07. ねがいを言葉に

「万年筆って便利ね」


 大きな机に頬杖をついたまま、美波みなみが笑う。


「筆先にいちいち墨をつけなくていいんだもの」

「これを最初に思いついた人も偉いけど、西洋からこの国に取り入れた人も偉いよね」


 向かいに座る泰誠たいせいも 、すらすらと帳面に字を綴りながら、笑った。


「墨――じゃないや、インクが乾くのも早いしね。便利便利」


 ね、と隣に見向く。

 眉間に皺を刻んだまま、常盤ときわも頷いた。


「書けた?」

「もうすぐだ」

「僕は出来たよー」


 ふああ、と泰誠が伸びをする。


「結構疲れたー」

「そうだな」

「今日の報告書は何を書いているの?」


 同じ机についていた倖奈ゆきなが問うと、背もたれに体を預けた泰誠が顔だけ向けた。


「魔物除けについて。宮様がね、市内から魔物を減らすためになんか奇策を用意したいっておっしゃっててさ」

「難しいことを言うのね」

「根本的に出現数を減らせたら楽だけどねえ」


 あはは、と泰誠が笑い、むう、と美波が口を尖らせる。


「わたしたちは、湧いた魔物を祓うためにここに集まっているのに。その前にどうにかしようなんて、できるわけないじゃない」

「僕だって思い浮かばないよ」


 だらけた姿勢のまま泰誠は言った。


 そこに。

「花」

 と、もう一度倖奈は口を挟む。


 視線を向けてきたのは常盤だった。

「花がなんだ」

 射貫くような視線。

 ぎゅっと膝の上の両手に力が入る。それでも、どうにか声を絞り出す。


「花畑が一番効果があったって…… そう、聞いたの」


 だが。


「花畑? 馬鹿馬鹿しい」

 常盤は言い切った。


「誰だ、そんな戯言を言ったのは」

史琉しりゅう…… 柳津やないづ大尉、よ」

「柳津大尉かー。さすが、発想が違うなあ」


 泰誠はふにゃりと顔を綻ばせる。倖奈は曖昧に口許を緩めた。


「どういうふうに役立ててたんだろう。気になるなぁ」

「どうしても知りたいなら自分で聞きに行けばいい」


 常盤が鼻を鳴らす。うん、と泰誠が頷いて。それから四人、しんと黙り込んだ。

 体を小さくしながら、倖奈は他の三人を見回す。



 美波の今日の装いは、今が季節の紫陽花が描かれた着物で、真紅の帯を締めている。

 全く日に灼けていない手で真っ直ぐに伸ばされた髪をいじりながら、唇を尖らせている。


 泰誠はいつもの書生姿だ。

 縞模様の小袖の中に着たシャツは今日は折り襟のもの。襟と襟が重なるのが気になるのか、しきりに首の後ろを撫でている。


 やはり同じように書生姿の常盤は、立て襟の前の釦が首の前までぴっちり止められていた。短めに詰められた小袖から覗くシャツの袖もボタンがきっちりと留めてある。

 その手元からは、カリカリと尖った音が続いていたが。

「終わった」

 ようやく止まった。


「さて。宮様に届けに行くのはどうする?」

 常盤と泰誠が顔を見合わせる。美波は大げさに肩を竦める。

「わたしが行きます」

 倖奈は立ち上がって、両手を出した。


「わー。めんどくさいのを、ごめんねー」

「すまん。任せた」

「大丈夫」


 微笑んで二冊の帳面を受け取り、廊下に出た。



――大丈夫。これはいつもしているのだから。



 今日も雨、この間と同じく風の無い中を降る静かな音が続いている。

 進むたび、くすんだ紫の裾が揺れて、漆塗りの草履が絨毯に沈み込む。


 図書室のある棟から渡り廊下を抜けて、通りに面した側の棟へ。そこに出ると、行き交う人は濃紺の肋骨服の人ばかりとなった。

 何度向けられても慣れることのない、訝し気な視線。

 帳面を抱える手に力を込めて、やや俯き気味になって足を早める。


 廊下を抜けて、中央の階段を二階に上がったすぐの大きな扉が鎮台の司令官室だ。


 扉の前には顔見知りの軍人――いつも、秋の宮へ取り次いでくれる秘書官を見つけて、会釈する。その隣にもう一人立つ人がいて、あ、と呟く。

 彼もまた、倖奈を見ると、片手を上げた。


 先日とは異なり、官帽と肋骨服を隙無く着こなした、彼。

「史琉」

 呼ぶ。

「表のほうまで来る用事があるのか?」

 彼はごく普通に笑いかけてくれた。


「たまに、『かんなぎ』で宮様にご報告の文書を作っていて…… 御遣いに来ることが多いんです」

「成る程ね」


 頷いて。

「俺も宮将軍に御用なんだけどね」

