06. 将軍閣下の新しい悩み

 千年の間に道の形は変わらなかったけれど、並び立つ家々の形は変わっていった。

 昨今は、西洋の影響を受けた建物が増えてきている。

 最初は新し物好きな商家が取り入れて、次いで様々な思惑から政府や軍の庁舎に取り入れられた。とうとうその波は、伝統を重んじる御公家様にも押し寄せてきたらしい。


――この辺りも建て替えられてきたねぇ。


 白塗の壁の邸と赤煉瓦のそれと、半々くらいになっただろうか。

 馬車の窓から通りを眺め、ふうん、と息を吐く。


 やがてゆっくりと速度が落ちて、馬車が停まった。

 この先は徒歩でお願いいたします、とのお決まりの文句に頷きながら、湿った地面の上に降りる。


 黒い瓦屋根の門の先は、一転、高い木々が並ぶ場所。

 雨は緑の葉に遮られて届かないようで、傘を差すことなく進んでいけた。

 砂利の敷き詰められた道を行き会う者は全くいない。目的の棟に着くまでの間、彼はずっと一人だった。


 当然だ。ここの門をくぐる者は限られている――『限られて』しまうのだ。


 それを栄誉と捉えるかどうかは当人次第。

 秋の宮にとっては。

――めんどくさいしがらみだね。


 喧騒とは無縁だが、人間関係の面倒くささは当代一。それが、禁裏。

 自分がここで生まれてなければ、踏み込むことなんてなかっただろうに、と思う。




 今日は公的なものではない、私的な面会だ。そう言われたから、まだやって来られたのに、案内された一室にいたのは、避けてやまない政治家だった。


「僕に御用なの、三条さんじょう大臣」


 不機嫌を隠さずに言うと、巨漢の眼光が鋭くなった。

 辣腕という評価に違わぬそれは、もう何十年も国の中枢にいたから得られたものだろう。

 鉄色の背広は一分の乱れもなく着こなされ、蓄えられた顎鬚も完璧な跳ねを形作る。頭頂の横縞模様だけがちょっと残念だ。


 木造の建物の中でありながら土足で上がることが許されている区画にある、絨毯敷きの部屋。

 重苦しい存在感を放つ円卓と椅子が配された、此処ここの主と名乗らぬばかりのいかめしさで。

「むろん御用があって、陛下にお願いしこの席をご用意いただいた。掛けていただきたい」

 言って、彼は自分の向かいに掌を向けた。


「じゃあ、文句は兄上に言えばいいのかな?」

「いかに仲のよろしいご兄弟と言えど、慎まれるのがよろしいかと思うが。如何いかがか、宮将軍」


 当帝の弟であり鎮台の司令官である自分の通称を口にした相手――この国の内務大臣に、秋の宮は目をすがめる。

 溜め息を零してから、椅子にどさりと腰を下ろした。

 脚を組んで、白い手袋の両手は膝の上に揃えて、首を傾げてみせる。


「座りましたよ」

「結構。では早速本題に」


 そう言って、彼はテーブルの端にあった書面を、秋の宮の目の前に動かした。


「都の地図?」


 覗きこんで、瞬く。

 ここで生まれ育った人間にとって見慣れた碁盤の目。千年の間に中心となる場所はやや東の川よりにずれてきたとはいえ、道の形は変わらないので、走る直線の数で分かる。

 今そこには朱で丸が三カ所記されていた。


「印があるのは禁裏と、あと二カ所は…… 鎮台と近衛隊の詰め所じゃないか」

「左様」


 大臣が頷く。


「都には駐留しているこの二師団を統合すべし、という声が高まっているという話はお聞きか」

「あー…… 初耳です」


 わずかに目をみはって言うと。相手は、ながく息を吐いた。


「国の予算をどこに回すかという議論の中で、吾輩にその意見を言う者が増えてきた。今はてんでばらばらに主張しているが、そのうち意見を取りまとめ団結してくるかもしれぬ」

