08. もやもやした気持ち

 いつもの書き物が仕上がった。

 端をざっくりとしか整えていない紙の束が机に置かれる。

「届けるのはお願いして良いの?」

 泰誠たいせいに問われ、倖奈ゆきなは真っ直ぐに頷いた。

「大丈夫」

「じゃあ、お願い。いつもごめんね」

 ふにゃりと笑ってから、彼は首をひょこっと倒した。

「そう言えば、今回から、秋の宮様に直接持って行くんじゃなくなったんだっけ?」

「第五部隊に、と伝言が来てたな」

 隣に立つ常盤ときわが頷く。

「本当?」

 目を輝かせた美波みなみがふわりと振り向いた。

「第五部隊って、新しい大尉さんのところよね」

「そうそう」

 泰誠が受ける。

「魔物の資料のとりまとめって、もともと、亡くなった遠郷えんごう大尉がやられていた仕事だし。後任として入られた柳津やないづ大尉のところに行くのは当然の流れかなぁ」

「だが、彼は都の出身じゃないだろう。地理に詳しくないのに、大丈夫か?」

 常盤が眉を寄せたが、 泰誠は笑顔のままだ。

「大丈夫だよ。柳津大尉のお父さんって都の人だったんじゃなかったっけ。だから彼だって詳しくないってわけないと思うけど」

「ならば良いんだが」

 ふむ、と顎に手を添えて常盤は息を吐く。

 二人の顔を見比べて、倖奈は机の上の書類に伸ばしかけた手を止めた。

「……持って行って、大丈夫なのよね?」

「大丈夫大丈夫!」

「向こうの心配などしていられるか。俺たちは言われたことをこなしているんだからな」

 二人が、表情は違えど、首を縦に振ったので、ほっと息を吐き出して紙の束を持ち上げた。

 そこにすっと白い手が差し出される。

「わたしも行くわ」

 見上げると、彩られた唇を綻ばせる美波の顔。

「行きましょう、倖奈」

 ひゅうっと息を呑んだ。飛び出しそうになった言葉もすんでのところで喉の奥へ戻っていく。

 その代わりではないが、 常盤が手を上げた。

「待て。それくらい一人で持てないのか?」

 美波はぺろりと舌の先を出した。

「だって一人で行きたくないんだもの」

「何故」

「場所が分からないのよ」

 泰誠がぷっと笑って肩を竦め、常盤は溜め息を吐いた。

「仕方ない奴め。倖奈、一緒に行って来い」

「……行ってきます」

 美波と紙の束を分け合って抱え、廊下に出る。『かんなぎ』たちの棟から、渡り廊下へ出て、進んでいく中で。

「ああ、楽しみだな」

 美波の声が弾んでいる。倖奈は、のろのろと口を開いた。

「何が楽しみなの?」

「だって、部隊のお部屋に行くってことは、噂の大尉さんと会えるでしょ? 彼とお話しするのが、楽しみ」

 するりと向けられた笑顔に、心臓が跳ねた。

「楽しみ、なの?」

「そうよ」

 美波はしっかり頷いた。

「お近づきになれるかしら?」

「……史琉しりゅうと、仲良くしたいの?」

「なれるなら、ね」

