29歳が13歳で13歳が29歳の話

 

 とある高級マンションの一部屋。

 その広い玄関には、中学生の少年と水着姿の女性が、二人並んで倒れている。周囲には何やら争った形跡があり、その最中に互いの頭を強くぶつけたらしく、現在両者ともに意識はない。


 * *

 

 10分が経過した。


 「うっ、うーん……」

 

 先に目を覚ましたのは、女性の方だ。

 長いまつげが目立つまぶたをゆっくりと開け、柔らかそうな赤い唇の奥から、色気のある声を漏らしている。内側に緩くカールした茶色の長い髪は床に広がり、彼女の背中の下敷きになっていた。


 (あれ……? 何……してたんだっけ……)

 

 頭を強くぶつけたせいか、記憶がはっきりとしなかった。思い出そうとしても、まだ脳が思考をする準備をしていない。

 虚ろな目で、そのまま天井を眺めていると、まずは身体が不調を訴えてきた。

 

 (うぅ、頭が痛い。それに少し寒い……)

 

 痛む場所を確認するために、右手を頭に持っていくと、布のような物に指先が触れた。触り心地、形状、そして軽く引っ張って布の色を見ると、それが何かはすぐに分かった。

 

 (ほうたい……? なんで……包帯なんか……)

 

 先ほど、カケヤくんに「手当てしてもらった」ことを、彼女は覚えていなかった。というより、今の彼女には「手当てをした」覚えはあっても、「手当てしてもらった」記憶も経験も無いのだ。

 包帯は謎のままにして、手を離し、今度は髪を辿った。その髪にも、先ほどから違和感がある。

 

 (これ、僕の髪……?? なんで、こんなに伸びて……茶髪で……背中にも……?)

 

 長い髪の毛は、ふわふわと「僕」の肩や頬を撫でている。

 違和感は徐々に増え、不可解な物という認識に変わっていく自分の目で、冷静に状況を把握しようと、両手で支えながら彼女はゆっくりと上体を起こした。すると……。

 

 「えっ……!?」


 胸が揺れた。


 (なんだこれ……!? どうなってるんだ、僕の体は……!)

 

 揺れが止まっても、まだ胸にはずっしりとした重みがある。その重みに、肩にある紐のような物も、引っ張られている。

 「僕」は床に股を広げて座り、ゆっくりと、慎重に、自分の体を見下ろした。

 

 「わっ……! うわぁっ!?」

 

 思わずビクッと体が震え、もう一度大きく膨らんだ胸が揺れた。

 丸い乳房の、上半分を長い髪の毛先がくすぐり、下半分は水色のひらひらした布に覆われている。おそらくこの布は……。

 

 (み、水着っ……!? まさか、あの水着じゃ……)

 

 嘘だと思っていた。何かの間違いじゃないかと。

 しかし、両手で水着の上から胸を触ると、確かに弾力があり、その時の感触が、自分の体についているものだと、はっきりと主張してきた。

 現実を疑い、押してみても潰しそうとしてみても、膨らみが消えることはなく、彼女は最終的にヤケになって、双丘をぎゅっと鷲掴みにしてしまった。


 「こ、こんなのっ……! んっ……あぁんっ」


 女の体の快感に、思わず声が出た。もちろん、その声も男子のものではなく、先ほどまで自分と体を密着させていた、女性のものだ。

 一瞬の快楽の後、脳はのぼせ上がり、今度は冷たかった身体が熱を発してきた。

 

 「はぁ、はぁ……」

 

 胸から両手を離し、その手のひらを見る。……細くて白い、綺麗な指だ。

 しかし、本来の自分の指が、こんなに綺麗なはずがない。違う違うと、首を左右に振っても、長い髪がそれに合わせて揺れるだけ。彼女はいよいよパニックになり、胸以外の全身を手でペタペタと触って、結論づける前の最後の確認をした。

 

 (この水着も……! のども、腕も、腰も、お尻も、太腿も、声まで……全部っ……!)

 

 震える声で呟いた。


 「サユコお姉さんだ……! 僕、サユコお姉さんになってる……!?」


 「きゃっ!」

 

 後ろで突然、少しかすれた悲鳴が聞こえた。

 サユコお姉さんになってしまった「僕」は咄嗟に反応して、髪を翻し、胸を揺らしながら、その声がする方に振り向いた。

 

 「あっ!?」


 そこには、男の子がいた。


 目の前にいるその子は、少女のように内股で床にペタンと座り、まるで得体の知れない物に触れるように、恐る恐る自分の太ももの間に、両手を滑り込ませている。そして、そこにある何かに触れると、彼はまたびっくりして、小さな悲鳴を上げ、座ったまま少し飛び跳ねた。


 「わ、私の……体……」


 「私」。男の子は、自分のことを「私」と呼んでいる。

 ……とても嫌な予感がした。

 サユコお姉さんになってしまった「僕」は、生唾をゴクリと飲み込み、自らを「私」と呼ぶ彼に、思い切って声をかけた。

 

