02. 戦え、戦え、戦え!

 その魔物を踏み潰した後に。

「あまりぶった切ってると、怒られるかな」

 と、彼は苦笑いをうかべた。


「どうして?」

 問うと。

「まだ、着任前なんでね」

 と返ってきた。


 そうだ、と倖奈は改めて彼の肋骨服を見た。

 本来であれば、肩章がついているはずだ。陸軍の者であれば、所属する鎮台と部隊を示す帯があるはずなのだ。

 濃紺だけの軍服は物足りない。


 彼自身も、何も付いていない肩に触れて、そのまま橋の向こうへと視線を移す。


 つられて見れば、橋の上を流れてくる、焔。

 軍人たちは声をあげて、それを避ける。既に欄干間際まで逃げた後の人たちは、その場にうずくまる。漂う魔物だけが呑みこまれて、消えていく。

 焔の走った跡を悠然と歩く、二つの人影を見て。


常盤ときわ!」

 やっぱりいた、と名前を呼ぶ。

「わたしと同じ、鎮台にいる『かんなぎ』よ」

 彼に言って、駆け出す。


 向こうもこちらに気が付いてくれて、つかつかと寄ってきた。


 白い立襟シャツの上に、蘇芳の小袖。バサバサと揺れる馬乗袴は墨色の格子模様。

 風にあおられる前髪の下では、ギン、と瞳が光っている。

 二十歳の青年は、眉をはねあげて。


「どこに行っていた、この間抜け!」


 叫んだ。肩を縮める。


「……ごめんなさい」


 声はかすれる。

 その場で足を止め、うつむきかけたら、肩を叩かれた。


泰誠たいせい


 こちらも、よく知った仲間。短く刈った髪の青年だ。

 狐色の鳥打帽ハンチングに、深緑の縦縞模様の小袖の中には紺色の立襟シャツ、背板のある白茶色の袴を穿いている。

 背は高くないが、厚みのある掌にまるい肩と腹。ふくよかな顔が笑みのかたちになる。


「どこ行ってたの」

 何処にも行けずにいた、と答えられず、やっぱり下を向く。

「だから連れてくるのは厭だったんだ」

 首を振る。

「……ごめんなさい」

 それだけの言葉を、何とか絞り出した。


 ぽん、ぽん、と泰誠が背中も叩く。


「僕も気を付けて見てなくて、ごめんね。怪我がなくて良かったよ。ものすごい数いた中で、よく無事だったね」

「助けていただいたから……」


 顔を上げて、それから悲鳴をあげた。


 助けてくれた彼。その後ろには、もうひとり軍人がやって来ていた。

 後ろの方が構えた軍刀の先は、前に立つ方の首筋にある。


 空いた両手をあげて、前の彼が笑う。


「怪しい者じゃあない…… と言って、聞いてくれるのかな?」

「無理だ」


 ひくい、怒りを抑え込んだ声で背後をとった軍人が言う。


「散々暴れてくれたそうだな。おまえ、何処の部隊の者だ」


 そういう彼自身は、きっちり肩章をつけている。皇都鎮台を象徴する松襲の帯、その中の第五部隊を示す伍の字が縫いとられた帯の、二つが。

 袖の刺繍を見れば、少尉だと分かる。

 右肩でゆるりと飾緒が揺れて、襟では徽章が光る。


「高辻副官だね」

 ボソリ、と泰誠が教えてくれた。


 それを知っているのかいないのか、刃を突きつけられたままの彼は、じっと動かずに笑っている。


「まだ着任前なんだ、皇都鎮台の予定。ついさっき鉄道で来たんだよ」

「俺の権限で、異動令状を破り棄ててやる。勝手をする男だとな」

「それを言われるとキツいな。悪かったとは思ってるよ。

 とりあえず、もう勝手はしないから、刀をどけてくれ」


 ふっと小さく息をこぼして、高辻少尉は笑う。


「動かないで待つんだな。まもなく中将閣下が到着される」


 かぶさるように、喇叭ラッパが響いた。

 どよめきと、規則正しい足音が道を揺らす。

 都の中心から通りを進んでくるのは桜星の旗。皇国陸軍のしるしだ。


「今回は司令官様みずから、ご出陣だ」


 常盤が言う。

 そうか、と見やる。


 旗の下、誰よりもきらびやかな人がいる。

 秋の宮と呼びならわされる人だ。

 黒と見まごう濃紺の肋骨服であることと肩章の形は他と違いがないが、袖章は金糸の刺繍。