「うん。何か問題が?」

「統合が是か非かを見極める必要が、内務を預かる身としてはあるのだ」


 じつに重々しく、彼は言った。


「よって、宮将軍にお訊ねしたい。二師団のうちの片方を預かる身として、何か意見はないかね」

「意見…… 意見ねえ。逆に僕も聞きたいよ。なんで一個にしようと思っちゃったんだろね」


 すると大臣は、ふむ、と言って帳面を捲りだした。


「部隊が駐留する場所の縮小、そして人員の縮小は予算の削減につながる。浮いたものを別のものに回せという主張だ。回す先について意見が違うから一致団結していないだけのこと」

「へえ」

「吾輩としては、より市井のためになる提案を陛下に致す義務がある」

「左様で」

「軍を縮小して問題があるか。あるとすればどのようなことか。考えつくことは?」

「待って待って! そんな、いきなり出てくるものかい!?」


 肩を竦めて、秋の宮は溜め息を吐き出した。


「ちょっと考えさせてよ」




 結局、地図と去年の決算の資料と今年の予算表を持たされて、秋の宮は禁裏を後にした。

 鎮台に戻ってからも、足取りが重い。息を切らしながら己の執務室に戻ると、扉の前で秘書官が待っていてくれた。


「おかえりなさいませ」

 声が震えている。両方の眉がハの字を描いている。


「何かあったの?」

「あったも何も…… 今はお入りになる前に、覚悟を決められたほうがよろしいかと」

「僕が執務室に入るのに、何か問題があるのかい?」


 自分の部屋だぞ、と呟きながら扉を開けて。

「待ちくたびれたぞ、宮将軍」

 中から聞こえた声に、扉を閉め直した。


「どういうことだよ!」

「すみません。突然いらっしゃって、閣下を待たれるとおっしゃられたので、お通しした次第です」

「逆らえなかったの!?」

「そんなことできるわけないじゃないですか」

「だよね! 知ってた!」


 取っ手に手をかけたまま項垂うなだれる。中から「早くしろ」という声が聞こえる。

 艶と張りのある声。魅惑的と感じる人も多いに違いないそれは、秋の宮にとっては恐怖の対象だ。


「何をしに来た、天音あまね……」


 呻いて、もう一度扉を開ける。

 正面の奥には、樫から出来た机。そこに足を乗せて、椅子にふんぞり返る人影が見える。


 濃紺の肋骨服は、胸が大きく盛り上がっている。乗馬に向いた短袴と編上靴の合間に見える脚は黒い靴下で覆われているが、そのなめらかな形までは隠せていない。

 面長の顔で、化粧をせずとも赤い唇が弧を描く。


「ようやくお帰りか」


 彼女――そう、彼女――は言った。


「私は待ちくたびれた」

「僕は疲れたよ……」


 近衛隊を示す萌黄襲の肩章を輝かせた彼女――天音が席を立つ気配はない。だから、本来であれば自分が座るべき側とは逆の側に椅子をひいて、秋の宮は座り込んだ。


「禁裏で何をしていた」

 問われ、首を振る。


「何って…… 内務大臣と楽しい密談だよ」

「そうか。実は私も、つい昨日してきた」

「君も?」


 瞬いて顔を見つめると、天音にふっと笑われる。


「そうか、じゃあ、内容は一緒かな」

「近衛隊と鎮台を統合するというのだろう」


 ずばり言い切り、彼女は眉を寄せた。


「鎮台と近衛隊で役割が違うと理解していないから、そういう発想になるんだ」

「うん。鎮台は都に出る魔物の対応、近衛隊は禁裏や陛下の護衛が主任務で、得意なことが違うよね。

 って、まさか、この話のために来た?」

「当たり前だろう。我らが軍にとって由々しき事態だ」

「そうだね」


 ふっと息を漏らし、やっと真正面から顔を見つめた。


「で、君は何て言ったの?」

「ふざけるな、と言ってやった」

「そうですか」


 ははは、と力ない笑い声を漏らすと、天音は肩を竦めた。


「削減なら受け入れてやると譲歩してやったがな」

「なるほどね」

