18. 暗闇の中ひとすじ(3)

 通りを折れるとすぐ、倒れた電柱が建屋にのしかかっているのが見えた。

 それよりさらに先へと、律斗りつとは走っていってしまって。史琉しりゅうは柱の根元に集まっている人たちに寄っていく。


「どうした!?」


 集った中の一人が、史琉の前へ一歩出て、大きな身振りで話し出した。

 この場にいるのは皆、肋骨服の軍人たち。十人程だろうか。中心では、自動車が白っぽい煙を立てている。


「中から人を降ろせ!」

「衛生兵を呼んで来い!」

 叫ぶ声が聞こえる角で足を止めて。

「魔物が壊したのではないのね」

 倖奈ゆきなは、呟いてから、眉を寄せた。


 物を壊すこともなく、ただ人間だけを正確に狙い喰らっていく存在が、魔物だ。だから、あの電柱を倒したのは、人。

 どうやって、との問いの答えは、止まっている自動車だろう。

 ぎゅっと袴を握ってから、目を凝らして、そこから降ろされてくる人を見る。

 他者の肩に担がれて、軍帽を落とした男。足を引きずっている男。そして、鼠色の着物の少年。


「シロ!?」


 慌てて駆ける。視線が合うと、彼はにやっと口の端を上げた。

 背が低く、着物から見える頸も腕も細い彼。ひょいひょいと歩くあたり、怪我は一つもないのだろうと息をつく。


「あなた、来ていたの?」

「酷い言われ様じゃ。魔物が出たと聞いて、出張ってきたというに」


 何故か手にしていた狐面を額に押し当てて、ふうう、と盛大に息を吐き出した上に、肩を竦められたが。

 その後ろに立った史琉は苦笑いを浮かべている。

「連れてこられたんだろ」

 瞬いて、シロを見て。しゅーしゅーという音を立てる車を見る。


「夜半に関わらず、助太刀を乞いに来たのを無下にできまい。だから、万桜まおに代わって出張ったのじゃ」

「あくまでも万桜様の代わりなのね」

「……うむ。事実でも、それをはっきり言われると凹むな」


 彼はもう一度肩を竦めてから、ニヤニヤと周りに視線を巡らせて、最後に史琉を見上げた。


「しかし、この有様では、だな。どうやって魔物と戦う? 車は潰れてしまったようだが。いや、車だけでは済んでいないが?」


 史琉は目を細めた。

「……ここの班は、怪我人の手当てと電線の復旧が先だろうな」

 揺れていた視線が、一斉に史琉に集まる。

 息を詰めて、倖奈は濃紺の肋骨服の彼らを見つめ、その向こうを見遣った。


 彼らの背中に向けられている視線がある。それも、いくつも。

 道の反対側の建屋の窓から、開きかけの戸から、顔を覗かせる人々がいる。道に出てきている人だっている。

 この通りに住んでいる人たちだろう。視線を軍人たちへと向け、口元に手を当てて囁きあっている。

 一つ一つは小さくても、集まって大きく響く波


 唇を噛む。

「ますます送っていけないじゃないか」

 その、どの囁きよりも小さかったはずの呟きを、はっきり聞いてしまったのは何故だろう。


 溜め息を吐いてから。史琉は前髪を掻き上げて、制帽をかぶりなおした。

「第五部隊、柳津だ。一時的に指揮を預かる」

 宣言して、皆の顔を順に見遣る。

「怪我人の手当と、事故の復旧。その二つを手早く済ますぞ」


 応、という返事に笑んだ後に。

「ちょっと、端で待ってろ」

 付け加えられたそれは、倖奈に向けたものか、シロにだったのか。

「はいはい」

 ただ、にやけるシロに引きずられるようにして、電柱から離れることになってしまった。



