第一章『大人になりたい』

03. 知らなければ戦えない

 赤い煉瓦れんがと白い花崗岩で作られた建物の中で、足元が覚束ない感覚と戦っている。

「君は絨毯の上を歩いたことがないの?」

「建物の中でも靴を履いているってことがまず初体験です」

 先を歩く少年が呆れ顔で振り返ってきたのに、颯太そうたは必死の笑顔を返した。

「大丈夫、緊張してない!」

 その声が思いの外大きく響いて、さらにその前を歩いていた中年まで振り返る。

「鎮台の中では静かにしたまえ」

「すみません!」

「だから静かに!」

 今度は、中年と少年に怒られた。

――緊張してない緊張してない! 俺、頑張ってるから! ねえ、菜々子!

 


 絨毯を踏みしめて進んだ先の扉が重々しく開かれる。

「失礼致します」

 北側に窓のあるその部屋の床にも、毛足の長い絨毯が敷かれていて、颯太は口元をもぞもぞさせた。

 先に歩いていた少年と並んで、部屋の奥の大きな机の前に立たされる。

 机の反対側、窓を背に立つ青年が、颯太と少年を交互に見遣って、笑った。

「本年度の新入兵のうち、こちらの配属となった二人です。確かにお引継ぎします」

山科やましな中尉。ここまでの引率ご苦労様でした」

 挙手の礼を交わして、ここまで一緒に歩いてきた中年が部屋を出ていく。

 入隊審査の時から見慣れた顔が去って行って、ちくり、と胸の奥が痛む。

――いやいやいや、のすたるじぃしてる場合じゃないから! 俺は軍人として頑張るって決めたんだし! ねえ、菜々子!

 直立不動。くわっと目を見開いて、正面にいる相手を見た。

――こ、この人が上司……!

 釣り眉と三白眼なのに、口端が緩く上がっているのが逆に笑顔で怒りそうな感じで、おっかない。そんな顔立ちの、十近く年上だろう彼に。

「名前は?」

 と問われる。

――うわーっ 話しかけられたあああああ!

 心の内で騒いでいるうちに。

園池そのいけかいと申します」

 隣にいる少年のほうが先に口を開いた。ビクッと見遣るが、彼は振り向かない。

 なんだろう。同じ十八だと聞いているのに、この差はなんだ。こちらは軍服に着られているような有様なのに、彼はしっかりと着こなしている。そして、問われたことに落ち着いて答える冷静さ。

――俺、ダサい? ダサいかな、ねえ、菜々子!

「そっちは?」

 声がかかり、慌てて、向き直った。

「こ、駒場こまば颯太です!」

 上擦った声。だが、正面の相手はにっと笑った。

柳津やないづ史琉しりゅう。皇都鎮台第五部隊長だ。よろしく頼む」

 椅子に座り直すこともなく、部隊長は真っすぐに颯太と、櫂と名乗った少年を見てくる。

「知っていると思うが、おさらいだ。鎮台には十の部隊があり、それぞれに部隊長がいて、指揮を執っている。今からおまえたちは、この第五部隊の所属だ。 だから、俺の言うことを必ず聞いてもらう。いいな」

 言って、彼は視線を横にずらした。その先、壁を背にもう一人立っている。こちらは細身で背が低いものの、鋭い空気を放っていて、またまた親しみが湧きそうになかったのだが。

「俺に万が一のことがあった場合は、そこにいる副官、高辻たかつじ律斗りつと少尉の指図を聞くように」

 柳津大尉の言を受けて、彼も頷く。

――上司その二……

 切れ長の瞳にしっかり値踏みされているようで、颯太は背筋を伸ばし直した。

「向くのは正面」

 ぼそりと高辻少尉が言い、あ、と呟きながら向き直る。正面ではまだ、部隊長が笑っている。

「俺も五日前にここに着いたばかりでね。まだまだ不慣れっちゃあ不慣れなんだ。まあ、頑張ってやろうな」



 寮の部屋の場所を告げられ、まず荷物を片付けて来い、と執務室を出してもらえた。

「ああ、緊張した」

「していないって言ってたじゃないですか。まあ、どう贔屓目ひいきめに見ても、緊張してましたけど」

 一緒に出てきた少年がじっとりと見上げてくる。

 颯太は肩を竦めた。

「すみません、背だけはバカでかくて」

「うん。大きいよねえ。六尺180cmある?」

「ある……」

「へえ」

 拳一つ分低い少年は、見上げて、それから首を傾げた。

「背が高いほうが見栄えがいいよね。でも、柳津大尉も僕と同じくらいだったし、高辻少尉はもっと低かったかな。身長関係ないよね」

「高いだけで馬鹿にされることもあるんだよ!」

 そう、バカでかいだけの馬鹿と里では呆れられていたのだ。それを払拭するための、一念発起。

――頑張る、頑張るから! ねえ、菜々子!

