11. さあ、牙を剥け(2)
炎天下。
桜星の旗が翻る。石畳を打つ革靴の音が
その源は殺気立つ濃紺の肋骨服の集団。
そのまま通りを駆け抜けるかと思ったのに、先頭を行く青年が右手を上げたので、皆がゆっくりと止まった。
腕をめいっぱいに振り続けていた
「へばってる、へばってる」
横に立つ男が笑う。
颯太の倍以上の年の頃だろうに、汗を流すだけで呼吸は全く乱れていない。
「ひょろ長いだけだな~、おまえは」
「す、すびばせん……」
謝るための言葉さえ荒い呼吸に飲み込まれて、恰好悪いことこの上ない。
「ま、一ヶ月でここまで走れるようになりゃあ、上出来だよな」
「……だ、だどいいんでずげど」
ぐいっと顎をつたってきた汗を拭い、背筋を伸ばす。
――頑張る。俺、頑張るから、菜々子!
視線の先は、先頭を走っていた副官殿。この人もまた、髪の先に汗の滴を光らせている以外は常どおり。
彼がひんやりとした視線を向けた先には、もう一つの集団――同じ第五部隊の別動隊がいた。
「半分は集まったかな」
聞こえてきた高い声に、あ、と呟いて視線を動かす。
――
副官殿の前に進み出ていた人を見て、ごくり、と唾を呑み込んだ。
「情報を整理しようか」
地図を、などの呼びかけの後に、何人かが中央に集まって喋りだした。首を伸ばすまでもなく、その様子が見える。ついでに耳を澄ます。
「現在確認されているのは一体。出現したのは、鉄道駅前の広場です。路面電車の後をついて、通りを北に進んだと報告されています」
「路面電車の通り…… 一本東側の通りだな。今、ここで角を曲がった場合、魔物の前に出るか後ろに出れるか、予想できるか?」
「後ろです。なにせ、魔物は途中で駅方面に引き返していったという話でして」
「何か原因でも?」
「襲われていた車両から逃げてきた者の話ですと、突然花びらが降ってきて魔物は逃げていったと」
「花咲爺でもいたのか?」
「単に、季節の花がそこに咲いていたというだけではないでしょうか」
「理由はさておいて。北に向っていたのが途中で南に戻っていった、でいいのか?」
「はい」
頷いて、隊長殿は副官殿を見向く。
「もう一度、隊を二手に分ける。南側と北側から挟撃するのでどうだ?」
「承知した」
副官殿も頷く。その白い手袋をはめた右手は、握って開いてを繰り返していた。
「おまえ、正面から突っ込むの、好きだな」
「よく言う。着任前から突っ走っていたのは、どこの誰だ」
「耳が痛いねえ」
ははっと笑って、隊長殿は口の端をくっと上げた。
「じゃあ、勝負だ」
――何の!?
颯太はぎょっとした。だが、二人はさも当然のように。
「じゃんけん、ぽん!」
掌を開いて、前に出す。
「あいこで…」
「しょ!」
ぐー、ぱー、またまたぱー、そしてちょき……
「決まらねえな」
ぼそっと誰かが呟き、その直後、副官殿が高々と拳を挙げた。
隊長殿の長い溜め息が響く。また誰がか――それも複数が――吹き出す。
だが、隊長殿の視線が冷えると同時に、空気も引き締まった。
冴えた視線が一同を見回す。
「一班、八班と衛生班はこのまま俺と行動。一本東側の通りに出て、路面電車沿いに移動する。
六班と九班は、
「『かんなぎ』の援護は待つのか?」
「来る前にやっつけてしまえ。可能さ、相手が一体なら」
くくっと喉を鳴らす。そして、鋭い視線を副官に向ける。
受ける副官殿も、微かに口元を綻ばせた。
「引き受けた」
そして、ぐっと握った手を振り上げる。
「駆け足!」
応、という声が響き、わっと人が動く。
――俺は、八班だから、ここに残るほう!
巻きあがった砂埃に目を閉じる。そこを後ろからどつかれた。
「ぐへっ!」
涙目で振り向くと、軍刀の鞘を握った
また唾を呑み、頷く。
「頑張りましょうね」
彼の声が掠れている。
「頑張るよ」
もう一度どつかれて、背筋をさらに伸ばす。
髪を掻きあげた隊長殿が笑うのが見える。
「こっちは衛生班がいるから、魔物との交戦より、逃げ遅れた人の支援が先だと思っておいてくれ。じゃあ、行くぞ」
ばさり、とまた旗が鳴る。
また響き始めた足音の中で、颯太は腕を振った。
*★*―――――*★*
ふよふよと魔物は漂う。また一段と膨らんだような気がする。
街の人は悲鳴をあげて、遠くへと走っていったり、建物に飛び込んで戸を閉めたり。
通りの、誰もいなくなったところを南に向けて進む魔物の後ろを、シロはのんびりと歩いていく。
「おぬし、何故、こんなに離れておるのじゃ」
問いかけには口をへの字に曲げてみせた。理由は一つしかない。だが、さすがに言えない。
だから、無理矢理会話の筋を曲げる。
「そんなことより、あの魔物、どうするの?」
「ううむ…… あのデカさでは、わしも完全に祓ってしまうことができるか自信ないのう」
「自分は『かんなぎ』だって言ってたじゃない」
「『かんなぎ』だとは言ったが、祓うことができるとは言っておらん」
かっかっかっとシロは笑う。倖奈は首を振った。
これに関しては、自分だって何も言えない。花を咲かせたところで、追い払うことはできても、消すことができないのだから。
「しかし、放っておくわけにいかんから、付いてきたわけだしなぁ」
全く彼の言うとおりだと、眉を寄せて魔物を睨む。
