02. 戦う者たち

 石畳の道を人々が走ってくる。その後ろを黒い影たちが滑ってくる。

 道の端に避けて人々が逃げ去るのを待ってから、その影の前に史琉しりゅうが飛び出した。

 抜き放った軍刀で、左から右へ払う。そして、袈裟斬り。横合いから近づいてきたのには蹴りを見舞い、刃を突き立てた。

 正面から大口を開いてかぶさってきた分には、逆にその口に飛び込まぬばかりの勢いで踏み込んで、斬りあげる。

 刀の先から黒い靄が滑り落ちるのを見届けてから、史琉は刀を下ろした。


 その背中にそっと寄ると、振り返り、笑われた。

「細かいのがゾロゾロいるな。面倒くさい」

 こくり、と倖奈ゆきなは頷いてみせた。

「今日は、特に多い気がする」

「そうなのか?」

「一つ一つは小さいのだけど、数が多い感じがする。……出かけてくる時にも、何カ所にも出てるって話を聞いたし」

「じゃあ、まだどっかで戦ってるかねえ」

 その言葉に応じるように、どこからか、また爆音が聞こえた。

「あっちか」

 史琉が吹き出す。

 倖奈はぐるりと視線を巡らせた。

 町屋の並ぶ通りには、ゆっくりと人が戻ってきている。銘仙の着物、綾織の背広、ふわりと風を受けるショール、カランコロンと音を響かせる下駄、様々な装いの人々が左右を伺いながら歩いていく。 魔物と隣り合わせながらも、普通の生活の姿が戻ってこようとしている。

 その通りには立木も生垣も少なかった。だから、軒先に並んだ鉢植えの紫陽花に手を伸ばして、はらりと花びらを落とした。


 祈りだけを込めて。


「それにしても、聞いてはいたが……」

 史琉が官帽の庇を上げながら呟いた。

「都は道が本当に分かりやすいな。真っ直ぐに伸びていて」

 確かに。市街に入ったここからでも、後ろを向けばまだ微かに先ほどの橋が見える。前にも、まだまだ真っ直ぐに伸びる道。

 曲がり角はほとんど直角。つまり街全体は碁盤の目。千年近く前に造られてからほとんど変わらぬ道は、ここで生まれ育った人間には馴染んだ形だ。その道も知らないというのだ。