 凛々しい幼馴染の顔を思い出しながら、ううと呻いて、頭を抱えると。

「ほら、行きましょうよ。颯太」

 と少年が言う。

「あ、はい。ええっと……」

「園池櫂です。同期なんだから、覚えてくださいよ」

「あ、はい。よろしくお願いします」

 ぴょこっと頭を下げてから、すたすた歩いていく櫂を追った。

 辿り着いた寮は、幸か不幸か櫂と相部屋。運び込まれていた荷物を解きながら、ああでもないこうでもないと、片付けていく中で。

「それにしても、やっぱりいいなあ。士官服」

 櫂が呟くので、颯太の目は点になった。

「へ? なんで?」

 すると、櫂の目も丸くなる。

「僕らの服と、部隊長殿副官殿の服が違ったの、気が付いた?」

「え? ああ、そう言えば…… 向こうのほうが派手だった!」

 ここ、と袖を指さす。

 今、颯太と櫂が着ているのは、黒と見紛うばかりに深い濃紺の軍服。一般兵ではなく将校となると、それを表す袖章が付けられる。位が上がれば上がるほど、飾り線の数が増やされて、将軍ともなれば金糸で彩られる。

 それを踏まえて言ったのだが、櫂の視線は氷点下の冷たさだ。

「君、陸軍服則、ちゃんと読んだ?」

「い、一応」

 背中にどっと汗が流れる。

「なんか一緒にいて、僕まで知らない奴扱いされるのは厭だから、教えてあげる」

「お願いします」

 また頭を下げると、溜め息が返ってきた。

「まず、軍服に、正装と略装があるのは知ってるよね?」

「そ、そこはなんとか」

「式典とか、陛下への謁見とか、そういう晴れの舞台に着るのが正装。個人的な祝いの場でも着ていいことになっている。それに対して、今着ている普段着が略装」

「ですよね」

「この略装、士官と一般兵で違うのを着てるって知ってました?」

「え!? そうなの!? 袖章だけでなくて!?」

 さっきの部隊長の姿を思い出す。いや、別に、同じ肋骨服を着てなかったっけ?

 また溜め息が響く。

「一般兵のは支給品ですけど、士官は自前なんですよ。基本の造形を守った上で、細かいところは好きに作っていいんです」

「自前って…… 自分でお金払って買うの?」

「作ってもらうんです」

 はああ、という溜め息が深い。

「仕立屋に行って、測ってもらって、自分の体にぴったり合うのを作ってもらうんです。支給品だとどうしても、ほら、合わないところがあって格好悪いでしょう?」

 そう言って、櫂は颯太の肩を指差した。

「背が高いからって丈だけを合わせたんじゃないですか? 肩が余っています」

「そ、そのうち鍛えたらぴったりになるから!」

「どうだか」

 ふっと鼻で笑って、櫂は己の服の肩を差した。

「大きさだけじゃなくて。色さえ合っていれば、布地も自由だし。飾りをつけるのもお好みです。飾緒とか襟章とか、好きなのを好きなだけ飾れるし」

 ふっと遠い目をしてから、櫂は続けた。

「お洒落、という点では副官殿のほうが上でしたね」

「そうだった?」

「部隊長殿は何の飾りもつけてなかったけど。副官殿の飾緒、とてもいい仕立てでしたね。襟章も付けてらした。高辻少尉は都の公家のご出身だからそういう薀蓄うんちくに詳しいのかも」

「そうなの?」

「部隊長殿は北方から異動で来た人だそうだし、都の流行には通じてなさそうですね」

 お洒落に詳しくないと、将校になれないのだろうか。そもそも、何故上司二人の出身を知っているのだろう。う~ん、と颯太は唸った。

 すると、もう何度目かもしれぬ溜め息が櫂の口から零れたのが聞こえた。

「不慣れというより、知らないって感じですよね、颯太は」

「う……」

「どうせ、この鎮台が魔物専門だということも知らないでしょ」

「おろ?」

 もう、溜め息さえ出ないらしい。櫂は低い声で言った。

「この鎮台には大きな図書室があります。ちょっと勉強してきてください」



「すげー。これ全部本?」

 教えられて行った場所は、壁一面に加えて並ぶ棚の全てに、ずらりと紙が並んでいた。冊子だけでなく、巻物も置いてある。

――俺、読書は苦手なんだよ。ねえ、菜々子!

