第二章『恋人になりたい』

20. 開くのを待っている

 限りなく澄んだ、明るい青。誇らしげな空に向けて、手を伸ばす。



 鎮台の前、石畳の通りを歩き出した次の瞬間、真横で一頭立ての馬車が止まった。

 車輪は四つ、屋根付きの立派なものだ。中から顔を出した人と視線が合う。

「久しぶりだな」

天音あまね様」

 倖奈ゆきなが名を呼ぶと、近衛少将殿はきゅっと唇を上げた。

「お出かけかな?」

「はい」

「送っていこう」

「でも……」

「私は家に戻るだけだから、気にするな。どちらまでだ?」

「……鉄道駅の方へ」

「よし。乗りたまえ」

 濃紺の肋骨服には金糸の袖章と萌黄色の肩章。座席に深く腰掛けて、編上靴を履いた脚を組んだ彼女の隣に、倖奈はおずおずと腰を下ろした。

 そこでまた、季節外れの花の香りを感じて、瞬く。

 かぽ、かぽ、と呑気な音が響き、それに気づく人は道を開けてくれる。すいすい進む。

「何か用があるのか?」

「新しい着物を買いたくて」

「成程」

 彼女はくすりと笑った。

「お洒落はいいぞ」

 頷いて、自分の松葉色の袴に視線を落とす。季節外れを覚悟で着てきた、 鳥の子色に輪模様の、単の小袖。夏に合わせたそれらは、涼しく乾いてきた風に似合わないと思ったけれど。