 右肩からは飾緒が揺れて、左胸には勲章が並ぶ。

 背が高く、端整な顔立ちの彼は、滑るように歩いてきた。


 そして、高辻少尉が刀を突きつけた人に目を止めて、ポカンと口を開ける。


「君――柳津やないづ君?」


 呼ばれたのは、前側の軍人。先ほどまで戦っていた人。

 彼は手を上げたまま、すっと表情を消した。


「ご無沙汰しております、中将閣下」

「その呼ばれ方は好きじゃないんだ、けどいいや」


 秋の宮は、苦いものと浮いたものが混じった笑みになる。


「なんで、こんなところで捕まっているの。鉄道駅まで迎えに行くって言ったじゃないか。

連絡をくれればいいのに」

「申し訳ございません。到着するなり魔物の話を伺ったので」

「ここ、結構、駅から距離あるよねぇ? 歩いたの?」

「はい」

「……体力あるなぁ」


 それはそれとして、と秋の宮は首を振った。


「高辻君、刃を引いて」

「ですが」

「いいから。彼が柳津君。今日、僕の下に着任予定の彼だよ」


 すると、高辻少尉は片側の頰を痙攣ひきつらせた。秋の宮を囲む部隊からも、ささやかなざわめきが起こる。


「そうか、彼が噂の大尉殿だ」

 倖奈の後ろでも、泰誠が弾んだ声で言う。

「去年、魔物との戦闘で一人、部隊長が亡くなって。その後任は別の鎮台から異動させてくるんだって言っていたじゃないか。快諾の返事を貰えずにいたって聞いていたんだけど、いよいよなんだね。

 北の鎮台で、戦功をあげてきた人だよ」


 そんなざわめきに片手を振って。秋の宮は笑みを浮かべた。

「ちょうどいいや。今集まっているのが、君が率いる予定の部隊だよ。そこの高辻君が副官」


 高辻少尉は天を仰いでいる。

 彼を振り向いて、柳津と呼ばれた大尉は、やっと表情を浮かべた。

「まさか、部下予定に殺されそうになるとは予想しなかった」

「俺だって、上官が暴れてるとは思うはずないだろう!?」

 叫び、頰をあかくして、少尉はそっぽを向いてしまった。抜かれた刃は所在無げに揺れる。


「仲良くしてね。ついでに、このまま指揮を執ってもらっていい? もちろん、『かんなぎ』のみんなにも指示を出してもらっていいから」

「そう言われましても、まだ着任の許可をいただいておりませんが」


 また無表情になった大尉に対して、中将は鼻白む。


「許可もなにも。僕が呼んだんだから、いいでしょ?

 だいぶ待たされたよね! 招致してから一年、お父様の三回忌まで異動を待ってっていうワガママは聞いた! 今度は君が僕のワガママを聞いてよ。

 だって着いたらすぐ渡そうと用意していたんだからね」


 秋の宮が目配せをすると、斜め後ろの軍曹が、あたふたと背負った荷物を降ろした。

 そこから取り出された物を引ったくって、突き出してくる。

 そうして、秋の宮はよく通る声で言った。


「柳津史琉大尉。皇都鎮台第五部隊長への着任を」


 足をそろえ、背筋を伸ばし、挙手の礼をとった彼はゆっくり応じた。


「拝命いたします」


 そして、彼は、手に取ったしるし――帯を、肩に留める。

 松襲と、伍の字の二つだ。

 部隊長だと分かる出で立ちに、息を呑む。


「早速、任務に当たります」

「よろしくね」


 秋の宮は数人を連れて、通りを引き返していく。

 残った部隊へと、まず高辻少尉が駆け寄って。その後ろを大尉が続こうとする。


「待って……!」

 叫ぶ。するりと振り返られたので、もう一度叫ぶ。

「あの、さっきは……!」

 ありがとう、と言いかけたら。


柳津やないづ史琉しりゅうだ」


 唐突に名乗られた。


「よろしくな、『かんなぎ』のお嬢ちゃん」

「……倖奈ゆきな、です」


 クス、と笑われた。

 そして、真っすぐに伸びた背中を見送る。


 軍靴が石畳を打つ。

 風を受けて、桜星の旗がふくらんだ。

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