薄暗い夜の話
服を脱ぎ終わったサユコは、風呂場への扉を開け、中へと入った。一方、風呂場の鏡の前に立つカケヤは、出しっ放しにしたシャワーの水を体に浴びたまま、自分の姿をじっと見ていた。
「ふぅ。あら、カケヤくん?」
「ひっ!あ、さ、サユコお姉さんっ!?」
「どうしたの?真っ赤になって。もしかして……」
「いや、その……」
「触ったりとか、してた?」
「し、してないですっ!見てただけですっ!」
「ふうん……。まぁ、いいわ。髪や体を洗ってあげるから、そこに座って。女性初心者のカケヤくんには、大変だと思うの」
「は、はいっ」
カケヤは緊張した様子で、姿勢よく背筋をピンと伸ばしながら、肉付きのいい色気あふれる尻を風呂椅子に降ろした。サユコはシャワーの首を手に取り、カケヤの背中を軽く濡らした後、湿った後ろ髪を撫でながら、そっと耳元に言葉を残した。
「……分かるんだから。あなたが、私の体に何をやってたかぐらい」
「ひゃあっ!!?」
甲高い女の悲鳴が、風呂場に反響した。髪を洗ってもらっていた『サユコ』は、驚きのあまり少し跳ね、そしてバッと振り返った。するとそこには、目を細めていたずらっぽく怪しく笑う元自分……『カケヤ』の顔があった。
「嘘はだめ。触ってたでしょ?本当のことを言って」
「……!」
「それとも、カケヤくんは嘘をついてまでそんなことをする子だったってこと?それじゃあ私、あなたのこと信用できなくなっちゃうかも」
「うぅ……。サユコお姉さん……ぼ、僕……」
サユコの台詞は本心ではなく、ただの駆け引きのようなものなのだが、真面目なカケヤは、その言葉を深刻に受け止めてしまった。
「ご、ごめん……なさい……」
自分がやった行為を恥じ、目を伏せて反省する。
カケヤが自然に行ったその仕草に、今度はサユコがびっくりして口元を覆った。それは、サユコにとって嬉しい驚嘆だった。
(カケヤくん、すごくいい表情……!ふふっ、かわいい。可哀想だけど、なんだかちょっと、意地悪したくなっちゃう……)
サユコはうふふと微笑み、怯えながら顔色を伺ってくるカケヤに追い討ちをかけた。
「やっぱり弄ってたのね。私の体」
「すみません……」
「どこを触ってたの?正直に言って」
「えっ……?」
「『興味ありません!』なんて言ってたカケヤくんが、あんなに紳士だったカケヤくんが、私の体で一番興味があったのはどこなの?……言ってみて」
「う……、あの……」
「教えて……?ねっ?」
「あ、そのっ、む……」
「うん?」
「む、胸……です……!」
言ってしまった。
言わせることができた。
「私の胸……触ってみて、どうだった?」
「そ、それは別にっ、何もっ!」
「嘘はだめ」
「うぅっ……。や、柔らかくて、ふにふにしてて、き、気持ち良かったです」
「えっち」
「あぁう……、ごめんなさい」
「お兄ちゃんなのにね。弟や妹たちの見本になるように、しっかりしなきゃいけないのに、こんなことして」
「ぼ、僕が間違ってました。本当にごめんなさい……」
カケヤの声はどんどん小さくなり、今にも泣きだしそうだった。責めるにしても少しやりすぎたと感じたサユコは、一転して、今度は優しく諭すような口調に変え、優しく彼女の頭を撫でた。
「ううん。あなたは間違ってない。そんなに自分を責めないで」
「えっ?」
「中学生の男の子だもの。それぐらいが普通よ。我慢できなくなるくらい、魅力的に感じてくれたのよね?」
「は、はい。サユコお姉さんは、すごく綺麗でっ」
「私の方こそ、意地悪してごめんね?そもそも私が、いたずらしてもいいって、言ったのに」
「いえっ、そんなっ!サユコお姉さんは悪くないですっ!」
「ふふっ、ちょっと元気になったわね」
そう言ってサユコが微笑むと、カケヤもほっとしたように小さく笑った。そして、責めた後優しさを見せるという、駆け引きなどとは呼べないくらい下手なサユコの素人戦術に、カケヤはまんまと陥ってしまった。
「でも、サユコお姉さんは、その……どうして、僕が胸を触ったって分かったんですか?」
「えっ?見てすぐに分かったわよ。私、敏感だし」
「敏感……?」
「あら、自分で気付かない?まあ、そのうち分かるわ」
「?」
*
ちゃぷん。どぷん。