 見通しの良い通りには、ぽつ、ぽつ、と桜の木が立っている。色づく準備を始めたであろう葉を茂らせた木々。

 それらを照らすのは、ようやく顔を出した月とガス燈。

 大声がいくつも響く。硬い靴の踵が地面を打つ音も、刃が空を斬る音も、絶えない。

 遠くでは、何かが弾ける音がする。それは、常盤の焔か、泰誠の雷か。いずれにしても、魔物を消すために放たれている力だ。



 目の前を。

「ああああ~! 頼むから、逸れていかないでよー!」

「叫んでないで捕まえて! 斬って!」

「うええええええー! 菜々子ぉ!」

 颯太と櫂が横切っていった。


 別の車も、エンジンを唸らせて去っていく。

 巻き起こった風に煽られた、おさげ髪を抑えてから見回せば、濃紺の服を着た人はまだ大勢ここにいる。

 見ても聞いても、まだ戦いが続いているのだと分かる。


 ふと、指先ほどの大きさもない靄が飛んでいく。

 それを追う視線は倖奈とシロのものだけ。他に誰が気づき、叫ぶでもなく、それは通りの先の暗闇に紛れていった。


「見逃していいの……?」

 そろりと振り向くと、シロは頭を振った。

「良いか悪いかで言えば悪いじゃろうなあ。流れていった先で何をしでかすか、想像に易い」

「そんな」


 指先に思わず力が入る。かつん、と草履が石を蹴る。

 くいっと袖を引かれる。

 小袖の端を掴んでいるのはもちろんシロで。

「おぬしが行くのか?」

 彼は、笑い顔を狐面で半分隠しながら、言った。

「だって」

 と、倖奈は眉を寄せて見せる。


「放っておけないでしょう? 流れていった先で、誰かを傷つけるかもしれないのに!」

「だからおぬしが行く、と」

「わたしでできることがあるなら、行かなきゃ」

「ほほう」


 口元を変わらず弧の形に保ったまま、彼は首を傾けた。

「殊勝な心掛けじゃ」

 それで、さらにきつく眉を寄せる。

「そんな言うあなただって、魔物を斃すために、ここに来たのではないの?」

「まあ、そうなんだがなぁ」


 くっくっと彼は軽い声を立てた。

「ワシの力は、そのままでは魔物を殲滅するのには向いとらんよ。そもそも」

 と息を吐く。

「全てが全て、消していけるわけなかろうて」

 のう、と彼は首を反対に傾けた。


「魔物は簡単に湧くからな。どこかで妥協が必要じゃ」


 瞬きを繰り返した。


「……妥協?」

「斃しても斃しても、その側からすぐ次のものが生まれてくるのじゃよ。終わりは無い。一度の戦いは、魔物が見える範囲にいなくなったことで終わらせないと、延々と続くぞ」


 頰が痙攣ひきつる。シロは、ひくく言った。


「まさか、魔物は全て消せると思っているのか?」


 肩が揺れる。限界まで、目を見開いて。

「……違うの?」

 返すと、シロは目を細めた。

「ほう? 万桜はこんなことでダンマリを決め込んでいるのか?」

「何の、話……?」

 声を震わせても、シロは、喉を鳴らしている。


「問いを変えるか。……のぅ、倖奈よ」


 ガス燈の灯りを受ける瞳が揺れる。


「何故、魔物を消さねばならぬ?」

「それは」

 と続けようとして、口の中がカラカラに乾いていることに気がついた。

「魔物は、人間を、傷つけるから」

 その中から、言葉を絞り出す。

「誰かが傷ついたりするのは、見たくないわ」

「なるほどね」

 シロはニヤニヤと口元を緩める。

「ひっくり返せば、誰も傷つかぬために、魔物は消したほうが良いと考えていると」


 改めて問われると、答えがすぐに出てこない。

――魔物を、どうしたら、いいの?



