14. 浮き足だっていた

 美波みなみだけではない。共に鎮台で起居している女の『かんなぎ』たち数人が、テーブルを囲んでいる。

 その、寮で居間代わりに利用されている大部屋の、扉の前に立ち尽くしていると、一人が手招いてくれた。


「最近流行の髪型ですって」

 テーブルの上に乗っていたのは、美波が普段から読んでいる雑誌だった。それを皆で捲ったり、指差したり。

「こんなに高く結えないわ」

「かと言って、結うのを止めて下ろすだけってのも味気ないし」

「だから一つ結びにして可愛い飾りを付けるだけってのが流行るのよ」

「ほら、このリボン。綺麗な色よ、手触りはどんなかしら」

「実際に見てみないと分からないわよ」

 そんな声が上がり続ける。


「切ってみるってのはどう?」

「さすがに遠慮するわ!」

「髪は女の命だし」


 話を聞きながら、倖奈ゆきなもまた身を乗り出して覗き込んでみると。

「あなたもしてみたい髪型があるの?」

 一番年嵩の娘に問われた。

「今とは違う髪型をしてみたいわ」

 おさげ髪の先を握って、曖昧に笑う。



 この間の会話が頭を過ぎる。

 子どもっぽくない髪型とは、どんなものなのだろう。



 きゃいきゃいと一とおり騒いだ後、みんな散って、あとはいつもと同じ風景。

 美波は椅子に腰かけて、雑誌を読んでいる。倖奈ははす向かいに座って、思っていたことを口にした。

 すると、美波はぎゅっと眉を顰めて。

「子どもっぽくないって、要は、大人っぽいでしょ?」

 答えてくれた。


「今更何言っているの。大人っぽく見られそうな紫や灰色を選んできたんじゃないの?」

「そのつもりだったんだけど」


 倖奈の眉はハの字を描く。


「逆効果なんじゃないかって…… その…… 地味で、よけいに幼く見えてるって、教えてもらって」

「誰に?」


 美波の声が硬くて早い。瞬いて、顔を見て、倖奈は小さな声で答えた。


真希まき――この服を買ったお店の人と、史琉しりゅう

「ふうん。柳津やないづ大尉が、なんだ」

 さらに鋭さを増した声に、びくりと肩が揺れる。

「それで最近は可愛らしいのを着ているのね」


 彼女の視線が上から下まで動く。

 今は、向日葵色の着物。袴も真希にもらった深緑。袴からすこしだけのぞく帯は、朱色だ。


「ふわふわした色ね。街を歩いていて目立つんじゃないの?」

「……え?」

「落ち着いて見られたいんじゃなかったの?」

「それは」


 そのとおり。美波の言うとおりだ。少しでも年上に見られたいと思って選んでいた灰色と紫だったのだ。

 だけど、似合っている、の言葉には。色とりどりの衣装を試したときめきが、かき氷を食べた時の喜びには、勝てない。


――目立つって、人目を引いて恥ずかしいってこと?

