09. やっぱり見た目から

 眩しい着物は、入口にほど近い衣桁にかけられていた。

 流れる雲と翼を広げた鶴が大きく描かれているその着物の前に立ち、じっと見上げる。


「それ、婚礼用の打掛ね」


 かけられた声に振り向けば、同じくらいの年頃の少女が立っていた。

 髪を後ろで一つに縛り、杏色の帯を締め飴色の襷をかけている。着物は、紺地に金平糖のような色合いの水玉が弾んでいる紋様。

 あばたの浮いた顔を見ると、にやっと笑われた。


「打掛がるの?」

「違うわ」

「なーんだ。熱心に見てるから、てっきり嫁入り前のお嬢ちゃんかと思ったのに」


 しゅんと少女は肩を落とし、倖奈ゆきなも眉を下げた。


「ごめんなさい。歩いていたら、この着物が見えて」

「まあ、うちの商品が気になってくれたっていうのは、嬉しいけど」


 そうか此処ここは服屋か、と倖奈は改めて店内を見回した。


 入ってすぐのには、所狭しと、華やかな着物のかかった衣桁が並んでいる。壁に沿って置かれた棚には、帯紐、帯留がやはり数多く並べられている。

 土間は通りから奥へ奥へと延びていて、それに沿うかたちで、座敷があるらしい。賑やかな話し声が響いてきている。


「奥が気になる?」

 訊かれ、笑みを返す。


「とても賑やかね」

「お陰様で繁盛してますからね! 今も何人か、反物を選んだり採寸したりしてるお客さんがいる」

「一から生地を選ばせてくれるの?」

「そりゃそうさ。

 なあに? あんたも、新しい着物が欲しいの?」


 この問いには、首を傾げた。


「どうかしら? もしかしたら、欲しいのかもしれないけれど」

「もしかしたらって何さ」


 じろじろと顔を見てから、彼女はぷっと吹きだす。

 倖奈は少女に向き直った。


「あなたは、ここの店員さん?」

「そうよ。売り子でもあるし、着物を縫う針子でもあるよ。着物が欲しいって思っている人はみんな、あたしのお客さん」


 少女は、どんと胸を叩く。


「押し売りもしちゃうわよ」

「そうなの?」

「そうよ。じゃあ、早速。あんたのその服、かなり着古しているでしょ。新しいの、どう?」


 言われて視界に入った、くたびれた灰色の袴。それをつまんで持ち上げて、苦笑いを見せた。


ばばくさいって言われたの、この服」

「そりゃそうだ。あんた、何歳いくつ?」

「十八歳です」

「あたしと一緒!? それがどうして、そんな暗い色着てるのさ。地味すぎる!」

「このほうが年上に見えるかなって思って」

「いやいや、逆効果でしょ」


 ぱたぱたと手を振って、彼女も首を傾げた。


「年上に見られたいの?」

「……うん」

 呟いて、視線を落としたが。

「なんでか、は訊かないけどさ」

 針子だという少女はにやっと口の端を上げた。


「あんたを大人っぽく見せる服を見繕みつくろえばいいの?」

「そうね」


――見た目だけ変えたって駄目なのに。


 首を縦に振る。

「せめて、見た目だけでも、大人になりたいわ」

「違うわよ。まずは見た目から、よ」

 少女の笑みが深くなる。


「まずはお客さんが気に入ってくれるのが第一。だから普段なら、先にどんなのが好きか訊いてるんだけど。あんたにそういうのが無いのなら、あたしが好きなやつを着てみてもらってもいい?」


