17. 暗闇の中ひとすじ(2)

 また空気が震える。

 倖奈ゆきなが目を見開き、史琉しりゅうが中段で構えると同時に、横薙ぎの一撃が滑り込んでくる。刃を受けた黒い靄はあっという間に消えた。

 夜の闇の中で輝く刃の持ち主もまた、肋骨服の軍人だ。

「邪魔だ」

 一言告げて、その刀の主は倖奈の脇をすり抜けていく。

 水溜りで大きな音を立てる。さらに三歩踏み込んで、腕を振る。雫が飛び、また二つ、魔物がいなくなった。

 彼が進むごとに、雨の隙間を滑る刃が黒い靄に刺さり、その影を消していく。

「残り、街灯の反対側だ」

 刀を下ろした史琉が低い声で告げたのは聞こえたらしい。泥濘ぬかるみに足をとられることなく身を返し、彼はまた刃を走らせる。

 今度はやや大きかった塊も、すぐに霧散した。

 キン、と刃が鳴く。

「この辺りはこれで全部か?」

 振り返った顔がガス燈の灯りに照らされて、ようやく倖奈は彼が第五部隊の副官だと気が付いた。史琉と、副官――高辻たかつじ少尉を交互に見上げる。

「恐らくは」

 溜め息を吐いた史琉に対し、 高辻少尉はふっと緩んだ口の端から息を漏らした。

 笑みはそこまで。

「おまえは?」

 少尉は、きつく、倖奈を見遣ってくる。

「こんな場所で『かんなぎ』が何をしているんだ?」

「わたしは」

 ぶるっと肩を縮こまらせ、両手で己の袴を握りしめる。

「おまえも出ているとは思っていなかったな」

 史琉がそう受けたので、ゆるゆると顔を向ける。

 今度は、彼が微かに笑っているようで。

「魔物が出たと聞いて『かんなぎ』が出ないわけがないのにな。また一緒に連れて来られたのか?」

「違う」

 小さく息を吐き出してから、首を横に振った。

万桜まお様との御用で出かけていたの。その帰りに、魔物が出たところへ偶然」

「成程ね」

 くっと史琉が喉を鳴らす。

「それで、いつもの子がいないと言われたのか」

「……え?」

「ああ、独り言だよ。それで? ずっと一人でいたのか?」

「一度、泰誠たいせい常盤ときわとも会ったのだけど」

はぐれたか」

 先回りで言われ、眉尻を下げる。

 くつくつと笑ってから、彼は高辻少尉に視線を向け、また倖奈を見る。

「偶然でもなんでも、魔物が出ている中をふらふらと、それも一人で歩いているんじゃない」

「ごめんなさい」

「おまえもよくよく迷子になるな」

「……ごめんなさい」

「送っていってやるよ」

 史琉は笑い続け、副官は、切れ長の瞳を冷やしたまま、肩を竦めた。

 その彼らを、倖奈は順に見上げる。

「二人は、どうしてここに?」

 問うと。

「興味半分だな」

 軽く返される。

「出動じゃなくて?」

「今日、うちの部隊は全員非番なんでね」

「そうなの?」

 瞬いて、首を傾げる。

「確かにさっき来ていたのは第四部隊だったけれど…… 颯太そうたたちにも会ったわ」