 道の真ん中を歩きながら、倖奈は史琉を見上げた。

「都の人じゃないの?」

「ついさっき、着いた」

「何処から来たの?」

「北。元は北方鎮台の所属なんだよ」

 瞬いていると。彼はふっと口元を緩ませた。

「そら。次が来たぞ」

 わあ、と声が上がる。交ざり始めていた人々の流れがまた、一方向に揃う。

 ふよふよと漂ってきた影の群れは、曲がり角で三つに分かれ、こちらにも進んでくる。

 倖奈が肩を揺らすと、すっと腕を引かれた。

 瞬いた次に見えたのは、濃紺の背中。そこにドスンとぶつかって、ぶうん、と刀が風を斬る音を聞いた。

 体のすぐ傍を、消えかけの靄が吹かれていった。

 それでもまだ残っている。黒い影を見つめてから両手で肋骨服の背中を掴んでも、振り払われることはなく。

 史琉はまた刀を振って、息を吐いた。

「部隊も追いついてきたようだぞ」

 そろりと彼の背中から顔を出す。

 影たちの現れた角から、濃紺の人々が、それぞれに刀剣を振りながら飛び込んで来た。こちらへと走ってくる者もいる。

 ばさりばさりと影を消していくその人達の中に、書生姿を見つけ、声を上げた。

常盤ときわ!」

 振り向いた彼からは、離れていても分かるほど鋭い視線が向けられた。

 びく、と体を揺らす。

 彼は、黒い影を赤く輝く右手で払いながら、ズカズカと歩み寄ってきた。

「倖奈!」

 ガンッと革靴を打ち鳴らされ、身がさらに縮こまる。

「ごめんなさい」

「うろちょろしてるから、周りが移動していることに気が付かないんだ」

 そっと見上げた顔は苛立ちを隠していなかった。

 一重の細い瞳は爛々と燃えている。ピシリと立てられたシャツの襟も、皺一つない小袖と袴も、言い訳を受け入れてくれそうにない。

 ぎゅっと自分の袴を握って、項垂れたまま、真っ直ぐ立つ。

「ごめんなさい」

「付いてくるなといつも言って」

「だから、ごめんって、常盤」

 すっと違う声が混ざる。

 そろりと見向くと、もう一人、書生姿の青年がいた。

泰誠たいせい

 ふっくらした頬を綻ばせて、彼は喋った。

「ごめんね、常盤。僕がおいでって言ったんだからね。逸れないように気をつけててあげなきゃだったよね」

「甘やかすな。こいつがぼーっとしてたのが悪い」

「うん。だからね。魔物にどう近寄ってみようかとかそういう話をしているうちに、つい、僕が盛り上がっちゃって」

 常盤の視線は冷たい。

「盛り上がって?」

「僕が先に魔物に寄っちゃったんだよね。そしたら、ちゃんと仕事しないと」

「おまえはまだ良い。だが、倖奈は魔物に直接何かできるわけではないんだ。まともに魔物を祓えない奴を、近づけようとするな」

「何ができるか探してる最中なんだ。やってみなきゃ。まずは近寄ってみないと」

「行き当たりばったりで考えるんじゃない」

 かたや蘇芳色、かたや茶色の二人の視線が混じり合った後。

「もう少し策を練ってから、戦場に来い」

 ピシャッと言い切って、蘇芳色のほう――常盤がくるりと背を向けた。

「とりあえず、今はもうちょろちょろするな。分かったな、倖奈!」

「はい」

 すたすたと彼は魔物の群れと軍人が入り混じる方へ戻っていく。その最中にも振るわれた拳に触れて、影は鳴き声無く消えていく。


 しゅんとなった頭の上に温かな感触を感じて、見上げると、史琉が笑っていた。

「どうも」

 泰誠が頭を下げる。

「すみません、倖奈を連れて来てもらっちゃって」

 それに史琉は首を傾げただけだった。すっと身を避け、黙って肩を押され、倖奈は泰誠に歩み寄るしかなかった。

「なかなか、うまく思いつかないなあ…… 机上よりも実戦かなって思ったんだけどね」

 泰誠が頬を搔く。

「あまり気にしないでさ。次、また考えてみよう」

 へへ、と笑われ、倖奈も眉を下げた。

「今日はもう終わる…… かなぁ?」

 間延びした声で言い、泰誠は彼が来た曲がり角を向く。角から流れていった影を追う声は遠くなっていき、こちらに来ていた軍人たちと常盤は声の方へ向かって行った。新しく現れるものはもう無いらしい。

