夢追い人は夢も恋も捨てられない

秋保千代子

序章『一人、願いて』

01. 出逢い、はじまり

 そこから一歩も動けなかった。

 倖奈ゆきなを喰らわんと、魔物が口を向けていたのにも関わらずだ。

 その大きな、ぽっかりと開いた暗闇を見つめながら、役立たずのままだったな、と思った刹那。


 一閃。


 黒い影は真っ二つに切り裂かれ、風に溶けていく。それを瞬きせずに見送る。

「ぼうっとしてくれるなよ、お嬢ちゃん」

 へたり込んだ身には、その言葉が自分に向けられたものだと気づくのに、間が必要で。

 やっと瞬いて、視線を向けて、三歩離れたところに男が立っていることを知った。

 中肉中背の男。濃紺の肋骨服に軍袴、短靴という出で立ちで、右手には抜身の軍刀。官帽の庇の影で顔立ちはよく見えないけれど、唇が歪められたのは分かった。

「立て」

 言うや否や、彼はまた刀を振るい、もう一つ黒い影を斬り落とした。

「この先は戦場だ」

 今居るのは石造りの橋のたもと。川の上を見渡すと、影はまだ数多く浮いていた。

 その合間を縫って駆け回る、濃紺を纏った軍人たち。煌めく白刃。飛び交う怒号に、雨上がりの川の流れる音。

「そう、ね」

 倖奈はゆっくりと頷く。両手を地面について、でも立ち上がれない。

 ここは戦場。魔物と人とが争っている場だ。戦うか、逃げるか、どちらかを選ばなければ、最悪死んでしまう。

「さっさと逃げてくれないかな?」

 彼が示したのは、より現実的で生存確率の上がる方。だが、倖奈はゆっくりと首を振った。

「わたしは、『かんなぎ』だから、ここに来たの」

 だから逃げられない、という続きの言葉は声に出さなかったけれど。

 男の口元が引き攣るのが見える。そして、また刀が振るわれた。

 橋の上から、川岸の樹の後ろから、次から次へと流れてくる影を、斜めに、真横に、真っ二つに、彼は斬り続けていく。



 迷いなく走る刃が、眩しい。



 倖奈が惚けているうちに、この場の戦いは終わったらしい。橋の上の軍人たちがぱらぱらと一カ所に集まり、並び始める。橋の欄干の陰にいた、逃げそびれていた人たちがのそりのそりと動き出す。

 男もまた軍刀を鞘に納めて、長い溜め息をついた。

 ぐいっと両腕を伸ばす彼を尻目に、部隊の列は橋の西側、都の市街に向けて進んでいく。

 ようやく立ち上がってから、、倖奈は去りゆく部隊と、男を交互に見つめた。

「あなたは、鎮台の軍人さんじゃないの?」

「ああ…… そうとも言うし、そうじゃないとも言うし」

 彼は、官帽を持ち上げ、髪を掻き上げ。

「俺のことはいいんだよ」

 そう言って、険しい視線を向けてくる。

 倖奈も、改めて男の顔を見つめた。


 年の頃は二十代半ば過ぎだろうか。吊り上がった眉に、三白眼。口の端は上がって、笑みの形をとっているとはいえ、どちらかというと強面。いや、間違いなく、強面の部類だ。


「おまえ、『かんなぎ』だと言ったな」

 問いかけに頷いてから、彼は倖奈が『かんなぎ』だと知らないらしい、と首を傾げた。

 決して少なくない数とは言え、魔物との戦闘の場に駆り出される鎮台の軍人だったら、集められた『かんなぎ』の顔を把握していないほうが難しいはずだ。

――鎮台の軍人さんじゃなかったのかしら。

 よく見れば、袖章は彼の位が尉官だと示していたけれど。所属部隊を示す肩章が無い。 魔物を斬ることができる清められた刀を持っている以上、彼が軍人なのは間違いないのに、何者だろうと眉をひそめる。