 返す言葉が浮かばず、口を噤む。美波もまた前を向き直って、進んでいく。

 ふわふわの絨毯を踏みしめて、表の棟へ。その北側の二階に第五部隊の司令官室はある。

 二人が着いた時、そこには十何人かの軍人が詰めて、わいわいと何かしていた。

 美波が中に踏み込んでいく。真っ直ぐに一番奥の机の前に行き、座っている人に声をかけたらしい。

 下を向いていた顔が上げられる。

――史琉。

 最初は目を細め、それから彼は口の端を上げた。ゆっくりと立ち上がって、官帽を脱ぐ。

 美波と真正面から視線を合わせて喋る姿に、また心臓が跳ねる。

 周りの喧噪に埋もれて、帳面を抱える指の先に力が入る。

「倖奈?」

 呼ばれてはっと顔を上げた。

 倖奈の顔の高さには、濃紺の肋骨服の身頃が合っていない肩。視線を上げてようやく、相手の顔が見えた。

颯太そうた

 名を呼ぶと、笑われる。その頭の上では官帽もずり落ちかかっていて、よいしょ、と少年はそれを直した。

「どうしたの、こんな所へ」

 問われ、笑い返す。

「お遣いです。大尉に書類を届けに」

「書類? あれ、もしかして、魔物の資料ってやつ?」

「そうよ」

「わー。増えたぁ!」

 そう言って、颯太は背を丸め、頭を抱えた。勢いで官帽がずるりと床に落ちる。

「どうしよう、終わりが見えないよ」

「何の?」

「今ね。文章を読むのが得意な人を集めて、隊長が司令官殿から預かってきた資料の仕分けやっているんだよ。過去に出た魔物の情報を場所ごとに分けたいんだって」

 成程、確かに。部屋のどの机を見ても、都の碁盤の目の地図が広がっている。書き込まれているしるしの形と場所が少しずつ違っていることが、颯太の言うことを裏付ける。

「……文章を読むのが得意、に選んでもらえたんだ」

「図書館通いしてたからみたいだよ」

 落ちた官帽を拾ってから、颯太は頬を掻き始めた。

「でも、あそこで読んでいるのとはまた違った感じで勉強になるよ。俺、本当に魔物のことを知らなかったなあって思う」

 へへっと笑う颯太に、倖奈の頬も緩んだ。そのまま部屋の中へ向き直ると、近くの机にいた軍人と目が合った。その中年が叫ぶ。

「おーい、何してんだ、颯太ぁ!」

「すいません! 戻ります!」

 大きな手を口に添えている彼のもとにバタバタと颯太は走る。その頭を、別の男がべしょっと叩いた。

「いい御身分だなぁ、颯太! もう彼女を作ったのか!」

「違います違います!」

 両手を振る颯太に、周りの数人からどっと笑い声が湧く。

「違うってばぁ……」

 真っ赤な頬で振り向いた颯太に、倖奈は首を傾げてみせる。

 そこに、つかつかと別の一人歩み寄ってきた。

 前に立つと、背は決して高くない。細身だが、しっかりと鍛えられているのが分かる体つきだ。そのしなやかな動きに沿うように仕立てられた肋骨服は、周りの人の物とは少し生地が違うようで、僅かに光沢を帯びている。