「が、統合は無しだ。やっていることがまるで違う部隊をまとめるなんて、そのほうが非効率だ」

「なーるーほーどーねー」

「間延びさせないで話せ。苛々する」


 舌打ちされ、体を縮こまらせた。そこをまっすぐに見つめられる。


「おまえは何と言ってやった?」

「保留にしてきたよ。いつかは兄上――陛下を通してお返事しなきゃだけどね」


 また溜め息。

 わずかに開いた窓の隙間から冷えた風が吹いてくる。


「仮に、鎮台と近衛隊が統合されたら」

「……させん」

「させられたらさ。司令官は一人だよね」


 首筋に風を感じながら笑うと、彼女の眉がぎゅっと寄せられた。


「何を言いたい」

「僕は退官できるかなーって思って……」

「ど阿呆!」


 すぱーん、と高い音を立てて叩かれた。

 呻いて頭を抑える。天音の手には、いつの間にか丸められた帳面が握られている。

 音の正体を確かめながら、目尻に涙をにじませて。

「だってそうだろ」

 続けた。

「僕より君が適任だ。勇気も智略も、何もかも」

 すると、こつん、と叩かれた。


「近衛隊の司令は皇族が就く慣例なのを破っているのは私だ」

 わずかに陰った視線。

「私は…… 当代の従妹というだけだ。次に相応しい皇族が軍属になった段階でお役御免の予定だよ」


 金糸で飾られた肋骨服の袖が揺れる。その視線がすこし下に降りたかと見えた次の瞬間、ぎろりと睨まれた。


「そもそも、おまえと私の立場が逆なんだ! おまえが魔物を相手にしてみたいとか阿呆なことを言うからこうなるんだ!」

「すみませんでしたぁ!」


 思わず叫び、両手を振る。


「だってねー。兄上の護衛というのも気が引けたんだよー」

「そんな身勝手な理由だったのか!」

「あれ? 言ってなかったっけ?」


 首を横に倒すと。ばあん、と机が帳面で叩かれた。


「魔物から人を護るためではなかったのか!」


 だんっと天音は立ち上がる。丸められたままの帳面が鼻先に突きつけられる。


「途中で任務を投げ出すとは言語道断! シャキッとしろ。おまえは軍属として戦い続けるつもりはないのか!」

「ないです」


 即答すると、ぐしゃあ、と帳面が握り潰された。何が書いてあるか知らないが、もうあれを開くのは困難だろうな、と唸る。

 帳面を放り投げて、彼女もながい溜息を吐きだした。


「魔物と戦いつづけてきた都だ、ここは」

「知っているよ」


 お互い、表情が消える。


「何故だろうね。何故、人が多いところほど、魔物は出るのだろうね。何故魔物は、家々は壊さないのに、人を殺すことができるのだろうね」

「ただ言えるのは、人が殺されぬよう、戦う者が必要だということだ」


 向かい合って、唇だけを動かし続ける。


「この間も……」

「うん?」

「随分大きな戦闘があったそうだな」

「ああ…… 十部隊中三部隊出したからねえ。同時に何カ所も湧かれたからそうしたんだけど」

「部隊が多く出るとその分、おびえる住人もいると聞く。そのあたりも今回のとち狂った意見が湧く原因になったんじゃないのか?」


 天音の静かな視線が胸の奥をえぐってくる。さあ、ともう一度冷えた風が流れた。


「僕なりに考えた結果の作戦だったんだけどな」


 ながいながい溜息。

 それから、彼女は放り投げたはずの帳面を拾って、秋の宮の顔に向かって投げた。


「イテッ」

 鼻に皺を寄せると、彼女はふふん、と笑った。

「やはり腑抜けた面の方がお似合いだな」

 そして、彼女は背伸びを一つした。


「帰る」

「どうぞー」


 鼻をさすりながら立ち上がり、扉に寄る。


「送らせましょうか、お嬢様?」

「軍馬に乗ってきた。不要だ」

「……可愛くない」

「何か言ったか?」


 乾いた笑いで誤魔化しながら、扉を開ける。

 外に立っていた人と視線があった。

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