 倖奈はもう一度瞬いた。


「あなたが好きな服?」

「そう。あんたが似合う色を選ぶ自信があるよ。どう?」


 じっと視線を交わす。輝く瞳の奥の人懐こさに、自然と頬が緩んだ。


「お願いできる?」

 彼女はぽんっと両手を叩いた。

「もちろんよ、お客様」

 ぐいっと腕を引かれる。

「じゃあ、奥の座敷へどうぞ。気に入ったら、買っていってよ」

「え、待って! 今日はお金を持っていないわ」

「じゃあ、見ていくだけでも! 次来た時に買って」


 あははと笑われて、くすくすと返す。

 奥に進む中で、少女は真希まきと名乗った。


「あたし、この店で働いてもうすぐ一年なんだけど。お客さんと話して、一番気に入っていただきそうなのをお勧めするってのが、奥様や売り子のあたしたちの信条なんだ」

「素敵ね」


 土間を挟んだ反対側にヒルガオの咲く庭が見える座敷に上げられる。そこには桐箪笥と鏡台が置かれていて、鏡の斜め前に座らされた。


「ここ、あたしが普段縫い物してるところなんだ」

 言って、真希は桐箪笥からぞろぞろと着物を出した。

「自分じゃ似合わないって分かってるんだけどさ。どうしても好きで作っちゃうんだよね」

 瑞々しい、明るい色が並ぶ。

「こんな色、着たことないわ!」

 思わず声を上げたが、真希は涼しげな顔だ。


「大丈夫。倖奈は絶対似合うから」


 彼女は倖奈の後ろに立ち、体の前に夏の花を思わせる一枚を広げた。


「ほら見てよ」

 と言われ、鏡を見る。息を呑む。

「ね!」

 真希が笑う。


「髪の色も薄いし、色白だし。こういう色でも全然子どもっぽくならないって!」

「本当だ……」


 鴇色ときいろ鶸色ひわいろ、水色、珊瑚色と、真希はどんどん合わせてくる。うすくて柔らかい髪に馴染む着物ばかりを、だ。


「いいじゃん、似合うじゃん。いやー、あたしの目ってば確かなもんね!」

「すごいわ、真希」


 きゃーきゃー言っているうちに、側の土間に人が立っていた。


「真希が可愛いお客さん捕まえてる」

「こんなに淡い色が似合う人って滅多にいないのにね」

「折角だから、わたしの作ったのも着てみてよ」


 年の頃はばらばらだが、全員売り子だったらしい。

「あたしのお客さんよ!」

 真希が叫ぶが、彼女らはわっと行ってすぐに戻ってきた。


「はい、次はこれ。同じ色でも、模様が違うと雰囲気違うでしょ」

「大きな格子柄より、こっちの千鳥の方が似合いそうよ」

「縞模様も持ってきたよー!」


 皆が座敷に上がり込み、倖奈を取り囲む。この扱いは、まるで着せ替え人形のようだ。

――でも、楽しい。


「柄物もいいけど、絵が大きく描かれているのもいいんじゃない?」

「じゃあ、これは?」


 そうして差し出された一枚に、倖奈は僅かに身を引いた。

 真っ赤な花が大きく描かれたそれは。


――美波が着ているのに、似てる。


 顔が強張っていたらしい。

「こういうのは嫌い?」

 問われ、はっとなった。

「……ごめんない」

 項垂れる。


「いいよいいよ」

 店子たちは相変わらずの笑顔だ。

「気に入らないものを着ても、楽しくないしね」

「それじゃあ、絵付けされてるのじゃなくて柄物から選びましょうか」

「だから、あたしのお客さんだって!」


 わあわあと、売り子たちの手で大量の着物が二つの山に分けられていく。

「倖奈には、黄色が似合うかなー」

 その山の中から、鼻歌交じりの真希が二枚取り出した。


「こんなでどう?」

 どちらも単の着物。一枚は向日葵ひまわり色で、もう一枚は梔子くちなし色だ。どちらも小さく、白い模様が入っている。

 どくん、と胸の奥が鳴る。唾を呑みこんで。


「……欲しいわ」

 でも、と眉を下げた。

「最初にも言ったけれど、今日は持ち合わせがないの」

「承知済み」


 真希は喋りながら、倖奈の肩や腕に巻尺を当てている。


「むしろ、こっちこそ付き合ってもらってごめんね。色白のあんただったら、なかなか出番のない着物でも似合うと思ってさ。みんなも楽しんでたし」

「ええ」

「なんなら、お届けしてもいいんですよ。何処に住んでるの?」

「……鎮台」


 この答えには驚かれたらしい。真希が手を止め、顔を覗いてくる。


「鎮台? あんた、軍の関係なの?」

「……ええ」

「ふうん」


 からりと笑い、真希は巻尺を放った。それから帳面を引っ張って、文字を綴り始める。


「女物ばかり扱ってるから、軍人さん相手に商売したことなくってさ。軍に品物届けてもらうの、初めてになるかも。なんか特別なことってないよね?」

「大丈夫、よ。多分」


 笑いあって、立ち上がる。そして、店の戸を出る。


「丈直しはしておくからさ。気が向いた時にまた来てちょうだい」

「どうも、ありがとう」


 街の中は、西日が眩しい。蒸し暑い。

 振り返ると、真希や売り子たちが手を振っている。同じく手を振ってから、路面電車に乗り込んだ。




 戻ってまず、居間に顔を出した。夕食前、みな思い思いに、雑談に興じたり、本を読んだりしている。

 奥の窓際のテーブルには美波が座っていて、手招きされた。


「何処に行ってたの?」


 長い睫毛の下から、黒目がじっと見つめてくる。そっとその脇を見遣る。


「……散歩に」

「そう」


 唇を尖らせて、美波は手元に視線を戻した。

 ペラリと捲られたページには、駅で見かけたような洋風のドレスが載っている。


「一度、着てみたいのよね。絶対似合う自信があるんだけど、みんなはどう思うかしら?」

「どう思われたいの?」

「それは当然、お洒落に、よ。

 そうそう、柳津やないづ大尉に帯の自慢をしたら、褒めていただいたわ」


 水色の帯は、よく見れば細かい格子に織られている。着物の薔薇を引き立てるそれを撫でて、美波が婉然と微笑む。

 ちくり、と胸がまた痛む。


「美波は、お洒落が好き?」

「そうね。好きよ」

「花の紋様や、赤い色が好き?」

「そうだけど…… 急にどうしたの?」


 紅を佩いた唇から目を反らす。

 何でもない、と呟いて、自室へと小走りで逃げた。




 その、五日後。

 利休色の風呂敷で包まれた荷物が届けられた。


 中には、店で合わせた小袖が二枚と、袴が一枚。袴は濃い緑色で、裾にはぽつんと刺繍が施されている。

 最後に『袴は勝手に選んだよ。全部あんたに丈を合わせてある。着てもらえると嬉しい』と書かれた便箋が出てきた。


「真希、ありがとう」

 頬が緩み、声が零れる。

 そして、はっとなった。

「お代を払っていない」

 どうしよう、と頭を抱える。


――お代! お金! お金って、いつも美波とお買い物に行く時、どうしていたっけ?

 ああ、そうか。銀行に行くんだ。


 外を見る。蝉の鳴き声がやかましい。この暑さの中を誰か一緒に来てくれるのか、と頭を振る。ごくりと唾を呑みこんで、立ち上がった。


 通帳と印鑑を携えて、銀行へ。帰りはさらに、現金も含めて、押し抱える。

 一歩一歩を確実に踏み出しながら、自室へ戻り、引出へそれらを仕舞い終わると、どっと力が抜けた。


――一人で、できた。


 次は、このお金をお店に持っていかなければいけない。

 改めてもう一度出かけねば、と窓の外を見る。塀の向こうを路面電車が通り抜けていく音がする。


 また電車に乗って出かけよう、その時は新しい着物を着ていこう。考えると、体の芯が熱くなった。

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