 目を白黒させる。


 一方で、紫の朝顔が咲く振袖を着ていた。半衿はその地の色に合わせた紅色だ。

「いいわね。楽しそうで」

 溜め息を吐き出した。


「柳津大尉っていい人?」

 問いかけられて、瞬いた。

「勉強になることをたくさん言ってくれる人」

「そういう良い人じゃない」

 ぎゅっと吊り上った眉に、肩が揺れる。

「倖奈にとって」


 は、と小さな息を、紅をひいた唇から零した後。

「なんでもない!」

 美波はそっぽを向いてしまった。


「あんた相手に、馬鹿みたい」

 ぽつん、と呟かれる。

「美波?」

 呼ぶ。


「そういえば」

 と、美波は雑誌に視線を移して言った。

「明日は出かけるんでしょ。万桜まお様と、振袖を選びに。良かったわね」

「うん。……史琉もね。楽しみだなって」


 言ってくれたの、と小さく告げる。

 すると、美波は顔を上げて、紅色の袖をゆっくりと撫でて見せた。


「誰にでも言ってるんじゃないの?」




 風が随分と涼しくなった午後に落ち合って、万桜の馴染みだという呉服屋へ。

「生地はこれにしましょう」

 と、彼女はずらりと並んだ反物の中から、すぐに一つに決めてしまった。

 あとは首回りなどを測られて、おしまい。

 決められたそれは縹色のもので、以前真希が選んでくれた色と同じものだった。

 似合うに違いないと思うし、万桜もそう考えたのだろうし、そもそも「私が支払います」とかたくなに言い張った育ての母が選んだものに、何も言うまいと思うのだけど。

 自分で選ばないとこうもつまらないのか、と倖奈はまた肩を落としながら帰路を辿った。


――考えさせてもらえなかったってお喋りに行ったら、怒られるかしら。


 楽しみだ、と言ってくれたのは何故かを知りたい。誰にでも言っているのか、それとも。

――わたしだから、言ってくれた?

 考えがそこに至った瞬間、ぼっと頬が熱くなった。


「え、えっと……?」


 歩き続けていた足が止まる。両手を顔に添えた瞬間、後ろからどすんと押された。

「急に止まるんじゃねえ! 危ねえじゃねえか!」

「ご、ごめんなさい!」


 あたふたと道の端に避けて、息を吐く。それから、往来を行く人の目のいくらかが自分に集まっているのを知って、ぎゅっと唇を噛む。


――目立つって本当なんだ。


 今日もまた梔子色の着物。ただし、袴は藍色の物を合わせてきた。

 だけど、先ほどの美波の言葉が頭の中で蘇って、どんどん胸が重苦しくなってくる。


――本当のことを一人で考えられないって、子どもだよね。


 矛盾したことを思っている、と頭を振る。それでも。

「会いたいな」

 彼の声を、意見を聞きたいと思ってしまう。


 むう、と頬を膨らませる。

 空はどんどん暗くなる。夜が近いからというだけでない。分厚い雲の登場のせいだ。

 溜め息が零れる。


――ねえ、史琉。




 *★*―――――*★*




――ねえ菜々子ななこねえ菜々子ねえ菜々子! 次会った時は絶対都の話をさせてね!