二人は髪や体を一通り洗った後、湯船に浸かった。浴槽は楕円形に広く、二人で横に並んで座れば、煌めく街の夜景を一望することができる。サユコはタオルで汗を拭いながら、少し膝を伸ばしてリラックスし、カケヤは三角座りのまま緊張した様子で、じっと遠くの景色を見ていた。
「ふぅ……。湯加減はどう?丁度いい?」
「はい、まあ……」
「頭に異常は無い?傷にしみたりとか」
「いえ、大丈夫です。サユコお姉さんの髪が、ちょっと重いくらいで」
「髪?……ああ、髪が浸からないように纏めるのも、初めてかしら」
「はい。なんというか、新鮮です。でも、やり方は覚えました」
「ふふっ、賢いわねカケヤくんは。覚えることは多いかもしれないけど、私もできる限り手助けするわ」
「ありがとうございます。元の体に戻れるまで、よろしくお願いします」
「えっ……」
「サユコお姉さんも、僕の体で何か困ったら、何でも言って下さい」
「そ、そうね……。そうする」
カケヤは頼もしいこと言ったが、サユコの表情は仄かに暗くなっていた。『元に戻れるまで』という言葉が、なんとなくサユコには引っかかったのだ。
(元に戻るまで、かぁ。今のまま元に戻ったら、カケヤくんも私も、何も変わらず、きっとまたいつもの生活に戻っちゃう……)
(何かの拍子に、体が戻っちゃったらどうしよう。まだカケヤくんと一緒にやりたいこと、たくさんあるのに……!)
(こんなチャンス、もう一生来ないかもしれない……!私に今、できることをやらないと!)
サユコの心には焦りが生まれ、それが結論を急かした。自分は今、カケヤと何をすべきなのかという結論を、だ。そして二人で風呂から上がる頃に、サユコの決心は固まった。
*
数十分後。
サユコの姿になったカケヤは、一人寝室にいた。一人で寝るには大きすぎるダブルベッドの上で、ふわふわもこもことした白い羽毛布団に入り、落ち着きのない不安そうな顔で、天井をじっと見つめている。不安そうな顔以外は、「先に寝室のベッドで待ってて」という、サユコの指示なのだが……。
「うぅ……。サユコお姉さん、何で……」
脚を動かすと、布団はがさがさと音を立てた。しかしそれでも、体を包む違和感は拭えず、カケヤはまた不満げに「うぅ……」と唸った後、今度は意識を逸らすために、窓の方を向き星空を眺めることに集中した。
(ハスミたち、今ごろどうしてるかな。早く元の体に戻って、家に帰りたい……)
パチッ。
突然、寝室の電気が消えた。
「うわっ!な、何だ?停電っ!?」
真っ暗闇。
動揺したカケヤは飛び起き、ベッドから慌てて降りようとすると、それを制止するような少年の囁きが、暗黒の中にいる彼女の耳に届いた。
「大丈夫よ、落ち着いて。私が消したの」
「!?」
「待たせちゃって、ごめんね」
サユコだ。現在はカケヤの姿をしているサユコお姉さんが、静かに寝室へと入ってきた。手のひらに乗せているぼうっとした淡い光を見ながら、優しく微笑んでいる。
「なっ、さ、サユコお姉さんっ!?そ、それは!?」
「これ?アロマキャンドルよ。良い香りがするかしら?」
「いやっ、違っ、な、なんですか、それはっ!?」
「そばに置いておくわね。いつでも消せるように」
「ま、待ってくださいっ!それ、それはなんですかっ!?」
「もうっ、何を慌ててるの?今から二人で……」
「そ、その前にっ!その服の説明をしてくださいっ!布団に入る前にっ!」
「えっ?これ……?」
カケヤは指を差して叫び、サユコは「何かおかしいかしら?」と言いたげな表情で、自分が着ている服を見下ろした。
「だって、それ、女の人の……サユコお姉さんの服じゃないですか!!」
「ええ、そうね。私の服よ……」
叫んでしまうのも無理はなく、『サユコ』が指差す先には、通常13歳の男子が着ることのない服を着た『カケヤ』がいた。胸元の大きく開いた真っ赤なベビードールに身を包み、下半身にはレースの派手なショーツが透けて見えている。まだ幼さの残る顔つきとは言え、どういう見方をしても女性には見えないので、完全に「女装」だ。
「ふふっ、どうかしら。サイズは少し大きいくらいね。胸元の余裕なんて……ほら、こんなに」
「お、おかしいですっ!僕の体で、そんな格好っ!」
「別におかしくはないわ。私が、私の着たい服を着てるだけ。この格好で外に出るわけじゃないし。それに、あなただって」
「こ、これはっ、サユコお姉さんの指示通りに着ただけで……!」
