04. 妨害者と挑戦者(1)
「また出たって!」
バタバタと部屋に飛び込んできた
「数は? 大きさは?」
「今度はどの辺りなんだ?」
「もう、軍は出ていったの?」
「出動要請は来ているのか?」
「あ~! いっぺんに聞かないで!」
ぐわっと詰め寄られるのを、泰誠は両手を前に出して拒み、叫んだ。
「そんなに大きくないし、数も少ないって。おまけに、たまたま巡回中の班が近くにいて応戦できたから、そんなに被害はないし、もう終わりそうみたい。これからもう三班出動させるから、それに同行してほしいって話はきてるよ……
って、みんな気が早いなぁ!」
すでに四、五人が部屋を出て行っている。
「
ぴしゃりと言われた。
「でも……」
倖奈は眉をさげた。
まずはその場に行かなければ。そうでなければ、何もできない。
唇を震わせたが。
「また
言い放ち、すたすたと常盤は扉を出ていく。
泰誠も、眉をさげ片手だけで拝む姿勢を見せてから、パタパタと出て行った。
『かんなぎ』たちが寝起きする棟の、居間のように使われている空間。臙脂の絨毯が敷かれ、艶を放つ木の棚やテーブルが置かれた部屋に、沈黙が落ちる。
「わたしたちは留守番よ」
三十畳ほどのここには、倖奈ともう一人しか残っていない。
窓よりのテーブルに肘をついて、椅子に座っている少女に、倖奈はゆっくりと近寄った。
「
「わたし? 行かないわ」
言って、彼女はじっと倖奈を見返してきた。
白磁の肌をふちどる緑の黒髪は、背中まで真っすぐに伸ばされている。
細い躰を包むのは、乳白色の中に、薄紅、丹色、黄色の花が描かれた振袖。
形の良い指先はほんのり赤く染められていて。それを頬にそえて、彼女は首を傾げる。
「魔物の数は多くないんでしょ? それなのに『かんなぎ』ばかり大勢行ったら邪魔じゃない」
「そういうものかしら?」
「そうよ。ほら、倖奈もお座りなさいよ」
長い睫毛に飾られた瞳で、美波はまだ見つめてくる。その、幼い頃からを共にしている同い年の少女に。
「美波は魔物に何ができる? 」
と問うた。
「やあね。あらたまって、何を訊いてくるの?」
すると、やはり色を乗せている唇が綻ぶ。
「わたしができるのは、光を放って祓うこと。何度もやってみせているわ」
「魔物を祓うことができるのに、行かないの?」
「呼ばれないかぎり行きたくないわね。常盤の焔みたいに勢いと速さがあるわけじゃないから、あまり実戦向きじゃないもの」
「実際の戦いには速さが必要?」
「そうじゃないの? 怪我させられるまえに向こうを
くすくすと彼女は笑い続ける。その間にようやくテーブルの向かいに座ると、真正面から見つめられた。
「倖奈はことさら実戦に向いてないわよね。花を咲かせるだけだもの。
綺麗よね、お花って。でも、魔物に何か影響するわけじゃないし」
ぎゅっと眉を寄せてみせると、美波は困っているかのような笑みを浮かべた。
「力の前に、ぼーっとしてる性格も良くないわよね。この間も、出て行ったのはいいけど、部隊と逸れちゃって大変だったんでしょ?」
「それは……」
多量の魔物が何カ所も同時に出ていると聞かされて、連れ出してもらった時の話だ。
軍人たちが刀を振り回している中で、どうにかして魔物に近寄ってみようとしているうちに、進めなくなった時の話。
「ごめんなさい」
「わたしは別にいいんだけど」
美波は笑顔を崩さない。
「常盤、カンカンだったわ。だから今日、あんなふうに言われたんじゃないの?」
倖奈は唇を噛み、膝の上に置いていた手で、自分のくすんだ紫の袴を握りしめた。
「ちなみに、その時は」
と美波の明るい声が響く。
「噂の大尉さんに助けてもらったんですって?」
「……誰?」
ちらりと見遣ると、美波の笑みの形が変わっている。
「ええっと。名前、忘れちゃったわ。ちゃんと鎮台内の布告もあったのにね。
ほら、あの人よ。去年死んだ
倖奈は瞬きをして。
「
教えてもらった名前を声にのせた。
「そうそう、その人!」
美波は手を叩いた。
「わたしもこのあいだ遠くから見かけたけど。案外普通の人ね。北方鎮台の出身だっていうから、田舎っぽい、野暮ったい人だったらどうしようと思ってたけど、都にいても違和感ない人ね」
「それは、どういう意味で?」
「え? そのままよ。普通の人だなって思ったの。お近づきになる機会はあるかしら?」
「……どうでしょうね」
言って、倖奈は目を伏せた。
橋のたもとでの出会いを思い出す。
魔物を斬ることに迷いのない刀の煌めき。
最初に向けられた苦い視線。咲きなおしたツツジを見た時の、ぽかんとした顔。それから向けられた笑み。
「そう言えば」
と、顔を上げる。
「史琉にも
言って、くすんだ紫の袖を摘む。
「そうなの?」
「もっと子供だと思ったみたい」
「あら、そう。せっかく大人っぽい色の着物着ているのにね」
美波は首を傾げた。
「落ち着いた色でも、もっと違う色の方がいいのかしら」
「そう思う? この色を選んでくれたのは美波だったけど、また変えたほうがいいと思う?」
「そうねえ。どうかしら」
鈴を転がすような声で美波は言う。
倖奈は膝の上に置いたままの己の拳を見つめた。
外は雨。
窓硝子の向こう側を水が流れていく。
人のいない居間にいても落ち着かず、図書室まで来てしまった。