「まあ、よいわ」


 シロはあっさりと手を放した。だらり、と倖奈の腕が揺れる。


「おぬしは存外考え込むタチじゃのう」

 ヒヒヒとまた違う笑い声をあげられる。

「万桜がこれくらいの年頃は、もっと落ち着きなく、物事に突撃しておったと言うのに」

「……え?」


 倖奈は声をひっくりかえした。


「万桜様が、何歳いくつの頃?」

「だから、今のおぬしぐらいの頃じゃ」


 シロの表情は変わらない。


「今のしかめっ面からは想像できんじゃろ? まあ、六十路にいるのに小娘と変わらぬお転婆を発揮されても周囲が困るがな。洗練されて良かったと心底思うわ」


 まだ笑っている。その、自分と同じ年ごろと見せる顔をまじまじと覗き込む。

 ギョロ、と見つめ返され、身が震えた。


「それで?」

 彼は何も構えず、言葉を投げてくる。


「魔物は消したほうが良い。だから今湧いている分は全て消すつもり。それで良いのじゃろ? とは言っても…… おぬしはどうするつもりじゃ。また花を咲かせる気か? それだけで足りるか?」


 ゆるりと息を吐いて、首を横に振る。

――また、花を避けて、魔物が散っていってしまうかもしれない。

 それでは困るのだ。

――魔物を消して…… 最低限、閉じ込めておけるようにできないかしら?


 また眉間に皺を刻む。

 シロの溜め息が響いた。

「ほんに、考え込む奴じゃのう…… もっと簡単に考えても罰は当たらんぞ」

「でも」

 と、唇を尖らせる。

「軽はずみなことをして迷惑をかけたりできないし」

「そうじゃな。電柱に車を突っ込ますわけにいかんしな」


 ゲラゲラと笑い出したシロに、倖奈も溜め息を零した。

 それから振り向く。


 倒れた電柱の根元ではまだ、白い煙を吹き出す車が止まっている。

 集まっている人の数は増えていて、車の前面を覗き込む者もいれば、倒れた電柱を触る者も、屋根が崩れた建屋の中に踏み込んでいった者もいる。

 電柱が押し潰した屋根の下にも人はいたらしい。先程車から降ろされた軍人以外にも、手当を受けている人がいる。夜風に混ざる錆びた匂いに、キリと胸が痛む。


 医者を呼べとも言っている騒ぎ声は、肋骨服ではない衣装をまとった人たちも上げていた。

 帳面に万年筆を走らせながら喋っている人もいる。

 史琉はあちらこちらを向いて、声を張り上げているようだ。


 魔物よりも、人間。その問題を解決するために動いているのだろう。

 話しかけに行くわけにはいくまい。



 彼には訊けない。

 自分で考えて、答えを手に入れなければいけない。


――欲しい結果は分かっているの。そのために何ができる。


 踏み出した足がまた小石を転がす。コロコロとそれは、桜の木の根元へ。

 満開の季節は薄紅の花びらを道に降らす木を見上げて。

「そうか」

 呟く。


――花びらで埋めてしまえば、魔物はそこからどこへも動けなくなるかしら?


 一歩踏み出して、幹に掌を置く。

 目を閉じて、瞼の裏に、思い描く。


――道いっぱいの花びら。


 これ一本が咲けばいいわけではないだろう。

 そもそも、蕾を付けていない木に咲けなどと命じられるものなのだろうか。

 唇を噛む。そろり、そろりと踏み出して、根元に立つ。

 両手を伸ばして、幹に縋りつく。頬を寄せる。


「お願い」

 きつく目を閉じる。

「力を貸して!」



 どん、と何かが弾けた。



 顔を上げる。

 白光が宙を駆けぬけていく。

 その後からは、はらりはらりと小さな花弁が降ってくる。


「桜だと!?」


 ざわめきが広がる。

 薄紅の花びらが道を埋めていく。


「やった!」

「魔物が消えていくぞ!」


 聞こえてくるのは、違うことなく、歓声。口許が自然と綻ぶ。

 瞼はあがらなくなった。

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