 顔を見ると、切れ長の瞳が見返してきた。

「何の用だ?」

 やや低めの声で問われ、ゆっくりと頭を下げた。

「お邪魔します。『かんなぎ』でまとめた資料をお持ちしたんです」

 すると、彼は僅かに肩の力を抜いた。

「ご苦労様」

 言って、白い手袋の右手で、倖奈の両腕から紙の束を引き抜いた。

 ずきり、とどこかが痛む。空いた両手がだらりと下がり、ぎゅっと袴を掴む。

 彼のほうは、さっさとその紙の束をばらして、別々に積み上げ始めた。

高辻たかつじ副官! それも今の仕分けに追加ですか?」

「当たり前だ」

「ええー! 本当に終わりが見えないじゃないですか!」

「……久しぶりだなぁ、ここまで大がかりに分けるの」

 蒼かったり赤かったり、笑っていたりむくれていたり、様々な顔で、紙を眺めて何かを書いて、と皆が進めていく。

 颯太もまた、ぐっと鼻の頭に皺を寄せたまま、帳面を睨みつけている。

 ほうっと、息を吐いて見つめていると、美波が戻ってきた。

「倖奈。戻りましょう」

 彼女は僅かに頬を膨らませていた。

「お忙しいからって、また今度お喋りしましょうって言われたわ」

 見ると、奥の机で彼は、椅子に座って書類を読んでいる。紙が捲られるのはゆっくりで、時折目を細めたり、宙を眺めたりしている。

 広い机の上には空っぽの一輪挿しが置いてあったが、全く視界に入っていない。

――お話できない、ね。

 三度、心臓が跳ねる。ぐっと唇を噛んで、扉の前で頭を下げた。


 美波と別れ、真っ直ぐに部屋に戻った。

 寮の二階、外壁は赤い煉瓦ながら、内側は白い壁紙で飾られた小さな一室が倖奈に宛がわれた部屋だ。

 畳の上に寝転んで、倖奈は唇を歪めた。

――痛い。

 転んだわけでも、ぶつけたわけでもない。だから、どこも怪我していない。なのに痛い。

 試しに、と指先に触れた髪を思いっきり引っ張ってみた。

――こういう、痛い、じゃない。

 じんわりと目尻に涙が滲む。

「バカみたい」

 ごろん、と寝返りを打って目をつむる。

 そうすると、何も見えていないはずなのに、ちらちらと動く影があった。

 袖を翻して歩く美波の背中だ。今日は、夏の花が数多散らされた着物に檳榔子の帯という装いだった。練色に襦袢の緋色を透かした肩に長く伸ばされた緑の黒髪を揺らして、真っ直ぐに史琉に歩み寄って、笑顔を向けられていた。

「だって、美波も史琉への御用を言い付かってたのだもの。喋るのは当たり前じゃない」

 同じように届け物に行った自分は喋れなかったけれども。

「代わりに、颯太と喋れたもの」

 嬉しそうに笑っていた彼。真剣そのものの表情で書類に向かっていた彼。それを羨ましく感じて、すごいと思って何が悪い。

 そう、届け物しかできない自分とは違う。彼は頑張れることを見つけたのだ。軍人としてさらに一歩進んだのだ。

「いいなぁ……」

 呟きが漏れて、眉の根に力が籠る。

 長く息を吐いて、起き上がった。

 ばさりと鳴った鈍色の小袖に、さらに眉が寄る。頭を振ると、結った三つ編みも風を殴る音を立てた。

 視線を落とすと、くたびれてきた京紫の袴。見回せば、桐箪笥と収納棚。文机。ぴっちりと閉じられた押し入れ。

――何も無いのね。

 己の姿に笑うと、障子の向こうの開け放たれた窓の向こうへ視線は動いていった。

 梅雨が去ったらしい雲の隙間からは熱い日差しが差していた。

 窓から顔を出せば、緑の庭、白い木槿の花、その向こうの柵。

 ふらり、と立ち上がる。


――出かけよう。


 懐に小銭入れを入れて、手に手拭を入れた巾着を下げて。倖奈は、外に出た。

 鎮台の門を出ると、ちょうど路面電車が停まっていたので、数多の人に混じって乗り込む。

 窓際の席に座って、赤煉瓦の街並みがゆるゆる流れるのを眺めた。


――初めてだ。


 一人で出かけるのは。

 飛び乗ってみたものの、行き先は決めていない。だから、次に人が多く乗り降りしたところで降りてみた。

 路面電車は都をぐるりと回っている。次々と来る電車に乗れば、市中を一周して鎮台に戻れるはずだ。

 そう見込んで、石畳の道を歩いたり、また路面電車に乗ってみたり。2回繰り返して、次に降りた場所は、鉄道の駅の前だった。

 ちょうど汽車が着いたらしい。西洋のロマネスクを真似た駅舎の屋根の向こうで黒煙が上がっている。改札からはざわざわと人が流れてくる。

 少し離れた場所からその流れを眺め、ほう、と息を吐いた。

 誰も彼もが大荷物だけど、装いは十人十色だ。下駄を鳴らす青年。動物柄の着物を着せられた子どもと、その手を引いて歩く縞模様の着物の女性。巴里渡だろうワンピ―スを着て日傘を差した女性。風呂敷包みを担いだ老人。それに軍服を着た者もいる。

――史琉もこうやって、都に来たのかしら。

 思って、また体の奥がちくりと疼いた。

 何故か、彼のことを想ってしまう。

 迷いのない背中。 同じ傘の中で聞いた声。大人になりたいと言ったら、撫でてくれた掌。棘のある顔立ちなのに、笑い顔はとても柔らかい。

 そんな彼は、倖奈をどう思っているのだろう。

「婆臭い服って笑われているのは確か」

 零れた独り言にふっと息を零して、こつん、と石を蹴って歩き出す。

 独り言を掻き消したくて、雑踏の中へと紛れていく。その国中から集まっただろう人たちが歩く通りの両側には、様々な商店が軒を連ねていた。

 その売り物の中で視線が留まったのは、鮮やかな着物。

 倖奈は首を傾げた。何故これを見ているのだろう、と。それでも足は進んでいく。

 店の真ん前に立った時、倖奈は大きく息を吸い。

 戸を潜った。

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