「本当、また次の機会、だね」


 曲がり角からは、黒い影ではなく、濃紺の軍服の部隊が進んできた。

 全員が徒歩、先頭には桜星の軍旗が掲げられている。

「鎮台の少将様も、今日はお出ましみたいだよ」

 泰誠に耳打ちされた倖奈の横を、ばたばたと三人軍人が駆け抜けて行った。

 旗手の横に立つ、背の高い軍人に彼らは何かを告げて、こちらを振り向いた。

 合わせて、ずば抜けて背の高いその人も見向いてくる。

 官帽の下でさらりと揺れる髪、形良い鼻と唇。白い手袋に覆われた指は長くてしなやか。左肩の飾緒が揺れる。

 都の鎮台の司令官たるその人は、当帝の弟という身分に違わない優雅さで、旗手を従えてこちらに歩いてきた。

「秋の宮様」

 泰誠が頭を下げ、倖奈も慌ててならった。

「お疲れ様」

 ふう、と息を吐いて、彼は言った。

「今日のところは終わりが見えてきたよ。思わぬ援軍もあったみたいだし」

 また溜め息を吐いて、秋の宮の視線が倖奈を飛び越した向こうに動く。

 振り向いて、倖奈は息を呑んで走り出そうとした。

「倖奈、待って!」

 泰誠に手首を握られてそれが叶わず、ぎゅっと睨み返す。それから、また向き直る。

「史琉!」

 呼んだ彼は無言で両手を挙げている。

 その右の首筋にはピタリと刃が添っていた。

 持ち主は、史琉の後ろに立つ軍人。背はやや低めだが、しっかり引き締まった体躯の青年。

「魔物を斬るだけの刀、と思うなよ」

 切れ長の目が告げる。史琉は微動だせずに。

「やるなら苦しまないようにやってくれよ」

 と笑う。

「おまえ、何者だ? 鎮台の者ではないだろう?」

「そうとも言うし、そうじゃないとも言うし」

「ふざけるな」

 背後を取った青年の肩が尖る。僅かに史琉の右手が動いた時に、秋の宮が、あっと声を上げた。

「君、柳津やないづ君?」

 その場の視線が秋の宮に集まり、それから史琉に動く。

 倖奈も瞬く。

 史琉だけは口端を持ち上げて、口を開いた。

「そうです。ご無沙汰しています、少将閣下」

「閣下よりも、宮と呼ばれるほうがまだ好きなんだけど。まあいいや」

 秋の宮が靴の踵を鳴らして歩み寄る。

高辻たかつじ少尉、刀を下ろして」

 それを受けて、背後にいた青年が、二歩引いて、腕を下す。

 秋の宮が真正面に立つと、史琉は静かに腰を折った。

「長旅お疲れ様。予定の汽車に乗ったって連絡くれた時に、着いたら駅で待っててって伝えなかったっけ?」

「申し訳ございません。到着するなり、魔物が出ていると聞いて、血が騒ぎまして」

「聞いてはいたけど、本当に戦闘もの好きだねえ」

 ひょいと肩を竦めて、秋の宮は言葉を継いだ。

「じゃあ、来て早々悪いけど。部隊の指揮を執ってくれる?」

 ぐるり、と見回す。周囲には百程の軍人たち。

「今は、第三部隊と『かんなぎ』たちが中心になって討伐に当たっている。ここに来てるのは、僕が直轄って形で預かってた、君が率いる予定の部隊だよ」

 倖奈は二度瞬いて、泰誠を見上げた。

「彼が噂の大尉殿みたいだね」

 泰誠はぼそりと耳打ちしてくれた。

「去年、戦闘中に一人、部隊長が亡くなったの覚えてる? その後の人選として、宮様が北方鎮台所属の将校殿を指名したんだけど、異動を渋られてたらしいんだよね。だから、北方鎮台の上層部や彼との交渉が終わるまでってことで、その部隊は司令官預かりになってたんだよ。最近ようやく受けてもらえたって話になってたけど…… なるほど、彼がそうか」

 また瞬いて、倖奈は秋の宮と史琉を交互に見遣った。

 無論、二人とも振り向くことはない。秋の宮は弾んだ声で言った。

「うん、本当に来てくれて嬉しいよ。僕は指揮に向いてなくてね。多分、この部隊の皆、なかなか活躍できなくて鬱憤が溜まってたと思うんだ。よろしくね」

 しんと無表情になった史琉の肩を叩いて、さらに言う。

「ちなみにそこの高辻君が副官だから」

 ゆっくりと史琉は後ろを向く。腕を下ろした青年――少尉の彼も、複雑な表情を浮かべていた。史琉は首を振り、秋の宮に向き直った。

「指揮を執るにも、正式に着任の許可を頂きませんと」

「そうなの?」

 秋の宮が肩を落とす。

「面倒だなぁ」

「手続ですので。本営からの辞令は受け取っていますが、着任を認めるかどうかは、そこの司令官様次第でしょう?」

「あのさあ。分かってて言ってる? 待たせたのは君のほうだよ? 父君の三回忌が終わるまで異動は待ってなんて言われるなんて、思いもしなかったんだから」

「お蔭様で無事に終わりました。なのでまかり越した次第です。それで、ご許可は?」

 ふうっと息を吐いてから。静かに腕を振って、旗手を史琉の傍に移動させた。桜星の旗がばさりと鳴る。

 背筋を伸ばして、秋の宮は口元を引き締めた。

「柳津史琉大尉。君の、皇都鎮台第五部隊長着任を許可する」

「拝命いたします」

 静かに右腕を上げ、史琉は挙手の礼を取った。

 秋の宮はくるりと背を向けて、歩く。ゆっくりと手を振って、数人を残した他の軍人を史琉の側に追いやってしまった。

 囲まれて、彼はまた官帽を持ち上げて、髪を掻き上げた。

「よろしく頼む。一人一人、名前を聞きたいところだけど、生き残った後にゆっくりやろうな」

 ぐるりと囲む面々を見回して、にやりと笑う。

「では、第三部隊の増援に向かう。先鋒は高辻少尉に任せても?」

「承知」

 コツン、と音を立てて、高辻少尉が走り出す。

「続け!」

 史琉の声に、軍旗が翻り、わっと皆が走り出す。

 泰誠にまた腕を引かれて、道の端に避けて。倖奈は、濃紺の部隊を見送った。


 先ほどは目の前にあった背中も、あっと言う間に見えなくなってしまった。

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