15. 将軍閣下の深まる悩み

 この日の魔物が出たとの第一報は、会議の場にもたらされた。


 分厚い木の、両開きの扉を開けると、長方形の卓子テーブル。その両脇に五つずつ、扉から見た反対側には一つ、合わせて11脚の椅子が置かれている。座っているは濃紺の肋骨服を着た、しかめっ面の軍人たち。

 報告の名目で入室させられた軍曹は、やや蒼い顔で右手を挙げた。


「そんなに緊張しないでくれよ」


 一番奥の席に掛けたまま、秋の宮は溜め息を吐いた。

 テーブルの下の脚を組み替えて。真正面に立っている、まだ幼さが残る顔だちの軍曹を見る。


「それで、どこに出たんだっけ?」

「はっ! 二条通りにであります!

 数は不明、小さな羽虫の群れによく似て、一カ所に固まった群れとそこからはぐれて飛ぶものとに分かれており、現場に向かった部隊が一匹ずつ対応中です!」


 うん、と頷いて、ぐるりとテーブルに座っている面々を見回した。

 彼らの袖章は皆揃って大尉――この鎮台の部隊長たちであると示している。


「今、哨戒に出ているのはどこの部隊でしたかな」

 最初にそう口を開いたのは、左側の一番手前にいた腹の出っ張った男。


 それに、二番目の席の頭髪が儚げな大尉が頷く。

「第四部隊ですな」


 一つ隣の日頃から髭を自慢している大尉が、さらにその隣の、眼鏡をかけた男を見遣る。

勝島かつしま大尉の部隊ですか。首尾はいかがだろうか」


 眼鏡男は、その眼鏡の弦をクイっと押し上げた。

「手抜きしているわけがありませんな」


 その列の一番扉に近い位置に座っている、やはり眼鏡をかけた強面は、微かに口の端を吊り上げただけ。


「ならば安心」

 と応じたのは、反対側の列の大尉だ。腹の中で『単細胞』と呼んでいるその男は、今日も突き抜けた笑いで頷いている。


 一方で、『カミソリ』と勝手にあだ名している男は、今日も険しい表情だ。

「続報をもらいたいですね。今のは少し、大雑把に過ぎる」


 すると、別の融通の利かない顔が立ち上がる。

「確認してまいろう」


 その袖を、目立って体と声の大きい男の大きな掌が掴む。

「どんと構えて待てばよし」


 呵呵大笑する声に、最後の一人――ヒョロっとしたモヤシのような男も頷く。

「駆逐の見込みの有無を逐一もらえれば良いですな」

 そう言って、ヒョロヒョロの視線を第四部隊長に。


 皆の視線を受けて、眼鏡はさらにキラリと輝く。

「勝島大尉に任せるよ」

 秋の宮が言うと、挙手の礼を掲げてから、眼鏡の大尉は伝令の軍曹と部屋を出て行った。


 それを見送ってから。

「人が減ったから、まだ議題は残っているけど、今日は散会でいいかな」

 と、秋の宮は、後ろに立つ自身の秘書官に視線を動かした。


 その彼もまた眼鏡を抑えて答える。

「残りは三条大臣から打診されている件ですが。後日回しで本当によろしいですね?」

「ああ、あれ」

 こめかみを抑えたところに。


「統合は反対ですな」


 するどい声に、え、と振り向く。

 席に残っている大尉たちの視線はみな真っ直ぐに秋の宮へ向かってきていた。


 その中で、がたん、と体の大きな男が立ち上がる。

 視線で発言を促すと、もう五十路を目前にした彼は、すう、と息を吸った。


「近衛師団とこの鎮台では役割が違います。それを無理に一つにしたら、今まで回っていた軍務も覚束おぼつかなくなる。一条いちじょう近衛少将殿のご意見がごもっともであります」