結局ここも、出かけている『かんなぎ』が多い以上、閑散としているのだが。
「
ただ一人、知っている顔を見つけ、ほっと息を吐いた。
「やっほー、倖奈!」
濃紺の肋骨服と制帽の、くりっとした瞳の少年。
窓に近い机の上でだらしなく腕を伸ばしていた彼は、笑い返してくれた。
四人掛けのそこの真ん中には、くたびれたシャクヤクが一輪飾ってある。花瓶を挟んだ
「毎日来ているの?」
「来てる来てる!」
颯太は、爪の伸びかけた指先で、開いた本の頁を撫で、力なく笑った。
「なんかさ…… 他に、することが無くて」
「することが無くて?」
瞬くと、彼はまた、ぐてっと机の上に伸びてしまった。
「いいや。本当はあるんだ。探せば。
だって、新入りなんだもん。午前中は副官の剣術訓練をみっちり受けてきたんだよ。その上で、もっと実際的な戦闘の仕方を教わってみるとかさ。そもそも自主練して体力つけろとかさ」
でも、と言って、ごろんと頭の向きを変える。
「今も、魔物が出ているんだろ?」
ぎゅっと眉間に皺を刻んで、颯太は唸った。
「本当は、本当はさ。出撃したいって言ってみるべきなんだよね。怖がっている場合じゃないのに」
「魔物が怖いの?」
「怖いに決まってるだろう」
むん、と尖った口から言葉が続く。
「魔物なんて、全く見たことないや。
家は、田舎だからさ。人も少なくて、牛のほうが多いようなところで。ただ、オレにもでかいことができるぞって見せつけてやりたくて、入隊試験受けたら一発で通ってさ。それで結構はしゃいでたんだけどさ。この十日で現実を知ったというかなんと言うか。
うん、だからね。何が言いたいかというと」
どっこらしょ、と彼は体を起こす。
「俺、なんで都の鎮台なんかに配属されたんだろうね」
苦笑い。倖奈は首を振った。
「軍隊の中のことはよく知らないの。だから、答えてあげられないわ」
「あ、別に。そりゃそうだと思うから…… むしろこっちがゴメンっていう」
へへっと彼は鼻の頭を掻いた。それから。
「倖奈は」
と真顔になった。
「『かんなぎ』なんだよね。ずっと鎮台にいるの?」
「ええ。『かんなぎ』は、戦えるような歳になったら、ここで『暮らす』のが当たり前なのよ」
「魔物が出てきたら、そこに行くのも当たり前?」
「きっと『かんなぎ』ならば、そう」
「怖くないの?」
真っすぐな問いかけ。
知らず首を傾ける。
――怖いの?
怖いから、一歩も動けなかったのか。
怖いから、来いと呼ばれない限り行かないのか。
それとも。
「見つけた、颯太ぁ!」
突然の大声に、びくっと肩が揺れる。颯太はガタンと立ち上がった。
「か、
「何が、やっほう、ですか!」
振り向いた先、戸棚の合間から、これまた軍服姿の少年がつかつかと歩いてきた。
肩を怒らせる少年の後ろにも、もう一人、軍人。
「うげ……」
「部隊長殿に向かって『うげ』ってなんですか! 君が居なくなっているから、わざわざ捜しにきてくれたんじゃないですか!」
櫂、と呼ばれた少年が肩をいからせて颯太の前に立つ。
「え、あ、そなの? すみませんでしたぁ!」
「二人とも、一応、ここでは叫ぶなよ。誰もいないからいいけどさ」
後ろから歩いてきた、くっくっと喉を鳴らす人を、倖奈はじっと見つめた。
――史琉。
端がもちあげられた口元。厳しさを保ったままの目元には、銀縁の眼鏡をかけている。
湿度の高い建物の中だからか、肋骨服の襟元を少し着崩して、それでも左腰には軍刀が下がっていて。
ゆっくりと絨毯を踏んで近寄ってきた彼は、倖奈に見向くことなく、颯太と櫂の横に立つ。そして、颯太が撫でていた本に白い手袋を嵌めたままの手を伸ばした。
「勉強は終わったか?」
「う、えっと、その」
「読んでいたのいなかったの、どっち!」
整えられた眉を吊り上げて、キィッと櫂がまた叫ぶ。
「どうせ読んでなかったんでしょう! 部隊にも顔を出さないでいて、サボってたんでしょう!」
「うう……」
「君が来ないと僕までサボり魔扱いされるんだから!」
「なんで櫂まで?」
「百人もいる部隊なんだから、僕らの区別がついていない人は多いですよ。新人が来ていない、で
「そうかなぁ」
「俺は二人を間違えない自信があるが」
史琉はまだ喉を鳴らしながら、本の頁をぱらぱらと
櫂は、頬を染め、颯太の胸倉を掴まんばかりの勢いだ。
「とにかく! ちゃんと顔を出す! ついさっきだって、魔物が出たって聞いたから、こっちに来たんでしょう?」
「あ、あー。魔物、出たって言ってたねー」
「もしかしたら、出撃命令が出るかもしれないんだから! 待機が当然でしょう」
「……やっぱそうだようなあ」
「そうだよなあって! 分かってるならそうしてくださいよ。まったく、意気地なし! 本当は戦うのが怖いだけでしょう!?」
はあっと櫂が息を吐く。颯太は口をへの字に曲げて、そっぽを向いた。
倖奈は、ぐっと唇を噛んで、櫂と颯太と、史琉を順に見た。
本を捲る音だけが微かに響いた後、ふと、史琉が顔を上げた。倖奈の顔を見て、それから、彼女の背のほうに視線を向け、笑う。
「意気地なしかどうか、試してみるか?」
「え?」
櫂が振り向く。颯太も向き直る。
史琉の視線は倖奈の向こうを見ている。
「魔物が出たぞ」
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