 「僕………? サユコ……お姉さん……?」

 「私!? カケヤ……くん……?」


 二人で顔を見合わせ、現実と向きあった。


 「僕が、サユコお姉さんっ………!?」

 「私が、カケヤくんっ……!?」


 カケヤは女の、サユコの姿に。

 サユコは男の、カケヤの姿に。

 二人の体は入れ替わっていた。


 * *

 

 「はい。手鏡だけど……」

 「ありがとうございます」

 

 先ほどより少し冷静になった二人は、玄関からリビングルームまで戻り、黒いソファに腰を降ろした。

 少年が、隣にいる女性に手鏡を渡すと、その女性は敬語でお礼を言った。不思議な光景だが、本人達は「ごっこ遊び」をしているつもりはない。

 

 「サユコお姉さんの顔……。やっぱり僕、サユコお姉さんになってるんだ……」

 「そうみたいね……。私もカケヤくんになってるし」

 「どうしよう……! 僕たち、どうすればいいんですか!?」

 「落ち着いてっ! さ、さっきと同じことをするの。さっきみたいに頭をぶつけたら、もう一度入れ替わることができるはずよ」

 「そ、そうですね……。そうするしか、ないですよね。すいません。取り乱して」

 「ううん、仕方ないわ。カケヤくんはしっかりしてるけど、まだ子供なんだから。とにかくやってみましょう」

 「はいっ……!」


 リビングの絨毯の上にある、邪魔な物を全て片づけ、先ほどの再現をする場所を作った。そして、そこに二人で向かい合って立った状態から、カケヤの姿になったサユコは、くるりと後ろを向いた。

 

 「いいわよ。……来て」

 「えっ?」

 「さ、さっきみたいに、して?」

 「さっきみたいに……? あの、僕は、何を……?」

 「後ろから私を……だ、抱きしめてっ!」

 「!?」

 サユコが少年の声で絞り出した言葉に、カケヤの動きが止まった。再現をすることは分かっていたが、立場が逆になることは考えていなかったのだ。


 「ほ、本当に、僕がサユコお姉さんを……!?」


 サユコは後ろを向いたまま、小さく頷いた。

 それに応えないワケにもいかず、カケヤは元に戻るためだと自分に言い聞かせ、恥ずかしさを堪えて、一歩ずつゆっくりと彼に近づいた。そして……。


 「……!」

 「カケヤくん……?」

 「駄目……ですか……?」

 「優しすぎるわ……。これじゃあ、ただ腕を添えただけ……」

 「でも僕っ、家族以外の女の人を、だ、抱きしめるとか、し、したことなくてっ!」

 「もう少し力を入れて、体を密着させるのよ。私の胸……今はカケヤ君の胸を、押し当ててみて?」

 「うぅ……で、できませんっ……!」

 「……!」


 初々しく下手くそな抱擁に、サユコは内心愛おしくてたまらなくなったが、その感情は表に出さず、わざと呆れたような態度をとって、冷たい言葉を放った。


 「元に戻りたくないの?」

 「戻りたい……ですけど……、でも……」

 「……」

 「……」

 「そう。じゃあ仕方ないわね。このままでやってみましょう」

 「す、すみません……! お願いします……」


 二人は足の力を抜いてバランスを崩し、わざと頭をぶつけて絨毯へと倒れ込んだ。


 ドサッ。

 もちろん、そんな半端な行為で成就するわけもなく。

 

 (痛たた……。あの子の服、あの子の股間、あの子の髪。私はまだ、カケヤくんのままね)

 

 入れ替わりは失敗した。

 

 しかし、それとは別の異変が起こっていた。

 サユコは、今の自分が男であることを再度確認した後、一緒に倒れた女性の方を見た。するとそこには……。


 「うぅっ……い、痛い! 痛い、痛い、痛いぃっ!!」

 「!?」

 

 頭の包帯を押さえて苦しんでいるサユコ……現在のカケヤの姿があった。

 

 「カケヤくんっ!? どうしたのっ!!?」

 「はぁ、はぁ……さ、サユコお姉さんっ! 頭が、痛いんですっ……!!」

 「ちょっと私にみせてみてっ!」

 「こ、この辺りが、すごく痛くてっ……!」

 

 見るとそこには、ジワリと血のにじんだ傷口があった。石を当てられ、先ほど治療の済んだ箇所だが、今の衝撃でまた包帯やガーゼが外れ、傷も開いてしまったのだろう。

 

 サユコは彼女を救うために、まずは焦る気持ちを落ち着け、冷静に救急箱を取り出した。

 

 「大丈夫よ、カケヤくん。すぐに手当てをしてあげるから」

 

 全身に汗をかきながら、耐え続ける彼女を一旦絨毯に寝かせ、サユコは自分がしてもらった時のことを思い出しながら、必死に手当てをした。幸い血はすぐに止まり、カケヤを襲った痛みも徐々に収まっていった。

 

 「後は包帯ね……。さっきあなたが、私にやってくれた通りにやるわ」

 「…………ん……」

 「うん? 今、何か言った?」

 「お……にい……ちゃん……」

 「えっ……」


 早原カケヤは、5人兄弟の長男だ。兄や姉はいない。


 この時カケヤが、痛みの中で無意識に呟いた言葉の意味を、サユコははっきりと覚えていた。

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