「倖奈はやっぱり明るい色が似合うなあ」

 と天音は笑っている。

「私の見立てどおりだ」

「ありがとうございます」

「私は仕事柄、外で着る服が決まってしまっているからな。色とりどりの着物を選んで出かけられるのが羨ましい。その分家では楽しんでいるが」

「天音様は、ご自宅ではどんなお着物を?」

「着心地優先の綿の長着だ。まあ、この上着を脱いだだけで過ごしていることもあるが」

 と、肋骨服の裾を引っ張りながら言う。

「だいたいの時間を軍服で過ごしている。お洒落なんか、本当にたまにのお楽しみだ。私的な集まりだと振袖も着たりするぞ。君もだろう?」

「……実は、本振袖を持っていないんです」

 眉を下げて言うと、天音は大きく目を見開いた。

「なんで?」

「先月作っていただくお話もあったんですけど。着て行く予定だった場が延期になってしまったので」

「もしかして、禁裏で予定があった慰労会か?」

「そうです」

「やっぱり。その直前の戦闘で市街に被害があったから、主上がそれを慮って、延期されたんだ」

 ふう、と溜め息を吐いて、天音はまた笑った。

「残念だったな」

 それに首を横に振る。

「今度生地から選び直そうと言われています」


 見舞いにやってきた万桜が無表情のまま喋ってくれたことを思い出す。

 あっても損はないが、季節外れを纏うのは好ましくない。だから園遊会の日取りが決まったらまた選び直そう、と。


「それまでに文様とか色の意味を勉強しておくようにと言われました」

 先日自分で選ばせてもらえなかったのは、そういうことだったのか、と納得する。

――やっぱり、まだこどもなの。

 見た目だけで誤魔化すのは止めようと思いつつ、勉強という名目で出かけたくなったのだから仕方ない、と苦笑する。

 天音の笑みは違う意味らしい。

「私も残念だな。倖奈の振袖を見てみたかった」

 飛び出てきた科白に瞬く。

「天音様もご参加の予定だったのですか?」

「当然。宮将軍もだし、柳津やないづ大尉もだろう?」

 瞬間、どくん、と心臓が跳ねる。

「そ、そうでしたね」

 急に熱を持った頬を誤魔化そうと俯くが、声はまた振ってきた。

「まあ、我々は全員軍服だな。普段着ているこれじゃなくて、正装になるが」

「正装って…… 上着の丈が長いんでしたよね」

「それだけじゃないぞ。釦も金ピカの二列並びだ。襟も詰まっているし、着るのが一気に面倒になる」

 ふん、と鼻を鳴らし、天音は脚を組み換えた。

「正装姿、見てみたいか?」

「はい」

「柳津大尉も着るぞ」

「……え、ええ」

 声が上擦る。眉がまた下がる。天音はからからと声を立てた。

「今度誘われたら、わざと振袖で出かけてみるかな」

「わたしも、天音様のお着物見てみたいです」

 ようやく笑って言うと、彼女は口元を曲げた。

「振袖は、まあ。……なんだ、一度我が家に遊びに来るか?」

「よろしいんですか?」

「今日は出かけるのだろう、また暇が合えばな。自慢の長着を見せてやろう」

 にっこりと笑みを向けられた頃、駅前の広場の端に、馬車はゆっくりと停まった。

「ありがとうございます」

 指先をきっちり揃えて、腰を折る。

「気を付けてな」

 走り出した馬車の中から、天音は手を振ってくれた。



 鉄道駅にほど近い呉服屋。玄関をくぐると、すぐに声をかけられた。

「また来てくれたの。光栄だわー!」

 わっと、女性の店員が三人集まってくる。

 この間着物を合わせてくれた面々だ、と倖奈も頬を緩めた。

「よっし、早速明るい色を探してこなきゃ」

真希まきもすっごいそわそわしながら待ってたのよ。九月になっても来ないって」

 そこにバタバタと足音も近づいてきて、どん、と飛びつかれた。

「久しぶり!」

 真希だ、と笑う。

 見れば、彼女は今日も紺地の着物だ。絣模様の地味な長着だが、帯はこっくりとした柿色に小花の刺繍が施されたもので、釣り合いがいい。

「お待たせして、ごめんなさい」

 真希のあばた顔を真っすぐ見つめて、言う。

「なかなか外出させてもらえなくって」

「そうなの? なんで?」

「出かけた先で倒れたから」

「嘘!?」

 真希だけでなく、他の三人まで声が揃った。ぎくっと一歩退く。

「も、もう平気よ。本当に」

 両手を体の前で振って、言う。

「ただの貧血だったのよ」

「そ、そっか」

 ほっと真希も息を吐いた。

「まあ、無理しないでね」

「皆そう言うの。また倒れたら困るからって、外に出してもらえなかった」

「誰に?」

「おもに泰誠たいせいだけど。鎮台で一緒に暮している人たちに」

「過保護な保護者たちねえ…… ま、分かるけど」

 真希は、あはは、と声を立てる。

「あんたみたいなのが意識失くして倒れてたら、速攻で食べられちゃいそうだもん」

「狼に?」

 言ってから、市中にそんなものはいないと思ったのだが。

「そうね」

 真希が真面目な顔で頷くので、黙ることにした。

 そしてまた、長く続く土間の奥へと促される。