 瞬きも忘れ、棚の合間を進む。前は見ていなかった。

 どすん、とぶつかる。ざらざらっという音が響く。

「え、ええええええええ!?」

 巻物の山が、崩れた。

「マジでー!?」

 どさっ、どさっと音を立てて、床に落ち、転がっていく。

「何をしているんだ!」

 怒鳴り声に、颯太はでかい背を可能な限り縮めた。

「申し訳ございませんでしたぁ!」

 振り返ると、書生姿の青年。さらりとした髪の下で一重の瞳がギラギラと燃えている。

「それらがどれだけ貴重なものだか分かっているのか、貴様は」

 う、と言葉に詰まる。

 なんだなんだ、と人が集まってくる。

 退け、と言い、彼は屈んで本を拾い始めた。

「て、手伝います」

「当たり前だ」

 颯太も一つ二つと抱える。

「拾ったのは、ここに集めておけばいい?」

 後ろからかけられた可愛らしい声に、え、と振り向く。

 すると、お下げ髪の少女が巻物を抱えて、最初に山があった机の横に立っていた。

「ああ、そこに置いておけ、倖奈ゆきな

「分かったわ、常盤ときわ

 ゆっくりと頷いて、彼女は腕に抱えていた分を下ろす。颯太が歩み寄ると、手を出してきた。

「拾ってくれて、ありがとうございます」

 颯太の肩にも届かない背丈。差し出された手もうんと小さいに、見つめてくる瞳は大きい。唇はさくらんぼのような色形で。

「ど、どういたしまして」

 ぼっと頬が熱くなりかけて、首を振る。

――いやいやいや俺には菜々子がいるから! ねえ、菜々子!

 誤魔化すように、さらに歩いて屈んで巻物を集める。

「これで全部?」

「どうかしら?」

「確認する。全部揃っていなかったら、また探してもらうからな。待っていろ」

 常盤と呼ばれた青年が、縞模様の袴を捌いて、どかりと座り込み、巻物の題と手元にある帳面を指でなぞり始める。

「全部確かめるのには時間がかかる。だから、他の本でも読んで待ってろ」

 振り返りもせずに言われたが、颯太はぺこりと頭を下げた。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

「倖奈。一緒に行け。見張ってろ」

 信用無いな当たり前か、と颯太は頬を掻く。

「じゃあ、魔物の本がある辺りを教えてくれる?」

 言うと、少女は頷き、先を歩き出した。

「あなたは鎮台の軍人さん?」

「……ついさっき配属されたばかりの新人だけど」

「そうなのね」

 振り返り、ふわっと笑われる。それにまたドギマギしながら、颯太は懸命に足を運んだ。

「新人で。魔物がなんなのかよく知らなくて、怒られた」

「誰に?」

「一緒に配属された同期に」

 すると、彼女はまた微笑んだ。

「わたしも常盤に怒られてばかりだわ」

――うっわー。和むー。いや、菜々子のことも忘れてないよ?

 小さいから可愛いのだ、そんな言い訳を考えながら、颯太は言葉を継いだ。

「俺が怒られたのは、知らないことが多過ぎだからだよ。魔物とか、軍服とか」

「軍服?」

「うん、そう」

 はあ、と息を吐く。相手には、ふふっと笑われた。颯太もつられ笑う。

「知らないと、何もできない。怒られて当然か」

「……そうね、知らないと何もできないのかもしれないわ」

 彼女は首を傾げる。颯太はぐっと唇を突き出した。

「ああ、俺、頑張るよ。よろしくね」

「よろしくお願いします」

 そして、彼女はゆっくりと腰を折った。

「倖奈と言います」

――あ、名前。

 ぱちくり瞬いて、へへっと笑う。

「駒場颯太」

 今日二度目の名乗り。だが、緊張はもうなかった。

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