「君、なんで天音あまねの意見を知ってるの?」


 ガバッと身を乗り出す。男はニヤリとした。


「吾輩は一条少将直々にご訪問を受けました」

「マジで」

「追って、皆も説得に回りたいと仰せられてもいましたぞ」


 ぐるっと視線を巡らせば、頷く者も、首を傾げる者も。


「天音のヤツ……」


 ふふんと笑う彼女の面長の顔が、女性でありながら、濃紺の肋骨服を身にまとって馬を乗りこなし、革の編上靴の踵を鳴らして歩く姿が脳裏を過ぎる。


 秋の宮はがっくりと肩を落としたが、立ったままの巨躯は、さらに言葉を継いだ。

「ここに居る者は、魔物退治に命を賭ける覚悟ができている者です。それを通じて、主上を、国を護っている誇りがございます」

 息を詰めて彼を見て、もう一度見回す。

 今度は誰の視線も揺れていない。

 また、溜め息が零れる。


――戦うことに命を賭ける、か。


 微かに唇を震わせてから、静かに前を向き直る。

「みんなの覚悟はよく分かったよ。これからも、よろしくね」

 そうして、今度こそ散会を告げた。



 さて、と立ち上がって、最後まで残っていた男に声をかける。

「お疲れ、柳津やないづ君」

 鎮台随一の悪人面とこれまた勝手に評している彼は、静かに会釈した。銀縁の眼鏡は外されて、胸の隠しポケットからわずかに縁をのぞかせている。


「ねえ、訊いてもいい?」

「はい」

「君のところにも天音は来たの?」

「いいえ。お誘いは頂いているんですが」

「いやいやいや、待って! お誘いって何!? 何を誘われているの!?」

「夜のお誘い」


 さぁ、っと顔があおくなった自信がある。

 相手は、静かな顔で。

「冗談ですよ」

 と言った。

 よろめいて、片手をテーブルに付く。それから、マジマジと相手を見た。


 年は自分と同じ二十七。だが、士官学校に通っていた期間は、二年遅れてだったらしい。

 無駄なく動く中肉中背の躰は、前線での経験をよく語っている気がする。隙のない笑みに加え、吊り眉のせいで、よけいに強面に見えているのを、本人は知っているのかいないのか。

 ついでに、言葉が端的に過ぎて戸惑うことがあるのだと、気付いてくれないだろうか。


 自分が是非にと乞うた人材のはずなのに、まだよく知らないな、と思う。

――お父上…… 柳津少将のこととか聴きたいのにねぇ。


「君、この後の予定は?」

「部隊の執務室に戻ります」


 小脇に帳面を抱えた彼に、思わず首を傾げる。

「あれ? 第五部隊って今日休みじゃなかったっけ?」

 隣に立つ秘書官を見ると頷いているし、柳津自身もまた。

「そうですよ」

 と返す。

「じゃあ、荷物を置きに戻るだけ?」

「はい」

「……よし!」


 ポン、と手を鳴らす。

「僕と呑もう!」

 相手の眉が跳ねる。


「天音の誘いはともかく、僕の誘いは断らないよね? なんてったて上官だし!」

「つまり、上長命令として酒に付き合え、と」

「うん。そう…… いや、一応訊くよ。柳津君、予定は大丈夫だよね?」

 半歩だけ退いて問うと、彼は視線を伏せた。

「執務室に戻って、火急の件がなければ大丈夫です」



 この答えならば、と秋の宮は柳津の後について行った。


――何もありませんように!