「……ごめんなさい。もう一枚作ってもらった分は、その倒れた時に泥だらけになっちゃって」

 歩きながら話すと、真希はけろりと笑った。

「まあ、着れなくなっちゃったのは、綺麗なところだけ切り取って、他の小物に作り替えたっていいし」

「本当?」

「リボンとか、巾着とか。そういうのは倖奈、自分で作れるんじゃない?」

「やってみようかなぁ……」

 針仕事など、裾のほつれを直すくらいしか経験はない。それでも、楽しそうだ。

「大物は私たちに任せてね」

 座敷に上がるなり、真希はどさっと反物を広げた。

「約束どおり秋の単を作ろうか…… って、もうこの時期じゃあ、次の袷の準備か」

「そう、よね」

「う~ん…… 秋冬物かぁ。何色がいいかなあ」

 ごそごそ、と真希が広げた反物を漁り始める。

 ふと見れば、土間には件の三人も着物を抱えて立っている。

「あんたたち、何度も言うけど、倖奈はあたしのお客様だからね!」

「いいじゃなーい。お客様が気に入るだろう品をお薦めするのが店員の仕事です」

 うふふー、と三人声を揃えられた。

「ね。今度はどんなのを着たい?」

「また黄色? 柄は、刺繍にする? 染め物にする?」

 真っ直ぐ視線を向けられて、俯いた。

「……目立たないのがいいわ」

「え? そうなの?」

 土間から跳ね上がった声が返ってくる。

「今の鳥の子色だって、地味な方じゃない?」

「これで金糸の刺繍がされてたら目立つとは思うけどねえ…… なんか、嫌なことがあった?」

 そろりと顔を上げると、じっと見つめられていた。


 言ったのは美波みなみだ。


「……落ち着きがない、って言われたの。わたし、気に入って選んだはずなのに」

 苦いものが胸に迫る。ふるふる、と首を振った。

「誰に言われたんだか知らないけど」

 真希の声が尖る。

「余計なお世話ね。似合うもの着て何が悪いのさ」

 むう、と唇まで尖らせた彼女に、身を乗り出す。

「そう! 似合うとも言ってもらったの!」

「なんだ。それは誰に?」

 う、と呻いて、口をぱくぱくと動かす。

「あ、言えないって」

「うふふふふ、うっふふ。これはもしかしてーかなー?」

「じゃあ、そういうことにしよっか」

 土間側からは笑い声。頬が熱を持つのを感じながら振り向くと、さらに微笑まれた。

「それじゃあ、提案」

 と一番年嵩だろう女性が人差し指を立てた。

「外に出るのが派手なのが気になるなら、襦袢を凝ってみる?」

「襦袢を?」

 うふふ、と相手はますます笑った。

「襦袢はもともと『中衣』とも言ったのよ。一番上の長着を脱いだときでも美しく見られるように着るの。そういうお相手がいるなら、凝ってもいい場所じゃないかしら?」

 首を傾げる。

「そのうち大切さに気付くから、今から頑張っておきなさい。オネエサマからの助言よ」

「ええ……」

「お化粧も頑張って。香水をつけるのもあるから、そこも頑張って」

「そっか、だから美波も天音様もい匂いがしたんだ」

「納得した? ……今、襦袢は柄物が流行ってるのよね。適当なのをとってくるから待ってて!」

 そういって、年嵩のオネエサマは、ぱたぱたと奥に走っていった。

「じゃあ、中は派手にして、小袖と袴は染めに凝ってみようか!」

 真希と残った二人がはまた反物を漁り始める。

「黄色は捨てがたいよねえ……」

 とぼやきながら。

 オネエサマは両手に着物を抱えて戻ってきた。

「襦袢は出来合いをたくさん用意しているのよ」

 手招きされ、その一枚一枚を広げて見せられる。

 単の物も袷も取り混ざっていたが、どれもこれも、大輪の花が染められている。

 桔梗、菊、百合、女郎花、西洋渡りの薔薇。

 溜め息しか出ない。

「お支払いができるなら、今日好きなものを持って帰ってもらっていいのよ?」

「本当に?」

 笑いかけられる。さっきとは違う熱が顔に上る。

「選んでいいの?」

「勿論。どれもあんたに似合うと思っているから、最後はあんたが決めて」

 うう、と眉間に皺を刻む。

 一枚一枚広げて、鏡に向くように言われて、ようやく朱色と胡粉色と、おまけの縞模様を選んだ時には、クタクタだった。

 それが伝わったのか、小袖と袴の生地は「これでいいよね」と真希に押し切られた。


「出来上がったらまた送るからね」

 言われ、お願い、と返す。

「長々とお喋りしてしまって、ごめんなさい」

「構わないわよ。楽しかったし」

 真希はにっと笑い、それから少しだけ顔を近づけてきた。

「ねえ」

 と小さな声。

「今度一緒に遊びに行かない?」

 言われ、喉を鳴らした。

「お店の中じゃ、皆が居て、しにくい話もあるし。でも、あたしはもっと倖奈のこと知りたいな」

 真っ直ぐな視線。見つめ返す。

「ね?」

 自然に首を縦に振った。

「行きましょう」

「やった! 約束よ!」

 ぎゅっと両手を握り合う。温かかった。

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