 特に、すぐ道に迷いそうになる件について、と颯太そうたは肩を落とした。


「まっすぐな道ばかりなのに、どうしたら間違えるんですか」

 横を歩くかいがじとりと睨んでくる。

「だってさー。どこもかしこも同じような建物じゃん。目印がないんだよ」

 ぶんと指差した先は、延々と続く町屋。窓の大きさも屋根の形も似たり寄ったりの木造の並び。

「同じようなってだけで同じじゃないでしょ。違いをすぐに見つけられない君の目は節穴ですか」


 颯太の肩がまたまた落ちる。もう、と櫂は溜息を吐いた。


「少しは都の様子が分かりましたか」

「うん。ごめんね、ありがとう。せっかくの休暇を俺の案内に使ってもらっちゃって」

「いいですよ。何度も言うけど、君が物を知らないと僕まで同じ目で見られちゃうのが迷惑なだけですから」

「頑張ります」


 うう、と胃の辺りを押さえて、颯太は続ける。


「隊長から外出許可を貰う時に、都の道を覚えられないって言ったらさ。すごい笑われて、散歩ついでに行ってこいって流行のお店ってのを教えてもらってた」

「へえ。隊長殿も都の出身じゃないのに、もう地図を覚えられたのかな。教えてもらったのは、どんなお店ですか」

「え? ええっと…… かき氷が食べられるお店」


 すると、櫂はぶっと吹き出した。


「どうしたの?」

「だって、あのおっかない隊長殿がかき氷を食べている姿って、想像できる?」


 あ、と呟いてから、ぶほっと息を吐く。


「無理かも」

「でしょう!? 副官殿でも無理だけど!」

「それない! 高辻少尉なんてもっとない! 無表情で甘いもの食べてるなんて、想像しただけで怖いから!」


 あはははは、と笑って、ふと空を見上げる。

 黒い雲がぞろぞろと流れている。


「夕立くるのかなぁ」

「涼しくなるなら歓迎です。降る前に戻れるといいんですが」


 自然、二人とも大股になる。

 任務でもないのに、肋骨服と制帽、革靴の一式を濡らしたくない――乾かすのが面倒だという一心だ。

 急ぎ足の踵が石畳を鳴らす中で、ざわり、と空気が動いた。


「魔物だぁ!」


「どこ!? どこ!?」

 がばりと顔を上げる。左手が、軍刀の鞘を掴む。

「たぶん、人が逃げてくる方から……!」

 櫂も首を捻って、人波の上流へと走り出そうとした。


 その手首をつかむ。

「ど、どこ行くの!?」

「魔物がいる場所にです。僕らは軍人でしょう!? 魔物を斃さないで、他に何するの!?」

 櫂が叫ぶ。

「で、でもさ」

 と颯太も叫び返す。

「軍服も着てるし! 刀も持っているけれど! むやみに突っ込んで怪我したら馬鹿みたいじゃないか! 哨戒中の部隊もいるかもしれないし」

「やらないうちから負ける気ですか、意気地なし!」


 ぎゅっと力の籠った瞳。唾を呑みこむ。

「じゃ、じゃあ……」

 するり、と力の抜けた掌から櫂の手が抜ける。

 猛然と走り出した彼を慌てて追いかける。


 進むうちに、街並みは、木造から煉瓦造りのそれに変わっていく。


 行き先は四つ角。そこの建物の、重たげな扉の前に、黒い塊が渦巻いている。

「あれだ!」


 叫び、そのまま走り抜けようとして、頬がビッと切れた。

「ほえ!?」

 左手でそれを押さえると、手袋に一筋の血がついた。

 見回すと、ぶうん、と唸って小さな塊が宙を滑っていくのが分かる。


「あれ、魔物?」

 黒い靄は今まで見てきたのと変わらない。ただ、とても小さい。握りこぶしほどもないのではないだろうか。

 同じような塊がいくつもいくつも、辺りを飛んでいる。行ったかと思ったら戻ってきて、忙しなく動き回っている。

 中心は扉の前の塊だ。


「あれ、一体の魔物じゃなくて、何体も集まっているんですね」


 足を止めた櫂が呟く。颯太も、本当だ、と頷いた。


「何匹いるんだろう、あれ……」

「数えられるわけないでしょ」

「そうだけどさ」


 うーんと呻く。

 そこにまた一匹。今度は鼻の頭を狙ってきたのを咄嗟に叩き落とす。地面すれすれに落ちたそれは、えいやと踏みつけてやった。

 足元からぼんやりと靄が浮いて、風に消える。


「一匹一匹の力は大したことなさそうですね」

「そ、そう?」

「一撃で致命傷を負うことはなさそうだし。こちらの一撃で仕留められるみたいですし」

「ちょっと待って! まさか、一匹ずつ刀でばっさばっさ斬っていくつもり!?」


 櫂はきいいっと頭を掻きむしった。


「斬る! とにかく斬る! 完全に駆逐するまで!」

「マジで!?」

「当たり前でしょう! 魔物を斃すのが鎮台の役目だって我らが隊長殿もおっしゃってたし!」

「こんな時ばっかりぃ!」


 あああ、と颯太も頭を抱えた。

――きっと取り逃がしたりしちゃうって。全部をここで潰せると思う?。ねえ菜々子!


 櫂が鞘から刀を抜き放つ音がする。続いて、気迫の声。振った刃の先で、塊が霧散していく。


「刀より、蠅叩きが欲しい!」


 うう、と呻いてから、颯太もまた軍刀を上段に振りかぶる。


「おりゃあ!」


 かすった一匹が、狙い定めた一匹が、消えていく。

 櫂も奇声を上げて刀を振るい続けている。

 扉の前の塊が、勢いよく渦巻いた。

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