 北側に面した部屋には、第五部隊の副官と、髪の長い娘がいた。

 彼女の顔を見て、秋の宮は瞬く。


美波みなみかい?」

「こんにちは、秋の宮様」

 長椅子に腰掛けたまま振り向いた彼女は、秋の宮に、そして柳津に微笑んで見せた。


 花の形に結われた帯に赤い着物は、濃紺の群れの中で一際目を惹く。長く伸ばされた緑の黒髪も、眩しい。


 だが、その傍に立っている副官――高辻たかつじ少尉は全く表情を揺らさない。

「ずっと、おまえを待っていた」

 告げられた部隊長は、奥の机に帳面を下ろしてから、振り返る。


「何の御用で?」

「資料をお持ちしましたの。今日はいつもの子が出かけちゃっているから、わたくしが」


 ふわりと椅子から立ち上がって、美波は踏み出す。草履の音は厚手の絨毯が呑み込んでしまったが、しゃらと袖が鳴る。

 両手で差し出された紙の束を右手で受け取って、彼は口元だけ緩めた。


「高辻がいたのですから、預けてくださって良かったのに」


 副官は黙ったまま肩を竦めた。彼女は首を傾げる。


「わたくし、お邪魔だったのかしら?」


 それに何を返すでもなく、彼は机の反対側の椅子に腰を下ろし、再び眼鏡を取り出して、紙の束を捲り出した。

 高辻もその前に動き、背を向ける。

 美波は顔を伏せ、秋の宮は瞬いた。

 ごくっと喉を鳴らしてから、美波の隣に立ち、そろりと肩に手を置く。


「邪魔ってことはないんじゃないかなぁ……」


 すると、きれいに紅を佩いた唇が綻ぶのが見えた。

 僅かに心臓が早くなる。


「ありがとうございます、宮様」

「別に…… お礼を言われるようなことじゃないし」


 鼓動を誤魔化すように、声が上擦る。


「ねえ、柳津君?」

「ああ、すみません。なんでしょうか?」


 椅子に掛けたままの彼は、無表情。少女は頬を膨らませる。

「戻りますわ」

 扉のところで一度だけ振り返った彼女に、やっと柳津は立ち上がってゆるりと礼をした。


 すぐに座り直す彼の前に、慌てて動く。

「もうちょっと話しかけてやってもいいじゃない」

「そうですか?」

 素気無い返事。はああ、と机に両手をつく。


 そこに副官が椅子を置いてくれたので、遠慮なく腰を下ろす。

 ぱらぱらという紙の音が収まるのを待って、柳津の顔を覗き込む。


「彼女は昔からここに居るかんなぎで…… お喋りが好きな、親しみやすい子だよ」

「そうですか」


 応じて、彼もこちらを向いた。


「失礼ですが、彼女は何という名前でしたでしょうか」

「憶えてなかったの?」

「顔を覚えるのは得意なんですが、一度名乗られただけだとなかなか」

「君にも苦手があるんだねえ」


 ははっと笑ってから。

「彼女は、美波だよ」

 言うと、ふと彼は眉を寄せた。


「……以前から気になっていたのですが」

「うん?」

「いえ、宮様にお答えいただけることではないのかもしれませんが」

「何? 言ってみてよ」


 軽く問うたのに、眉間に深い皺を刻んだまま。彼はひくく唸る。


「『かんなぎ』は、苗字を持たないのですか?」


 それに、ああ、と息を吐いた。


「名乗らせていない。だけど、戸籍を探れば載っているよ。どこの誰の子かってことも、ちゃんと」

「名乗らせないのは、何か理由が?」

「……誰の味方にもなるなってことじゃないかな」


 脚を組んで、視線を伏せる。

「特定の誰かの利益を追求するのでなく、国の利益を――国の守護を任せられているから、と」

 それは、先ほど見せつけられた軍人の覚悟と似た言葉なのに、何故こんなにも苦い思いが沸くのだろう。


「僕ら主上の血族もそうでしょう?」

 言ってそろりと相手を覗くと、彼は静かに頷いた。

「そうでしたね」

 そのまま黙りこくる。


 壁の時計だけが、ぼん、ぼん、と音を響かせた。


「五時か」


 こんこん、と扉が叩かれて、三人振り向いた。


「宮様。ご報告が」

 顔を覗かせたのは秘書官で、少し青い顔になっている。


「どうしたの?」

「魔物の件。第二報が入りまして」

「うん」

「羽虫のような…… ということで、個別に動けるようなのですが、市中に広がってしまったようです」

「ええ!?」


 床を蹴って立ち上がる。


「それって……」

「前回、六月と同じです。あの時は昼間だったので、市民の屋内避難誘導が必要でしたが。今は幸い人通りも少なくなっていますので、そこまで大きな騒動にはなっていません。しかし、どうされますか。他の部隊も出動させますか?」

「いや、それをやって、また天音にお小言を言われるのもちょっと……」


 とは言っていても、何も手を打たないわけにはいかない。

 ぎっと歯を鳴らして、廊下に出ようとして。

「ああ、これじゃあ、吞めないじゃないか」

 言うと、微かな笑い声が聞こえた。

 振り返って見えた、少し愉快そうな顔に、むっと頬を膨らませる。


「大丈夫だよ、第五部隊は今日は休日でしょ。出動命令は外すから!」

「……では、私が勝手に出かけたことにしてください」


 ゆっくりと眼鏡を外して笑い。秋の宮の後から、柳津と高辻も廊下に出てきた。

 がしゃんと部屋の扉に鍵がかけられる。その鍵を上着にしまって、彼は副官と視線を合わせる。

 そのまま表玄関へと向かっていった二人を、秋の宮はぽかんとして見送る。


「好きだなあ」


 刀を抜いて、真っ黒な存在に向かっていく。

 何故恐ろしくないのだろう、と窓の外を見る。


 日はもう暮れたらしい。そして、雨が降り出していた。

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