――もう、鎮台には通報が行っているかしら。
早く早く、あの魔物を倒せる誰かが来てほしいのに。
「どうしたもんかの」
ふむ、と唸ったシロは振り返り、人差し指を立てた。
「案、その一。わしとおぬしである程度弱らせておく」
「弱らせる方法は?」
首を傾げてみせると、にやりと笑われ、彼は中指も立てた。
「その二。どっかに閉じ込めてしまう」
「ええ!?」
「どこぞの家の中にでも押し込めてしまえ。そこから逃げぬようにしておけば、まあ、次の者が戦い易かろうて」
「そうなの?」
瞬いて見上げると、シロも首を倒した。
「たぶん」
「……さっきから適当に喋っていない?」
「そんなことはないぞ。たぶん」
言って、彼はもう一度首を捻る。
「まあ、現実的には、弱らせていく、なんじゃろうな」
「そうでしょうね」
はあ、と息を吐くと、今度はケタケタと笑われた。
そのシロが両手を打つ。ぼんっと音を立てて出てきたのは、
それもまた、ふわふわりと漂い、魔物にぶつかって、割れた。
魔物の咆哮が地面を揺らす。悲鳴と、物や人が倒れる音が続く。
倖奈もよろめいて、尻もちをついた。
「怒らせてしまった」
一人立ったまま。シロは、はっはっはっと腰に手を当てて笑った。
倖奈が顔を歪めても、まだ笑っている。
魔物は大きく腕を振り、ぶつかった人が僅かに飛んで地面に落ちる。
逃げようとした人がそれに足を取られてまた転ぶ。
「……止めて!」
叫んで、倖奈は立ち上がり、走り出した。
魔物はその先に進み、町屋に腕を突っ込もうとしていた。扉を閉めきれていない中から叫び声が聞こえる。
「中に入らないで!」
つんのめりながら扉の前に飛び出して、傍にあったアサガオの鉢を叩いた。
にゅっと蔓が伸びる。萎れていた花が顔を上げる。蔓はぐるぐると戸の枠を伝って、網となった。
その網に黒い腕が絡まる。魔物が再び吠え、腕を引き千切った。
残された腕は、濃い紫の花が覆いつくしていく。
腕を失くした魔物は、ぐるりと向きを変えた。今度は北向きだ。また徐々に速度を落としながら、漂っていく。
それを呆然と見遣る。脇からひょこっとシロが首を出し、びくっとなった。
「逃げて行ったな」
「うん」
ほうっと一度目を閉じてから。遠ざかる塊を見る。
「あやつ、さっきの場所に戻ったらまた引き返してくるつもりかのう」
「……別の道に行くんじゃないかしら」
シロの言葉に呟きを返してから、あっと叫んだ。
「もしも、だけど」
勢いよく見向くと、シロがぐてんっと首を倒した。
「わたしが花を咲かせて道を塞いだら…… 魔物はその先には進めなくなるのかしら?」
「そうかもしれん」
にっとシロは笑った。
「なるほど、その手があったか。
作戦変更じゃのう。援軍が来るまで、どこぞに閉じ込めてしまうように仕向けよう」
ぐっと唇を噛む。それから走り出す。
草履が石畳を打つ度に、じん、と土踏まずに痛みが走る。
構わずに、漂う魔物の横を一気にすり抜けて、通りの角へ。そこでも見つけた朝顔の鉢を撫でると、道の幅いっぱいの蔦の柵が出来た。
柵から逃げるように進む魔物をまた追いかける。
「先回りできる道はないかのう」
「そ、そこの路地から!」
叫んで、細い土の道に二人で踏み込む。砂埃をあげながら走り抜けて、一度右に折れて、魔物の前に飛び出す。
そこにあったネムノキに手を伸ばしながら、叫んだ。
「お願い、あなたも力を貸して」
淡い光のあと、紅の花が一気に咲き乱れる。
飛んだ花びらが掠るだけで、魔物が叫ぶ。ぼん、と音を立てて、塊は地面に落ちた。
「おお。弱まったかの?」
ぜえぜえと息をしながらシロが笑う。
だがすぐに魔物は浮き上がった。
にゅっとまた腕が生える。それが、ぐん、ぐん、ぐん、と伸ばされてくる。
「いや、食っても旨くはないぞ?」
ぱんっと叩かれた掌の間から生まれた球がもう一度、魔物にぶつけられる。
ほんのすこし遠ざかっただけで、魔物はゆるゆると近づいてくる。
シロが後ずさる。
倖奈もまた、大きく肩で息をしながら、一歩下がった。
無いはずの目に睨まれて、身がすくむ。
足の裏が痺れている。 心臓が口から飛び出してきそうなほど跳ねている。
ぎゅっと両手で己の体を抱えて、後ろに下がって。
背中がどんっと塀に当たる。
汗を吸った襦袢が急に冷えてきた。頬を引きつらせ、息を大きく吸って。
「きゃ……」
上げかけた悲鳴は、鬨の声に掻き消された。
北側から、桜星の旗を戦闘に走ってくる濃紺の一団。
その気迫に押されたのか、塊はまたふわふわと流れていく。
「なんじゃあ……」
どさっと音を立てて、隣でシロが座り込んだ。
――軍が着いた。
倖奈もへたりこむ。
耳の奥が、どくんどくん、と煩い。それなのに、こつん、という靴の音は聞こえた。
目の前に立った人を見上げて、瞬く。
太陽を背に受けた青年。濃紺の肋骨服を着て、制帽を被り、軍刀を腰に下げた人。
「この花」
その人は白い手袋をはめた手でフヨウの花を差し出してきた。
「おまえが咲かせたのか」
問いかけに頷く。すると、片膝をついて、倖奈の顔を覗き込んで。彼――
「良くやった」
頬が熱くなった。
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