 そう言って、秘書官を見向く。倖奈も視線を向けると、彼は苦笑いを浮かべていた。


「すみません。今は入れて差し上げられないんです」

「だそうだ。戻られたと聞いたから来たのにな」


 史琉の言葉に、秘書官は、力ない笑い声をたてた。


「お戻りになってますよ。ちょっと先客が入ってまして。ああ、むしろ入室して差し上げたほうが喜ばれるかも」


 倖奈は首を傾げる。

 ちょうどそこで、扉の向こう側の話し声が近寄ってきた。


「終わられたようですね」


 三人、扉の前を広くしようと体を退く。がちゃりと開いた扉から出てきたのは、秋の宮ではなかった。


 濃紺の肋骨服には、近衛隊を示す萌黄襲の肩章。袖章は金糸で、将官であると示している。白い飾緒を揺らす如何にも上級将官という出で立ちなのだが、どこか違和感がある。

 何故、と首を傾げて、あっと思った。

――女の方だ。

 胸が豊かに膨み、腰がぎゅっとくびれている。凛々しい表情ながら、口元も眉も丸みを帯びている。


 その彼女は、背筋を伸ばして立ち、ぐるりと視線を巡らせた。

 まずは、秘書官。次いで史琉。そして。

女子おなごが鎮台にいるのか」

 倖奈にぴたりと視線を止めて、それから後ろを向いた。


「宮将軍。まさかおまえのか」

 ぐっと小指を立てて見せる。

「冗談はやめてくれよ」

 後から出てきた秋の宮は。ぐっと鼻に皺を寄せた。

「彼女も『かんなぎ』だ。」

「なんだ」

 ははっと笑い、彼女は言葉を継ぐ。


「まさか彼女も魔物との戦闘に?」

「そうだよ。『かんなぎ』は老若男女問わない」

「ふうん」


 肩を竦め、前を向き直り、今度は。

「そちらの将校殿は見ない顔だな」

 と史琉を見た。


 彼はずっと、目を細めて彼女を見ていたのだが。

「第五部隊に着任しました、柳津史琉と申します。近衛少将閣下」

 静かに挙手の礼を取った。


 途端、彼女はぱっと笑った。

「君が柳津大尉か!」

 つかつかと寄って、ぽんっと史琉の肩を叩く。

「話は聞いていたよ。会えて嬉しい」

 わずかに眉を寄せて、彼は、光栄です、と返した。

「そのうち父君の話を聞かせておくれ。なあ、宮将軍」

 彼女は朗らかな声で言う。秋の宮も眉を寄せて、肩を竦めた。


「早く戻りなよ」


 彼女は鼻白み、靴の踵を高く鳴らして階段を下りていった。


「ああ、疲れた」

 取っ手に手をかけたまま項垂れて、秋の宮は言った。

「それで? 今度は何の用?」


 早口になっている。史琉の表情は動かない。


「決済を頂きたい書類をお持ちしました」

「そう。君は?」


 顔を向けられて、倖奈も真っ直ぐ背を伸ばす。


「わたしも、書類をお持ちしています。あの、いつもの、報告書……」

「ああ、『かんなぎ』のいつものアレね」


 はあと溜め息をついてから伸ばされた手に帳面を差し出す。帳面を取ってから、秋の宮は倖奈を見てきた。


「今度からは柳津大尉に持って来てくれる?」


 黙ったままの彼に、秋の宮は手を振った。


「引継ぎよろしく。ああ、決済ついでに、その辺の資料を渡そうか。中、入って」

「失礼します」


 ふらりと秋の宮が先に部屋に入る。史琉が振り返る。


「またな」


 その声に、ブンブンと首を縦に振る。ふっと笑われる。

 秘書官も入室して、扉が閉められる。

 握りしめた両手を胸の前に置いてから、倖奈は背を向けた。



 一歩ずつ踏みしめて、階段を下りていくと、その先、玄関の前にいた人が振り返る。


「おや。貴女が先か」

 くすりと笑われ、倖奈は残り一段というところで止まった。


「近衛隊少将、一条いちじょう天音あまねだ」

 よく通る声で名乗られる。


 最後の段を下りて、倖奈はゆっくりと腰を折った。

「初めまして。倖奈と申します」

「ああ、よろしくな」


 天音は、よくとおる声で笑った。

 女性にしては背の高い彼女は腰を屈め、ずいっと顔を覗き込んできた。びくり、と体を退く。


「怖がらないでおくれよ」

 吐息のかかる距離のまま彼女は続けた。


「よく見たら可愛らしい顔立ちのお嬢さんじゃないか」

「え?」


 瞬く。天音の唇の端がきゅっと上げる。


「いや…… 服が、その、でな。顔も、その、あれと思ってしまって… いや、すまない。失礼にも程がある」


 要領を得ないようで、何となく伝わってくる。顔立ちはさておき、服については。