 しかし。

「『かんなぎ』だからとはいえ、おまえみたいな子供まで戦闘に参加させているのか、都の鎮台は」

 彼の続きの言葉に、その考えを一度脇に避け、いつもの誤解を受けているらしいということを考えてしまった。


 もっとも、これに関しては致し方ない。

 同い年の友より拳一つは背が低いのだ。肩も狭くて薄くて、顔も手も小ぶりだ。唯一、瞳は大きく見えるのだが、これは幼さを助長するばかり。

 少しでも落ち着いて見えるようにと普段から、鈍色の小袖と京紫の袴を纏い、色が薄く癖の強い髪はきつい三編みにしているのだが、今回も意味をなさなかったらしい。


 なので、倖奈はいつもどおり、言った。

「わたし、十八です」

「え?」

「十八なんです」

「歳の話、だよな?」

「はい」

「嘘だろ?」

「よく言われます。でも、戸籍にはちゃんと元禄218年生まれと記載されています」

「マジかよ」

 は、と彼は息を吐いて宙を仰いだ。

「俺の目は狂ってるのかな」

「ううん。歳はよく間違われるから、大丈夫だと思う」

「そうか」

 はあ、と彼は肩を落とす。

 言葉が返ってこない間に、倖奈は会話の筋を戻すことにした。

「それでね。わたしがここに来ていた理由は『かんなぎ』だから。『かんなぎ』ならば魔物との戦いの場に来るべきだと泰誠たいせいに言われて、連れて来てもらったんです」

「その連れはどこにいるんだ?」

 男も元の話をする気があったらしい。

「逸れちゃったみたい」

 倖奈の返答には、がくり、と肩を落としてしまった。

「まあ、あまり感心はできないが、『かんなぎ』なら一人で魔物を倒すくらいわけないだろう?」

 彼の向け直された視線から逃げるように、倖奈は顔を伏せた。

「わたしは何もできないの」

「はぁ!?」

 裏返った声に、倖奈は肩を揺らした。

「……『かんなぎ』なのに、魔物を祓えないの」

 魔物を倒すのは難しい。木々や稲を薙ぎ倒す風や波とも違い、家屋を焼き尽くす炎とも違う。ただ人間だけを正確に狙い喰らっていく存在が、魔物だ。だからか、人が多く住まう街中ほど、魔物は多く現れる。倒す方法は、特別に清められた武具を用いるか、さもなければ『かんなぎ』の魔物を祓う力に頼るか、だ。

 力の現れ方は『かんなぎ』によりけり。

常盤ときわみたいに、火を熾して燃やし尽くせるわけでもない。泰誠たいせいみたいに、雷で切り裂けるわけでもない。美波みなみ みたいに、綺麗な光で包み込んでしまえるわけでもなくて」

 ぎゅっと両手で袴を握る。

「戦場に来ても、できることが全然ないの」

 ばくんばくん、と荒立つ心臓に眩暈を感じながら。

「それなのに、万桜まお様みたいに、武具を清めることができるわけでもないの。だから、みんな、わたしを役立たずとうわ 」

 一度言葉を切って。

「本当に、自分でも、役立たずだと思うの」

 乾いた声で言い切ってから、やっと顔を上げると、彼は腕を組み、こちらを見ていた。

「分かんねえな」

 平坦な声。倖奈はまた体を震わせた。

「『かんなぎ』は集められる、と聞いている。本人が何も分かっていなくても、それが力だと認められるから連れて来られるんだろう? だったら、あんたにもそういった、何かがあるんじゃないのか?」

 それに、視線を下げてぽつりと返す。

「花を咲かせることができるわ」

 すると。

「花?」

 短い声が響く。そろりと見上げると、彼は目を丸くしている。

「どんなふうに?」

「見せてみれば、いい?」

 倖奈は瞬いて、ゆっくりと見回した。

 川沿いの道に並ぶ、緑豊かな立ち木。その一つの前に立つ。

「この、躑躅を見ててくれる?」

 季節が過ぎて萎れた花弁に指先を滑らせる。

 ぼんやりとした光の後。

「……咲いた」

 一月前の艶やかな赤を纏った花が倖奈の手許にあった。

 男は、目だけでなく、口までポカンと開けている。

「これしかできないの。魔物を消すことなんか、できないの」

 見上げ、倖奈は唇を噛んだ。

 だが、彼は。

「十分じゃないか」

 と、呟いた。

 倖奈も目を丸くする。

「魔物って、花が咲いている場所には出ないんだよな。確か」

「そう、よ?」

「じゃあ、花を咲かせれば、そこにはもう出ないってことじゃないのか?」

 ふっと笑われる。

「役に立っているじゃないか」

 続いた一言に、倖奈はさらに目を見開いた。


――花を咲かせれば。


 その時、不意に、地面が跳ねた。

「きゃっ!」

 体が傾ぐ。それを支えられる。

 市街の方からまた怒声と悲鳴が聞こえてくる。

「なんだ。まだ魔物はいたのか」

「そう、みたい」

 どおん、という音が聞こえ、また揺れる。

「常盤だ」

「ん?」

「常盤。一緒に鎮台で暮らしてる『かんなぎ』。炎で魔物を消せるの」

「じゃあ、あの音のところには『かんなぎ』さんと軍の部隊がいるかも、と」

「いる、と思う」

「じゃあ、行きますかね」

 倖奈を真っ直ぐ立たせ、ぽんぽんと肩を叩いてから、彼は石畳の道を走り出そうとした。

「……待って!」

 叫ぶ。

 叫んでから、大事なことに気がついた。

「名前」

「は?」

 振り返った男が、間抜けな声を上げる。

 倖奈は真っすぐに彼を見つめ、呟いた。

「名前を知らない」

 追いかける、呼びかけるための、名前を聞いていない。

 一度大きく息を吸って、背筋を伸ばして立つ。両の手を体の前で揃えてから。できるだけゆっくりと、口を動かした。

「倖奈です」

 すると、彼はふっと笑った。

柳津やないづ史琉しりゅうだ」

「……史琉」

 小さな声で、呼ぶ。大きく鳴り始めた心臓の音に負けぬように。

「わたしも一緒に行きたい」

 倖奈は言葉を絞り出した。

「戦場だぞ?」

「できることがあるのだったら…… 行きたい」

 すると彼は眉を下げ。

「さっきは役立たずを自称してたのにねえ」

 官帽を被りなおし、 口許の綻びを深くした。

「じゃあ、倖奈。魔物退治に行くか?」

「はい!」

 つられて、笑う。

 そして一歩踏み出した。

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