「颯太? ああ…… あいつら、外出届が出てたな」

 史琉が息を吐くと、高辻少尉は眉を寄せる。

「誰だ」

駒場こまば園池そのいけだ。私用――まあ、観光だな、出かけたいと届け出はあったし、俺も許可は出しているぞ。五時までに帰ったとの報告は受けなかったが」

「門限破りか」

 口元も歪めた高辻少尉に、史琉は苦笑いを向けた。

「お説教をこの後の予定に組み込んでおいてくれよ、副官殿」

 緩く首を振った後、彼は倖奈に向き直り。

「それで」

 と、目が細める。

「どこで二人に会った?」

「二条通りの銀行の近く」

 両手を胸の前で組んで、答える。

「常盤や泰誠――『かんなぎ』のみんなも同じ所よ」

「最初に魔物が出た辺りか。あいつらも帰ってくる途中に遭遇したのかな?」

「偶然行き会っただけで戦闘に首を突っ込んでいったんだとしたら、よほどおまえの教育が良いんだな」

 副官がじっとりと見るのに、史琉は肩をひょいっと上げる。

 そこにまた、ぶるりと寒気が走る。

「また来たのか」

「多いな」

 呟いて、抜身のままだった刀を史琉が勢いまかせに振った。

 たんっと踏み出して、高辻少尉も突き込む。

「ほら、隠れろ」

 腕を引かれ、ふわと体が浮く。

 ガス燈よりも道の端の、街路樹の下に避けられて、目を見開く。


 雨を弾く刃。

 大きく跳ね、唸る一つと、隙無く真っすぐに走るそれ。


 冴えた光に目を奪われているうちに、魔物はまたいなくなる。

「今度こそ、どうだ?」

 耳を澄ませば、遠くに笛の音。ドルルルルという、地面を震わせる音。

「暗いのに、自動車も出したのか?」

 高辻少尉の眉が跳ねる。

「軍の移動を早くしないと対応が追いつかないってことだろう。鎮台で聞いた時よりさらにあちこちに魔物は広がっているようだな」

 史琉が言う。ぎくり、と心臓が痛む。

「それで? 魔物が散らばっていったという話が、なんでおまえのせいになるんだ」

 向き直られ、顔を伏せる。

 その頭の上に、ぽん、と何かが乗る。

 視線だけ上げると、濃紺の袖。その先にあるのは、白い手袋に包まれた掌に違いなくて。

 心臓が飛び上がる。

「さっき、そう言っていただろう?」

 いつも通りの声の後、腕が離れていって、すっと気持ちが下がる。

「……ええ」

 掠れた声でも、答えが返せた。

「まず、何が起こったか、だ。おまえの考えはいいから、起こったことだけ話せ」

「うん」

 告げるのは、事実だけ。

 息を吸って、一度目を閉じて、真っすぐに顔を上げて、二人を見つめた。

「皆が言うには、どれも小さな魔物なのだけど、それが群れて集まって…… そう、蚊柱みたいだって表現する人もいたわ。それが、動いてきたのが、百日紅さるすべりの木にぶつかって、バラバラになったの。 その木の花、満開だった」

