声で叫ぶ。体は熱くなる一方だ。



 七転八倒。



 結局、彼を訪ねられたのは翌々日。出来上がったいつもの書類を届けに行く時だった。

 北向きの部屋の中は、濃紺の肋骨服で溢れている。

 暑苦しさを掻き分けて、その一番奥の机の前に進み出ると、座っていた人が顔を上げた。

 視線が絡む。

「ありがとう」

 吐き出せたのはたった一言だったのに、史琉は口の端を上げた。

「こっちこそ、悪かったな。なかなか会わなかったから、渡せないでいた」

 喧騒を縫うように聞こえる高い声に、胸が圧される。

「体調はもう良いのか? 一昨日も出かけていたと聞いて、少し心配していたんだ」

「大丈夫、よ」

 抱えた書類を口元まで引き上げて、詰まっていた息を吐き出す。

 一緒に心臓も飛び出してきそうだ。

「どこまで行っていたんだ?」

「駅の近くの、着物屋さん」

「そうか」

 ふっと緩んだ目元に、眩暈がする。

 白い手袋に包まれた手が差し伸ばされてきて、ゆるゆると紙の束を返す。

「そういえば、鉄道駅の近くには洋風菓子の店があるんだってな」

 紙を掴んで、史琉が言う。

「カステラに、最近入ってきた甘いクリームを塗っているらしいんだが…… ああ、なんて呼ぶクリームか忘れたな」

 くくく、と喉を鳴らす姿からは、甘いお菓子は想像できない。そこでやっと倖奈も笑えた。

「美味しいのかしら」

「興味あるのか?」

「うん…… そうだ。金平糖も、美味しかった」

 言うと、彼は目を細めた。

「それは良かった」

 その視線はすぐに、手渡した紙の上を走り出す。

 もう一度息を詰めて、倖奈は部屋から出た。



 支子色の小袖は、ゆっくりと解いた。

 泥のついた部分を避けて切って、改めて縫い合わせる。

 ころんとした巾着。初めてのわりには上出来だ。



 真希まきとの約束の日は、薄暗い天気だった。

 まだ暦は九月だからと、鳥の子色の小袖に松葉色の袴だ。中の襦袢だけはこの間買った朱色の物。

 出来立ての巾着を揺らしながら待ち合わせの場へ。

「今日も着てくれた」

 真希の第一声はそれで、吹き出してしまった。

「だって、気に入っているんだもの」

「早いところ袷を仕上げないとね」

 笑う彼女は今日も紺地の着物だ。

「いつも同じ色」

「落ち着くのよねえ。その分、帯はたくさん持っているのよ」

 そう言って示された今日の帯は、栗色に西洋薔薇が染められているものだ。

「半襟もね。安い手拭を使ったり、切れ端を集めたりして、沢山揃えてる」

「面白そう」

「でしょう? 半襟取り換えるだけで結構気分転換になるのよ? 顔色の見え方も変わったり、化粧するより簡単」

「そうなんだ」

 並んで歩きながらほうっと息を吐くと、真希がにっと笑った。

「一緒に買い物に行きたいんだ」

「何を買うの?」

「香水」

 にやにや顔のままの彼女に、目を丸くして見せる。

「……真希も、いい匂いになりたいの?」

「ぶっちゃければそうね。この間、倖奈も言われてたでしょ? あいつ、うるっさいのよ! 着物に拘るばかりじゃなくて、化粧しろだの香水つけろだの……」

 真希は、ぎりぎりっと奥歯を鳴らして、拳を突き上げた。

「そりゃあね! 店員の服がうちの店の歩く見本ですからね! 見栄えが良いに越したことはないと思うけど!」

 しゅん、と肩を落とす。

「あたし、この顔――肌だからさ。化粧するのはむずがゆくってさ。だから、半襟を拘ってて…… ってそうじゃなくて。香水くらいは付けてみたいのよ!」

「わたしも一緒に探してみていい?」

 少し背が高めの彼女に対し、上目遣いになってしまった。甘ったれているみたいでいやだな、と思ったのだけど。

 あばた顔はぱあっと明るくなった。

「だから、そうしよってば」


 そうして向かったのは、香水だけでなく、口紅も白粉も扱っている店だった。

「美顔水、だって。こっちは椿油だ」

「すごいね」

 二人と同じ年頃の娘から、子どもを抱えていてもおかしくなさそうな婦人まで。

 ごった返す店内を泳ぎぬける。

「あったあった、香水!」

「硝子瓶に入っているのね」

 棚の前に立つなり、白いエプロンの店員が飛んでくる。

 同じ売り子同士、真希と相手の会話はぽんぽん弾んでいて、倖奈は口を挟めない。