 倖奈が着ているのは、今日もくすんだ紫の着物と女袴だ。見た目だけでも大人になりたいと選んで、『婆くさい』と評された、それ。


「わたしの服。地味ですか?」

「おや。何故そのような言い方を?」


 眉を寄せてみせるが、天音は首を傾げる。


「他の方にも言われたので」

「ほほう? まさか、宮将軍か?」

「秋の宮様とはそんなお話しません」

「では、誰が?」

「……史琉が」


 ごく小さな声で答えたのに、しっかり聞こえたらしい。天音の笑みがふかくなる。

「驚いた。あなたのこれは、秋の宮ではなくて柳津大尉か」

 ぎゅっと親指を立てられ、倖奈はますます眉を寄せた。

「これ?」

「……いや、本当にすまない」


 一瞬だけ、眉を下げ。

「しかし、勿体無いな」

 彼女は倖奈の顎に、白い手袋に覆われた右手を添えた。そのまま、くいっと上向かされる。


「こんなに可愛らしいのに。もっと明るい色を着てみたらどうだ?」

「そ、そうなの?」

「薄紅色、縹色、黄緑、今の季節なら藤色もいいし、金糸雀色だってあるだろう?

 ふふふ。着飾っているところを見てみたいな。朴念仁どもは慌てるぞ」


 天音はくすくす笑い続けている。倖奈の顎はガグガグ震える。

 何を言っているのだろう、この人は。吃驚されて、呆れられるだけではないだろうか。でも、今は、他に言うことがあると倖奈はきつく拳を握った。


「離して、ください」

「ああ。悪かった」


 ぱっと手が離れ、がくんと頭が落ちる。


「着飾る相談は是非、私にしてくれ。楽しみだ」

「……はい」


 熱っぽい頬を両手で押さえて、見上げると、彼女は肩を竦めたところだった。


「私はしばらく、頻繁に来る予定だからな。ぼけっとした男のケツを叩かねばならぬ」


 そう言って、微かに眉を寄せた。


「子供じゃないのだから、自ら動けというのに」

「……子供じゃない」


 掠れた声で繰り返すと、天音はドスのきいた声で言った。


「大人になりきっていないのだ、あの男は。図体だけバカでかくなりおってからに!」


 ぎゅっと唇を噛んで、下を向く。

――わたしは、服装だけ、大人にしようとしていたわ。


「ぼうっとして、どうした?」


 また顔を覗きこまれる。

「いいえ。大丈夫です」

 両手の指どうしをきつく絡めたら。

「おまえ、本気で可愛い奴だな」

 また天音が体を寄せてきた。思わず、後ずさる。背中が壁にぶつかる。途端、顔の横に、天音が腕を伸ばしてきた。

 ドン、と掌がぶつかる音が響く。


「勿体無い。本当に」

「な、なにが?」


 ふっと天音の口許がほころびる。心臓が一際大きく跳ね、口から飛び出してきそうになったところで。


「何をなさっているのですか?」

 声がかけられた。

 先ほど下りてきた階段の上に、もう一人軍人が立っている。

「柳津大尉か。不粋だなぁ」

 天音が唇を尖らせる。史琉は、片手を手摺にかけて、無表情で見下ろしてきている。

 のそり、と天音は腕を退けた。


「仕方ない。今度こそ帰るか。また会おうな、倖奈」

「はい。少将様」

「私も名前で呼んでくれ」


 くすっと笑われて、倖奈は頷いた。


「……天音様」

 すると、天音はまた鼻の頭に皺を刻んだ。

「まあ、それで良いか」

 すぐに笑い直される。ちくり、と胸が痛む。

「では、また」


 大股で進む天音の背が玄関の向こうに消えてから、史琉が隣に下りてきた。脇に何冊もの帳面を抱えた彼に笑いかけられる。


「少将閣下と何を話してたんだ?」

「子供と大人について」

 細い声で答える。

「はぁ」

 史琉が気の抜けた声で応じる。


 見上げて、何度も見つめた、吊り上がった眉と三白眼。頬はわずかに削げていて、鋭さに拍車をかけている。

 自分と違う、戦いに真正面から向かっていく人の顔。より多くのことを知って、見ているだろう眼差しに。


「……わたし、大人になりたい」


 言葉が飛び出してきた。

 史琉が目を丸くする。花を咲かせてみせた時のように。

 倖奈は手を伸ばし、彼の袖を掴んだ。だが、どれだけ待っても唇はただ震えるだけで、それ以上の声が出ない。

 やがて、彼は柔らく笑った。


「頑張れ」


 掴んでいないほうの手で、ぽん、と頭を撫でられる。それはまるで子供をあやすような仕草。

 じわり、胸が熱くなった。

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