 息を切る。史琉と高辻少尉が顔を見合わせる。

「百日紅は、今が終わりの時期か」

「咲いていて当然だと思うが?」

「時期もあるけれど、その前に、わたしがその木に抱きついたから……」

「ふうん?」

 史琉にもう一度視線を向けられる。

「わたしの力のせいで、元々よりもっと開いたと思うの」

 ズキン、と体の芯が鳴るのを聞いてから、ゆっくりと声を出す。

「この間の朝顔みたいに、捕まえられるかと思ったのに、そんなことはなかった」

「……そういうことか」

 すると、彼はふっと口許を緩めた。

「朝顔は蔓があったものな。木の幹じゃ引っ掛けるというわけにはいかなかったか」

 笑みを見て、また俯く。

「塊がばらけて、少しは戦い易くなっているのか?」

 史琉が呟くのが聞こえる。

「いいや…… 今が夜なのが問題だな。散っていったのを捜しづらい。苦戦しているな。それで自動車か」

 高辻少尉の溜め息も聞こえた。

 二人が空を見上げるので、つられて上を向く。ようやく雲が切れたらしい。隙間から星が覗く。

 涼しい風に乗って、笛と発動機の音が次々と届く。

 遠く、赤い光がぼっと起こるのが見える。全く違う方から、何かが弾けるような音が響く。地面が揺れる。

 高い音と低い音が交互に響く中で、街路樹の枝が揺れ、史琉が低く笑う。

「また苦情が来るんじゃないかと、宮様も憂いていたのに。随分派手になったな…… 朝までにけりが付くかな?」

 また袴を握りしめる。ぐしゃりとついた皺が見える。

 だが、ピーッという甲高い音が近づいてきたので、顔を上げた。

 史琉たちの視線もまた、一本西の大路へ向いている。

 どん、と一際大きく揺れた。大きな何かが崩れる音。続く怒号。

「まだ行くのか?」

 問いに、高辻少尉の真っ直ぐな視線が向き直った。

「当然だろう」

 史琉が、ははっと笑う。

かがみだな」

「嫌味か」

「まさか。魔物と戦うための軍人だ、向かうことに異論はないさ」

 微かな笑い声。少尉の切れ長の瞳が、さらに鋭く前を見る。

「なら結構。弱腰の部隊長殿ではついていく方が困る」

「真っ先に突っ込むつもりか?」

「無論。俺はそうしてきた」

 低く抑えながらも、ぎらぎらした声。

 倖奈は改めて、副官の男を見た。


 躰は決して大きくない。

 だが、刀を握る掌は厚い。その背中が引き締まっていて、肩ががっしりしているのが、服の上からでも窺える。

 肩から胸への金の飾緒だけが、その真っ直ぐな存在を僅かに揺らしていた。


「今も確かに、放っておくという選択肢はなさそうだな」

 高辻少尉がするり唇を綻ばせ、史琉もくっと笑う。

「来たぞ」

 夜の闇を抜けて、また魔物が飛んでくる。

 即そちらへと流れ、上へ跳び、スッと下に落ちる、刃の煌めき。

 次々と魔物が霧散する。

 それでもまだ走り続ける。

「まったく」

 史琉の盛大な溜め息が響いた。

「あいつが、前隊長が亡くなった後、昇格しなかったのが分かった気がするよ」

 瞬いて見上げると、こめかみを軽く掻いていた、その彼に。

「どうしてかしら?」

 倖奈も呟く。

――確かに、第四部隊は半年以上も部隊長が空席だったけれど。

 史琉が北方から異動してくるのを待つことはなかったのかもしれない。気が回っていなかった、と首を捻る。

「腕は確かだ。だけど、それと指揮を執れるかは別問題」

 史琉は苦笑いを深めていく。

「存外、一人で突っ走っていく奴だな」

 また目が細められる。見る先――高辻少尉が向かっていく先には、黒い靄の塊。

「今度はデカいのもいるな」

 ガシャンと軍刀を鳴らし、史琉も一歩前に出る。

「ちょっと待ってろ」

 振り向かれたのは一瞬。

 再び水溜りが揺れて、袴の裾を濡らす。

「史琉」

 呼ぶ声は小さ過ぎた。

 彼も一気に駆け抜ける。

 副官の突きから逃げた一つを斬り払う。さらに逃げる一つを蹴り飛ばす。

「蹴りは隙が大きくなるぞ」

 はっと副官が息を吐くのに。

「すいませんねぇ」

 笑みを浮かべて、彼はまた、横の一匹をぐしゃりと踏みつけた。

 小さな声が立つ。刃が走る。

 群れの真ん中の一際大きな黒い塊へ、二つ突き刺さる。

 その横をふわり風に乗って、いくつもの塊が通りを抜けていこうとする。

「逃げていくぞ、律斗りつと

 言った史琉に、ぱち、と高辻少尉――律斗は瞬き、それから、にっと笑った。

「任せろ」

 だっと走り、一息で三つ斬り落とす。

 その先の二つに向かって、律斗がまだ走る。

 一方の史琉は、一度刀を引いて、また上段から振り下ろした。

 切っ先が泥を掻き、跳ね上げて、もう一度塊へ。伸し掛かるように突っ込んで、塊を真っ二つに。

 ぶわっと靄は広がり、そこで弾け飛ぶ。

 星もガス燈も、もう黒い影を照らさない。

 慌てて見遣れば、律斗が角を曲がっていったところだった。

 その先からは怒号が聞こえる。また足元を地響きが抜けていく。

「本当にしょうがない奴だな」

 史琉はまだ笑っていて、やっと倖奈を向いてくれた。

「送って帰るつもりだったんだがな……」

「でも、戦いたいのでしょう。二人とも」

「そういうことだ」

 両手の指を組んで、見上げる。


 倖奈よりも高い背と長い腕。前を見る瞳の鋭さが増す。

 心臓がまた飛び上がった。

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