一方の『サユコ』もまた、その体とは不釣り合いの格好だった。着ているのは、カケヤがさっきまで着ていた服だ。Tシャツは、豊満なバストに引っ張られているせいで、へそまで覆い隠すことができなくなっており、愛用のズボンは、変わり果てたカケヤの大きな尻のせいで、苦しそうにしている。男装……というよりもはや、悪ふざけに近い。
「私の言うことを聞いて、素直にそれを着てくれたんでしょ?嬉しいわ」
「でも、こんなのおかしいですよ……!間違ってる……」
「んー?それはつまり、カケヤくんは私のお洋服を着てみたいってこと?」
「えっ……?」
「フリルの可愛い水着?それとも、この露出高めの服?いいわよ、どれでも」
「い、いえ、それは、その……僕には難しいです……」
「そう。じゃあ、今夜はこれでいいじゃない。寝て起きるまでの間だけだから、ねっ?」
「分かりました……」
「うふふ、本当に素直でいい子ね」
半ば強引にサユコに押し切られ、カケヤは首を縦に振った。その流されやすさ、自我の弱さは、まるで普段の受け身な代浜サユコそのものだったのだが、そのことには誰も気が付いていなかった。
*
淡い光がふわりと煌めく、薄暗い寝室。
あべこべな格好をした二人は、そっと静かに布団に入った。肩まで布団に埋もれた『サユコ』は、落ち着かない様子で何もない天井を再び眺め、その隣の『カケヤ』は、うつ伏せになりながら枕に顎を乗せ、そばにあるキャンドルの香りを楽しんでいる。
「ねぇ、カケヤくん……?」
「な、なんですか?」
「また緊張してる。それじゃあ眠れないでしょ?」
「そう言われても……。これからのことを考えると、不安でいっぱいで」
「大丈夫。頭の傷が治ったら、私とごつんすればいいだけ。カケヤくんは何も気にせず、傷を治すことに専念すればいいの」
「でも、その間サユコお姉さんは、僕の代わりにカケヤとして生活することに……」
「ええ、一生懸命頑張るわ。学校は明後日からよね?私……じゃなかった、僕、ちゃんと男の子やってみせるから、安心して」
「は、はい……!」
心はいくらか軽くなった。気分は少し晴れた。
しかし、スッキリとした表情になったカケヤの隣には、舌舐めずりをして怪しく微笑むサユコ……ではなく、『キモババア』がいた。相手はまだ何も知らない中学生だが、この変態ババアには関係ない。頭に考えていることはただ一つ、「これで全ての準備は整った」。
「はぁ、はぁ……はぁ……。うふっ、ふふふっ」
「サユコお姉さん?」
「ねぇ……」
「はい、なんですか?」
「もっとそっちに行ってもいい……?」
「ど、どうぞ。寒いですか?」
「うん、まあそんな感じね……。ふふっ」
「……」
「……」
「あ、あの」
「なぁに……?」
「くっ、くっついて寝るんですか?」
「私ね、誰かと一緒に寝るの、本当に久しぶりなの。毎晩ずっと独りで、寂しかったの。分かってくれる……?」
「いや、ぼ、僕は、大丈夫ですけどっ!」
「そう。良かった……。じゃあ、こっちを向いてくれる?」
「えっ……!?」
「体を、こっちに向けるの。向かい合わせになって、くっつくのよ」
「それって、つまり、抱き合っ」
「うん。ほら、早くして」
「……!」
カケヤは、ほどよく脂肪のついた体をゆっくりと体を横に向け、サユコと向かい合った。
「さ、サユコお姉さんっ」
「見て。この赤い服はね、男の人と寝る時にしか着ないの。この下着も、そういう時にしか着けない」
「め、目が恐いですっ……!」
「体は入れ替わってるけど、今夜は、あなたが男で私が女。それでいいの」
「一旦、一度だけ、待ってくださいっ!」
「ううん、もう待てない。はぁ、はぁ、もう、無理なのっ。私の言うことに、逆らわないでっ……!」
「……!」
ヤバい。これ以上はヤバいと、カケヤの直感はそう告げていた。……が、それでも逃げられない。豹変したサユコの強い言葉が、カケヤの体を恐怖で束縛している。
「いい?カケヤくん、聞いて……?」
「……」
「まずね、私たちの脚を絡ませるの」
「脚……?」
「そう。そして次は腕を絡ませ、体を密着させるの」
「あ……そ、それはっ……!」
「最後。最後は何を絡ませるのか、分かる?」
「な、何って」
「し、た。……舌よ♪」
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