 気が付いたら、真希は蜂蜜色の香水瓶を手にしていて。倖奈は、缶に入った練り香水なるものを買わされていた。


 甘ったるい香りがする。


 店を出てまた笑い合う。

「疲れた! 休憩してから帰りたい!」

 影のない彼女の笑顔は、ほっとする。それをまた見上げて。

「真希が厭じゃなかったら……」

 きゅ、と右手で袴を握って。唇を湿らせる。

「お菓子を食べに行ってみたいの。駅の近くにあるんだっていう、カステラのお店」

「あたしもそのお店のこと、聞いたことある。うちのお客様でも結構食べている人がいてさ」

 緊張に反するように、からっと笑われた。

「さあ、行こう!」

 ぐいっと腕を引かれる。

 件の店は、すぐに見つかった。緋毛氈のかかった縁台に掛けて、カステラを頬張り始めるまでは時間がかかったけれど。

「美味しかった」

 うふふ、と頬が緩んだところに。

「ありがとう」

 唐突に言われ、目を丸くした。

 真希は笑っている。

「わたし、このあばた顔だからさ」

 指先がその窪みをなぞっていく。

「ちっちゃい頃にした病気で肌がボコボコになっちゃって…… やっぱり、気にする人は多くてさ。最初はあたしが声をかけたお客さんでも、他の子に変わってくれって言われちゃうことが多くて」

 だから、と彼女は震える声で続けた。

「全然変わらずにわたしのとこに買いに来てくれる倖奈のこと、すごい嬉しく思ってる」

 瞬く。

 言われれば気になる痘痕あばたかもしれない。

 でも。

 打掛を気にして店に入った時からずっと。

「わたし、何も気にしてなかったわ」

 それに、と笑む。

「真希は笑うと素敵だなって、今日、思った」

「ほんと?」

 何故、泣きそうな顔で言うのだろう。

 ぶんぶんと頭を振る。振りすぎて、頸が痛くなる。

「こーの、いいこちゃんが!」

 伸びてきた彼女の両手が頬を掴んで、引っ張る。

「いひゃい、いひゃい」

 目尻に涙が浮かぶ頃にようやく離してもらえた。

「その調子で男も惚れさせちゃうんでしょ?」

「え?」

 何度も瞬く。真希はへの字口になった。

「あんた、いい相手がいるんじゃないの?」

「どんな相手?」

「それ、ワザと? それとも本気で分かってないの?」

 ぽりぽりと顔の輪郭を掻いてから、彼女は真っすぐに向いてきた。

「ね。訊いてもいい? あたしの店で買ってくれたその着物を似合うって言ってくれたの、誰?」

天音あまね様と史琉」

 名前を答えてから、あ、と呟く。

「鎮台に関係する軍人さんよ」

 へえ、と真希は頷く。

「軍人ってことは男だよね?」

「天音様は女性よ。女性なのに、軍の中で立派に働いていらっしゃるの。素敵よね」

「もう一人は?」

「男の人」

 うん、と倖奈も頷いた。

「どんな人なの?」

 真希はニヤニヤしている。

「見た目はちょっと怖い人よ」

「マジで?」

「だって、目つきが鋭いの。睨まれたって感じる人もいるんじゃないかしら」

「背は高いの?」

「うーん…… 泰誠たいせいよりは高いけど、常盤とは変わらないくらい」

「分かんないよ」

「普通、かしら」

「優しいの?」

「とても」

 首を縦に振る。真希の口の端がにゅっと上がった。

「最後の質問。一緒にいるとどんな感じになる?」

 それに、ぎゅっと袴を掴んで、肩を縮こまらせる。


 どんな感じと問われれば。

 ついこの間の、部屋を訪ねた時の気分なのだろうか。


「ドキドキしたわ」

 言葉を絞り出すと、はあ、っと真希が大きな溜め息をついた。

「自分の気持ちも気にしてないのねえ……」

「……そうかしら?」

 首を傾げる。真希の二度目の溜め息が響く。

「あたしが倖奈の気持ちを当ててあげようか」

 むふ、と笑われて、瞬く。

 真希はゆっくりと口を動かした。

「そのドキドキってさ。そいつに恋してるってことじゃないの?」

「こい?」

 首を傾げる。

「コイ?」

 反対にも動かす。


 少し高めの声。魔物と相対した時の鋭い視線。真っ直ぐな背中。尖った文字。唇に当てられた指先と、残された熱。


「恋!?」

 かあっと頬が熱くなる。止め処なく、上がっていく。

 真希がからからと笑い声を立てているのが遠くに聞こえた。

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